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第96話

冴木の病状も大分落ち着いてきた11月の半ば。 大堀は新宿でのバイトは辞めて、今月の初めから駅前にあるカフェでバイトを始めることになった。 しかし、相変わらずバイトに忙しく、週末に一緒にスーパーに買い出しに行くくらいしか外出は出来ていない。 毎週土曜日に冴木の病室に顔を出すと、決まって透が傍にいる。 ほとんど腰を落ち着けることもなく、顔を出すだけは出してはいるが…… 以前のように会話を交わすことはない。 冴木も透と一緒にいるからだろうか、前よりもむしろ元気になっているのではないかと思うくらい日に日に顔色がよくなっている。 そんな2人を見る度に嬉しい反面、複雑な気持ちにもなる。 年を越すことはないと医者から告げられているらしいが、この分ならひょっとするかもという淡い期待を捨てきれずにいた。 帰りにサボカフェに顔を出すが、サボテンさんは相変わらずで。 ぼんやりとした表情で淹れた珈琲はいつもよりも苦かったり薄かったりで、味が定まらないせいか…… 行く度に客足が遠退いている気がする。 それでもサボテンさんは毎日店を開け、冴木の病室を訪れることはない。 冴木のことを避けているのか、透のことを避けているのか もしくは、2人の時間を邪魔しないためかは分からないが、俺が話しかけても口を割ることはない。 まるで、出会ったばかりのサボテンさんに戻ってしまったように…… 表情筋はほとんど動かさず、気安く話しかけるなというオーラをびしばしと感じる。 *** 今日は金曜日。 既に行きつけになった大堀のバイト先で課題を片づけていると、隣に人の気配を感じて顔を上げる。 「司くん、久しぶり。」 「……あ。」 そこには、すらりとしたパンツ姿のあみさんが立っていた。 透との結婚が決まって以来、結衣さんにもあみさんにも顔を合わせていなかった。 どういう顔で話したらいいのか分からず、戸惑いながらとりあえずパソコンを閉じる。 「お久しぶりです。」 会釈しながら恐る恐る顔を見上げると、あみさんは意外にも穏やかな笑顔を浮かべていた。 この前飲んだ時と同じように人懐っこい顔で俺を見ると、何やら楽しそうに笑い始めた。 「もう、そんな顔しないでよ!」 バシバシと遠慮なく俺の背中を豪快に叩きながら、酒でも入っているかのようにけらけらと笑う。 「いや、でも……。」 「透くんはともかく、結衣が決めたことなんだから……。」 俺の隣に腰をかけると、どこか晴れ晴れとしたような表情に面食らった。 「吹っ切れたってことですか?」 「ん?何も聞いてないの?」 俺の質問に首を傾げると、きょとんとした表情でじっと顔を見つめられた。 「何が、ですか?」 「ああ、敵を欺くにはまずは味方からってことか……。」 「だから、何の話ですか?」 1人納得した様子のあみさんは俺の質問には答えず、にこやかな笑みを浮かべたまま軽く流される。 「ごめん、ごめん。気にしないで?」 そう言ったっきり、一向に口を割ろうとはしない。 ――いや、すげえ気になるけど……。 むしろ以前よりも機嫌がよさそうな彼女に腑に落ちないものを感じながら、気になっていたもう1人のことを探ってみることにした。 「そういえば、結衣さんは?」 「ん?今は一緒に暮らしてるよ。」 「え?」 てっきり別れたと思っていたのに、2人の関係はどうやら継続中らしい。 幸せそうなオーラ全開の2人のツーショット写真を、自慢げに見せてくる。 「親には、透さんと一緒にいるってことにしてるみたいだけど……。」 「そうでしたか。」 透も冴木んところに入り浸りだろうし、実家にいないのならそう誤解させておくほうが好都合だろう。 もうすぐ結婚するというのに、こんな感じで本当に大丈夫なのかと心配にはなるが…… 互いの関係には恋愛感情はないのだろうから、これが普通なのかもしれない。 「透くんも、今は忙しそうだし……。ええと、冴木さんだっけ?」 「ええ、まあ。」 「それに、仕事の方も決まったらしいから、本格的に忙しくなるんだと思うけど……。」 「ああ、あいつ……決まったんだ。」 「何も、話してないの?」 「まあ、忙しいんだろうなとは思ってますけど……。」 病室で顔を合わせても透は何も言わないし、俺も何も聞かない。 2人の会話をひたすら無心で流しながら、あの甘ったるい空気を耐えるだけで精一杯だった。 「あ、そうだ!この前の土曜日に結衣のウエディングドレス選んだりしてきたのよ?」 そう言って見せられた写真には、幸せそうな結衣さんのウエディングドレス姿と様々な色合いのカラードレス姿。 色鮮やかで幸せ満開の写真に、どう感想を述べればいいのか分からず、当たり障りのない感想を述べる。 「あー、綺麗ですね。ってゆーか、あみさんが選ぶんですか?」 「そりゃあ、結衣のものを透くんなんかに任せられないよ!」 透に対してライバル心があるのか、当たり前という態度で引く気は全くなさそうだ。 ――これ、結婚したら揉めそうだな……。 2人の結婚生活にあみさんがいる光景を想像して、他人事ながら透を不憫に思う。 「それに、今は婦人科通ってるしね。」 「婦人科?」 「ほら、妊活しなきゃだから。」 「……妊活。」 「タイミング合わせるのも、お金とかも結構かかるみたいなんだけど……透さんの家も結衣の家も切望しているから。」 「子供、本気なんだ……。」 「そりゃ、そうでしょ?私も楽しみだもの。」 そう言ってにこやかな笑みを浮かべるあみさんの心情が、俺には全く分からない。 「……あみさんが?」 「だって、結衣の子供だよ?絶対かわいいに決まってるじゃない!」 「それで、いいんですか……?」 「子供生みたいっていうのは、結衣の昔からの夢だから。私も応援してるわよ。」 「そうですか……。」 「まあ、私と結衣の子供が欲しいっていうのが、本音だけどね。」 「ですよね。」 複雑な心中ではあるのだろうが、彼女は子作りにも結婚にも前向きらしい。 それはとても彼女らしくも思えたが、本当にこのままでいいのかどうかはよく分からない。 「司くんは?」 「え?」 「なんだっけ?お父さんに紹介されてるんでしょ?」 「あー、そういえば……。」 あみさんに言われて、親父からメモを受け取ったままだったことを思い出した。 どのコートかも覚えていないが、くしゃくしゃになっていることだけは想像が出来る。 ――あー、すっかり忘れてた……。 そうは思っても、焦る気持ちは全くない。 常識がないとかで振ってくれる方が、俺としては有難いのだから。 「ああ、そっか。付き合う直前の子がいるんだっけ?」 「直前でも……ないかもしれないんすけど。」 嫌いじゃない以上の言葉は、結局大堀からは聞けていない。 曖昧に濁されている気はするが、しつこく追求したところで簡単に堕ちてくれるとも思えない。 前に口説けと言われたが、今までそんなことをしたことがないせいか…… どう迫ればいいのか想像できない。 「デートしたんでしょ?上手くいかなかった?」 「一緒に住んではいて、告白も済ましてるんですけど……言い回しが回りくどい奴なんで。」 「……ふーん?」 あまり伝わってない気もするが、彼女は何度か頷きながら身を乗り出してきた。 「あ!写真ないの?」 「写真?」 「ほら、撮ったりするでしょ?」 「……したことないですけど?」 「デートまでしてるのに?」 「……必要ですか?」 ほとんど一緒にいるのに撮るタイミングもないだろうと思うのだが、あみさんは落胆したように深いため息をつきながら熱心に説明を始める。 「当たり前でしょ?いないときにそれ眺めて幸せな気持ちになれるし、何回見返しても飽きないもの。」 「はあ……。」 今そこで働いてますと言いそうになったが、それを言うより先に背中に声を掛けられた。 「相葉?」 「あ、お疲れ。」 いいタイミングだと思いながら振り返ると、大堀はいつものような笑顔は見せない。 「こんばんは。」 「……こんばんは。」 快活なあみさんの挨拶にもぼそぼそと答え、人見知りしているのかあまり視線を合わすことなく俯きがちだ。 ――なんか、機嫌悪いのかも……。 「ええと、これが大堀。で、こっちが……。」 そうは思ったが、とりあえずあみさんに大堀を紹介している最中に…… 大堀がペコリと頭を下げる。 「邪魔してすみません。」 そう言うと、くるりと背を向けて店を出て行ってしまう。 「ちょ、大堀?すいません。俺、帰ります。」 既に店を出ている大堀を追うために、出しっぱなしだったサーフェスを急いで片づけていると…… あみさんが鋭い指摘をする。 「……もしかして、一緒に住んでる?」 「え、あー……はい。」 俺の言葉ににこりと微笑むと、何が楽しいのかにやつきながら再び背中を叩かれた。 「お幸せにねー。」 満面の笑みに会釈を返し、すたすたと早いスピードで歩く大堀の背中を追った。 「おい。」 ようやく追いついてそう声をかけても、大堀は速度を緩めることはない。 まるで聞こえていないかのように1人で歩く大堀の背中に少し触れても、こちらを振り返ることはない。 「おいって……!」 少し強めに肩を叩くと不愉快そうに手を払われ、憎しみを込めた目で睨まれた。 その眼圧に気後れしながらも、大堀の隣を歩く。 「さっきのが、この前紹介された人?」 「は?いや、そうじゃなくて……。」 「少し年上みたいだけど、キレイじゃん?」 「……え?」 「よかったね?おめでと。」 そう冷たい声で言うと、先ほどよりもさらに足のスピードを上げる。 「なんか、機嫌悪くね?」 「別に、普通だけど……。」 無言でまっすぐ前を向く大堀に、なんて声をかければいいのか分からない。 まるで競歩でもしているかのようなスピードで歩いていると、いつものコンビニが目に入り声をかける。 「あの、さ……プリン買ってく?」 大堀お気に入りのプリンがあったはずと腕を引いても、大堀は前を向いたままこちらに視線すら寄越さない。 「いらない。」 「……ケーキ買ってやろうか?」 甘い物が好きだったからこれで少しは機嫌が戻るかと思いきや、今度は急に立ち止まって俺を見上げると…… 鋭い目つきのまま淡々と話す。 「いい加減、食べ物で釣るのやめろよ……。俺は動物じゃねえんだから。」 いつもなら尻尾振って機嫌を直すくせに、今日は一段とタチが悪い。 この空気のまま家に帰るのも躊躇われるが、どうすれば回復するのかも分からない。 食い物以外で大堀が喜びそうなことなんて思いつかず、何か話すだけでさらに大堀の機嫌が悪くなりそうで…… 迂闊なことは言えない。 食い物で釣られない時は、ひたすら大堀の怒りが収まるのを待つしかない。 ――なんか、いつもよりも長引きそうだ……。 この様子だと、ベッドに並んで寝ることも拒否されそうだ。 いつになったら元に戻るんだろうと考えながら、空を見上げる。 陽が落ちたせいか、大堀からの風当たりが強すぎるせいか…… 頬に当たる風が余計に冷たく感じる。 隣をみると、大堀の耳がいつも以上に赤く見えた。 あまりにも痛そうで触りたくなったが、今触っても振り払われるのがオチだと思うと…… なかなかその勇気は出ない。 躊躇った末、泳ぐ指をポケットに突っ込む。 ため息をつきながら煙草を銜えると、大堀が俯いたまま何かを囁いた。 「……愛人、やっぱ嫌かも。」 風の音と車の騒音にかき消され、大堀の言葉がよく聞き取れない。 「何か言った?」 俺の言葉にはちらりと視線を向けただけで、言い直すことはない。 まだ機嫌が悪いんだなと思いながらライターで火をつけると、大堀の指が軽く触れる。 たまたまぶつかっただけかと思ったが、俺が指を絡ましても外す素振りはない。 前を向いたまま何も言わない大堀に首を傾げながらも、2人手を繋いだまま家に向かった。

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