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第1話

 平成13年初夏。ここは北海道大学。  佐藤信彦は二年目の夏休みを迎えるにあたり、この夏の過ごし方を考えていた。  実家は東京なのだが、1年目の夏休みに帰省して、かなり後悔したのだ。  そもそも海外の大学へ行きたいと考えていた信彦だったが、「信彦ちゃんがひとりで外国なんて! ママどうしたらいいの!?」と母親が騒いだ。父親は騒ぐ母に勝てない。  特にやりたいことがあるわけでも無かったので、まあ説得力に欠けた。  自力で資金調達して、と考えなかったわけではない。けれど親がかりの方が楽なのは間違いない。海外へ行きたかったのも『誰も自分を知らないところに行きたい』という理由でしかない。進学するならそういう所へ行くのに利用できるかなと考えてただけのこと。  そこまで強い主張なんてないし、好んで苦学生やりたいわけでもないのであっさり諦めて、親の納得するランクの大学で涼しいところと考え、それなりに調べてみた。  この大学に入った理由なんて、キャンパスの雰囲気が気に入った。なにより涼しいところで過ごしたかった。その程度。   そして昨年夏。北海道の気候に慣れた身体で地元へ戻ったら、これまで毎年過ごしていたはずなのに、夏の暑さを殺人的だとすら思ったのだった。  だから二年目の夏休みは帰省をせず、こっちで過ごすことを考えている。  もちろん地元には友人がいるし、実家に戻れば声もかかる。呼ばれれば出かけるのだが、外出すれば粘つくような湿気と茹だるような暑さに苛まれると分かっている。結局エアコンが効いている自室に籠もりたくなるのは見えていた。十代最後の夏を、そんな風に過ごして良いとは思わない。 (夏が苦手だからこそ、北海道の大学に来たのに、なんで去年はわざわざ()だりに戻ったんだろう)  だが母親の納得する理由を捻りださなければならない。母が騒ぐと父は資金源を断つという強権発動する可能性があるのだ。  6月半ばを過ぎた頃、同期に「夏どうすんの」と聞かれて「帰省しないからバイトしようかと」などと答えていた。 「どうせなら夏らしいこと、がいいかな」 「海の家とか? 女の子ナンパかよ」 「いや、そういうことじゃなく」  そこに声をかけてきたのがイギリスからの留学生、パットだ。こっちが大丈夫かと心配になるくらい善人で、なんでこんな大学に来たのか不思議になるほど優秀。なのに鼻にかけることもない、いわゆるジェントルマン、気のいい奴。 「ノブ、きみバイトしたい?」 「うん」  そのパットが少し興奮気味に、目をキラキラさせている。  「きみ、数学得意だったね?」 「まあ、そうだね」 「summer vacationに行かない? あ~、ジッカ、に戻らない?」 「そのつもりだけど」 「それで夏らしいバイト?」 「できればね」 「Sick!」  なぜか神に感謝してる。 「Yay! おめでとう! きみにピッタリの話があるんだ!」  おめでたいのは信彦ではなくパットなのではないかと思うほど、本当に嬉しそうだ。 「知り合いが夏の間、英語を教えるんだ、それでもうひとり、数学と日本語……あ~、国語、を教えるヒト、探してる」 「つまり家庭教師?」 「そう、ギャラは、まあまあ。だけど、ひと夏、避暑気分でバイト」 「避暑?」 「あ~、イナカで、金持ちのVilla……あ~」 「別荘?」 「そう、それ! それで、中学生に教える学生を探してる。食事とベッドはタダ、近くに温泉あると聞いたよ。緑いっぱい避暑地、素晴らしい! そう思わない?」  一生懸命に色々言っているが、重要なのはひとつ。 「……中学生か。男? 女?」 「女の子だよ! どう、よさそう? 避暑地で、緑いっぱい、快適な夏! そんなのボクが行きたいくらい、だけどザンネン、ボクは日本語、教えられない」 「なるほどね」  パットは妙に必死で、なにか企んでいそうではあった。けれど信彦はギャラも聞いた上でその話に乗ることにした。  ビックリするほど素直で善人なパットが必死になってるなんて、なに考えてるんだか知りたかったし、親を説得するに足る理由になると考えた。それに十代最後の夏なんだ。なにか起こるのも良いかも、と思った。  そういうわけで七月末、信彦は道東にあるという別荘へ向かった。荷物は着替えと洗面用具とノキアの携帯電話、中学生用に用意したテキストいくつか。それらを押し込んだリュックひとつ。余計なものは持たない主義なのだ。  札幌から電車で3時間半ほど。バスに乗り換えて数十分。バス停から歩きはじめて三分ほど経って、道は車一台通るのがやっとの砂利道に変わっていた。 (さすが北海道、確かに地元に比べたらカラッとしてるよ。うん若干だけどね)  なんの呪いか、さっきから風もピタリと止まっている。(さえぎ)るものひとつない一本道。ジリジリ照りつける太陽のもと、信彦はダラダラ流れる汗が止まらなくなっていた。 「北海道っても、やっぱ夏は夏ってことかあ」  腕で汗を拭いながら思わず呟いて、ポケットに突っ込んだ地図が、汗で少し湿っているのを用心して広げる。おおむね徒歩で二十分程度の距離、と見て、何度目か分からないため息が漏れた。 (せめてタオルくらい持ってくるんだった。ていうか駅で飲み物買えば良かった。自販機一つないなんて)  そんな後悔に包まれながら、せめて少しでも早くこの状態から逃れようと動く脚の動きは速い。  ふと物音に顔を上げる。  進行方向からこちらに向かってくる車が見えた。  道幅が狭いので慌てて道端(みちはし)に身を寄せる。腕で汗を拭いつつ通り過ぎるのを待っていたら、その車は目の前で停車した。 「…………」  眉寄せる信彦の目前、するすると下がるウィンドウから、ひょいっと顔をのぞかせたのはガイジンだった。 「Are you ノブ, by any chance?」 「………………」 「Sorry, I was going to pick you up at the station, but I'm late. It must be hot. To my car, quickly.」  もしかしておまえがノブかと聞かれ、迎えに行くのが遅れたと言い訳して早く車に乗れと言っているのは分かった。分かったが、とりあえずなにが起こったか不明だ。  迎えが来るなんて聞いてないし、と思いながら黙っていると、ガイジンは「Oh~」と眉尻を下げ「アナタ、ノブ、デスカ」と聞いてきた。 「……はい」 「ゴメンナサイ、エイゴ、ワカル キキマシタ」 「分かります」  英語は分かる。流暢(りゅうちょう)とはいかないまでも、話すことも出来る。問題はソコではない。  曖昧(あいまい)に笑んではいたが、実のところ若干混乱していた。いきなりガイジンが話しかけてきたのだ。なんで自分を知っているのか。しかもこんなところで。バイト先の誰かなのか? などと考えていた信彦は、しかし身振り手振りで早く乗れと重ねるガイジンを見て、自己紹介もしない奴を信用していいのだろうかと考えた。  けれど何か起こるのも面白いと考えてたのだ。それにとにかく暑かった。  懸念はいろいろあるが、とりあえず車に乗りこむことにした。  車内はエアコンが効いて涼しく、生き返った気がした。ミネラルウォーターを勧められたので、礼を言ってすぐにくちをつける。すごく喉が渇いていたのだ。  ごくごく飲んでひと心地ついてから、今度は英語で話しかける。 「Nice to meet you. My name is Nobuhiko Sato. And you are?」  (はじめまして、佐藤信彦です。あなたは?) 「Oh, thank God, that's a relief.」  大袈裟によかったホッとしたと言ってから自己紹介した。  ハリー・エヴァンズ。二十五歳。パットの従兄弟(いとこ)だと言って、自己紹介が遅れたことを謝ってきた。 (なるほど、パットが言っていた知り合い、つまりイギリス人か。確かにパットと同じイギリス訛り)  明るい茶の髪、深い緑の瞳、白い歯を見せて笑う顔は、かなりハンサムで表情が豊か。パットとは似てないが、従兄弟なんてそんなものだろう。白人にしては日に焼けていて、信彦の方が色白なくらいだ。  シャワーを浴びていて、迎えに行く時間を間違えていたことに気づくのが遅れたと言い、ずいぶん丁寧に謝ったので、信彦はにっこり笑って言った。ちなみにここからの会話はおおむね英語だ。 「気にしないで。とても暑かったけれど」 「いや、本当にすまなかった。どうか許して欲しい」  大袈裟に謝って車を切り返しつつ、パットの従兄弟は続ける。 「君に快適に過ごしてもらえるよう、ちゃんと考えていたのにね。大失敗だ」  そう言ってため息をつき、方向転換した車を発進させる。 「……? 僕はバイトしに来たんですよ?」 「もちろん分かっているとも! きみと私と、ひと夏家庭教師をするんだよ。君はパットから聞いているんだよね?」 「中学生の女の子に国語と数学を教えると。避暑地で快適なバイトだと、ずいぶん調子よく言ってました」  ハリーは片手でハンドルを叩きながら、ハハッと笑った。 「you're so cool. Just as I'd heard.」(かっこいいね。聞いてたとおりだ)  チラッと目を向けられたので、にっこり笑い返す。 「……知らないところで噂されるのは、あまり(こころよ)く無いですね」 「ごめんね。でもどんな人か聞いておかないと。一緒にひと夏仕事するんだから」 「確かにそうですね。失礼しました」  努めてニコヤカに返すと、ハリーはまた苦笑した。  車で五分ほど移動して到着した建物は、森を切り開いたような場所に、ポツンと建っていた。かなり離れたところに他の建物が見えるけど、森の中の一軒家という感じ。  庭の手入れはしてあるし、きちんと掃除しているようだから管理してるんだとは思うけど、こんなとこに普通住まないよな。ああ、だから別荘か。屋根の形や窓とかドアなどが古めかしいというか、手が込んでいるというか、ずいぶん年代物のように見えた。ヴィラというほど豪華な建物ではないけど。 『……窓が木製だなんて、ずいぶん古いんだな』 「日本ではこういう建物、少ないんだよね。私はこういう方が馴染みがあるしホッとするよ」  窓枠を撫でながら思わず呟いたのは日本語だったけど、ハリーがニコニコ言ったので、ちょっとムッとした。田舎のばあちゃんちだって窓枠は木製だ。ニコッと笑って言ってみる。 「日本にも古い家はありますよ」 「もちろんあるだろうとも。ただレアだと思ってね」 「UKはこういうのが普通なんですか」 「そうだね、古い建物はたくさんあるし、石造りが多いよ。私は二百五十年前に建てられたフラットに住んでいたことがある」 「……二百五十年……」  ちょっとレベルが違った。 「七年戦争のあとくらいかな。ジョージ二世の治世だね。フランス革命の前くらい」 「1750年代……日本は江戸時代だ」  思わず日本語でつぶやく。 『寛政の改革とかの頃か? 解体新書が確か1774年。ペリー来航、は1854年だ、もっと昔……』 「おうペリー! クロフネーとか言う日本人たまにいるよね! イギリス人もアメリカ人も同じだとか、ハハッ!」 「……すみません」  なんとなく日本人を代表して謝ってしまった。ハリーは奥へと進みながらクックッと笑う。 「まあ、ここはそれほど古くは無いでしょう。おいで、案内するよ」 「あ、はい」 「今日の分の食事は、早坂さんという女性が作っておいてくれてる。冷蔵庫にあるから、食べるときに暖めよう」 「はい」  リビングとは別にダイニングルームがあり、隣がキッチンで、少し古い感じだが清潔だ。二階へ続く階段が見えた。これも手すりとか手が込んでいる。 「早坂さんは日中、通いで来てくれる。掃除や洗濯もしてくれるそうだよ。こっち、奥にバスルームがある。そしてここが私ときみの部屋」  キッチンからすぐの扉を開くと、八畳ほどの部屋にベッドが二台、片方のサイドテーブルには荷物が置いてあり、そちらは既にハリーが使っているのだと知れた。壁の引き戸を開くと押し入れのような中板のあるクローゼットだった。これは共用らしい。 (まあ、バイトに個室とか無いか。それはそうだよな)  納得しながら、空いている方のベッドに荷物を置いていると、「今日は私ときみの二人だけだよ」ものすごく近くで声がして、信彦はじんわりと目を向ける。 「雇い主は明日来るからね」  にんまりと笑んだハリーが、息のかかりそうな距離にいた。 「……近いですね」  にっこりと笑いかけながら言うと、「そうかな?」ハリーはスッと背を伸ばして肩をすくめる。 「日本人とは適切と感じる距離感が違うようだ」 「そうですか? パットは理解しているようですけれど」 「彼は昔から日本びいきだからね。一か月前に来たばかりの私とは違って当然でしょう?」  あくまで笑顔の信彦に、ハリーも大袈裟に肩をすくめた。どうもアメリカ人ぽいなこの人、などと思いつつ、「シャワー浴びても良いでしょうか」と聞いたのは、もちろん炎天下の(もと)、歩いて汗だくになったからなのだが、なぜかハリーは「オー!」と声を上げ、額に手を当てて少しのけぞる。 「気がつかなくて悪かったね! もちろん良いとも! タオルはバスルームにあるから、好きに使ってくれたまえ!」 「はあ、ありがとうございます」  確かにイギリス訛りではあるけれど、オーバーアクション気味でイギリス人ぽくないなあ、と思いながら奥へ向かう。洗面も兼ねた脱衣所も風呂も、ここは今時の感じで、清潔だったことに安堵しつつ服を脱ぎ、浴室に入る。ボディーシャンプーなどもきちんと置いてあり、それを使ってシャワーを浴びた。  サッパリした信彦は浴室を出ようとして、「…………」しかし、半端に開いたドアノブに手をかけたまま固まった。  脱衣室に、バスタオルを広げたハリーが笑顔で立っていたのだ。 「なにやってるんですか?」  思いっきり笑顔で言った。声はニコヤカとは言い難い、低いものになったが、ハリーは満面の笑みを浮かべたまま答えず、ガバッとタオルでカラダを包まれる。そのままワシワシと髪を拭かれた。  やはり混乱しながら「だから、なにを……」声を出したが「ハッハッハ」と笑う声が聞こえるだけで手の動きは止まらない。『ちょっと……!』アタマを拭いている腕を掴んだ。 「やめて下さい! なにをやってるんですか!」  怒鳴りながら動きの止まった手からタオルを奪いカラダに巻き付けつつ、『まったく!』思わず日本語で呟いてしまっていた。 「やっと素が出たね」  ハリーが腕を組んで、してやったりな顔で笑んでいた。それをギッと睨み付け、信彦は足早に部屋へ戻って鍵をかけ、ハリーを閉め出しててやった。  そのままベッドに倒れ込む。炎天下のもと歩いた疲れが出たか、いつの間にか眠っていた。 「ヘイ、ノ~ブ! さっきは悪かったよ! 食事にしよう、もう悪ふざけはしないから」  ドアの向こうから聞こえる情けない声で目が覚めた。  窓の外は暗くなっている。ノキアの電源を入れると十九時過ぎていた。声はサラッと無視しようと思ったが、情けない声は間断なく続いていて、正直うるさい。  仕方なしにベッドから起き上がり、着替えを身につけてドアを開く。 「ノブ!」  自分よりアタマ一つ高い位置にある、ハリーのホッとしたような笑顔をニッコリと一瞥(いちべつ)するだけでひとことも発さずに、信彦はダイニングへ直行…………して、呆れた。  ダイニングテーブルには、スープ、肉料理、サラダ、そしてなにかの煮付けやいなり寿司が並んでいた。それはいい。作って頂いたものを並べるのだと聞いているから、メニューに文句を言うつもりは無い。  そうではなく、問題はテーブル上になぜかキャンドルが灯り、花まで飾られているセッティングの方だ。こんなバカなことをして (僕が意図に気づかず喜ぶとでも?)  初対面だし外国人だし一応仕事仲間だし、今後一か月の付き合いになるから若干の違和感は無視して愛想よくしておこうと取り繕っていたが、コイツに対してそれは不要だと判断する。追いついてきたらしく背に感じた気配に、信彦は尖った声を出した。 「ハリー? これはなんですか?」 「せっかく二人きりだからね」  しかしハリーは信彦の横に立って「どうぞ席へ」と片手を前に、残る手で信彦の背を押してエスコートしようとした。意味不明な盛り上がりを見せているので、キレ気味に手を払う。 「ふざけるのもいいかげんに」 「おぅ! 誤解だよノブ。私はふざけてなんかいない。君を歓迎したい気持ちの表れだ」  まったく信用してない横目で片眉上げつつ、朗らかに笑っているハリーになんだか脱力した。  それに腹は減っていた。料理を作ってくれた、実在するのか怪しいなんとかさんという女性にのみ感謝することにして席に着くと、いただきますも言わずに箸を取って食べ始める。 「ノブは食前の祈りを省略するタイプなんだね」  とかなんとかほざきつつハリーも食べ始めた。自分の前にはフォークとナイフとスプーンが置いてある。おそらく箸は使えないのだろう。 「ノブはパーソナルコンピュータを使えると聞いたよ」 「使えますよ」 「大学で使うだけではなく、自宅にもあるとか」 「あります」 「通信もするんだろう?」 「やりますね」 「モザイクを使っているのかい?」 「いいえ、違います」 「ではソフトを使っていないのかな。DOSで打てるのかい?」 「打てます」 「携帯電話も持っているんだよね。どこのを使ってる?」 「ノキアです」 「ノキア! 最先端じゃないか。あれはパソコン通信も出来るんじゃあ無いのかい?」 「出来ますけど、通信料が高くつきますので」 「……ノブ、なにをそんなに怒っている?」  これだけ素っ気なくしているのだから、親しくする気が無いのだと悟って欲しいところなのだが、まったく伝わっていないようだ。 「お分かりにならないなら、それでいいです」  もう面倒なので、サラッと流し、食事に専念する。 「いけない、それはダメだよ、ノブ」  しかしこのアメリカ人ぽいイギリス人のくちは、まったく止まる気配が無い。 「楽しい食事の席で、楽しい話題を絶ち切ってはいけないよ。さあ、楽しい会話を続けようじゃないか」 「お言葉ですが、僕はさっきから絶ち切りまくってますよ」  さすがにため息混じりの本音が出た。 「もちろんそれは分かっているよ。けれど食事は楽しく取らなくては。そうでなければ消化にも悪いというでしょう? だから私は楽しい会話をしようと努力しているわけだしね」  イケメン外人の、こんな必死な顔は初めて見たような気がする。見たいと思ったこともないので、正確なリサーチ結果とは言えないけれど。  そんなことを思いつつ、信彦はいなり寿司にかぶりつく。 「君はどんなことに興味があるのかな。経済学部と聞いたけれど、最近興味深い論文など……」 「あなたの顔を見てる方が胃に悪そうですので」 「そんな! ノブ!」 「……ごちそうさま」  グダグダ言い続けるハリーは放置で席を立ち、とっととダイニングを出た。  さっきまで寝てたので眠気は来ない。ハリーと一緒の寝室に戻るのも気詰まり。  なので外へ出た。  日が落ちて、風も出てきたせいか、外は涼しくて快適だった。 (そういえば、あの部屋エアコン無かったような。さすが北海道の山間(さんかん)。マジ避暑地か)  なんてコト考えながらそこら辺をブラブラする。  といっても建物を離れると、昼間サラッと見た庭に植わっているものもよく分からない。道にはまばらな街灯しか無いし、わりと怖いもののない信彦だが、夜の森に足を踏み入れるのは、さすがにためらう。  なので空を見た。  あたりに灯りが少ないせいか、それとも空気が澄んでいるからか、あるいはその両方か。 『……う……わぁ。すごいな』  思わず声が漏れた。  今にも頭上から星々が落ちてくるかのように迫る、一種圧迫感すら感じる――――  まさに降るような星空。 『ああ……つまりこれが、天の川か……。なるほど、川に見える』 「素晴らしいだろう?」  低い囁くような声が背後から聞こえたが、天空の美しさに圧倒され、あまり気にならない。 「……ええ」  背後から腕が伸び、天空を指さす。 「分かるかな。ほら、天の川に三つの星が見える。川の中にあるのがデネヴ。上にあるのがヴェガ。下がアルタイル。日本ではヴェガとアルタイルを『オリヒメ、ヒコボシ』というのだと聞いたよ」  分かる。  今まで星など興味を持ったこともなかったが、指さす方向に目をやると、確かに、天の川に三つの星があるのが分かる。 「あの三つは、夏の大三角形と言われている。川の中にあるデネヴははくちょう座、上のヴェガはこと座、下のアルタイルはわし座……」 「どれも聞いたことがない」 「ああ、星占いには出てこないね。でもどれも有名なんだよ」  さっきまでとは違い、ハリーの声は穏やかに落ち着いていて、耳に心地よかった。 「いい? ヴェガは、白鳥の尾羽の付け根なんだ。ヴェガを起点に十字になっているのが分かる? 一番離れてるのが白鳥のアタマ。両方の翼の崎は少し折れてる」 「折れて?」 「そう、分かる? 十字になってる横棒の部分、その先だよ。まっすぐじゃないところに星があるだろう? 今言った星を線で繋げてみるんだ。……どう? 分かるかな」 「ああ……、うん、分かる」 「そう、よかった」 「なるほど、そういうことか。線で繋ぐ」  ハリーは色々と欠点が見えやすい男だと思う。だが、星の説明だけは、確かにうまい。それにハンサムだ。 「そうだよ。分かってくれて嬉しいな」  声が、ひどく近いことに気づいた。  ふっと目を向けると、満面の笑みを浮かべた緑の瞳。  彼の背後には家の灯りがあり、明るい茶の髪は、灯りに透けて金色に見えた。 「ノブ」  ……うん、そういうつもりだってのは見えてた。  もう少しスマートにしてくれれば、こっちだって、もうちょっと良い雰囲気もつくれたのに。 「パットは従兄弟じゃないね?」  横目で笑いかけながら囁くと、顎を取られ、唇が重なった。 「あなたイギリス人でもない。そうでしょう?」  唇が浮いた瞬間に問いかけると、濡れた唇には笑う息がかかる。  そのまま、また重なろうとした唇に、人差し指を立て、意識して艶然(えんぜん)と笑いかける。 「ハリー? バイトは本当にある?」 「ゴメン、嘘をついた」  やっぱり。  だいたい不自然すぎる。話を聞いた段階からパットが怪しかったし、何かあるだろうと思ってた。  でもまあ、彼が善人であることも分かってたから話に乗ったんだけど。 「いったいどこで僕を?」  ただ、ソコはずっと疑問だった。少なくとも信彦に見覚えはなかったから。 「ああ、パットは従兄弟ではないけど本当に親戚なんだ。私の母の妹とパットの兄が結婚して、その結婚式で会ったんだよ。そのとき、君の話を聞いた。写真を見せてもらって、とても興味が湧いてね。それで日本まで来たんだ」  ここに着いた瞬間から疑ってた。だって、雇い主が来ていなくてバイト二人だけがいる別荘ってヘンだろ? しかも周りになにも無い、山の中の古い建物。こんなトコで避暑とか、少なくとも中学生の女の子が……無いだろ、普通に。  まったく、どういう伝手でこんな陸の孤島探し出したんだか。 「どんな話を?」 「私はゲイであることをオープンにしているからね。お仲間が大学にいると、パットが言ったんだ。君も、隠してないんだってね。日本で、そんな勇気のある男の子がいるなんて、しかも可愛い。……興味が湧いた」  そう、信彦は、大学でセクシャリティーを隠していない。  そうしたかったから、実家から離れ、この大学に来たのだ。海外の大学に行きたかったのもその為で、英語も学んだ。 「そして君を見て、声も聞いた。電流が流れたよ。本当の恋とはこれなのだと、私は君に教えられた」  さらに歓迎の食事だの、まだ使っていないに違いない、糊のきいたシーツがかかった二台のベッドが並ぶ部屋だの。おそらく二階の部屋は掃除もしていないに違いない。さらにいえば、イギリス訛りの芝居も途中からやめてたしね。 「写真で見たとき、可愛い顔をして勇気があると、おもったけれど、実際に動く君は、……真実、端正で、美しくて。声は柔らかな、けれど毅然として、穏やかな笑顔が素敵で、けれどそれだけではない。はじけるように笑った顔、困ったように眉を寄せていても、輝きは増すばかりで……」  どんだけ見てたんだ、なんて思いつつも、熱っぽく耳元に囁いてくる声は、まあ、気分の良いものではある。  それをハンサムなアメリカ人が言っているとなれば、多少のケチはチャラにしてあげられるくらい。  ていうか、一所懸命なのは認めるけど、いかにもお粗末な手管(てくだ)すぎるし、取りこぼしが多過ぎ。いっそコッチに任せてくれれば、もうちょっとうまくやれたと思うくらい。  正直、多少どころじゃなくケチのつきっぱなしなんだけど、と思いつつ身を返し、少し顎を上げて口角上げ、ハリーを見つめる。 「バイトは嘘、ね。……じゃあギャランティーは無しなのかな」  大事でしょう、お金のことは。ウリやるつもりは無いけど、仕事だと思ってたわけだしコッチは一応。 「ギャランティーではなく、プレゼントを考えていたよ」 「ん~~、なるほど」 「きみの時間をもらうのだから、私からのお礼を受け取って欲しいと」  でもそれは、危険思想だよね? それはきちんと弾圧しないと。 「ハリー? 監禁でもするつもりだった?」  なので信彦はハリーの頬を片手で包み、ニッコリと笑いながら聞く。ハリーはものすごくマジな顔で「可能なら」と言った。  けど…… 「不可能だよ」 「なぜそんなことを言うの? 私は気に入らない?」  本当に色々ダメダメなんだけど、まあ、星の話は少しロマンティックだったし、気に入らないってわけじゃない。  だから問題はそこでは無く。 「するなら僕の方だから」 「……What?」  一気に声を高めたハリー。  ベルトで両手を拘束されたことに、ようやく気づいたらしい。イケメン外人慌ててる慌ててる。  うん、なかなか良い眺め。 「リサーチ不足だよ? パットはもちろん知らないことだから、しょうが無いかも知れないけど、すすきの界隈(かいわい)じゃ、けっこう知られてるよ? 僕が突っ込む専門だって」  そう言って唇をチュッとついばむ。 「Come on?]  腕を拘束したベルトを引き、頓着(とんちゃく)無く家に入る。  なんだか慌てた声が、ひっきりなしに聞こえてるけど、関係ない。  ベッドに引きずり込んで下だけ脱がせて、拘束した腕はベッドヘッドに繋げ。  初めてっぽかったから、しつこいくらい、前戯だけで二回くらいイかせてから、思う存分()かせてみました。  好きなんだよね。  胸毛とかたっぷりのデカい男を啼かすの。  まあ泣いてもいたけど。  事後、腕を解放してくれとすすり泣くハリーのペニスを弾きながら、信彦は―――― 「初物(ハツモノ)、ごちそうさま」  ニッコリ笑んで呟いたのだった。

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