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Part1
Part1男同士の愛が自然だったずっとずっと昔のカラヴァッジョの
1
この炎天下、俺は巨大なバックパックを担いでここまで来た。直射日光が俺の働きの悪い頭を直撃している。これ以上頭が悪くなったら大変だ。想像力だけはいつもみたいによく働く。自分が干上がったアフリカかどっかの草原を歩いている可哀相な野生動物になった気がする。あと1日か2日雨が降らなかったら、俺は確実に死ぬ。頭上を大きな鳥達が、カーカーと言いながら回っている。俺が死んだら肉を食べるつもりだ。でもあれってなんの鳥?カラスってアフリカにもいるの?そんなことを考えているとやっとそのビルに着いた。
2
「なにその荷物!家出?」
田辺のアパート。それは変なつぎはぎになったビルで、所々に修理の跡があってパッチワークのように外壁の色が違う。水色とベージュと変なピンク。ここは10階で田辺が仕事用に借りてる場所。その部分は変なピンクに属している。ヤツはどこだか知らないけど彼氏と一緒にどっかに住んでいる。瀕死の可哀そうな野生動物の俺を、なかなか家に入れてくれない。
「なんで家出なんて?」
電話が鳴っている。田辺は電話をとってなにやら話し込んでいる。入り組んだ話しらしい。なんだか知らないけど仕事の話し。
3
俺はヤツのスキをついて玄関の中に入り込むことに成功した。彼がまだ電話中なんで、俺はバックパックを置いて、勝手に冷蔵庫を開けてコーラを飲み始める。これで大丈夫だ。俺の頭上を飛んでいたカラス達が悔しそうな声を上げて去って行く。田辺は中学からの友達で、遠慮というものは俺達の間に存在しない。太古からここにそびえているこのアパート。この高さの空にはいつも強風が吹いていて、窓がバタバタ言って、今にもビル全体が崩れ落ちそうな気がする。やっと田辺が電話を切る。
「なんで家出なんて?」
同じ質問を繰り返す。そしたらまた電話がかかってくる。忙しい男だ。また仕事の話し。俺は空いてそうな部屋を見計らってそこへ自分の荷物を運んで行く。仕事の資料みたいなのが安っぽい本棚に並んでいる。田辺がそこに住んでないというのはホントらしい。ベッドがひとつもない。リビングにソファがある。今夜はそこに寝るしかないな、って勝手に思う。そして思い出す。あれはカラスじゃなくてハゲワシだ。なんて鳴くんだ?それは知らない。
「なんで家出なんて?」
3回目で俺はやっと説明するチャンスをつかんだ。すぐ次の電話がかかって来るだろうから、早口で喋る。
「母ちゃんが3浪はさせない、って言うからケンカして。」
「それはいいな。3浪してるヒマがあったら、もっと自分の身の丈に合った人生を捜せ。だけどなんで俺んとこなの?」
「お前が俺の周りで1番甲斐性がありそうだから。」
「ふーん。実は今晩、人を捜してて。お前行ってくれないか?金は払う。」
そしたらまた電話がかかってきて、彼はなんだか場所と時間が書いてある紙をくれた。こういうのなんて言うんだっけ?一宿一飯のなんとか。
4
時間を見たらグズグズしてるヒマはない。どっちにしろ金がないから、なにかしないといけない。それもあって田辺の所を選んだ。ヤツは高校生の頃から既に、なんでも屋みたいなことをして稼いでいた。人と人を結び付ける商売だそうだ。俺はそういうことには頭が回らないから、その金を稼ぐ仕組みがよく分からない。頭が回らないのはそのことだけじゃないけど。集中力に欠けるから勉強がサッパリできない。そんな俺の身の丈に合った人生ってなんだろう?田辺のくれた紙にはフランス語かなんかの洒落た名前が書いてあって、検索したらホテルのレストランらしい。時間を見たらそこまで行くのにほとんどギリギリくらいだ。急いで改札を通って、閉まりそうになってる電車に飛び乗る。ホームにいる駅員がギロリと睨む。涼しい電車の中が高原のような爽やかさ。ホテルのレストラン?俺こんなカッコでどうすんの?でもそれを解決する時間も金もない。汗だくだくで。浪人中は服も買ってもらえなかったから、今着てるTシャツも7分丈くらいのパラシュートっぽいパンツも、どっちもヨレヨレ。俺の母ちゃんってほんと鬼だよな。
5
ホテルに着いた。俺には到底縁はないけど、誰でも知ってるような高級ホテル。縁のない世界か。でも新鮮。そのレストランに行くとなにがあるんだろう?皿洗い?皿洗いの欠員で人材派遣して、そんなに田辺が儲かるとも思えないけど。ちなみに皿洗いは嫌いではない。鬼の母ちゃんに小さい頃から家事を強要されてたから。でも家事は嫌いではない。その高級レストランの中はチラッとのぞいただけで行き過ぎて、俺は裏口へ回った。大きなキッチン。ガヤガヤと賑やかで、俺はどうせなら皿洗いより、厨房の下働きとかがいいな、って思った。野菜切ったりそういうこと。それやらしてくれるんだったら、毎晩来てもいいな。俺が裏口にいても、みんな忙しくて誰も見向きもしない。しょうがないから自分からキッチンに入って行った。
「あのう、ここに来るように言われて。」
ひとりのシェフがやっと振り向いてくれて、その人は渋いオッサンで、
「俺達そんなの知らないよ。」
そう言われてそれ以上いてもしょうがないから、そこを出て田辺に電話をした。
「キッチンじゃないよ。レストランの方。末吉さんっていう人が待ってるから。」
「なにその人?俺、なにしにその人に会うの?」
「お前、昔から渋いオッサン好きだ、って言ってただろう?じゃあ俺これからミーティングなんで。」
6
さっきのぞいたレストラン、バリバリに高そうな感じだった。俺は改めて自分の服装を見てみた。丁度時間になったし、しょうがない、仕事だと思って、恐る恐る中に入って行った。入口に渋いオッサンがいて、多分席に案内する係かなんかの人。このホテルには渋いオッサンがたくさん生息している。俺はその人かも、って思って、
「ここに来るように言われたんですけど。」
「お名前は?」
「俺のですか?相手のですか?」
その人は少し微笑んで、
「それじゃあ相手の方の。」
「末吉さんとか。」
そしたらなんと、ちゃんと席に案内される。俺は最初その人の顔より、バリっとしたスーツとネクタイが目に入って、やっぱりこんなカッコじゃあヤバいよな、って焦る。その人に近付いて行くと彼はスッと立ち上がって、
「私達、バーの方に行きますから。」
股間に響きそうな渋い声。
7
バーはすぐ隣で、そこはもう少しカジュアルな雰囲気で、まあ、あんまり変わんないけど。ふたりで小さなテーブルに座る。外の景色がよく見える席。俺は高い所が好きなんで、思わず声を上げる。
「わー、凄いここ!俺んちの方まで見えますよ。」
「君んちってどこら辺なの?」
「えーっとね、あっち等辺。」
おれは指差す。俺の育った下町の。
「あのでっかいビルの後ろくらいですよ。」
「そうなの?」
俺はしばらく外を見続けて、そしたら彼は俺の肩に手を置いて、
「今日は来てくれてどうもありがとう。」
またさっきみたいに渋い声。俺はその時初めてまともに末吉さんの顔を見た。渋いオッサン。
8
注文を取りに来た人がいて、俺はこんなとこに来たこともないから黙ってたら、彼はふたり分オーダーしてくれて、それを聞いててもなにをオーダーしたのか俺にはサッパリ分からない。そしたら細長いグラスがふたつ出て来て、ウエイターがボトルを開けて、景気のいいポンっていう音がして、それをグラスに注ぐと細かい泡がたくさん弾け飛んだ。俺が渋いオッサンに弱いのは父親を知らないから。でもきっとよくあること。
「なにに乾杯しようかな?」
そう言われても俺はサッパリだから黙ってたら、彼は、
「じゃあ私達の出会いに。」
って勝手に言って、乾杯して。また彼の顔を見た。今度は結構ちゃんと見た。きっとこの人は苦労したことなんてなくて、俺みたいに子供の頃から母ちゃんに家事やらされて、サボると怒鳴られたり、なん回も大学滑って追い出されるとか、そういう経験絶対ないだろうな。そう考えながら顔を見てると、
「なに?」
って聞かれて、俺は、
「あ、なんでもないです。今日、こんなカッコで来ちゃってすいません。急だったもので。スーツ持ってないわけじゃないんですけど実家に置いてあって、今、友達のとこに住んでて。でもどうせあれ着ると、俺どっかの結婚式に頭数合わせのために、1回も会ったことない親戚に呼ばれて、人に借りて全然似合わないみたいにしか見えないんで。」
末吉さんは楽しそうに笑って、
「君っていつもそんなこと考えてるの?」
「そうですね。俺そういう下らない想像力ばっかあって、いっつもそんなこと考えて集中力がないから
勉強ができない。」
「そうなの?でも面白いじゃないそういうの。」
「なんの役にも立ちませんよ。」
「へえ、じゃあ私のことはどう思う?」
「さっきから考えてたんですけど。」
「なに?」
「あのね、苦労を知らない人だなって。あ、でも悪い意味じゃないですよ。俺みたいに母ちゃんに家追い出されたりしたことなんかなくて、穏やかに健やかに育って、勉強もキチンとできて、いい学校にいい仕事。」
「なるほど。」
「でも分かんない。人って見かけによらないし。人知れぬ苦労をされているのかも知れません。」
「どうゆう苦労?」
「そうですね、代々続いた立派な会社が乗っ取りに会って、職を失うとか。でもきっと貴方だったらすぐまたいい仕事あると思いますけど。」
「それから?」
彼はまた楽しそうに俺のことを見る。
「それから、親が決めた縁談にどうしても従えなくて、それは他に心に決めた人がいるからで、だから貴方は、家から断絶されている。」
「それは少し近いかもしれない。」
俺は思わず立ち上がって、
「ほんとですか?俺の予想って絶対当らないんですよ。マジで?あー、ビックリした!」
9
俺はそこら辺であんまり喋り過ぎたから、少し黙った方がいいかな、って思って、それはいつも母ちゃんに言われることで。俺はいつも喋り過ぎるって。頑張って喋らないようにしていても、変な想像が色々現れて、つい笑ってしまって、そしたら彼が、
「なに黙ってるの?」
「母ちゃんが、俺がいつも喋り過ぎるから。だから少し黙ってろって。」
「我慢してるんだ。」
「そう。」
「普通どのくらい我慢できるの?」
「相当我慢できますよ。3分くらい。訓練されたから。」
「それは凄いな。じゃあ3分計るから。」
黙っている間もこの人の現在や過去が色々浮かんでくる。絶対当らない俺の想像。さっき当ったのはまぐれだな。いずれにしろ、この人はお品のいいどっかのお坊ちゃん。言葉使いで分かるし、あと身のこなし。恋人がいるから縁談を断って家から出た。それって俺に近いかも。大学また全部落ちて家を追い出される。そしたら向こうから質問される。
「君、お母さんから追い出されたって言ってたけど、お母様ってなにしてらっしゃるの?差し支えなければ。」
「まだ3分経ちませんよ。」
「じゃあもう少し待とうか?」
「いいですよ、もうそんなこと。母ちゃんはね、バリバリの水商売ですよ。この不景気にちゃんと生活してますから、その辺では尊敬してるんですよね。でもね、実は母ちゃんカナダ生まれで、あっちの常識使ってくるんで、もう俺なんて16の時から家賃取られてきましたから。」
「あ、だから。」
「そう、だから俺、こんな顔してるんですよ。ちょっと変わってるでしょう?少しネイティブインディアンの血が混ざってる。」
「カッコいいじゃない。」
「俺どんな風に見えます?」
「身体は大きいよね。背も高いし。」
「見た目ほど力はないんですけど。喋るのは得意ですけど。じゃあ顔はどんな風に見えます?」
「ワイルドな感じ?」
「ふーん。いいかも。」
「君の名前を聞いていなかった。」
「剣です、つるぎの。二世によくある名前。」
「Kenって英語の名前だからね。」
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「今ね、そこの廊下のことに家族がいたでしょう?俺ねあの一瞬にあの家族の話しを作り上げましたよ。あの1番小さい女の子いたでしょ?今日はその子の誕生日なんです。さっきの子。小学生くらいの。実はね、あの子が家族の中で1番頭がいいんですよ。ちょっとしかめっ面してたでしょう?だからこんなホテルバカにしてるんです。」
「こんなホテルね。」
「あ、そういう意味じゃないですよ。」
「いいよ。じゃあこんなホテル出て、どこかへ行こう。どこがいい?」
「そうですね。俺が今1番やるべきことは職探しですね。でも職安とかはもう閉まってますよね。街に出て募集を捜します。」
「職探しするの?ちゃんと仕事してるじゃない。立派な。」
「え、どういうことですか?なに、これ仕事なんですか?あ、そういえば俺の友達、金くれるって言ってた。すっかり忘れてたそんなこと。」
こんな渋いオッサンを前にして、田辺の言ったことなんて全然考えもしなかった。金くれるって、なんで?なにすんの俺?え、こんなこと彼に聞いちゃっていいの?ヤバいこと?でもこんなオッサンだったら俺、別になにされてもいいし。こっちが金払いたいくらい。って金ないけど。俺の頭の中で妄想が一気に膨らむ。受験で最近あんまりヤることヤってなかったから。でもどうしよう?どこでヤんの?どのタイミングで?でもこういうオッサンは全部心得てるから、俺はただ身を任せるだけ?それもエッチだな。身を任せるだけ。俺はね、奉仕は大得意。高校生の時大学生の彼氏がいて、散々仕込まれたから。ソイツが1番好きだったのは、俺がヤツの鬼頭の先っちょの溝に舌を這わせるので、それはペニスを横に持って舌を横に動かすの。それがいいと言って喜んでたな。今晩それをヤってみようかな?俺自身としては、そのどこがいいのかよく分かんないけど。あとね、すっごく冷たい物とか、熱い物とかをワザと飲んで、それでくわえるんだけど、それは俺にもよさが想像できる。その大学生、俺はひたすら奉仕してたのに、俺には大したことしてくれなかったな。ビッチだったな。今思えば。
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「どこに行きたいか考えた?」
「あ、いえ、まだです。」
こういうオッサンとだったら、いやらし気な旅館とかいいな。畳にお布団。ちょっと待って、これがほんとにヤバい仕事だったら、俺、結構自信あるかも。奉仕好きだし。好きでもないか。でもできる自信あるし。やり方知ってるし。でも縄で縛られて叩かれるのとかはやだな。あ、でも待って。それも悪くないかも。俺ってちょいM入ってるし、でもあんまり痛いのはやだな。それに人のこと縛って叩くのはやだな。俺、平和主義だし。
「君、思い付かないんだったら、とにかくここを出よう。」
「すいません、なんか。一生懸命考えてはいるんですけど。」
「まだ早いから買い物行く?これから君も私と会うんだったら、スーツのひとつもないと。」
「え、俺ってこれからも末吉さんと会うんですか?」
「まあ、君がよければだけど。」
「あの、ほんとのこと聞いちゃっていいですか?これってなんのビジネスなんですか?」
「知らないの?」
「だって急だったから。」
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「これはね、所謂エスコートサービス。」
「それってなんですか?」
「まあ、出張ホストとか売り専とか言うけど、私はそういうの嫌いだからエスコートサービスって言っている。」
「ええっ!それってメチャヤバいヤツですよね?」
「それは君次第だから。私と時々会ってデートしてくれればいい。」
「そんなことして、素敵な彼氏がいらっしゃるんじゃ?」
「それは関係ない。」
「あ、俺ね、結構そういうの気にするタイプですよ。他の人の心を傷つけてまでヤりたくはないです。」
「じゃあ、私には彼氏はいない。」
「ほんとですか?みんなそう言うんだから。なんかガッカリですね。貴方とはもっと普通に出会ってちゃんとしたお付き合いしたかった。あ、でも普通にしてたら貴方みたいな人と出会えないですよね。じゃあ、エスコートサービスで我慢します。どうします今夜?俺心構えはできてますよ。彼氏いる人とヤるのは主義に反するけど、それはしょうがありません。」
「だからいないって。いたら君みたいな人頼まない。」
「俺みたいな人。」
「そういう意味じゃなくて。寂しいから。君に会っている。分かった、じゃあ私は君にもう少し惚れてもらいたい。」
「いいですね、それ。じゃあね、言っちゃいますけど、俺、父親を知らないんですよ。だからいっつも渋いオッサンに憧れてて。」
「渋いオッサン。」
「うん。でも、普通にしててそういう人と付き合うチャンスなかったから、これはいい機会かも知れない。」
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俺達はやっとそのホテルを出た。銀座通り。俺がこんな華やかな場所でこんな人とデートしてるなんて。彼がデパートに入って行こうとしたので、
「俺ちょっとそういうお高いとこ入るの気が引けます。」
「ありがとう。正直に言ってくれて。」
「どういたしまして。あっちの方に確かもっと俺っぽい店がありますよ。」
面白いな、って思った。あんな高いホテルやデパートにいると末吉さんはいいけど、俺が浮いてしまう。そしてこんな安い若者向けのブティックに来ると、彼の方が浮いてしまう。彼が値札を見て、
「こんな安いスーツでいいの?」
「いいです。どうせ似合わないし。」
「いい身体してるのにね。」
「精神がついていかない。それよりね、俺もっといいこと思い付きましたよ。貴方にここの服着せてみたい。」
「私に?」
「うん。そう。面白そう。着せ替えごっこ。」
長いこと服を買ってもらえなかったから、服を買うのは楽しい。たとえ人の金で人の服を買うにしても。
色々試して結局、明るいブリントのシャツとルーズなジーンズに決めた。そしてキッチリ固めた髪をバサバサにしてみる。そしてふたりで大きな鏡の前に立つ。
「なんか自分じゃないみたい。」
「20才くらい若く見えますよ。ほら、俺達ふたり並んだら普通に友達って感じ。」
「本当?」
「うん。末吉さんってお幾つなんですか?よかったら。」
「39。」
「30代には見えませんでしたよ。」
「そうかな?そうだよな。周りがみんなああだから。」
「お仕立ての服って身体に合ってるから。ルーズな方が若く見えるんですよ。」
「そういうの詳しいの?」
「服は好きです。」
俺達がレジに並ぶと、そこに小さく「従業員募集」と書いてある。俺はしっかり、書いてあるメールアドレスをメモった。
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ブティックを出たらさすがに外は薄暗くなっていた。末吉さんが、
「ちょっと面白いことを思い付いた。」
と悪戯っぽく笑う。彼はさっき買った服をそのまま着て、それまで着ていた服を袋に入れてもらった。俺も同じく、買ってもらったスーツとシャツを着ている。末吉さんは、銀座通りから裏道に入ってしばらく一緒に歩く。風が少しだけ涼しくなってきた。着いた所は小さなバー。ゲイバー?ドアの所に小さなレインボーのシールが貼ってある。でもそんなのゲイじゃない人達には気付かれない。だから中には女性の姿もあった。普通に男性と一緒の。でも大多数は男同士の客だった。俺達はカウンターに座った。末吉さんが元気よく、
「なにがいい?」
服装が変わると人格も変わるのかな?さっきまでの渋いオッサンも好きだったんだけど。
「俺、なにオーダーしていいのか分からない。」
そしたら絵に描いたような渋いオッサンのバーテンダーが来て、
「まだ色々試してる時期なんでしょう?お若い方。」
また末吉さんが適当に頼んでくれて、それはなんかのカクテルで、俺達はもう1回乾杯して。彼はほんとに嬉しそう。寂しいって言ってたな。ほんとにそうなんだったら、俺でよかったらいつでもデートしてあげる。渋いバーテンダーさんが俺達に2杯目のドリンクを手渡して、その時末吉さんが、
「俺のこと誰だか分かんないでしょう?」
俺、だって。今まで、私、だったのに。バーテンダーさんが、
「えっ?」
って彼の顔を見て、
「えっ?末吉さん?」
すごくショックを受けてる。俺達ふたりはゲラゲラ笑い出す。そういうところも若くなったなっていう感じ。
末吉さん、っていうのを聞いて、他の客までこっちに来る。いつもの末吉さんを知ってる人達にはショックなんだろうな。今の彼は、20代に見える。
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その内のひとりが、
「教授?末吉教授?」
って奇声を上げる。若いヤツ。俺くらいの。教授ってなに?大学教授?だよな、普通。教授はその学生と話していて、俺はまた勝手に妄想に耽る。俺、先生と生徒の関係って好きなんだよな、エッチで。先生が生徒に悪戯をする。生徒は嫌がっている振りをして、でも本当はメチャ感じてる。先生ダメです、いけません、そんなことしちゃあ。でも俺、結局大学入れなかったから大学ってよく知らないんだよな。教授、ダメですそんな悪戯しちゃあ。なんかやっぱ先生の方がエッチっぽいな。教授でも先生は先生だしな。教授のこと先生って呼んじゃダメなのかな?さっきコイツは末吉教授って言ってたよな。なんかソイツは酔払ってて俺のことを押しのけて教授と話しをしている。なんかよく分かんないけど学校の話し。そういえば教授って、なんの教授?ソイツのことを我慢しながら酒を飲んでいたら、俺もなんだか酔ってきて、挑戦したくなってきた。俺は2浪して結局大学生にはなれなかったけど、人にこんな風に邪険にされる覚えはない。立ち上がったら、なんとソイツが俺の席に座る。俺ってそういうのに弱いんだよな。小さい頃から母親が水商売で、いつも家でひとりで、忘れられて。座ってた席に誰か他の人が座っている。トラウマだな。泣きたくなってきた。酔ってるから?待てよ。ソイツって教授の生徒だよな。俺ってただのエスコートボーイだよな。勝ち目ないよな。コッソリ家に帰った方がいいかな、って思ったけど帰る所はない。金ももらわないとなんないし。田辺の家のカギはチャッカリ持って来た。あそこはセキュリティーもなにもないボロアパートだから。あのソファに寝られるって思ったら少し元気が出た。しょうがないから立ったまま飲む。俺はやっぱりビールが好きだなって思ったから、3杯目はビールを頼んだ。出て来たのは見たこともない外国製ので、グラスに入れてもらって、見たら少し濁っててフルーティーでとても美味しい。飲みながら、エスコートボーイの心得について考える。客に奉仕は分かってるんだけど、出しゃばっちゃダメだよな。いくらこっちが好きになっても、仕事なんだと割り切って。でもほんとに好きになっちゃったらどうすればいいの?この辺がエスコートボーイの悲しいところだな。でもあれだよな、それってメチャロマンティックでもあるよな。今時そういう身分違いなんていうのないもんな。時代劇ならあるけどな。お殿様と家来のエッチな関係。あ、それいい!今夜は教授とそのエスコートボーイの淫らな関係をやろうかな。でもそれって、ただのそのままだな。
16
ってそこまで考えたら教授が、
「なんだそんなとこで立って飲んでんの?」
と俺の方を見る。ソイツが勝手に俺の席に座ってるから、って言いたかったけど、これは教授とエスコートボーイのエッチな話しだから、って思って、俺はただカッコいいウインクだけを送った。ちょっと拗ねたような微笑みも忘れず付け加えた。
「ほら、岡田君、自分の席があるでしょう?」
教授がそう言うと、やっとその酔っ払いは友達の所へ帰って行った。俺が席に戻るのを躊躇していると、彼の方が立ち上がって、そして俺達は外に出た。
「悪かった。ひとりで立たせて。」
「全然ですよ。あの人生徒さんでしょう?」
「そうだけど、失敬した。」
「大丈夫です。俺、慣れてるし。」
「慣れてるって?」
「母ちゃん水商売でしょう?いつも俺は二の次で。」
「剣!」
彼は意外なほど声を高くして、それに俺のこと名前で呼んでくれるの初めてだし、俺はビックリして、
「俺ってただのエスコートボーイですよ。気を使っていただかなくても。」
「そういう風に思うんじゃない。俺は寂しいから人と繋がっていたい。それだけだ。」
俺は横目で彼を見て、それは不信の目付きで、彼と俺はしばらく無言で通りを歩いた。俺はもともと上手く働かない頭で考える。ここは一体どうすべきか?そしたら奇跡的に俺の酔った脳がいつもより上手く働き出して、
「分かりました。俺、頭悪いからこういう複雑な関係、上手くできません。」
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教授は俺の両肩を持って、通りにある塀に俺のことを少し乱暴に押し付けて、キスしようとする。俺はそういうの好きじゃないから、手を振りほどいてちょっと小走りに銀座通りに戻っていく。ああいう一方的なの好きじゃないし。もっとロマンティックにいきたいし。今まで強要された関係が多かったから、今度はそういうの止めようと思ってたし。俺、こういう複雑なのできないし。ほんとだったら客とエスコートボーイでしょ?なんでも言うこと聞くんでしょ?俺、そういうの楽しんでできると思ったけど、やっぱり無理だし。俺って身体はでかいけど、内心女の子だし。大事にされたいって思ってもいいと思うし。教授が俺に追い付いて、
「悪かった。剣は今まで会った子達とは違う。よく分かったから。」
「俺はバカだし素人だから、他のヤツ等みたいにうまく立ち回れません。」
「君の会社に頼んで今回のオーダー取り消してもらうから。」
「オーダーってなんですか?俺のこと物みたいに。」
「そうじゃないけど。」
「そうでしょう?」
俺はもう泣きそう。こういうの苦手。帰りたいってそればっかり考えて、さっきブティックでもらった袋を探ってパンツの中にある田辺のオフィスのカギを取り出した。俺にも帰る場所がある。でも考えてみたら、これもなにもかも田辺のせいだよな。俺が渋いオッサン好きだからって、なんでこんなことさせられてんの?ちょっと電話しよう。道端で田辺に電話する。話し中。当然だよな。でももう夜中だぜ。しょうがないから、ワザとでかい声で留守電に叫ぶ。
「お前のせいで大変な目に会ったから、もうこういう仕事はしない!今夜は泊めてもらってありがとう!」
それで電話を切った。
18
まだ楽勝で電車がある時間だったから、俺は駅まで歩いた。なぜか教授はあとからついて来る。なんで?俺はもうこんなわけ分かんないことしないって言ったし。銀座って変な街だよな。高級ホテルやデパートのすぐ裏に、ガヤガヤした小さな飲み屋とか色々ある。駅に着いて、教授も一緒に改札を抜け、そしてホームに立つ。俺は頑固に黙って彼の方を無視する。でも好奇心に負けてチラって彼の方を見ると、あっちはこっちを微笑んで見ている。なんで?なに考えてんの?教授ってなんの教授なの?もしかして理系で俺がどんなになん回も聞いても理解できないようなことだったらどうしよう?っていうか、俺、文系だって分かんないけど。なんの教授なんだろう?あのオッサン的ないで立ちから察するに、数学とか?普通に。数学は俺、小学校の算数の時から落ちこぼれてた。集中力ないから。今だって、俺の立場でほんとはもっと考えるべきことあるよな。なに教えてるかなんて関係ないしな。この状況で。そうだ。お巡りさんに言いつける?売春行為?あ、でも男同士の場合犯罪になりにくいってどっかで聞いたことある。ダメか。電車がホームに入って来る。教授は俺と一緒に乘り込んで、席は空いてるのに俺と一緒に立って電車と一緒に揺れている。時々さっきみたいに好奇心に負けてチラって顔を見ると、やっぱり彼は俺に向かってフレンドリーに微笑んでる。
19
駅を出て田辺のアパートの方へ歩き出す。教授も一緒について来る。さすがに俺は声をかけようかどうかって考えたけど、俺って意地っ張りなところもあるから、やっぱり黙っていることにした。俺も意地っ張りだし、母ちゃんも意地っ張りだし。だから今回もケンカになって。似てるんだろう。親子だし。母ちゃんはカナダで育ったけど、両親は日系人。俺のネイティブインディアンの血は、父方から来ている。ドアの前で俺はカギを取り出す。しかし前世紀からある田辺のアパートのドアはなかなか開かない。ガチャガチャやってると、隣の人がドアを開けてこっちの方をうかがっている。教授が俺の手からカギを奪ってカギ穴に入れると、なんと瞬時にドアが開く。俺ってやっぱりバカなの?それとも教授が頭いいの?多分、両方。部屋の中に入る。彼はリビングのソファに座る。俺は人の冷蔵庫からコーラの缶をふたつ持って来て、俺も教授の隣に座る。ここまで黙っちゃったらなんか言うのがもったいない気がする。なんか言うと今まで黙ってた意地が損をする。手持ち無沙汰だからケータイをいじる。母ちゃんからはなにも言って来ない。鬼。ひとり息子を叩き出して。なんとも思わないのだろうか?日本で生まれ育った俺にはカナダの常識は理解できない。一文無しで追い出すなんて。それってあれ?トラの子を崖から突き落とすってあれ?あれってライオンだっけ?ちょっと調べてみる。よく分からない。まあいいやそんなこと。崖から突き落とされる。一文無しだから必死に仕事を捜す。頼りになる友達は頼る。でも変な仕事はもう断る。俺みたいな初心なヤツにこの手の仕事はできない。つい教授の方を見てしまう。なにか言いたそうに見えるけど、やっぱりあっちも今喋ったら今までの黙りがもったいないって思ってるのかな?
20
なぜかこのアパートビルの上空にはいつも強風が吹き荒れていて、窓ガラスがガタガタ言う。俺は高いとこ好きだしそんなの全然平気だし。教授が窓の所まで行って、あちこちいじって隙間に田辺のメモ用紙を上手く挟んだりして、そのガタガタを上手く直してくれる。もう窓はしっかり動かなくなった。数学の先生説が崩れて、もしかしてもっと物理とか工学とかそういう俺のはかり知れない世界の学問なのかも知れない。突然好奇心が湧く。そんなことどうでもいいと思ってたけど、気になるとどうしても止まらない。今、ここで死んだりしたら、俺は一生この人がなんの先生なのか分からない。カギを一発で開け、窓のガタガタを直せる人。その他にこの人のことなに知ってるだろう?寂しいって言ってたな。なんで寂しいんだろう?大学には人がいっぱいいる。そういう人ではダメなのかな?それからなにを知ってる?品があって、どっかのお坊ちゃまっぽくて。優しい、と思う。なんだかんだ言って。でもなにを教えているんだろう?あまりにもヒントがなさ過ぎる。ファッションのことはあんまり知らなさそう。でも分野が違うだけなのかも。俺はあんなに立派にスーツを着こなせない。それで思い出して、こんなとこで黙って座ってるくらいなら、と思ってさっきのブティックに俺の履歴書を送ってみた。給料は安そうだけど、もし田辺がここに住まわせてくれるんなら大丈夫。夜は誰もいないんだから俺がいてもいいはずだよな。俺ならもっと掃除も綺麗にやるし。でも明日、俺が男を連れ込んだのバレたりしたら?まああっちが紹介した相手なんだから、彼がなにしようと俺の責任じゃないし。でもどうすんの、このシチュエーション?この人なんの先生なの?そしたら俺の脳にしては、奇跡的にいいことを思い付いた。末吉なんてあんまり聞かない名前だから、末吉教授で検索してみたらどうだろう?なんだ。上手くいかない。ガッカリ。色んな言葉を使ってみたけどやっぱりダメで、それがまた俺の好奇心に拍車をかける。そしたらまた奇跡的に末吉教授の研究発表のページが見付かる。顔写真入りで紹介されてる。間違いない。
21
「絵画の歴史!」
俺が叫ぶ。あまりにも予想と違ってたから。教授が俺のケータイをのぞき込む。
「あ、それね。去年の。」
「絵画の歴史?」
俺はバカみたいに繰り返す。
「そんなに意外だった?俺は西洋美術の、特にバロック期の絵画の研究をしている。今は特にカラヴァッジョの。」
「誰ですか、それ?」
「今度大学に来てごらん。色々見せてあげるから。」
「予想と違ったからビックリした。」
「なに教えてると思ったの?」
「数学とか工学とか、俺の全く知らない世界。」
「君は大学でどんな勉強がしたかったの?」
「なんでもよかったです。入れれば。」
「ほんとに興味あることはなに?」
「そうですね、やっぱりファッションとかは好きです。」
「じゃあそういう勉強したらいいじゃない?」
「ダメです。それじゃあ母ちゃんが認めませんもん。」
「なるほどね。でも、もう家出たんだったらなにしてもいいじゃない?」
「金がないし。住むとこも。」
「ここは誰の?」
「友達がオフィスに借りてる。いつまでいられるか分かんないし。あ、でもアイツが今日のこれセッティングしたんだから責任取ってもらわないと。」
「そんなに俺のこと嫌いなの?」
そんなに甘い声で、それ言われると弱いんだけど。最初に会った時の渋いオッサン声もよかったんだけど。今度あれまたやってもらおうかな?あ、でもこんな複雑な関係無理だって自分で言ってるんだから、それって矛盾だよな。
22
俺がそんなどうにもならないことを考えてると、気付かないうちに彼が俺の手を静かに愛撫している。俺の手は俺の膝にあるから、だから股間にも近くてヤバい刺激がそっちにも伝わりそうになる。こういう時、考えずに喋るクセがある。
「俺、でも今日朝から家叩き出されたり色々あって、シャワーも浴びてないし。」
「なんでシャワー浴びるの?」
いけない、変なこと言っちゃった。シャワー浴びてどうするつもりだったんだろう?ヤバいこと?また考える前に言葉が先に出る。
「でもお金払ったんならヤらしてあげないと。」
「そういうことじゃなくて。もうそっちの話しは止めよう。キリがないから。君が今したいことを考えて。」
そりゃヤりたいよな。ここまで来たら。
「シャワーなんていらない。君の本当の身体を抱きたい。」
大学の先生ってこれだから困る。男心をくすぐるセリフ。俺は知らないうちにソファに押し倒される。色んな所を探られて、身体のあちこちを触られて、最後に髪を撫でられたら、俺は思わずエッチなため息をつく。
「え、こんな所?」
「そう。俺の性感帯。俺の髪ずっと長かったんですよ。切ったの最近で。」
彼は俺の頭を自分の膝に乗せて、俺にキスをしながら髪に触る。俺が、
「あっ。」
って声を出す。
「なあに?」
今度はどっちかって言うと渋い方の声で聞いてくれる。
「今の俺達の初めて。」
「初めてのキス?どう?」
俺は恥ずかしくてなにも言えない。
「どうして髪切っちゃったの?」
「俺、髪長いとほんとにネイティブに見えちゃうんですよ。でも最近それも気分にそぐわなくなって。俺ってほんとはもっと、なんて言うか男らしいタイプじゃないって言うか。」
そんなことを一生懸命喋っているうちに、また知らないうちにシャツを脱がされている。ボタンを1個1個外されて。
「いい身体してるのに。」
「ガタイはでかいんだけど、筋肉が伴ってないから。」
彼はクスって笑って、
「君みたいに面白い子初めてだよ。」
そう言ってもう一度、今度はもっとセクシーなキスをする。
「いつもはどんな子としてるんですか?」
「色々。」
そのジェラシーが俺の身体に火をつけた。得意の奉仕をしようとしたんだけど、彼はそれをさせないで、俺の細めのスーツのパンツを脱がす。それから俺の下着を取って、
「わー、大きいね。」
彼はビックリして、俺は恥ずかしくて、おまけにそれはすごく硬くなってて、俺は逆に奉仕される側で、それはとてもよくて、それされながら考えて、俺ってこんな風にしてもらえるようないいこと、人生の中でしてきたかな?って。俺が、
「もうダメ、イきそう。」
って泣き声を上げたら、彼は口から抜いてくれて、でも彼の顔とか身体にいっぱい飛んじゃって、
「ゴメンなさい。」
って謝ったら、
「いいよ。」
あの甘い声で。
23
今日は日曜で、職安も休みだし。このアパートほんとにホコリっぽいので、俺は一度も使ったことのないようなバケツとモップを見付けて、廊下から始めて家じゅうの床を磨いた。こうすることによって、ここにいられる時間を延長させる計画。その次はキッチンの掃除をした。まあ、使ったことのなさそうなキッチンだけど、ホコリは積もっている。もしかしたらあのバタバタ言っていた窓の隙間からホコリが入っていたのかもしれない。もう疲れたからバスルームの掃除は明日にすることにして一休みしてたら、予想外なことに、田辺が血相を変えてやって来た。
24
「お前大変なことしでかしてくれたな!」
「なんで?それを言うならお前の方が大変なことしてくれたよ。俺のことエスコートボーイに仕立てるなんて。」
「末吉さんはもうエスコートのオーダーはしない、お前と付き合うって宣言したらしい。」
「マジで?」
もちろん俺は嬉しい。自然に笑顔になる。しかし田辺は真面目な顔で、
「お前、あの人のこと好きなのか?」
「そんなこと。まだ会ったばっかで。」
でも中学からの付き合いは騙せない。ヤツは俺の目をのぞき込んで、
「そんなに好きなら俺も協力したいのは山々だけどな。相手はヤクザだぞ。」
「ええっ?ヤクザ?」
「そう、あのエスコート会社はヤクザの経営で。クライアントとエスコートボーイが付き合うのはご法度なんだ。助けてやりたいが、俺にはどうにもならん。」
「え、じゃあなんで末吉さん、そんなことばらしたんだろう?黙っていればいいのに。」
「お前な、黙ってて見付かったらもっとひどい目に会うんだぞ。」
「俺、どうすればいいの?」
「末吉さん側は弁護士を雇って戦うそうだ。」
「弁護士雇ったらなんかになんの?」
「エスコート自体は違法じゃないからな。ヤクザだけど会社組織で、ちゃんと人材派遣業の届けも出してる。多分末吉さんは金で解決するんじゃないかな?俺は分からないけど。」
「俺はどうすればいいの?」
「あっちからなんか言ってくるから、それまで待て。」
25
あっちは凄いスピードでなんか言って来た。俺には明日何時にここへ来い、という有無を言わせぬ命令が下った。今日も熱帯のような熱さだけど、俺は一応教授に買ってもらったシャツとスーツでその言われた場所に向かう。そこは新宿のあんまり行ったことのない西側で、通りが複雑でなん度も道を間違えて、なぜかいつも都庁の方に出てしまう。3回目に都庁に出てしまった時、大分早目に出て来たのに時間が危うくなって、俺はもっと真剣に捜さなくてはと思う。なんだか知らないけど落とし前をつけなくては。そのビルはもうなん回も通り過ぎたビルで、なんで分かんなかったかと言えば、そこが上から下まで全部カラオケボックスだったからだ。カラオケボックス?ボックスの中で縛られて虐められるのかな?確かに、叫んでも外には聞えない。
26
受付に行ったらあっちから名前を聞いてきて、俺はその部屋に通された。覚悟を決めるしかない。教授の優しい微笑みを思い出した。彼のために。俺はそう思って中に入って行った。そこには渋いオッサンがふたりいて、なんだかくたびれた感じであんまりヤクザっていうイメージじゃない。ふたりともなんかゲームに夢中で俺の方は見てくれない。しばらくボーっと立ってたんだけど、それがなんのゲームなのか気になってちょっとのぞいてみた。俺が一度も見たことのない変な碁盤の目になった板に、ふたりでサイコロを振っている。これってもしかしてギャンブル?え、もしかしたら勝った方が俺を好きにしていいとかそういうの?考えてみたら、俺、別に悪い事なんにもしてないよな?こんな所で命を落とすなんて。俺は金ないし、弁護士雇えないし、金で解決できないし。
27
もうひとり部屋に入って来た。バリッとした高そうな黒いスーツにサングラスの男。多分30才位。俺の前に立ってサングラスを取ったら、目付きの鋭い、やっぱり堅気じゃないな、ってそんな感じ。ソイツが、
「あとふたり来たら始めるから。」
俺はなにを?なにを始めるんですか?ってもう少しで聞きそうになったけど、ハッキリ聞く方が怖い気がしたので、黙っていた。そのあとふたりが来て、そのふたりは結構俺のタイプの渋いオッサンで、五人でサイコロを振り出した。その1番若いヤツが俺の方に来て、
「おい、お前なにやってんだ?早く歌えよ。」
「えっ、歌うんですか?」
「そーだよ。ここカラオケボックスだろ?」
「えっ、でも?」
「警察もここまで捜査しに来ないからな。そうだ、お前歌う前になにか食べたい物を頼め。」
そう言われたので、自分の好きなピザとか唐揚げとか飲物はみんなの分もビールを頼んだ。どうせここで命を落とすんなら、美味しい物をたくさん食べようと思って、ギョウザもお寿司もその他諸々も頼んだ。俺は実はカラオケは結構好きな方。まず少し遠慮がちに自分がいつも歌う明るめのポップスを歌う。そして歌い終わる。そしたらまた若いヤツが、
「なにストップしてんだよ。ちゃんと歌え。」
しょうがないから2、3曲続けて歌う。歌うっていうのはいいな。気持ちがスッキリする。今死んでもこれでもう思い残すことはない、って感じ。俺の好みのオッサンが、
「お前、あんまり若いのばかりやらないで、演歌でもやれ。」
そうリクエストされて、俺って実は演歌も好きなんで、演歌たくさんあるから、たくさん歌う。そしたらさっきのオッサンが、
「上手いじゃないか。」
って俺の歌を褒めてくれる。
「ありがとうございます。あの、でもみなさんは?俺ばっか歌ってていいんですか?」
「いいんだよ。今日はそのためにここに呼んだんだから。カラオケボックスで誰も歌ってなかったら怪しまれんだろ?」
えっ、歌うために呼んだの?それがほんとなら、今日殺されることはないな。やっぱり今まで歌いたかったけどなんとなく遠慮して、とか恥ずかしくて、とかで歌えなかったヤツをメドレーで歌ってやろうって決心して、それをガンガン歌いまくる。後ろの五人はサイコロを忙しそうに振っている。さすがにネタ切れになって、
「それじゃあなにかリクエストは?」
って聞いたら、オッサンが、
「なんでもいいから勝手に歌え。」
それじゃあと思って、俺は英語の歌に挑戦してみる。でも英語分かんないからハミングして、繰り返しのサビの所だけ元気よく歌う。そんないい加減な歌い方でも誰も文句を言わない。ふと思いついてラップをかけてみる。曲は知ってるヤツ。でもそれも英語だから全然分かんないんで、自分で作って日本語で勝手に歌う。俺の今までの人生の不幸を歌う。勉強ができなくて、母ちゃんには追い出され、頼った友達に売り飛ばされ、でも俺は素晴らしい男に出会った。もしもう1度会えるのなら今度は俺がいっぱい奉仕してあげる。ああしてこうしてそうして。そこの部分を繰り返しにした。ああしてこうしてそうして。俺って作詞の才能ある?なにをしてもダメなんだと思ってた。強いて言えばファッションの才能はありそうだって、それは知ってたんだけど。今度もし教授に会えたら、また俺がスタイリストになってあげよう。
28
あんまり真剣に歌い過ぎて声がかすれてきたから、今度はあんまり声を張り上げなくてもすむような、昭和のアイドルを歌い始めた。俺はほんとは女の子の歌が好きなんだけど、今まで恥ずかしくて歌えなかったから、それを思う存分歌った。そしてまたみんなと自分にビールを頼んで、またオッサンの好きそうな食べ物と自分が人生の最期に食べたい物を色々オーダーした。俺ほんとはグラタンが一番好きなんだよな。でもさっきピザ食べたからいいや、ってチラッと思ったんだけど、料理を運んで来た人に、
「ここ、グラタンってないんですか?」
って聞いちゃったら、
「シーフードだったらできますよ。」
だって。ヤッター!
曲の合間に熱々のグラタン。俺の短い人生を振り返る。また演歌に戻る。デュエットの曲をひとりで歌う。それを3曲くらいやる。さすがに自分でも可笑しくなってゲラゲラ笑い出す。1番若いヤツが、
「兄ちゃん、随分楽しそうだな。」
「はい。お陰様で。僕と一緒に歌いませんか?」
「そんな暇はない。」
歌うとお腹が減るので、たくさん食べる。そして歌う。そんなこんなしてるうちにお開きになって、若いヤツが、
「今度は錦糸町でやるから。」
と言って場所と時間を教えてくれた。え、まさかまたこれやるの?だったらもっとレパートリー増やさないと。
29
そして錦糸町、大森、吉祥寺、赤坂。メンバーは大体同じで、時々新しい人も加わる。次は五反田だって言われて、俺はさすがに、
「あとなん回くらいやるんですか?」
って聞いてしまう。1番若いヤツに。別に歌うの好きだからいいんだけどさ。ノドも強い方だと思うし。でも職探ししないとなんないし。でも2,3日おきにこれやらされんじゃ、今仕事見付かってもしょうがないし。田辺は俺があそこに住んでることについてはなにも言わない。こっちも聞かない。家事はしっかりやっている。キッチンもバスルームもピカピカ。何時間もカラオケを歌って、家に帰って、今まで歌ってなくて歌えそうなヤツがないか検索する。あっちだっていつも同じ曲ばかり歌われたらイヤだろう。思いやり、っていうのかな?それであと何回やるのか聞いてみたら、
「さあな?俺は知らない。」
「えっ、そうなんですか?」
これ一生やらされるのかなって不安になる。
「お前、俺達に借りがあるんだろ?」
「なんかそうらしいですけど。よく知らないけど。」
そしてみんなはギャンブルを続ける。
30
俺は田辺のアパートの資料室みたいになってる部屋に陣取って、自分の部屋みたいに使っている。ベッドはないから、寝る時はまだリビングのソファなんだけど。あんまり考えないように頑張ってるから、あんまり考えないんだけど、教授どうしてるんだろう?俺って集中力が枯渇しているからずっと考えてるわけじゃないんだけど。金で解決ついたのかな?教授ってなんでそんなに金持ってるんだろう?あんな高いホテルやデパートに行ったりとか、そもそもエスコート頼むのだって相当金かかると思うし。大学教授がそんなに儲かると思えない。しかも「絵画の歴史」だから。まだ1回しかしたことないんだよな、俺達。まあ1回した会ったことないけどさ。だんだん彼のことが現実じゃなかったような気がしてくる。あの時検索して出て来た、教授の研究発表のサイトをもう1度見てみる。そうだよな、こんな顔だったよな。この髪型や服装はグッと若くなったけど。そうだ、また彼のスタイリストをやらしてもらおうって思ったんだった。それっていいモチベーション。でもどうやって連絡取るの?さすがの俺でもエスコートの会社に聞くほどバカじゃないし。田辺にも迷惑かけたくないから聞くのイヤだし。教授、なんの研究してるって言ってたっけ?ルネッサンス?ゴシック?忘れてしまった。好きな人のそんな大事なこと。俺はその研究発表を読み始めた。分かんないとこは適当に飛ばして。そっか、バロックだ!そして誰だか知らないけどカラヴァッジョ。その画家の絵も少し載っている。若い男の肖像。ゲイっぽい。最後に大学と学部の名前が入っている。教授、あんなにいい大学で教えてるんだな。俺なんて死んでも絶対受験できないようなとこ。
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明日のカラオケは上野で、そんなとこあんまし行ったことないから、しっかり地図で調べる。そしたら教授の教えてる大学が出ている。ふーん、あの大学こんなに都心にあったんだ。全然知らなかった。でも明日、俺の行くカラオケ屋は駅の反対側にある。ここにはどんな食べ物があるんだろう?ワクワクする。あの人達、俺がどんなに沢山注文してもなにも言わないから、俺はいつも食べ過ぎてしまう。そのお陰で、家追い出されたにしては、体重もしっかりキープしている。グラタンかドリアがあればいいな。思わずそこのメニューをチェックする。あ、グラタンはないけどドリアがある。やったー!あとは、これを頼んで、それも頼んで。この生活も悪くないような気がして来た。
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(Part1はまだ続きがあります。私のブログから!)
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