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第1話

 蔵の中は相も変らぬ漆黒で満ち満ちていた。  手持ちの灯りを消せば一寸先も見えぬ闇。  暗闇に包まれ、今日も俺たちは絡み合う。 「知ってるよ、群青。お前が、俺をどんな目で見てるのかを」 「山吹……」  するりと群青に身を寄せれば、劣情と正気の狭間で彼の身体が震えるのを感じた。  その首に腕を巻き付け、耳元に唇を寄せる。 「まだ勝った分、返してもらってないだろ? だったら代わりに……本性、見せろよ」 「どうして……」  群青が絞り出す声は苦しげで、熱い。  密着した身体の下半身からは、彼の欲望が大きな形を取り猛っているのが感じられた。 「どうして君が、こんな僕なんかと……」 「ただの遊戯さ。あの頃と同じ」  漸く絞り出した群青の言葉に、せせら笑う。  そして手を伸ばし、彼の顎を持つ。  すぐ間近に形の良い――けれどもいつもほとんど見えない群青の唇を感じていた。 「俺だけに見せる顔、見せてよ」  どこか甘えるようにそう囁く。 「……山吹っ!」  それが群青の背中を押したのか、彼は唐突に俺を抱き締めた。  肉を食らう獣が獲物を貪るかのように、そのまま唇を奪う。 「う、ん……っ」  他の誰とも違う、その荒々しい所作に俺の余裕はすぐに吹き飛びそうになる。 「は……っ、ちょっとは、素直に……ん、んっ」  それでもなんとか優位を保とうと唇を離し軽口を叩こうとするが、彼の唇が俺の胸元に吸い付いたせいでその語尾に甘いものが混じってしまった。 「ん、ふぁ……っ、はははっ。ほら、諦観してるふりしても、お前、は、こんなにも欲望に正直だろ?」 「山吹、山吹……」  群青は舌を使って夢中で俺の胸を愛撫する。  その刺激に溺れそうになりながら、彼を侮蔑する言葉を絞り出す。 「だから、群青……ひ、あうっ!」  群青の歯が胸の敏感な箇所を噛んだ。  鋭い程の甘美な感覚に声をあげるが、それでも俺は話し続ける。 「は……は、そんなに溜まってたのか? それとも、誰でも構わないのか?」 「……」  俺の言葉が聞こえているのかいないのか、それとも既に欲望に囚われているのか、群青の愛撫は止まらない。  冷たく硬い床に、ごろりと俺を押し倒す。 「ふ、ぁ……っ」  足を開かれ、俺自身に、そしてこれから彼を待ち受ける箇所にも唇が落ちてくる。  先程の性急な行為とは打って変わった、舌と指を駆使した丁寧な愛撫。 「ん、ぁ……っ、ひぁ……っ!」  今から起きることをはっきり予感させるその動きに堪えきれず、びくびくと腰が震える。 (もう、いいから……っ、はやく、お前を……)  そう告げたいのをぐっと堪え、あくまでも命令口調で告げた。 「い……今更、何を躊躇ってるんだ? 来いよ」 「ごめん……」 「何が……あ、ひぁっ、ひ、あぁああああんっ!」  弱々しい謝罪と共に、その声とは似ても似つかない猛り狂った群青の欲望が俺の中に入ってきた。  待ち焦がれた筈のその熱の猛々しさに、思わず身を捩って逃げようとする。  それでも群青は俺の身体を押さえ、挿入を止めない。 「は……っ、あ、ん、んんんっ」 「山吹……そんなに力を入れないで……」 「ん、ぁ……わ、わかって……るっ」  大きな体に欲望を漲らせながら、それでも多分加減して群青はゆっくりと熱を進めていく。  びくびくと震えながら漸く全てを飲み込んだ時には、俺の瞳に僅かに涙が滲んでいた。 「あ……は、ふぁ……ん、んあぁんんっ!」  息をつく間もなく、群青は動き出した。  溜め込んだ欲望を全て俺の中へと送りこむかのように、抽送を繰り返す。 「あぁ……っ、あっ、ひぁっ、は、ぁあああんっ!」  その度に身体の奥から感じる息苦しい甘さを持った感覚が俺を支配していった。 「山吹……っ!」 「あ……あぁっ、も、だめ、あ、あぁああああっ!」  やがて俺たちは同時に限界を迎える。 「まだ……まだ、これで終わりにはさせない」  荒い息をつきながら、俺は砕けたように動かない腰をそのままになんとか顔を上げ、群青を睨みつけた。 「調教開始だ」 『いるけどいない、いらないけどいる』  俺が生まれた時から存在する、蔵の中のあいつ――群青について受けた説明は、それだけだった。  納得の行かなかった幼い俺は色々と動いて回り、色々な話を聞いた。  当時は難解な部分も多かったが、ひとつだけはっきり理解できたことがある。  あいつは、禁忌だ。  どうやら群青は、俺の親の不義の子らしかった。  長兄のはずの俺の、異母兄。  この村の中心であり昔からの名家であるうちの一族にあってはならない存在。  通常ならすぐに始末される筈だったが、そうはできない理由があった。  俺の家を名家たらしめているのは、ある特殊な力。  群青は、それを持って生まれてしまったのだ。  俺には存在しないその力を。  だから彼は蔵の中で生かし続けられているのだと。  しかし当時の俺は会ったこともないその存在に特に思う所はなかった。  だから、発端はただの暇潰し。  両親が留守で、使用人たちは仕事で忙しく放っておかれた時のことだった。  小さな灯りを手に持って、そっと蔵に忍び込んだ。  ――そして、俺は息を飲む。  明かりに照らされた存在は意外にも背が高く、そしてひたすら白く美しかった。  相手は眩しそうに目を細めながら、同じように驚いた様子でこちらを確認する。  蝋燭の炎を挟んで暫し俺達は見つめ合っていた。 「君は――」  最初に口を開いたのは群青の方だった。  それが気にくわなくて、俺は急いで切り出した。 「遊ぼう。相手しろ」  けれども群青は静かに首を振る。 「……無理だよ」 「何で」  否定の言葉に睨みつけると、慌てたような弁明が返ってきた。 「僕には……見えるから。暗闇の中に、行く末が」 「だから、何」 「碁でも将棋でも、遊戯は勝ってしまう」 「嘘だ!」  諦念したかのような群青の言葉にむきになってそう返すと、俺は床に線を引いて将棋盤を作った。  そして駒を持って並べる。 「賭けよう。もし俺に勝ったらいいモノやるよ」 「いいモノって……?」  勢いで放った言葉を聞き返され、俺は慌てて懐を探り小さな包みを取り出した。 「金平糖」  首を傾げたままの群青の口の中に、小さな赤い粒を放り込んでやった。 「甘い……!」  新たな驚きに目を見開く相手に、もう俺は勝ったかのように宣言する。 「どうだ、やるか?」 「……うん」  ――そして金平糖は群青の口の中に消えていった。 「……くそう」 「だから言ったじゃないか」  将棋に碁、何度やっても詰められる勝負に俺は何度目かの唸り声をあげる  こちらを心配そうに見つめる群青を睨み返せば、小さな灯りの中美しい青色の瞳が輝いていた。  暗闇の中、行く末を見ると告げた瞳。  ――そうだ。 「すぐ戻る!」  はっと閃いた俺は、家の中に取って返すとある物を持ってきた。  そして今度こそ、勝ち誇ったようにそれを群青の前に広げた。 「これは……」 「双六。これなら、未来が見えたって関係ないだろ?」 「……うん」  群青は俺の顔を眩しそうに見つめ、頷いた。  ――それから、俺の勝利が続いた。  サイコロは面白いように俺の言うことを聞き、何度もあがりに俺の駒を進める。  俺は夢中になって何度もサイコロを転がし続けた。  勝ち続けることが、相手の予言を覆したことが……いや、それ以上に単純に遊ぶことが楽しくて。 「……そういえば、俺が勝ったらどうするか決めてなかったな」  何度目かの勝利の後、漸くその事実に気付いて俺は手を止める。 「どうする?」 「――僕にできることがあれば……」 「君じゃない。山吹って呼べ」 「あ、うん……山吹、さん」 「さんはいらない」 「……山吹」 「あとは……そうだ」  揺れる灯りの先で恐縮する群青を見ているうちに、良いことを思い付く。 「俺の行く末を見てよ。暗闇の中に見えるんだろ?」 「え……」  そのまま答えを待たず、俺は蝋燭を吹き消した。  蔵の中、完全な闇が広がる。  目の前の相手も見えなくなるが、静かな息遣いだけは聞こえてきた。  そして、小さく息を飲む音も。  暗闇から、静かな声が聞こえた。 「君……あ、山吹はもうこの蔵に来ることはない」 「は?」 「今日の……僕のことなんかすぐに忘れてしまう」 「何でだよ!」  楽しかった今までの時間を、そしてこれからを否定され俺は群青を怒鳴りつける。  けれども彼は顔色一つ変える様子もなく、言葉を続けた。 「僕も忘れる」 「勝手に決めるな! まだ俺が賭けで勝った分、返してもらってないだろ」 「……ごめん」 「もういい!」  怒りと、それ以上に群青の言葉をこれ以上聞きたくなくて、俺は彼に背を向けて走り出す。  暗闇の中、色々なものにぶつかりながら何とか蔵から転げ出て……それから暫くの間、言葉通り蔵に行くことはなかった。  それは結果的に、彼の予言を叶える形になってしまった。  ――面白くない。  そう考え始めたのは、いつ頃だったろう。  俺は、予言を外すことにした。  学生になった俺は、適当にそこらの女の子を誘い込んで蔵に入った。  暗闇の中、たしかにあいつの気配はあった。  だけどそれをあえて無視して、女の子を抱く。  行為の間中絡み付くような視線を感じたが、無視して。  ――そして気付いた。  あいつの視線は、ずっと俺の方だけを向いていたことに。  それを確認するために、今度は男を誘ってみた。  誰にも口外することのないよう、いつも俺に好奇の視線を向けていた家の使用人を。  抱かれている最中、そして終わって使用人を返してからも、俺に向ける熱い目をずっと感じていた。  苦しげな息遣いを。  劣情に惑う感情を。  だから、声をかけた。 「知ってるよ、群青。お前が、俺をどんな目で見てるのかを……」  それから時間があれば俺は蔵に行き、女を抱いたり時に男に抱かれた。  そしていつもその後、群青と絡み合う。  変わり映えのない日々が続いた。  その日は朝から慌ただしかった。  いや、焦っているのは家族だけで、使用人は訳も分からずあれこれ用事を言いつけられていた。  起きてきた俺もすぐに家族に掴まって、外出の支度をするように命じられた。 「遠くに行く」  ただそれだけ告げられ、信頼のおける使用人をつけられ先に家を出された。  あまりにも突然で、意味が分からなかった。  俺達一族は村の中心的存在で、ここから出たことすらないのに。  実際、家族の中には反対する者もいた。  特に母親が中心となって、家財を守るだのあいつの妄言に付き合う必要はないと怒鳴っている。  そんな喧騒に背中を押されながら、追い立てられるように家を後にした。  そして街まで向かい、はじめての列車に乗った所でもう大丈夫と使用人が説明を始めた。  俺の家は、間もなく恨みを持った者に燃やされる。  そう群青が予言した。  あまり大袈裟に逃げると勘付かれるため、なるべくひっそり逃げる必要があった。  けれども群青は犯人や詳細については何も告げなかったので、その言葉を信じない者もいて、騒動になっていたのだと。  ただ群青は、山吹だけは早く逃がさなければいけないと必死に話していた。  だから、俺はこうして一人先に出されたのだそうだ。 「――群青は?」  そう問うた俺に、使用人は淡々と答える。  存在することさえ秘密にされている彼は、ずっと蔵の中。  そのまま、そこで焼かれるしかない。  話を聞いた俺は、列車から飛び降りていた。  必死で走って戻った時、家は業火の中にあった。  家族や使用人も既に逃げ、延焼を恐れたのか周囲に人はいない。  家の外れの蔵の中に、俺は迷わず飛び込んだ。 「今行く!」  叫んだ途端、声が聞こえた。 「やめて、それだけは……」 「何でだよ!」  あの時と同じように言い返すと、群青の細い声が響いた。 「昔――蔵の中で、僕は見たんだ」 「何を!」 「炎の中で、山吹が僕を庇って死ぬ姿を!」  だから、群青は俺を蔵から離そうとした。  でも俺は言う事を聞かなかった。  そして再びここに来てしまった。 「――いずれにしても、僕はここで死ぬ。今より先の未来が僕には全く見えなくなってしまったから。だから、君だけでも逃げて……」 「違う!」  群青の声に、むきになって言い返す。  伸ばした手が群青の手に触れる。  その瞬間、天井を支えていた梁が崩れる音がした。  群青が俺の手を引いて庇うように抱き締める。  駄目か――その瞬間、転がるサイコロが脳裏を掠めた。  あの時、サイコロは忠実に俺の命令を聞いた。  俺も、一族の血を引いている。  だから俺は――  轟音が鳴り響く。  梁は俺達を綺麗に避け、すぐ真横に落下した。 「お前がこの先何も見えないのは――もう二度と暗闇の中に戻らないからだ」  唖然とする群青の腕の中で、俺は勝ち誇った様子で笑ってみせた。  二人で遊んだあの日のように。

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