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第63話

「ま、そういうなよ。透もあれで苦労してるんだから……。」 昔の記憶に引きずられていると、サボテンさんが苦笑いを浮かべながらそう宥めてきた。 「あいつのツケを払わされているのは、俺なんですけど?」 「お前も色々と大変だとは思うが、両親とは上手くやってるんだろ?」 「……普通です。」 上手くやっているというよりは、上手くやらざるを得ないというほうが近い。 透が逃げ出したせいで、俺にまで逃げられるのは困るとでも思ったのか、放任主義の両親が嘘のように過保護になった。 頭の出来が透よりも悪いのは両親にとっても悩みの種のようで、何度ため息をつかれたのかも分からない。 俺なりには頑張ったつもりだが、結果にしか興味がないあの人たちに言い訳は通用しない。 全て透のせいだとさらに憎しみをバネに机に齧りついたおかげで、今は自由な時間と場所と金を与えてもらえている。 それがあのマンションで、好きに使っていいと言われているカードだが…… その期限は限られている。 そして、俺が進むべき未来も決められている。 「まーだ反抗期続いてんのか?」 苦笑いを浮かべながら、俺の頭をぐしゃりと撫でる。 その癖は昔と変わらず、この人にとって俺はまだまだガキなんだと思い知らされた。 「いつまでもガキ扱いしないでください。俺だって、もうすぐ成人なんですから。」 その手を振りほどきながらそう言うと、サボテンさんは細い目を丸くする。 「お前もついに成人か……。道理で俺も年をとるわけだ。」 「そこまで老けてはいないでしょう?」 ――確か、30代半ばくらいだろうか……? あの頃の記憶を逆算して考えてみたが、サボテンさんの年齢はもちろん、本名すら知らない。 祖父の弟子という曖昧な記憶しか残ってはいないが、信頼度で言えばかなり高かった。 なぜなら、祖父の葬式であそこまで取り乱して泣いていたのは、透とこの人だけだったから。 他の人は殺伐とした雰囲気があったし、遺産目当てか祖父の死を喜ぶ人も少なからずいた。 その中でまるで赤ん坊のように目を腫らし、声を出して泣きじゃくる姿を見かけた時に、どことなくほっとした。 身内以外で祖父の死を悼む人が1人でもいたことが、唯一の救いに思えた。 「若い子にそんなこと言って貰えるなんて、じじいは光栄でございます。」 目尻に細かな皺をつくりながらそう言って、白いカップを差し出される。 無言でカップに口をつけると、くらりと眩暈を覚えるほどに美味かった。 「……美味い。」 いつも自宅で飲んでいるものもこだわりをもってはいたが、それとは比べ物にはならない出来。 祖父の珈琲は幼すぎて味わったこともないが、遠い記憶に残る香りはこれに近いものだった気がする。 「だろ?お前のじいさんに仕込まれたんだから、当然だ。」 自慢気にそう話すサボテンさんを見つめながら、もう一度じっくりと舌の上で珈琲を味わう。 「あなたがこんなところで店やってるとは思いませんでした。」 「こんなところとは随分な言葉だな?」 新宿二丁目。 最近メディアでも多く報道されているせいか、この場所のハードルは昔よりは下がったとは思う。 それでも、この場所は俺から見て異様な空間だった。 白昼堂々怪しげな店が軒を連ね、会員制と表記された店がずらりと並ぶ。 5分程早歩きで通り過ぎているにも関わらず、その行く手を男に何度も阻まれた。 ここにいると嫌でも透の存在を思い出し、それと同時に大堀への苦い思い出も同時に記憶から引きずり出される。 自分の子供じみた感情を思い出すと、やたらと口の中が苦くなる。 それを誤魔化そうと煙草を銜えると、サボテンさんがタイミングよく火を貸してくれた。 「どうして、ここで店を?」 「どうして?」 不思議そうに紫煙を吐き出すサボテンさんに、直球の質問をぶつける。 「あなたもゲイなんですか?」 「ま、こんなところで店出すくらいだからなー……。」 一瞬、言葉を失った。 本人はもちろん親にも祖父にも友達にも、絶対に話せない透の秘密。 それを1人で抱え込むのに、俺はあまりにも幼すぎた。 誰にも相談をすることも出来ず、鬱々とした俺を開放してくれたのはサボテンさんだった。 カウンターの中に入ることを赦されていたのはサボテンさんだけで、顔は知っていたが挨拶すら交わしたことがない。 それなのに、心地よい空気に唆されて透のことを話してしまった時、確か彼は無反応だった。 俺の憎しみや怒りを煙草の煙と一緒に吸い込むと、無言で頭を撫でられただけ。 その人が透と同じ種類だとは、あの時には皆目見当もつかなかった。 あまりにも鈍感だったあの頃の自分を思い出し、俺は再び苦い口内を珈琲で濁す。 「……冴木さんとは、どういう関係なんですか?」 「あ?だから、透の彼氏だって。」 「そうじゃなくて……あなたと冴木さんの関係です。」 俺がそう尋ねると、煙草を灰皿に押しつぶしながらにやりと微笑まれた。 「気になる?」 思わせぶりに笑いながら、新しい煙草を銜えて火をつける。 「教える気がないなら、すぐに帰りますが?」 「言うようになったなぁ?昔は素直で可愛かったのに……。」 「昔から可愛げがないと散々言われてますけど。」 「なんだ。透と比べられて拗ねてんのか?」 その言葉に無言で見上げると、ため息とともに紫煙を吐き出してから話し始めた。 「悠哉とは、少しだけ関係を持っていた。」 「関係?」 「普通に肉体関係だけど、詳しく知りたいなら答えようか?」 にやにやと締まらない顔で笑う男に真顔を返し、頭を振る。 「いえ、結構です。で、その冴木さんが俺に何の用ですか?」 「それは、俺も詳しく知らねえんだ。」 「知らない?」 「なにせ、あいつと会うのは透を預けて以来だしなー。」 透がいなくなったことにこの人も一枚噛んでいたのかと驚きながらも、言葉の意味が分からない。 「預けた?」 「俺が人の世話なんて出来るわけがねえだろ?」 「見た目の割には、面倒見がよかったと記憶してますけど……。」 人のことを言える立場にはないが、愛想がない割にはいろいろ気にかけてくれていた気がする。 透とのいざこざも吐き出せたのはこの人だけだったし、親身になってなんだかんだと話を聞いてもらった。 いい意味で距離があり、いい意味で他人だった。 「本当に、お前らの年代は遠慮というものがねえんだな……。」 「は?」 「いや、ちょうどお前と同い年の知り合いがいてな。」 「……そんな年下にも興味があるんですか?」 若干引きながら見つめると、薄ら笑いを浮かべながら探るような視線を向けられた。 「確かにあいつにも興味はあるけど、別にとって喰おうなんて思ってねえよ。どちらかと言えばお前の方がタイプだ。」 そう言ってポケットからゴムを取り出すと、カウンターの上に静かに置かれた。 「……つまんない冗談はやめてください。」 この人と話していると、調子が狂う。 少し温くなった珈琲を味わっていると、サボテンさんがふと真顔で聞いてきた。 「やっぱり、男に興味はねえか?」 ないとはっきり断言してしまえばよかったのに、脳裏に大堀の顔がすっと浮かぶ。 妙な間を空けて言った言葉にはきっと効果はなく、むしろ疑いを深めてしまう。 この人相手に今更取り繕っても無駄な気がして、俺は言い淀みながらも胸のうちを明らかにした。 「もう、過去の話なので……。」 「へえ?透のことを毛嫌いしてた割には、ちゃっかり自分も染まってんじゃねえか。」 口端をあげる男に睨みをきかせ、言葉を続ける。 「あなたたちと一緒にしないでください。別に、何かあったわけじゃありません。」 「ま、別に勧めてるわけじゃねえし……。お前も家を継ぐ気なら、こっちに向かう必要はねえな?」 その言葉に、一瞬にして自分の立ち位置を確認する。 それと同時に、扉の開く音とともに足音が聞こえた。 「お、来たか。」 「サボ、久しぶりだな。待たせたみたいですまなかった。」 そう言って姿を現したのは、サボテンさんよりも随分年上に見える。 透と並べば、きっと援助交際にしか思えないような風貌。 髪には白髪が目立ち、こけた頬や深い皺が目立つ。 それでも男にはどこか気品があって、笑顔にも好感が持てるのが不思議だった。 ――こいつが、透の……? 想像とはかけ離れていた外見のせいか、言葉に詰まる。 そんな俺に対し、男はにこやかな微笑みを浮かべながら手を差し出してきた。 「初めまして、司くん……で、よかったかな?」 「……相葉で。」 「ああ、すまない。透と同じ苗字だから、なんだか変な感じがして……。冴木と申します。」 「どうも。」 慣れた様子で名刺を差し出す男をちらりと見上げると、男は変わらぬ笑みを浮かべながらカウンターに腰をついた。 「急に呼び出してすまなかったね。君に折り入って頼みたいことがあって。」 「頼み?」 初対面の俺相手に不躾すぎると思いながら男を睨むと、先ほどと同じように優しい笑みを浮かべながら言葉を繋げた。 「実は、俺はもう長くないから……。最後の頼みだと思って、耳だけ貸してくれないかな?」 男の言葉に信憑性は感じなかったが、サボテンさんの色を失くした顔を見て…… 言葉の重みを理解できた。 話すら聞く必要はないと思ったが、ばっさり切り捨てるにはあまりにもな気がして…… らしくない言葉を繋げた。 「なら、話だけ。」 俺がそう言うと、男は安心した顔ですらすらと話し始める。 男の話は、まるで子供がするような夢物語だった。 透を1億円で買ったなんてつまらない冗談まで交えながら、今までの透との関係やこれから自分がどうしたいのか…… どれだけ透を思っているのかを熱心に語られ、どんな顔をして聞けばいいのか分からない。 それでも、男の俺の願いはひとつだけ。 「病院への見舞いをお願いできないだろうか?」 親交のあるサボテンさんではなく、愛している透ではなく、ほぼ無関係な俺にそれを頼むのは的外れな気がしたが…… 死を目前にしている人の頼みに、簡単に足蹴にすることも出来ない。 面倒だったが仕方なく頷くと、男はうっすらと涙まで浮かべながらも喜んでくれた。

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