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Ⅳ 夕闇の鍵盤②
ジィジィージィー
蝉の声が鼓膜を廻る。
どこをどう走ったか覚えていない。
反乱軍の目を避けて、ゲットーの空き家に押し入った。
無人であったのは運がいい。
暫く体を休められそうだ。
……といっても、軍に合流するのは難しいな。
この傷では……
ガラガラガシャアン
音は、弾けて零れた。
やはり、私はお前のようには弾けないよ。
ノイ……
部屋の片隅
戦いの火の手から逃れるように。
夕闇の朱に染まったピアノを見つけたのは偶然だ。
ピアノが、お前に見えた。
あの日
戦争が始まる前に出逢ったお前は、ピアノを弾いていた。
お前が待っていてくれた気がした。
ここで……
「声を聞かせてくれないか」
もう会う事はないだろう。
お前は声を失っていた。
ナチスの卑劣な人体実験によって、お前は声を奪われていた。
お前を庇護するつもりが、地獄に落としたのは私だ。
それでも、お前は……
「私の袖を握って」
行くな、と言ったのか。
言葉を失った唇が震えていた。
揺れる瞳の苦しさを、鮮烈に覚えている。
民族の誇りも、財産も、安寧も
全て奪い、お前の体も奪った私の歯車は壊れてしまった。
お前を守る事もできずに……すまない。
ガランガシャアンッ
白と黒の鍵盤が、歪んだ音を奏でた。
ジィジィジィー
蝉の声が廻る。
グルグル廻って消える。
意識が夜に溶けていく。
闇の中に……
白い鍵盤の先から、深紅の滴がぽたり、と零れた。
生きてくれ
もしも、この音がお前に届いたら……
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