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第1話
人里離れた森の奥。そこにある洞窟の、更に最奥に僕は居た。
いつから此処に居たのか……もう何百年と経ってしまっていて、数えるのも飽きたし忘れてしまった。
自分の下には淡く光る魔方陣が描かれていて、僕の力を封じ込めている。
本来竜人族と呼ばれる種族の僕は、竜と人の二つの姿を持っている。
だが、今は力を封じられた事により、人の姿しか取れない状況に陥っている。それを不便には感じないのだが。
ある時、自分が抑えられなくなり、竜の姿になり暴走したことがあった。
ようやく収まった時に、封じられる事になってしまい、今に至る。
この場所は幾重にも結界が張られ、時が止まったかのように何も起こらない。
実際に結界の影響で外と中の空間が区切られているのかもしれない。
その為、何者も入り込めない、筈だった。
そう、あの男が来るまでは―――。
僕の居る位置から5m離れた辺りに扉がある。
鉄製の扉で魔術による施錠をされているせいで開く筈の無い扉が、唐突に切り裂かれる。
その音に、横になっていた僕はゆっくりと目を開くと、其処に居たのは男だった。
まるで真っ赤な血の色を彷彿させる、腰より長い髪を一括りに結び、膝丈まであるロングコートをひらつかせ、殺気を帯びながら真っ直ぐ僕の方へと歩いてくる。
その様子を見て、僕は上半身を起こした。
「お前が、此処に封じられてる魔物ってやつか」
此処に来るまで相当結界が張ってあった筈だが、そんな物など無かったかのように颯爽と男は歩き、更にある見えない壁という結界を手で触れただけで壊していく。
本能では危険だと警鐘が鳴らされているのに、僕は彼に興味が沸いた。
「君は、一体…?」
「通りすがりの冒険者だ。アンタを殺しに来た」
男はそれだけ言うと、魔方陣の真ん前まで来て止まる。
魔方陣の周りにある強固な結界も壊すのだろう、と思った時、彼は不意にしゃがみこむと、僕の顔をまじまじと見てきた。
「アンタ……よく見ると可愛いな」
「……はあ?」
「柔らかそうな肌してるしな……抱きしめたら気持ちよさそうだ」
思考が、定まらない。
殺しに来たという相手に、何故そんな感想が出てくるのか。
いやいや、そもそも何故こんなにまじまじと見られているんだろう。
魔物を殺しに来たのに、人型を取っているからだろうか?
「あの、殺しに来たんじゃないの?」
流石に疑問符が多すぎて、自分の理解の範疇を超えていて、困り果てていた。
その事に対して彼はさらりと「考えが変わった」と告げてきた。
「なんて言うんだろうな?一目惚れってやつか?」
へらへらと笑って見せる彼に、僕は呆気に取られてしまう。
一目惚れなんて、この人は何を言っているんだろう。
もしかして、女性だと思われているんだろうか。
確かに昔女性と間違われた事はよくあったけど…いや、それ以前に魔物だと知ってこんな事を言い出しているんだから余計に分からない。
「君、大丈夫?」
今度は逆に、一気に思考が巡り過ぎて、この一言を言うので精一杯だった。
怪訝そうな顔で、しかし本気で心配すると、目の前の男は頭を掻く。
「そんなに可笑しく見えるか?」
「普通可笑しいでしょ。だって殺しに来たって最初に言ってたし、あと僕、男だし」
「その辺は理解してるさ。……ま、俺は変わり者って事にしといてくれ」
笑う彼の真意が掴めず、怪訝そうに眺める。だがそんな事を気にすることもなく立ち上がり、コートの裾の土埃を払う。
「さて、やるか」
何を、と聞くより先に、彼は両手を結界の前に翳す。そして、何やら呪文のようなものを唱えるとビシッと音が鳴りヒビが入った。
これだけ強固な結界にヒビを入れるなんて、どういう事をしているんだ…?
その疑問は解決出来ないままにヒビが広がり、そして砕け散ると霧散して消えていく。
それにより魔方陣の光も心なしか弱まった気がする。
「一体何して……」
「ちょっと待っててくれ」
彼はそう告げると今度は片膝を地面に着き、魔方陣自体に触れ、更に呪文を唱えるとどんどん光は弱まり、最終的には魔方陣自体が消えた。
「消えた……」
呆気に取られていると、彼は僕の傍まで近付いて来て、しゃがみこむ。
「これで、ようやく触れられる」
言ったかと思うと頬に右手を当ててくる。
触れた瞬間、彼の手から暖かさを感じて涙が溢れてきた。
「な、んで僕…こんなに、泣いてるの……」
相手は名前も知らない人間。それなのに、手の温もりが広がる度に涙が溢れ出し、止め処なく流れていく。
「さあな…でも」
彼はあまり長くない僕の髪を手で梳き、左手で顎を上げて目線を合わせられた。
「俺にだけ見せる顔、見せてよ」
気が付けば、彼と僕の唇が重なっていた。
舌が口の中に入り込み、口の中を蹂躙される。
「んぅ、ふっ…」
漏れ出る声はまるで自分ではなく、別の誰かなのではないかと錯覚を起こすぐらいに、意識が薄れていた。
まるで宙を漂うかのような感覚のまま、彼の唇が離れていく。それを寂しく思う自分が居て、ハッと思考が戻り、後ずさる。
「い、いきなり何するの?!」
「何って…キスだろ?」
「そのぐらいは分かるよ!」
僕は顔を赤らめて叫ぶ。恥ずかしさでそれこそ死んでしまいたいくらいだ。
何も知らない相手に身を一瞬でも委ねてしまうなんて……。
「何か問題でも……あ、そうか」
彼は言いかけ、僕の方へ手を差し出した。
「俺はリノス。リノス・アーヴァルト。宜しくな」
「キスしてから名乗るなんて、常識外れもいい所だと思うけど」
「悪いな、考えるより先に体が動くタイプなんだ」
「……」
何故、こんな人が此処に入って来れたんだろう。
僕は怪訝そうな顔をしてリノスと名乗る男を改めて見る。
その視線を感じたからか、手を下ろしたリノスは笑って見せた。
「それで、アンタはなんて名前なんだ?」
その問いに、答えるべきか否か。
僕はそれを悩んで口元に手を置いた。
これは昔からの癖で、考え事をする時には必ずと言って良いほどやっている仕草だった。
「……どうして」
「ん?」
もう、悩んでも問いが出ない僕は、最大の質問を投げかける。
「どうして君が、こんな僕なんかと……」
「俺は最初に言っただろ?アンタに一目惚れした。それだけの話だ」
「僕が男で、魔物で、本来殺さなければならないほどの脅威を孕んでいたとしても?」
「ああ。惚れた時点でそんな事は頭から消し去ったさ」
そう言うリノスの目は、嘘をついているようには見えなかった。
「……本気にしてもいい?」
「勿論だ」
こうやって会話していても、本心が読み取りづらいと思う。でもこれだけは信じても良いのかもしれないな……。
「……フレイラ」
「ん?」
「僕の名前。フレイラ・マリストルだよ」
降参した僕は名前を告げた。最初驚いていたリノスの表情が、どんどん嬉しそうに変わっていく。
「フレイラか、良い名前だな」
そう言うと、いきなり抱き上げられた。というか、担がれた。
「な、何!?」
「いや、流石に此処から出ようかと思ってな。フレイラは華奢だし、ずっと此処に居たんだ。動くの大変だろう?」
「いや、だからってこの抱き方は……」
「お姫様抱っこと、どっちが良い?」
「やめて、それだけは……」
そう言って僕は諦める事にした。
これが、僕らの出会いの物語。
まだこれから先に何が起こるのか、全く予想の出来ていなかった頃の、そんな話。
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