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第1話
※兄弟愛が含まれますので、苦手な方はご注意ください。
無垢な寝顔を見下ろしながら、5つ下の弟である凌の髪をそっと撫でた。
昔から少し猫毛で、ふんわりと柔らかな髪。
微かに汗ばんだ髪を指先に絡ませていると、凌が身じろぎしてから寝返りを打った。
テレビはつけっぱなしで、雑誌は床に落ちていて、クーラーはついているのにドアは開けっ放し。
相変わらずの行動にため息をつきながらも、変わらない性格に嬉しくもなる。
随分でかくなった身体は狭いソファにおさまるわけもなく、ぶらぶらと空を蹴っていた。
気持ちよさそうに眠る凌に文句を言えるわけもなく、雑誌を拾ってテレビとクーラーを無言で消した。
来年には高校生になるっていうのに、腹を出しながらだらしなく眠る弟の姿に思わず笑みがこぼれる。
「凌、風邪ひくぞ。」
そんな声では絶対起きないような小さな声をかけて、凌の部屋からタオルケットを引っ張ってきた。
もともと一度眠ればなかなか起きない凌だが、今日はいつもよりも深い眠りについているのか……ほとんど動かずに眠っている。
昔から可愛くて、俺の後ろをちょこちょこくっついてくる姿に目じりを下げていた。
凌の下にはもう一人弟がいるが、その弟には凌ほどの感情はない。
だからこそ、凌に対する感情が確かなものだと気が付いた。
「……ブラコンか。」
子供のころから周りに言われ続けてきた言葉だが、凌の俺へのブラコンも凄かった。
どこまででも一緒についてきて、小学生の俺の教室までくっついてきた幼稚園児の凌が可愛くて仕方なかった。
そんな凌も、もうすぐ高校生。
年をとることに反比例して、俺と一緒に出掛ける機会も減っていく。
その反対に、凌は自分の友達と遊ぶ機会が増えた。
俺の背中を追うよりも、女の尻を追うことが楽しくなっている年頃。
もしかしたら、もう彼女がいてもおかしくない年頃。
凌の成長が楽しみな反面、すごく怖い。
兄弟という関係だから、年をとっても近くにはいられる。
だけど、俺よりも近い存在ができることが怖くて仕方がない。
しかも、それが近い将来に起こるであろうことが、怖くて仕方がなかった。
二歳児がいやだいやだと駄々をこねるように、俺も床に転がって主張したい。
むしろ、怖いというよりも嫌なのだ。
凌が誰かを好きになることも、誰かが凌を好きになることも。
単なる俺のわがままだけど、すごい嫌なんだ。
誰かに凌を盗られることが、嫌で嫌で仕方がない。
ずっと、俺のものだったんだから、これからも俺のものであってほしい。
俺の願いはたぶん叶わないし、通常の感覚からは大分ずれているという自覚もある。
だからこそ、誰にも話せない。
誰にも話さない。
別に、誰かに分かってほしいとも思わない。
同い年の友達が女の話をするたびに凌のことを思い出し、胸の辺りがいがいがとして苦しくなる。
この思いをブラコンなんて、そんな簡単な言葉で括らないでほしい。
違う。
絶対、違う。
ブラコンではなく、好きなんだ。
恋愛対象として、愛おしくてたまらない。
凌の寝顔を見ているだけで、苦しくてたまらない。
「翔、何してんだ?」
掠れた声に顔を上げると、ドアの傍に一番下の弟である和也が立っていた。
まだ中学1年のくせに、大学生の俺を呼び捨てにする。
最近声変わりが始まって、声が掠れることが増えてきた。
生意気で、ふてぶてしく、可愛げがない。
部活帰りの重そうなカバンを肩にかけなおし、ゆったりとした足取りでソファに近づいてきた。
「なんだ……凌もいたのか。ちっちぇえから気がつかなかった。」
ソファをひょいと覗いてから、そう言って微笑んだ。
和也も相当なブラコンで、俺にとっては邪魔な存在でしかない。
俺に対しても敵対心むき出しで、いつも同じラインに並ぼうと背伸びをする。
「これ、あんただろ?」
「ああ。」
目ざとくタオルケットを見つけた和也は、呆れたような目で俺を睨んだ。
きっと和也は俺の感情に気が付いていて、だからこそ軽蔑するのも分かる気がする。
だけど、気が付いてるんだろうか?
お前だって、俺と同類ということに。
俺のことを牽制しながら、凌のことをそういう目で見ている。
だから俺にとって、お前は邪魔な存在なんだ。
「本当、凌に甘いよなぁ。」
「なんだ。お前も甘やかしてほしいのか。」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ。」
心底嫌そうに顔を歪め、冷蔵庫から出したウーロン茶を美味そうにラッパ飲みした。
「ま、凌並に可愛ければ可愛がってやらなくもない。」
「うぜえ。」
乱暴に冷蔵庫の扉を閉めると、つかつかと俺のほうに近づいてきた。
いつもよりも声のトーンを落とし、諭すように話し始める。
「なあ、そろそろ放してやれよ。」
「は?」
言葉の意図には気が付かないふりをして、澄ました顔で和也を見ると、苦々しい顔で俺を見つめていた。
「もう、いいだろ?」
「何が?」
何も、よくない。
「もう、そろそろ……引けなくなってんじゃねえ?」
――そんなの、もう遅い。
最初から引ける思いなら、もうとっくに引いてる。
それが出来ないから、こうやって甘やかしながら傍にいるんだ。
「つまんないこと言ってないでさっさとシャワー浴びてこい。汗臭い。」
「その間に変なことすんなよ。」
しつこくしつこく念を押してくるのがいい加減うざくて、和也の揚げ足をとるように俺も仕掛ける。
押されるだけっていうのは、どうも俺の性に合わない。
「変なことって?」
「だから、それ……は。」
しどろもどろになりながら、一気に顔を染める和也の顔を観察していると……凌が小さく吐息を漏らす。
凌に気をとられていると、和也はつま先を見つめたまま固まっていた。
中学生の分際で、セックスもしたことないガキのくせに、大学生の俺と肩を並べようなんて百万年早い。
いや、まぁ……中学生相手にムキになる俺のほうが子供なのかもしれないが。
でも、だからこそ、この気持ちは本気ってこと。
誰にも邪魔はさせない。
誰にもあげない。
凌は俺のものだ。
「で、変なことって何?」
「うっせえな!」
逆切れしながら真っ赤になる和也を白い目で見つめてから、凌のタオルケットを直してやった。
凌が起きないことだけを気にかけながら、和也を睨む。
「うるさいのはお前だ。」
和也に何を言われても痛くもかゆくもないが、凌には1ミリたりとも嫌われたくない。
好きになってほしいなんて、そこまでのわがままは言わない。
だから、嫌いにはならないで。
ずっと、近くにいさせて。
「翔、本当にやめとけよ。」
「あ?そんなに溜まってんなら、相手になってやろうか?」
そういって微笑みながら近づくと、俺の横をするりと通り過ぎる。
前に一度だけ、あんまりしつこく突っかかってくるから、無理やりディープなキスを仕掛けてからというもの、俺が近づくと逃げるようになった。
俺のおまじないが今でも効いているらしい。
「……風呂入ってくる。」
「ごゆっくり。」
誰に聞こえるでもなくそう呟いて、凌の髪をそっと撫でた。
凌の息遣いだけが聞こえる空間に、俺と凌のふたりきり。
絶対に踏み超えてはいけないボーダーライン。
そのラインは踏まないと、凌への気持ちに気が付いてから決めていた。
踏み超えてしまったら、すべてを失ってしまう。
それでも、すべてを失ってでも欲しいと思ってしまうこの感情は本当に厄介で。
この衝動を抑える術をまだ知らない。
「なあ、凌……いいことしちゃう?」
凌の髪を撫でながら、静かにそう問いかけた。
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