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第1話
さわさわ、さわさわ、さわさわ……
「酒がすすむ」
乱れ咲く肴を見上げて、男は口角を上げた。
「いっつも飲んでますね」
まるで一枚の絵のように、降り注ぐ花弁を一枚水面に受けて愛でている男が流し目を寄越す。
「長い時間かけての自殺だな」
呆れながら皮肉れば、お猪口を傾けながら何でもないことのようにサラリと返される。
「っちょ、休肝日作れ!!」
「バイトくんはやさしいなぁ」
新たな一杯を、と近づけられた徳利を阿形(あがた)はひったくった。
「何? 酌でもしてくれるの?」
「目の前で自殺と解っていて、勧めるか!」
「なあバイトくんよ」
本心を窺わせない、見てくれは整った顔が目を細める。
「いい加減覚えろ、阿形だ!」
荒げる声を物ともせずに、飲んだくれは大木を見上げながら呟いた。
「人の世とは、かくも汚きことか──」
どこからともなく吹き荒れる風。
攫われる薄紅色。
「……汚いからこそ、きれいな一粒が目立つんすよ」
あんたは知らないかもしれないけれど。
この飲んだくれオヤジに阿形がはじめて会ったのは、吐息も凍る雪の季節。どこからともなくたどり着いた桜の花びらに首を傾げた。誘われるようにして覗いた縁側に、四季の流れを忘れたかの如く咲き乱れる桜と酒を傾ける男の姿。
長い髪は無造作に括られ、房からこぼれ落ちたものはゆるく風に遊ばれる。防寒具が手放せないはずが、明らかに薄い着物をだらしなくはだけさせて。
夢かと思った。
それだけ幻想的であり、非現実的だった。
阿形の存在を認めた相手は一瞬深い色の瞳を見開いたのち、魅惑的に微笑んでのたまった。
『お兄さんも一杯どう?』
離れがたく半ば無理矢理に口実を作って、男のおさんどん兼話し相手として居座りつつ、過ぎるバイト料に頭を抱えている。阿形が作れば料理を口に運ぶが、放置していると本当に酒しか飲まない。
「バイトくんはいい嫁さんになれるねぇ」
「なりません」
ピシャリと撥ねつけても物ともしない男は酒を煽る。
「毎日飲んでないで、せめて少しは休ませろ! 理科室とかに飾ってある臓器になるぞ!」
愛でていた幹から視線を向けた。
「それをいうなら、ホルマリン。……ハブ酒か」
「買わないぞ!」
似合いだな、と目が細められる。
「液体浸けにされ、見る者を楽しませる道化。どちらも無色透明だが、ホルマリンは臓器を入れると若干濁り方が違う」
「……珍しいですね」
先ほどまでがなっていた勢いが嘘のように声音を潜めた阿形(あがた)へ、男は口角を上げる。
「酔っ払いだから。俗に言う解剖って何故施行されるか知っているかい?」
いたずら気に視線の色を変える瞳を見やりながら、お盆を持ったまま眉を潜める。
「殺人事件とかで調べるって、ドラマではやってますよね」
「その辺の総合病院でも普通にしてる。理由はそれぞれだな。病気の解明のため、死因を調べるため、──あとは金のため」
「……冗談。」
テレビの中だけだと思っていた人身売買か何かがそんな近くに存在しているのだろうか。
「ホント」
顔をひきつらせた阿形に、くつくつと男がのど奥で笑う。
「ひとがこの世の中で生きていくのは金が必要。いくらこの国で上限が決められているとはいえ入院費はバカにならない。医療費だけではなくて場所によっては部屋代というのもかかる。それは保険でもおりない。ソレらを病人がどうやって捻出する? 死んだとしたら医療費だけ借金として残るだろう。医療は施したからね」
核家族だの一人暮らしだの老々介護だの叫ばれる中、当てはない。
「……解剖すると、そんなに貰えるんですか?」
「いいや? せいぜい数千円」
今度こそギョっと目を剥く阿形を視界の端に捉えて、更に新たな酒を注ぐ。
「倫理的には待ったがかかるだろうけど、事実でもある。年に数件。藁にも縋る思いで。本当に滑稽だ」
「……それでも。」
ひとつ、言葉を切って続ける。
「それでも、その人たちは自分の借金や残すモノを解っているから踏み倒さず向き合って、たとえ少しの額でも身を削って足しにしようとするのではないでしょうか」
クスリ。
ひとつ笑って、至渡(シト)はグラスを傾けた。
「そう捉えるかねえ、詭弁だね」
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