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ぜんぶ夏のせい

 ――地区予選決勝。  聞き慣れた、体育館に響くバッシュの音。  舞い散る汗、ギャラリーとベンチから聞こえる応援の音頭。  差がつくスコア、我武者羅に走る仲間たち、奪い奪われるボール。  時間を示す数字はどんどん小さくなって、やっと奪い返したボールが、宙を舞う。  放物線を描いて、かつ、とゴールから外れるのと、甲高い笛の音が鳴り響くのは、ほぼ同時。  ――最後の夏が、終わりを告げた。  「そもそも、決勝行けたのが奇跡だったんだって」 「そうですね」 「だって俺ら脇役校だし」 「はい」 「つうか十年に一度の天才が五人とか、相手チームヤバすぎじゃね?」 「主役校でしたね」 「所詮俺らは噛ませってことだよなー」 「まあ、運が悪かったってことで」 「で」 「はい」 「なんでお前と二人なんだ」  試合が終わった後の更衣室は、見るも無惨な様子だった。  三年は軒並み号泣だし、それを見て一年も二年ももらい泣きをしている。抱き合って健闘をたたえ合い、次の年の約束を交わし、記念に写真を撮ったところで、顧問に呼ばれ強制撤退となった。  高校に戻ってからは、簡単な予定の確認と、今後は二年主体のチームになるという話が、事務的に行われただけだ。その後は解散となり、俺はみんなでわいわい打ち上げを期待していたのだが、非情なるリア充・部長副部長は彼女と夏祭りの予定だとか言って、涙の跡の残る顔で「じゃあな」と去って行った。非情だ。  二年に慰められたが、二年は二年でデートだったり他の部活の友達と合流の予定があったりで、結局散り散りになっていって、残ったのは、無愛想な後輩と俺二人。  既に日が落ちて暗い中、人工的な光が辺りを照らす。浴衣美女や甚平の行き交う屋台に囲まれた道を、夏の制服姿の俺たち二人が、イカ焼きやチョコバナナ片手に歩いている。 「いいじゃないすか別に」 「いやよくねえだろ! ……あっ、ユリちゃん」  無愛想というよりも無表情寄りの後輩はどこまでも無関心だ。  勢いで突っ込んだ視線の先、ピンクの浴衣に髪を上げた、きらきらと可愛い女の子の姿を見つけて思わず足が止まる。ユリちゃんは最近よく遊んでいた女の子だ。勿論複数で、だけど。カラオケが上手で、アイドルの真似がとてもカワイイ。  ――視線を少しずらした横には、甚平姿のイケメン男子。 「えっ、彼氏連れ」 「あー、残念すね」 「あ、マキちゃん」  衝撃を受けたのも早々、さらに少し離れた位置に、水色浴衣にショートカットの女の子を見つける。さっぱりとした彼女は、話していて楽な子だ。女の子にも人気だし、きっと女友達と……と思っていたら、やけに距離が近い男がいる。これまた、さっきとは雰囲気の違う私服のイケメン男子。 「えっ、また彼氏」 「あー、残念すね」 「な、なんで……」  二人とも最近よく遊んでたけど、そんな話一言も言ってなかったのにいー。  俺が絶望にイカ焼きを食う手を止めていると、後輩が俺を見てくる。向こうのが背が高いのが腹立つ。バスケも上手い。腹立つ。 「先輩、よく言われるじゃないすか」 「なに?」 「友達としてはいいけどねー」 「腹立つ!」  否定できないのがまた腹立つ!  そうだ、そのせいで俺は、彼女いない歴イコール、……。  うっ、辛くなってきた。イカ焼きを囓る。 「まあまあ、俺が慰めてあげますよ」 「いらねー……」  後輩の手が、俺の背中をぽんぽんと叩いてくる。  何扱いだっての。    でもまあ、祭りは祭りだ。  浴衣と浴衣の人の合間、屋台と屋台の間を縫って、俺たちは並んで歩いた。  途中、金魚掬いに熱中したり(後輩の右手首には狭い中をうじゃうじゃ泳ぐ金魚の群れが入った小さな袋が掛かっている)、射的の勝負に熱中したり(後輩の左手には、目つきの悪い大きなくまのぬいぐるみがある)、祭りを満喫しているのは否めない。ちなみに俺は、イカ焼きの串を捨て、代わりにチョコバナナを頬張っている。美味い。  気付けば、屋台と屋台の切れ間に来ていた。道の端に寄る。ざわざわとした雑踏の中すれ違う、浴衣美女と甚平のイケメン、寄り添う男女。綿飴をあーんと食べさせ合っている光景を見て、はっとした。 「こ、こんなはずでは……」 「は?」  高校生活最後の夏祭りが、これでいいのか俺。  白い半袖ワイシャツと、紺色のスラックスの制服姿で、隣を見れば祭りを満喫している、長身イケメン男子(女子曰く、だ。単なる塩顔の無表情だとは思うが、確かに整ってはいる)の後輩だ。 「どんなはずだったんすか」 「そりゃあ、かわいい浴衣の彼女と」 「はい」 「チョコバナナ食ったり」 「うん」 「金魚掬いしたり」 「はい」 「射的したり」 「なるほど」 「花火見たりー」 「ほとんど今やりましたね」 「かわいい浴衣の彼女じゃねえだろ!」 「あー、そこかー」  後輩は、わざとらしく、祭りの名残で賑やかな手を、ぽん、と掌で打った。 「浴衣なんて持ってないっす」 「そこじゃねー!」  そして真顔で宣いやがった。  本当やだ、こいつ。  屋台の群れは、河川敷まで続いて行く。  屋台の切れ目、石垣に寄りかかるように落ち着きながらくだらないことを言い合っている間に、ひゅう、と甲高い音が耳に届く。 「あ、ほら」  暫くした後、空に轟く爆発音。  色とりどりの閃光で空が染まる。  わあ、と、屋台で波のように動いていた人の群れも、一瞬止まって、歓声が上がった。 「花火か」 「最後のも叶いそうっすよ」 「だからー」  隣にいるのがお前じゃ意味ねんだっつの。  呆れた視線を隣の後輩に向けたら、不意に、手が握られた。両手で。  手首の金魚がリアルだ。大きなくまは、さすがに、石垣の上へと置かれてお留守番。 「先輩」 「はい?」  何だこのシチュエーション。  向き合った後輩が俺を呼んだと同時に、一際大きな金の花火が空に上がる。 「俺の彼女になりません?」 「女じゃねーから!」  至極真顔で言われ、すかさず突っ込むしかない。  後輩は、「あ、間違えた」なんてのうのうと続けやがる。 「彼氏になりません?」 「何言ってんの!?」  花火は待っちゃくれない。  今度は、にこちゃんマークとか、ハートマークとか、そんなものを形取った閃光が夜空を彩る。  青や赤が空を、そして後輩の顔を色づけた。  後輩はいつもの無表情で、でもどこか真剣な眼差しで、一歩距離を詰めてきた。思わず一歩下がる。 「ずっとあんたが好きでした」  一際大きな、ドン、という音が打ち上がる。  空一面が金色に染まって、ぱらぱらぱら、と、金の雫が落ちた。  花火の色に染まる後輩の顔はどこまでも無表情だ。 「は」 「逃げないんですね」 「え」  いや、逃げてるだろ。  お前が詰めてる分後退ってます!    しかし俺の手はがっちりホールドされ、動けない。  空には無情に、無数の花火。  どん、どん、どん。  三連発で大きな音、大きな輪。  しゃあああ、と、光のシャワーが降り注いだその直後。  ――ちゅ。  影が出来たと思ったら、唇に柔らかい感触がした。 「俺って結構一途だし」  近い位置で、後輩が笑う。  こいつの笑顔は、珍しい。 「楽しませられるように努力するし」  手首に吊した金魚が、水の中で蠢いている。  金魚掬いの腕前は、店の人が引く程だった。 「バスケもまあまあうまいし」  まあまあどころか、なんでうちの高校入ったの、って入学当初は噂になるくらい、スーパーエース君だ。 「わりと先輩の理想だと思うんすよね」 「か、」  固まっていてからこっち、絞り出した声は震える。かっこ悪! 「勝手に決めるなよ」  視線を合わせると妙な気分になりそうで、必死で顔を逸らしながら言うと、やっと手を離した後輩が、また笑う。  更には、頭をぽんと撫でてきやがった。俺のが先輩だぞ。 「まあ、返事は急いでないんで」  空いた手で、置き去りにされていた大きいくまを持つ。  無表情の長身塩顔男子と目つきの悪いくまの2ショットは、なかなかにシュールだ。  さらにそのくまが、俺の頬にキスしてきた。 「卒業までに、落ちてきてください」 「お、落とせるもんならな!」  あっ、ちょっとどもったカッコ悪!  ――結局あの後は、二人並んで花火を見上げた。  向こうが喋らないから、俺が喋るしかない。  それも途切れ途切れ、部活の思い出をぽつぽつと話して、後輩が相槌を打つ。また沈黙、で、最後は黙って、花火頼みだ。  最後に目玉という空一面の巨大花火が打ち上がって、花火の出番はおしまいだ。  色とりどりの人の波が、ぞろぞろと動き出す。  少し引くのを待って、俺たちも歩き出した。 「あ、そうだ」  不意に、後輩が声を出した。  振り返ってくるのに、一度足が止まる。 「俺今日がんばったじゃないすか」 「そうだっけ?」 「得点の八割俺ですよね」 「そうでしたね」  それを言われちゃ何も言えない。  結局この三年間、いや、中学から数えて六年間。  パス回しは得意だけど、シュートだけはどうにも上手くいかなかった。いや、練習のときはスイスイ入るんだ。実戦だと緊張してほぼほぼ外すのは、最早ネタになっているくらいだ。それに比べて、こいつのシュートは正確無比。驚くくらい、ばすばす決めやがる。 「だからご褒美ください」 「は?」  真顔でねだられたと思ったら、手が握られる。  しかもがっつり、指先絡めた恋人つなぎ、だ。 「祭りの夜の後、かわいい浴衣の彼女と手つないで帰りてー」 「う」 「思ってたでしょ」 「なんで知ってんの……」 「あんた去年言ってましたよ」  屋台が並ぶ喧噪から外れた住宅街。  街灯の下、俺を見下ろす後輩の顔は、恥ずかしくなるくらいに優しい。そんな顔できるなんて初めて知った。  つーか、去年もこいつと来てたのか……。 「浴衣も着てないし、女の子じゃないけど」  後輩が俺を覗き込んでくるから、必死に顔を背ける。 「かわいい後輩で、我慢してくれません?」 「おまえさ」 「はい」 「少女漫画から出てきたの?」  別に、じわじわ熱が上がってたりしない。  後輩は、ふ、と吐息混じりに笑う。 「ときめいちゃいましたか」 「ちげえよばーかうぬぼれんなばーかばーか」  繋いだ手からバレそうなぐらい、心臓がすごくうるさいのは。  蒸し暑い夏の夜のせいだ、絶対。 「つうかお前俺のファーストちゅー返せよばーか」 「え、先輩初めてだったんすか」 「そうだよかわいい彼女のために取っといたんだよー」 「それはなんつーか、……ご馳走様です」 「そこで頬を染めるなよばかー!」

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