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熱くらみ、冷とけあって、君おぼれ

 まず認識したものは暗い天井。あれ、俺は起きていたはずなのに。  次に左手に感じる温もり。この感触ははっきりと覚えている。  そしてその先にあるものは君の白い背中。ああ、ようやく理解した。  俺は連日寝不足の中、飲み食いを適当に済ませてひたすら作業していた。それに加えて目眩を覚えるような暑さだった。  とうとう身体が限界を訴えて倒れてしまったようだ。  その直前の記憶をたぐりよせてみる。俺は立ち上がって君の方を振り返る。慌てた顔をして駆け寄ってきたところで視界がぐるりと回転してぷつりと途切れた。  いつも無理をすると介抱してくれる君。今日は自前で点滴をしてくれたのか、腕に針を刺したような痕が残っている。さらに火照った身体を冷やすためであろう、首にひんやりとしたシートが貼られている。  いつもと違う行為になんだか心が浮かれ、右手でシートに触れる。 「やっと気が付いたか」  俺が動いたことに気付いたのか、こちらを見てそう呟いた。 「あはは。……ごめん」 「俺じゃなくて身体に言え。ったく、無理しやがって」 「うん。つい、ね」  とりあえず起き上がろうと身体に力を入れるが、少し浮かせたところでばたりと倒れてしまった。  あぁ、これは本格的に身体を壊してしまった。どうしたものか。まだまだやるべきことはあったのに。  君はベッドテーブルに手を伸ばし、そこに置いてあったペットボトルを手にする。そのまま片手で開け、ぐいっと煽る。少し膨らんだ頬のままボトルを戻し、こちらを向く。  握っていない手で俺の口を割り開いてから、そのまま唇を重ねる。君の温もりに包まれた生ぬるい液体がゆっくりと入ってくる。  美味しくないはずなのに、俺の身体はそこまで乾いていたのかやけに美味しいと感じる。  ごくごくと喉を鳴らし、与えられるものを飲み干す。少し元気を取り戻した俺は液体のなくなった唇を貪ろうとするが、すぐに離れていった。  その唇は再びペットボトルに触れ、液体がその中に注がれる。  それよりも早く俺は君に触れてほしい。そんな思いが俺の中を駆け巡り、つい生きていないものに嫉妬してしまう。 「……フフッ」 「ん?」 「君は人気者だなって思ってね」 「んぅ?」  そんなことはない、と視線で全力否定してから、再び俺に液体を流し入れる。何かされるのだろうと感じたのか、今度は少量を流してすぐに離れてしまった。  そのまま君は起き上がり、身体を離してしまう。  こんなにも名残惜しいことはない。 「何か食べられそうか?」 「うーん。君?」 「……冗談言ってんじゃねぇ」  握っていた手を離したと同時にペットボトルを置き、冷えて寒いくらいの部屋から去っていった。  俺は君と触れ合っているだけで、動いていける気がする。  実際には飲んで食べて栄養を補給しなければならないが、それだけでは俺の心はぽっかりと穴が空いてただ動くだけしかできないだろう。  君が介抱してくれたおかげで、俺はだいぶ身体が楽になった。ゆっくりと起き上がり、君が口にしていたペットボトルを君の残滓を辿るように触れる。  すっかり闇に包まれた空間、月明かりだけで照らされたこの部屋で君が俺にしてくれたことを思い出しながら自ら液体を口にする。君の温もりは感じられないが、冷たい感触が俺の身体を冷やしていく。  早く戻ってきて君を堪能したい。早く戻ってきてくれないかな。  そんなことを考えていたら、パタパタと早歩きの足音がこちらへ近付いてくる。ドンッ、と乱暴に開けられたドアからは、冷えて水滴が垂れている飲み物二本と皿に乗せたアイスキャンディ二本を手にした君が戻ってきた。 「どっちがいい?」 「あれ? いつもはベッドで食べるなって言うのに」 「今日は特別だ。ここが一番涼しいからな」  そう言いながら再び俺の方へ戻ってきて座り、袋に入ったままのアイスキャンディを二つ差し出してきた。  俺はさり気なく君に密着するように隣に肩を並べる。 「で、どっち?」 「えーと……こっち」  真っ白い方を選び、その手から受け取る。包んでいたビニールを破き、ベッドテーブルにそれを置く。それからアイスを少し口に含んで噛む。ひんやりとしたそれは口の中であっという間に溶けていき、喉の奥まで冷やしていく。 濃厚なミルクの美味しさに思わず溜め息が出る。 「はぁ……。幸せだ」 「急にどうしたんだ」 「このまま熱で倒れててもいいかも」 「やめてくれ。俺が辛い」  俺の頭をがしりと掴み、わしゃわしゃと力強く撫でる君。そう言って困らせたときの拗ねたときの反応も可愛いものだ。  撫でられながら俺はそっと君の肩にもたれ掛かる。そうするとスイッチが切れたように動きが止まる。 「ねえ、一口ちょうだい」 「味変わんねぇから自分の食べろ」 「そんなこと言わないでさー」  甘えた声を出して君に顔を近付ける。目的はアイスキャンディ、ではなく、そのすぐそばにある君の口。  食べるように見せかけて君の唇にそっと触れる。完全に油断していたようで、君の温もりがしっかりと伝わってくる。  少し開いた唇をペロリと舐めてすぐに離す。 「うん、美味しい」 「っ……。は、やく食べろ、よ。溶ける前、に……」  あ、これはスイッチ入ったかも。俺から顔を背けてボソボソと話しているときはだいたいそうだ。  少し柔らかくなり始めているアイスキャンディを急いで頬張る。ベッドを汚さないためでもあり、早く君に触れるためにも。  最後の一口を飲み込み、棒をベッドテーブルに置かれた皿の上に置く。棒が皿に触れるのと同時に、君の手が俺と触れる。  これはもう完全に俺の流れに持っていける、そう確信してその手をぎゅっと絡める。 「あっ……」 「そんな声、出さないでよ。我慢できなくなる……」 「き、きょ、うは、大人しくしろ……。また倒れられたら困る」 「うん。今日は大人しく君を堪能する」  繋がったその部分を中心にして君の唇を奪う。何度も触れ合っているそこは蕩けており、深く深く温もりを貪る。  ようやく俺を得られたことがよほど嬉しいのか、先程までとは打って変わり君は激しい。俺も負けないように君を求める。  まだ足りない、全然足りない。敏感なその場所でひたすら君と溶け合っているはずなのにまだまだ離れているようだ。  何も触れていない手で俺は君の身体を引き寄せ、身体を密着させる。少し無理な体勢をさせてしまったのか、絡めている手の力が強くなる。  俺の手と自分の手を支えにしながら、床に下ろしていた脚をベッドの上に乗せる。これで楽になったのか、君の手が俺の身体にするりと撫でてからぎゅっと近付ける。  それでも俺は満足できない。全身が溶けるように全てが君に包まれない限り、俺の身体は落ち着かない。けれども、今日はそんなことをしてしまっては再び倒れてしまう。倒れない程度に我慢しなければならない。  重ねた唇の角度を少しずつ変え、様々な刺激を与えながら君を貪る。混じり合った唾液が口の端から溢れ、筋を作って落ちていく。  動く度に漏れ出る君の声が愛おしくて何度も何度も繰り返す。このまま、俺の中に君を閉じ込めてしまいたい。  そうして君の熱にどんどん触れていると、一瞬頭がくらっとして君から離れてしまった。倒れそうになったところを咄嗟に君が支えてくれた。 「あっぶねぇ……」 「ごめん……。貪欲すぎた」 「別に……」  ふい、と君は身体を離してベッドテーブルに向け、テーブルを濡らすほど滴ったペットボトルを開けてその中身を口に含む。  何をしているのかと俺が眺めていると、不意打ちのようにぐっと顔を近付けて首を傾かせながら唇を重ねる。開けた口からは低い体温くらいの麦茶が侵入してくる。  俺の中に君ごと入ってくる感覚が、何とも愛おしい。これならいくらでも飲んでいられる。  君がくれた麦茶を飲み干すと、俺から離れていき今度は俺が麦茶を口に含む。  微笑みながら君の顎を掴み、君がしてくれたように麦茶を移す。俺が君の中に入っていくようで、なんだか嬉しい。  ごくごくと飲んだことを確認し、全てが身体の中へ入っていったことを確認してようやく君から離れる。 「な、ん……だよ……」 「お礼くらいさせてよ。ね?」 「……だったら、倒れん、な」 「うん」  あまりの可愛さにぎゅっと君に抱き着き、そのまま二人でベッドに倒れ込む。軽く跳ねたその身体を捉え、壊れないようにそっと撫でる。 「……くすぐったい」  そう小さく呟き、俺の手を振り払って俺に顔を埋める。そして縮めていた脚を伸ばし、俺の脚に絡みつく。  また触れたいと思ったが、同じことをすればまた振り払われてしまう。顔の目の前にある君の髪に俺はそっとキスをし、そのまま君を感じる。  暗くてよく見えないはずなのに、君のことははっきりと見える。脚が、身体が、腕が、顔が、一つのものとなるように溶け合っているように見える。  突然君は顔を上げ、俺に近付けてくる。チロチロと首元を舐めてゆっくりと上がってくる。なんだか全身がむず痒い。  顎に差し掛かり、今度は歯を立てる。痛くないように甘噛をしてくるせいで余計にくすぐったい。 「っふ……」  俺は思わず声を漏らす。  一生懸命になっているその姿が愛おしい。俺に刺激を与えてくれるその歯が愛おしい。絶対に逃さないと俺を抱き締めるその腕が愛おしい。必死に君を感じさせようとするその脚が愛おしい。  君が全て愛おしく、俺はただ君の全てをじっと感じている。  そしてようやく唇へ到達したところで、君は思い切り歯を立てて俺の唇を噛む。 「んっ!!」  現実を直視させられるような痛みに目を見開く。  すぐに離れていった目は何かを訴えるように俺を見つめる。 「痛いなぁ……」 「これでおしまいだ。早く寝ろ」 「はーい」  額に軽くキスをして俺は君の頭に手を回す。柔らかい髪の質感、心地よい君のにおい、ドクドクという鼓動が俺を包む。 「じゃあこうさせて」 「……うん」  コクリと頷くその動きを確かめ、俺はそっと目を閉じた。  君を感じながら、俺の意識はすぐに遠くへといってしまった。

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