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第1話
「あの……さ、好きなんだけど。」
その言葉を聞いて、俺は文字通り頭が真っ白になった。
なぜなら相手は3年間つるんだ同性の友達で。
一緒に何度も飯食って、カラオケ行って、修学旅行じゃ一緒に風呂まで入って。
――それなのに、好きって何?
中二病みたいな言葉がぽんと浮かび、さっきまで友達だったはずの佐々木の横顔をじっと見つめる。
佐々木は俺の言葉を辛抱強く待ちながら、自分の指先に視線を向けていた。
妙な緊張感に包まれているのは、ここが俺の部屋であり、ふたりが寄りかかった背中にはベッドがあって、俺と佐々木のふたりしかいないという……このシチュエーションのせい。
明日から大学生になるし、学校も違うからなかなか会えなくなるなぁってしんみりしてたはずなのに、この流れは何なんだ?
音もない空間で、しかもふたりっきりの密室で。
好きと言われたところで「はい、そうですか~」的ラブロマンスになるわけもなく、かといってさらりと流すには間をあけすぎた。
なんて答えればいいのかためらっていると、佐々木が身じろぎした拍子に互いの指先が少し触れた。
たったそれだけのことなのに、髪の先まで敏感になった俺にとって、それは十分すぎる刺激となった。
自分でも過敏だとは思ったが、気が付いた時には思いっきり佐々木の手を振り払っていた。
そんな俺を見て、佐々木が小さなため息をひとつ。
傷ついた表情で苦笑いを浮かべる佐々木に向かって、俺はまだ一言も伝えていない。
――伝えなくちゃいけない言葉があるのに。
「あの、矢野?」
「佐々木……ごめん。」
佐々木の目を見ることもなくそれだけ伝えると、佐々木は大きな声で笑った。
予想外の明るい声に顔を上げると、佐々木はいつものくしゃっとした笑顔を向けていた。
「いや、俺のほうこそごめん。言っておきたかっただけだから。」
そう言って和やかに微笑むと、テーブルの上にある温くなったコーラを一気に飲み干す。
「佐々木。」
「本当、返事とかいいから。で、バイトどうする?俺は駅前の居酒屋狙ってんだ。あそこ時給高いじゃん?」
俺の言葉を遮って、佐々木がひとりで話し始める。
いつもはどちらかと言えば無口な方なのに、ぺらぺらと話す佐々木に違和感を感じた。
「矢野は居酒屋とか向かねえよなぁ。愛想ねえし。だからバイトは俺と別にしろよ。」
そう言って、俺が佐々木の手を振り払ったのと同じように、佐々木も俺にしっかりと線を引いた。
「愛想なんて、お前だってねえじゃん。」
「矢野よりはまし。お前はかてきょとかいいんじゃね?頭いいし、子供や親に好かれそうだし。」
そう言って楽しそうに笑いながらも、俺と一向に視線が合わない。
「佐々木。」
「何?」
「さっきの……さ。」
「ああ、もういいよ。」
「え?」
「あ、そろそろ帰るわ。見たいテレビあるし。」
「は?」
日曜日のこの時間は、競馬やゴルフくらいしかやっていないし、佐々木が興味を引かれそうな番組はやっていないはず。
高校生活3年間ずっとつるんでいたのだから、それくらいは分かる。
「なんか、悪かったな。大学でもがんばれよ。」
「なんだよ、その他人行儀な感じ。」
「他人じゃん。何言ってんの?」
そう言って豪快に笑う佐々木に、すーっと身体の芯が冷たくなった。
――なんだよ、3年も一緒にいたのに……。
高校が終わったら「はい、さよなら~」って終わるような関係だったのかよ。
これからも、大人になっても隣で笑いあってる関係でいたかったのに。
勝手に告ってきて、勝手に傷ついて、勝手に線引いて、全部勝手で腹がたつ。
佐々木はテーブルの上に散らばったゴミを律儀に片付けながら、いつもの調子で軽口をたたいてきた。
「ほら、矢野もさっさと彼女作って童貞も卒業しろよ。」
「佐々木だって童貞じゃん。」
「うっせえな。」
佐々木は不機嫌そうにそう言いながら、すっと立ち上がった。
俺よりも視線は2センチ程高く、柔道部の元主将ということで体格もがっちりとしている。
見た目は男らしくて、でも心は結構ナイーブで傷つきやすい。
だから、俺が思っているよりも、手を振り払われたことを気にしているに違いなかった。
そのことに気が付いてはいるものの、なんて言っていいのかもよく分からない。
だって、童貞だから。
「佐々木?」
その場で立ち尽くしている佐々木が気になって声をかけると、少し伸びた前髪が表情を隠していた。
項垂れたままの佐々木の顔を覗き込むと、なぜか目に涙を浮かべていた。
――ごめん。
その一言がなかなか言えなくて、伝えなくちゃいけない言葉も伝えていない。
さっきから何をしても空回りしているし、恋愛経験0の俺にこの状況は難易度が高すぎる。
「……泣くなよ。」
佐々木の前髪を耳にかけてやると、俺の手の甲が濡れていた。
今まで柔道バカの短髪だったくせに、急に色気出して髪を伸ばしたと思ったら……相手は俺かよ。
俺のせいで泣かせているのに、俺のせいで泣いてくれることが嬉しく思う。
――勝手なのは、俺のほうだ。
「……ぜえ。」
「は?」
さっきまでぼろぼろ泣いてたくせに、俺がにやついていたのが気に入らなかったのか、急にガンをつけてきた。
「矢野、うぜえ。」
「なに、その情緒不安定。すげえ扱いずらいんだけど……。」
「人がせっかくあきらめてあげようとしてんのに、何?」
「は?」
俺の手首をがしっと掴むと、そのままベッドサイドまで引きずられた。
佐々木に掴まれた接合部を眺めていると、身体の芯からじわりと熱を帯びる。
佐々木は試合でもしているかのような迫力で派手に足払いをすると、万年帰宅部の俺は簡単にベッドに背中をつけた。
見事な一本。
「俺が好きっていうのは……さ。」
「こういうのも含まれるから。」
「佐々木……。」
佐々木が俺の上に跨りながら、苦しそうにそう告げた。
その大胆な行動とは裏腹に、肩は小刻みに震えている。
「だから、もう……構うな。」
佐々木はぴしゃりと言い切ったのに、顔はくしゃくしゃに歪んでいる。
俺の頬に佐々木の涙が落ちて、でかい身体を丸くして泣く佐々木を見上げながら、俺はどうしたらいいのかを必死に考えていた。
――これ、どうすりゃいいのかな……。
佐々木を慰めてあげたいけど……試合に負けたとか、試験に失敗したとか、そんな慰めしかしたことがなかった俺にとって、この状況は予想外だった。
男らしい見た目のわりに繊細な佐々木は、同性に告白なんてハイリスクなことをするタイプでは絶対ない。
ずっと友達のままで傍にいれたらいいのにって、俺はそれだけを考えてた。
今までお互い彼女もいなかったし、恋愛話もしたことなかった。
佐々木とは何を話さなくても隣で座ってるだけで安心できて、何時間でも一緒にいられた。
臆病で……でも、優しくて。
試合の時はすげえ恰好よくて、負けた時の凹みっぷりは本当に女々しくてダメダメで。
笑った時のくしゃっとした顔とか、凹んでるときにじっと指先を見る癖とか……。
――あ、さっき俺に告った時に指先見てたな……。
佐々木との過去を目を閉じて思い出していると、また頬に涙が落ちて目を開けた。
臆病なのは俺のほうで、変わることを怖がっていたのは俺のほうで、佐々木とのこれからを夢見てた乙女も俺だった。
だから、こんなことは想像もしてなかったけど……俺も伝えなくちゃいけないことがある。
そう覚悟を決めて佐々木を見上げると、佐々木は顔を赤くして泣いていた。
「……いいのか?」
「何……が?」
「俺に彼女できて、いいのか?」
「え。」
隙だらけの佐々木の腕を引っ張ってベッドに転がすと、佐々木が目を見開いてこちらを見つめていた。
ちらりと捲れたシャツの隙間から、鍛え上げられた腹筋がのぞいている。
「俺も好きだよ。」
「……は?」
俺がその言葉を伝えると、佐々木がこちらを見つめたまま固まってしまった。
「佐々木……?」
佐々木の瞳から溢れた涙を拭ってやろうと手を伸ばすと、佐々木が俺の指を叩き落した。
デジャブ。
まるで、さっきの自分を見ているようだ。
「あ、ごめん。」
「ほら、佐々木だってそうなるじゃん?」
「え。」
俺の言葉に佐々木もようやくそのことに気が付いたようで、はにかんだように微笑む。
自分よりも縦も横もでかくて筋肉質な男が可愛いだなんて、きっと俺以外誰も気がついてはいない。
だけど、佐々木がこんなにも可愛いことは誰にも気付いてほしくない。
「な?俺も、急に言われたからびびったっていうか。」
一旦気持ちを吐き出してしまうと、それからは素直に言葉が溢れてきた。
「でも、ぶったじゃん。」
「は?」
「手、思いっきり叩いたろ?」
「あれは、反射っていうか……さ?ごめん。」
そう言うと、佐々木が大きなため息をひとつ。
また泣くのかと内心びくびくしていると、佐々木が思い切り笑い出した。
「ドン引きされるか軽く流されるか、どっちかだと思ってた。」
そう言って、泣いてんだか笑ってんだか分からない顔で俺を見る。
「やっぱ、お前って格好よかったんだなぁ。」
「は?」
「臆病者だから絶対お前からはないと思って、油断してたわ。」
「なんだよ、それ……。」
不服そうな顔で睨む佐々木を見つめていても、俺の口元はだらしなく緩んでいる。
「だから、かわいいって言ってる。」
そう言うと、耳まで赤くしながら顔を強張らせた。
体格がどうとかじゃなくて、この澄んだ瞳とか、くしゃっと笑う顔とか、まっすぐに挑んでいくその心意気とか……佐々木の全部に惚れていた。
佐々木をじっと見つめていると、思い切り頬を引っ張られた。
「お前、誰だ?」
「あ?佐々木が大好きな矢野様だろうが?」
「絶対違う。矢野はそんな甘い言葉言わない。」
「言う言う。何度でも言ってやるよ。」
そう言って、嫌がる佐々木の耳元で声を落として囁いた。
「佐々木、かわいい。」
さらに赤く染まっていく佐々木を見つめていると、口元がどんどん緩んでいく。
佐々木の前髪を指に絡ませて、照れた佐々木を至近距離で観察していると、佐々木が急にキレ始めた。
「俺で遊ぶな!」
「いいじゃん。両思い同士仲良くしようぜ?」
「なんなんだよ、お前……。」
項垂れた様子の佐々木を見つめながら、コーラを口に含む。
炭酸の抜けた甘いだけの飲み物でも、佐々木と一緒なら何でも美味い。
「なあ、佐々木。もう一回言って?」
「え?」
「好きだって、言えよ。」
そう言って促すと、佐々木は眉間に深いしわを寄せながら俺を睨んでいる。
そんな顔で睨まれても、少しも怖いとは感じない。
怖い先輩として有名だった佐々木だが、俺の目には生まれたばかりのトイプードルのように今も愛らしく映っている。
「もう一回。」
そう言ってさらに詰め寄ると、唇に風が掠めた。
「あ。」
一秒にも満たない上、触れたかどうかも分からないという微妙なもので、ファーストキスの思い出にしては薄すぎる。
でも、佐々木は恥ずかしそうに俯いてるし、唇に触れた温もりは微かに残っている。
「もう一回。」
佐々木の頬を包み込んで今度は俺から唇を重ねると、微かにコーラの香りがした。
一度唇を離すと、至近距離で佐々木と視線が交わる。
お互い照れくさくなって視線を外したが、俺の背中に佐々木のごつごつとした指先が触れた。
いつも澄んだ瞳で見つめる佐々木の瞳に、俺と同じようにぎらぎらとした気持ちがあることに気が付くと
ふわっとした柔らかいものに包まれたかのように、身体が暖かく、心が痺れる。
そのことが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり
悟られないように佐々木のことを思い切り抱きしめ、厚い胸板に顔を隠した。
密着した身体は湯気が上る程火照り、唇から漏れる息に理性を失う。
コーラ味がなくなるまで甘い唇をたっぷりと味わいながら、ちらりと見えたシャツの裾に手を忍び込ませた。
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