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それは海のせい

 地区予選大会が終わり、俺たち3年の夏が終わったからと言って、バスケ部全部が終わるわけじゃない。  むしろ、冬の大会に向けて、一年と二年中心のチーム作りをするっていう、新たなチームでのスタート地点に立ったとも言える。俺たちだって、去年はそうだった。  ――新チームのスタート地点は、海の傍の合宿所だ。 「いやあ、青春だねえ」 「おっさんくさいすよ」  合宿所付近の市民体育館、キュッキュと鳴るバッシュの音を聞きながら、俺はのんびり呟いた。  真夏の体育館は、くそ暑い。  ただ立っているだけでも全身からぶわっと汗がわき出るくらいで、首に掛けたタオルで汗を拭っていると、コートから歩いて来る後輩が、同じくタオルで汗を拭きながら余計な一言を向けてきた。  さっきまでミニゲームをしていた後輩の汗の量は、俺とは比べものにならない。  やむを得ず、スポーツドリンクのボトルを取って後輩に手渡した。後輩は「どもっす」と頭を下げて、どっかり椅子に座って、スポドリをぐびぐび飲んだ。 「調子はどーよ、新キャプテン」 「まあ、ぼちぼちっすよ」 「相変わらず表情ねえなあ」  若狭新キャプテンは、そう言いながらもコートの中を眺めている。  広いコートの中は、合同合宿の相手校と、それぞれのOBが四分割に別れて、ミニゲームをしたり、強化メニューの特訓をしていたりと、忙しない。  俺もさっきまで中に入っていたが、休憩と称してベンチに戻ってきたってわけだ。  この、後輩の扱きが、大号泣の引退試合を終えた俺たち3年の最後の大仕事だった。  ――一年前、先輩方の愛のムチに泣き出しそうになったのを思い出す。 「っふは、やる気出してんなあ志摩ちゃん」  眼鏡で短髪、あまり背は高くないけどボールコントロールが抜群にうまい元部長は、的確な指示で後輩を動かしている。わあ、キツそう。真面目な一年生の周防くんが泣きそうになってる。がんばってほしい。 「近江先輩のがキツかったっす」  もう一方では、長身で爽やかイケメンの近江くんが、にこやかな笑顔でスパルタなシュート指導をしている。ゴール下でガチムチイケメンが笑顔でいれば、怯んでシュートを外す後輩が続出。外す度にやり直しと言われ、エンドレスシュート練……うっ、辛い。がんばってほしい。 「で、新キャプテンが休憩しちゃっていいの」 「あんたこそ、休みすぎじゃないすか」 「俺はいいのー、引退したもーん」 「日高先輩と勝負したいす」  後輩が、真っ直ぐと俺を見てきた。  無表情のくせに、こういうときは、黒い瞳に力が宿る。  俺は目を逸らすこともできないで、小さく息を吐いた。 「どうせ俺が負けるんしょ、知ってるー」 「諦め癖、よくないすよ」 「コテンパンにされてやるよ」  ほら来い、と言って歩き出すと、少し笑う。  ――その顔が珍しく無邪気な笑顔で、ずるいと思う。  1オン1で、若狭に勝てるやつは部内にはいない。  知ってますとも。  ――思えば二年前も、期待のエースくんにいきなり1オン1勝負を挑まれて、ぼろっくそに負けたんだっけなあ。  体力の全てを使って敗北を期した俺は、仰向けに寝転んだ体育館の天井を見上げながら、ぼんやりと過去を振り返る。 「祐介お前、最後くらい先輩らしさ見せろよ」 「むーりーむりですー」 「いいんじゃない、祐介らしくて」  元部長と元副部長が、敗者を覗き込んで楽しそうに笑う。  勝者こと若狭は、涼しい顔でドリンクを飲んでいた。 「しかしあいつは、最後まで祐介だったな」 「ほんと、よく懐いてたねえ」 「えっ、どこが!?」  懐いてた、あいつが、俺に!?  驚くと人間、力がみなぎってくるもんだ。  腹筋を使って起き上がり、二人の顔を交互に見る。 「あいつ、お前しか見てないだろ、最初から」  むしろ、志摩ちゃんの方が不思議そうな顔だ。 「気付いてなかったの」  気付いてませんでした。  ――そして、地区予選決勝の日の夜、夏祭りでの青天の霹靂を思い出した。  ぼん、と、顔が一気に熱くなる。  う、今まで、記憶に蓋をしていたのに……。  『ずっとあんたが好きでした』  夏祭りの日、花火の光に照らされた後輩の顔が、ありありと蘇ってくる。 「え、なに、熱中症?」 「やめてくれよ、笑えねー」 「違う違うなんでもない超元気っ、あ、うそ、ちょっとバテてる」  ぴょんぴょん跳びはね、……ようとして失敗した。  ちょうどその時、体育館の利用時間の終了が迫っていて、顧問の笛が鳴り響く。  ――正直、ほっとした。  明日は合宿最終日、ってことは今夜は、三泊四日の合宿の最後の夜だ。つまり、みんなで大騒ぎする大チャンス。  合宿所の風呂に入って汗を流した後は、近くの砂浜でのバーベキュー大会。両学校の顧問が、毎年、ポケットマネーとやらで美味い肉や野菜を振る舞ってくれる大サービス。これがあるから、3年の参加率も高いんだと思う。割とマジで。  夏の夜は、短い。  バーベキューの間は、まだ日が落ちきっていなくて、空はオレンジ色の方が色濃かった。段々と藍色が濃くなってきてからが、本番だ。  相手校と俺らと、3年が話し合った結果の差し入れ。――って言っても、毎年恒例なだけだけど。山ほどの花火セットを1・2年に見せると、イタズラ盛りの男子高校生は無邪気に喜んだ。わかるわー。  残念ながら女の子は一人もいない空間だけれども、夜の海に手持ち花火とあらば、無駄にテンションは上がる。  特に去年は、率先して花火を振り回して、最後は海にダイブしたっけなあ。懐かしい。  そうそう、ああいう風に。  相手校の二年に、うちの周防くんが花火片手に引き摺られて海へと入っていく様子を遠目に眺める。青春っていいね。  引退の身だと思うと、輪の中心にいく気にもならない。志摩ちゃんは相手校の元部長と話しているし、近江くんは後輩たちに囲まれている。  人の輪から一歩離れた場所で、じりじりと一人寂しく線香花火に火を点す俺だ。別に、寂しくなんかない。 「寂しいっすね」  うるせーのがきた。  さっきまで、向こうの新部長と真剣に何か話してた後輩が、ざりざりと砂浜を踏みながらやって来て、俺の隣にしゃがみ込む。  ――ぽとり。  あ、落ちた。  線香花火のまあるい先端が呆気なく落ちたのを見た後輩が、笑う。 「先輩らしいす」 「うるせー」  そうして後輩も、線香花火を一本手にして、火を点けた。  何だか悔しいので、俺も、新しいのを一本取り出す。  火を点けると、じわりと、オレンジ色の丸が出来る。  ぱちぱち、弾ける音と共に、細い閃光が生まれた。 「あのさあ」 「はい」  線香花火を見つめたまま、ぽつりと聞く。  向こうでは、ぎゃあぎゃあ煩い騒ぎ声。  揃って振り回す花火が、黒い空に光の線を描いてる。 「なんで俺なの」  海辺の風は、夜でもぬるい。  潮風に吹き消されるならそれでも良いと、目を合わせずに尋ねる言葉。  ――本当は、ずっと聞きたかった。  あの祭りの夜を超えた後も、後輩の態度は変わらない。  相変わらず無表情で、無感情。  ただ、――部活の帰りの後、俺を待つことが多くなった。  偶然なのかそうじゃないのか定かではない無表情でいるから、俺もそれを受け入れる。  そしてぽつぽつと会話を交わして、一緒に駅まで向かうのが、ここ最近の帰り道だ。 「おまえ、モテるだろ」  男女問わず。  バスケ部のエースというだけで、有名マンガよろしくファンクラブなんかも存在しているらしい。試合では、後輩を名指しで応援している女の子がいるのも知っている。  もし男しか無理っていうのでも、一年も二年もこいつを慕ってるし、相手校だって、エースってだけで興味津々だ。明らかにちょっかいをかけてくるヤツもいる。  相手には困らないだろうに、なんで敢えての、俺チョイス。  じりじりと、線香花火は、まあるい部分が小さくなる。でもまだ、落ちることはしていない。がんばってほしい。 「あんたの笑顔が好き」  ――ぼとり。  呆気なく、線香花火の先端が、また落ちた。 「おまえさ」 「はい」 「恥ずかしいやつだよな……」  いや、知ってたけど。  熱のなくなった線香花火の持ち手部分を小さなバケツに入れて、つい、膝の上で顔を覆う俺だ。  後輩の線香花火は、弱いけれどまだ弾けている。 「俺さ」 「ん」 「あんたを追いかけてきたんすよ」 「え」 「東校の推薦蹴って」 「え」 「知ってた?」 「知りません」  思わず顔を上げて、後輩を見た。  波の音が近い。ぎゃははは、仲間たちの騒ぐ声は、何処か遠くで聞こえる。  東校と言えば、地区予選決勝の相手。  ――所謂、“主役校”。  十年に一人の逸材が五人揃ったその高校に、こいつまでいたら、それなんて無敵のチートチームって感じになること請け合いだ。  もしそっちに行ってたら、今頃全国大会に向けて調整中だろう。 「なんで」 「中学の頃、高校大会の見学に行きました」 「あっ」  思い出した。  あの頃は部員の数が少なくて(今でも決して多くないけど)、一年の俺が試合に出ざるを得なかった。  今よりもドリブルもシュートもド下手だったし、何よりガッチガチに緊張してた思い出しかない。 「ぼろ負けしたとき」 「そうそれ」  後輩が、笑った。 「ぼろ負けなのにさ」  まさか、あんな試合を、身内以外に見られているとは。 「すげー笑ってる人いて、意味わかんねーって思った」 「うん、それ俺だよな」  なんにもできない俺にできるのは、この、「もう無理」ってチームの雰囲気を吹き飛ばすことだと思った。  「大丈夫っすよ! いけるいける!」とか、「もー先輩たち今日顔怖いっすよ! それじゃモテねっす!」とか、適当なことを言ってた気がする。……まあ、それは今も変わんないけど。 「でも」 「ん?」 「終わった後、影で泣いてたでしょ」 「え」  ぼとり、とうとう、後輩の持つ線香花火も落ちる。  仄かな光源がなくなった俺たちの周りは、真っ暗だ。  闇になれた瞳では、その表情の変化もわかってしまうけれども。 「なんで知ってんの」 「見てたから」  高校最初の公式戦。  手も足も出なくて、変な空元気しか出せない足手まといを嫌という程実感して、終わった後、「ジュース買いに行ってきやす」とかなんとか言って、自販機の横でぐしぐし格好悪く泣いてたのを、まさか未来のエースに見られてたなんて。えっ。恥ずかしい。 「そういう人と、プレイしたいと思った」 「へっ」  あ、予想外すぎて、間抜けな声が出た。 「思えば一目惚れだったんです」 「それで高校選ぶとかすげーな」 「周りに必死に止められました」 「だろうな……」  中学MVPプレイヤーとかじゃねえの、こいつ。  周りの人の苦労が推し量れる。  ――あ、もしかして、その原因が、俺。うわあ。 「熱烈過ぎて、先輩ついていけない……」 「照れましたか」 「違いますう」  不意に、頬に指が触れてきて、顔を上げた。 「まあ、俺らの代で全国行きますし」 「わー、すごい自信」  でも、こいつが言うと、不思議と出来ちゃいそうな気がする。天才ってこえー。 「どうですか」 「何」 「惚れてくれました?」 「うぬぼれんなばーか」  頬を撫でる手が、顎に掛けられる。 「でも」 「はい」 「信じてるよ、若狭のこと」  きっと、新キャプテンとして、部を導いてくれて、俺たちが見ることのできなかった景色を見せてくれるんだろう。  視線を合わせてそう言うと、珍しく、いつもは動きのない瞳が揺れる。  そしてその一瞬の後。  どさり、と音がして視界が反転したと思ったら、背中に砂浜の感触、視界いっぱいに若狭の顔。  え、なにこれ。 「ねえ」 「はい」 「なんで先輩押し倒されてんの」 「あんたがかわいいのが悪いす」 「意味わかんねー!」  俺がどれだけ藻掻いたって暴れたって、体格は若狭のが良い。  さらに、この状況を助けてくれるであろう仲間たちは、海辺の追いかけっこに夢中だ。(花火の火を向け合ったり水を掛け合ったり、最早無法地帯と化している波打ち際だ)  砂浜の上で藻掻こうと、ただじゃれ合ってるだけに思われることは請け合い。(「本当に二人は仲いいなあははは」と爽やかに笑う近江くんの脳内再生は余裕だった……) 「あんたが好きです、日高さん」  無表情で無感情な後輩は、その瞳に色を乗せ、熱っぽく囁いてくる。  顔を背けるのは、耳の先まで熱い気がしたからだ。  その顔を追いかけて、頬に唇で触れてくるのはぞくっとするからやめてほしい。童貞なめんな。 「俺の人生変えた責任、取る気ありませんか」 「おまえが勝手に選んだんだろ!」 「そうなんすよね」  若狭は神妙に頷いた。 「俺の人生、あんたに捧げる覚悟ならあります」  ――真夏の夜のプロポーズ、って、段階超えすぎだろエースくん。  何も言えないでいると、唇で唇が塞がれる。  あ、バーベキューのソースの味。  色気のないキスを拒む暇もない。  何度も繰り返されるキスに、流石にまずいと若狭の肩を掴む。  それが合図になったように、舌を出してきやがった。  唇の隙間を熱い舌で辿られて、ぞくぞくする。  薄く開いた間から舌を差し入れられそうになったと同時に、ぱあん、と大きな音がする。  ――打ち上げ花火だ。  辺り一面が照らされて、後輩の顔も照らされたのを合図に、俺は、力の限りを持って後輩の身体を押し遣った。  だ、だって、これ以上は、まずい。 「は、花火! 花火やろうぜ花火!」 「誤魔化すの下手すぎじゃないすか」 「う、うううるせーな! 悪いか!」 「いや、あんたらしいっすけど」 「ほら行くぜ新キャプテン、皆待ってる」 「はいはい」  立ち上がって、身体に纏わり付く砂を払う。  砂浜を踏みしめて一歩踏み出したとき、「先輩」と手首を掴まれた。なんだよ、と、後ろを振り返ると、後輩が真顔で顔を寄せてきた。 「顔、真っ赤っす」 「う、うるせー!」  ばくばくとうるさい心臓も、  濡れた感触が残る唇も、  背中に感じたぞわりとした快感も、  後輩の顔がやけに色っぽく男前に見えるのも、  それもあれもこれも全部全部全部、夏の海のせいなんだ、ほんとに。  

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