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裏切りという名のペルシャ猫

 ざわざわとした人いきれに身を任せるのは、心地良い。久しぶりの『パーティ』だ。俺は腹を減らした肉食獣みたいな目付きで、帝央ホテル一の大ホール、艶華の間を見渡した。  この関東一デカくて豪奢な艶華の間を、丸ごと借り切れるなんてスポンサーは、そうそう居ない。今日のホストは、帝央ホテルの会長。つまり、サラリーマンで言えば自社ビルでの会議みたいなもんだから、艶華の間はその名の通り壁際に艶やかな花が飾り付けられ、華々しい衣装で着飾った見知らぬ人々で溢れていた。  この立食パーティに参加出来るのは、一定以上の社会的ステータスと財力を持った人間だけだ。俺は小さいながらも、IT企業の代表取締役をやっている。まあ、親の用意した会社だけどな。そんな風に胸の内で独りごちて、皮肉っぽく片頬を上げる。  手にしたシャンパングラスに口をつけると、独特の風味と炭酸が舌の上に弾けた。  ふん。今日のシャンパンは、サロンか。あの狸爺、こんなパーティを開く好き者のくせに、センスは悪くない。  グラスを下ろし、人波に目を凝らす。俺はダークブラウンのスリーピースの首元に締められた、ワインレッドのネクタイが曲がってないか確かめた。大事なサインだ。  この帝央ホテル会長主催の立食パーティは、今まで二~三週間に一回は行われてきた。招待客は男性ばかりで、女性は男性の同伴に限り立ち入る事が許される。  そしてもうひとつ、条件があった。『ネクタイは無地である事』。それを不思議に思っている内は、まだこのパーティの本当の意味でのゲストじゃない。  立食パーティなのに、食事を楽しむ事も、歓談する事もせず、ただシャンパングラスを持って壁の花を決め込んでいる、『柄』もののネクタイの男性が居る事に気が付くまでは。  俺もこのパーティに『参加』するまで、一年かかった。  それからは欠かさず参加してきたが、三ヶ月前、狸爺が入院してからはパーティの質も落ち、食指が動かず火照る身体を持て余してた。  今夜は、狸爺が退院してきて初めてのパーティだ。壁の花も、競って咲き誇ってる。  だけど、三ヶ月ぶりを、無難な獲物で妥協したくなかった。俺は、大ホールの壁に目を走らせる。  その時。映画『モーゼの十戒』のワンシーンみたいに、人波が一瞬割れて、その先に目当てのものが微笑んでた。  まるで初めから俺を見てたように、ハッキリと目が合う。パープルアイズと。  人を選ぶから大胆な色使いと言えるホワイトのスリーピースの首元には、瞳の色に合わせたものか、ライトパープルとブラウンのストライプのネクタイが締められてた。  右手にはシャンパングラス。スラックスのポケットに入ってた左手がゆっくりと上がって、先の俺みたいに、『柄』もののネクタイを直してみせる。そのまま流れるような動きで、長めに伸ばされたプラチナブロンドを耳にかけた。  血統書付きのペルシャ猫。それが、第一印象だった。  だけど明確に見えたのはその一瞬で、また人波が行く手を阻む。気付くと俺は、ぶつかりそうになる肩をかわして、ほぼ一直線に大股でそこを目指してた。  こんな上玉には、もう逢えないかもしれない……。だが鼻先の差で、禿げ親父が彼に声をかける。ペルシャ猫は、苦笑した。 「ゴメンナサイ。ニホンゴ、ワカリマセン」 「言葉なんか分からなくたって、いいじゃないか。男が欲しいんだろう? 金なら……」  俺は禿げ親父の肩を、後ろから思い切りわし掴んだ。 「なっ、何だ!?」 「失礼。それは、ルール違反だ。会長に知らせたら、もう貴方に招待状はこないだろうな」  そして耳元で、囁いた。 「今すぐ消えれば、黙っておいてやる」 「ぐっ……」  禿げ親父は、シャンデリアの光を乱反射する頭の先まで真っ赤にしたが、すごすごと退散していった。  パーティを楽しく過ごすには、マイナールールが必要だ。  俺はほぼ同じ高さのパープルアイズと目を合わせて、紳士的に微笑みながら、ペルシャ猫に声をかけた。 『やあ、楽しんでるかな』 『ええ』  大学はイェールカレッジだったから、ネイティブな発音の英語で話す。  ルール、その一。まず、花を誉める事。  壁際には、色取り取り様々な種類の花が飾られていたが、彼の横には白いカラーの花が柔らかくしなってこうべを垂れ、品のいい美を競っていた。 『美しい花だ。薔薇ほど嫉妬深くなく、蘭ほどお喋りじゃない』  彼は、クスリと笑った。少し、気障が過ぎただろうか。 『素敵な誉め言葉だ。嬉しいね』  切れ上がったまなじりが、うっとりと笑む。好感触だ。  ルール、その二。乾杯で、返事を引き出す事。 『お近づきの印に、乾杯して頂けるかな』 『……何に?』  ペルシャ猫は、面白そうにちょっと焦らす。ここでがっつく奴はお断り、って事か。 『君の、深淵のようなパープルアイズに』  今度は、小さく噴き出した。 『ふふっ。よく、そんな台詞が真顔で言えるね。……いいよ。乾杯』 『ああ、乾杯』  シャンパングラスを軽く掲げて、俺たちは一息にサロンを干す。何処からともなくウェイターがやってきて、シルバーのトレイに空のグラスを下げていった。 『部屋は?』 『まだ取ってない。お望みなら、最上階のスイートでも取ろうか』 『いいや。日本って地震が多いじゃないか。高ければ高いほど揺れるから、下の方がいい』 『仰せのままに』     *    *    *  そうして取った、六階の部屋に入った途端、ペルシャ猫は俺のネクタイをぐいと引いて、口付けを強請った。でも、さっきの仕返しだ。俺は流されず、いったん僅かに身を離す。  互いに間近で見詰め合って、物欲しそうな唇を見て、また見詰め合う。何度か繰り返したあと、ゆっくりと、ぺろりと一度、唇を舐め上げられた。  胸板に掌が当てられて、徐々に力が加わる。俺は押されるに任せて、キングサイズのベッドに腰かけた。スプリングが細やかに軋む。 「……名前は?」  ペルシャ猫は、片言でなくハッキリと訊いた。 「日本語、話せるのか?」 「ああ。禿げ親父が、好みじゃなかっただけ」 「言うな」  ただの愛玩用ペットではないらしい。俺は久々の手応えに、くつりと笑った。 「名前は?」  逆に問い返す。このパーティは、一夜の夢幻(むげん)がルールだ。名前など、ほんの数時間の記号に過ぎない。 「アダム」  俺のネクタイを解きながら、面倒臭そうに呟かれた。 「はは。林檎をかじったあとの、アダムだな。いつも、その名前なのか?」 「ああ。んっ……」  首を傾け下から掬い上げるように唇を合わせて、上下に軽く揺さぶりながら、しっとりとした感触を食む。 「んっ……ふ。あっ」  俺の股間の隙間のベッドに片膝を乗り上げて、覆い被さってる尻の膨らみを、両手で痛いほど掴み上げた。 「俺にとってお前は、三ヶ月ぶりの『スペシャル』なんだ。名前くらい、『特別』にしてくれよ……」  白い耳の輪郭を舌でなぞると、白人特有の淡いピンク色に、そこは染まった。 「じゃあ……ユダ」 「クリスチャンなのか?」 「まさか」  ベストとワイシャツのボタンが、外されてく。あまり積極的なネコに当たった事のなかった俺は、流れ落ちるプラチナブロンドを撫でて、成り行きを楽しんだ。 「ユダが何なのかは、分かってるか?」 「裏切り者?」 「ああ。知ってたか」 「アンタは? 特別な名前をくれる?」 「ああ、そうだな……ジュン」  咄嗟に考えて出たもので、特に意味はなかったが、ユダ(仮)は、俺の胸筋の谷間に唇を滑らせながら訊いてきた。 「純粋の純? 潤すって字?」  床に膝をつき、頭が股間に下がって、器用に歯でジッパーを下ろす。眼下のその光景はひどく扇情的で、三ヶ月ぶりだというのも手伝って、舌で下着の前をかき分けられると、すぐに興奮した息子がぷるんと飛び出た。 「ただのジュンだ。意味なんてない。そうだろ」  語尾が少し震えた。驚くほど巧みな口淫が、始まったから。ジュルル、とわざとすするようにして、七~八回頭が上下する。 「はぁ……」  思わず吐息を零すと、口に含んだまま上目遣いに目が合って、裏筋を辿るように舌を出しながら顎が上がった。唾液が、糸を引く。 「じゃあ、僕が潤してあげるよ。潤。腰、上げて」 「ん」  言われた通りにすると、下半身を脱がされた。ご丁寧に、靴も靴下も脱がせてくれる。 「んっ……お、おい」  百戦錬磨の俺とした事が、動揺してしまった。足の親指も口に含まれたから。指の股にも、丁寧に舌が這う。未知の感覚だった。 「そこまでしなくていい」 「気持ちよくない?」 「気持ちいいが……水虫だったらどうするんだ」 「水虫ごと愛するよ」  本気を感じさせるユダの声色に、こいつはとんだ食わせ者だと舌を巻く。だけど思ってもなかった、告白が始まった。 「僕、潤が声かけてくれるの、待ってたんだ……何人もに誘われたけど、あのホールの中で、潤が一番タイプの顔だったから」 「ちょ、待て。何をする」 「言ったでしょ。潤してあげる。穴から玉の間って、舐められると凄く気持ちいいんだ。潤にも、してあげる」  止める間もなく、膝裏に手がかかって、M字開脚させられる。変な声が出そうになって、何とか唇を真一文字に結んで耐えた。 「んっ、ユダ……っよせ」  言った通りに舌が何度も往復して、確かに感じた事のない快感だった。だけど……タチのプライドみたいなものが、崩れ落ちていくような気もしてた。 「アッ!?」  ついに、声が裏返った。穴に舌がねじ込まれて。反射的に暴れようとしたが、驚くほど強い力で押さえ付けられる。  くちゅ、ぴちゃ……。いつもは俺が与えてる筈の熱が、俺の下腹を熱くした。 「っは・ンァッ」  自分のテクニックには自信があったが、ユダのいやらしい舌使いにも、翻弄される。ぐりぐりと奥を刺激されると、目が眩んで無意識に瞼を閉じた。ネコが何故『最中』に目を閉じるのか、分かったような気がする。一生分かる筈がないと思っていた感覚。信じられない事に、穴がはくはくとひくついてた。 「充分に潤ったね、潤」 「やめ、やめろッ! 頼む! やめてくれ!!」  思わず懇願していた。だけど叫びも虚しく、ユダの大きな息子が押し入ってくる。  間髪入れず、パンパンと肉のぶつかり合う音を立てて、ピストン運動が始まった。ただのピストンじゃない。前立腺を擦り上げるような、ひどく手慣れた犯行だった。 「ヒンッ・は・あ・アッ!」 「潤。気持ち、い?」  数え切れないほどの男と身体を重ねたが、後ろはまだ処女だった。無理やり奪われる喪失感と、何より奥の方から高まってくる正体不明の切なさに、我知らず涙腺が崩壊する。 「ふぇっ・ヤ・嫌ぁっ! ユダ、ユダ! も、イ・くっ!」 「イってよ。いっぱい出して」 「ふぁ・あ……あ――っ!!」  生理的に、きりりと穴が締まり上がった。 「愛してる、潤……ッ」  直腸が、生暖かい体液に満たされるのが分かる。俺はもう、メスに堕ちてあられもなく嗚咽してた。 「ふっ……う……ヒック」 「潤……可愛い。純粋の純でもあるんだね。僕、アンタの事がホントに好きになっちゃった……」  でも俺は、それどころじゃない。初めての経験に、情けないがただ小刻みにしゃくり上げてた。 「付き合ってください。僕、ミハイル。潤の本当の名前も、教えて」 「っ……嫌だ」 「何で? ……僕の事、嫌い?」  涙で滲む視線を上げると、ミハイルも泣きそうな顔をしてた。  う。俺の、初めての相手。複雑な感情が渦巻いて、最終的に柄にもなく、胸がキュンとしてしまう。 「潤……きら、い?」 「わ。馬鹿っ」  ミハイルは、突然泣き出した。俺の頬に、大粒の涙がぱたぱた落ちる。 「嫌いじゃ……ない」 「じゃ、じゃあ、名前、教・えてっ」  俺はその縋るような泣き顔を眺めて、しばし黙りこくった。 「……笑うなよ」 「うん」  俺は、最大のコンプレックスである、名前をポツリと呟いた。 「……三郎……」  笑われると覚悟してた。でもミハイルは、涙をそのままに、ぱあっと表情を明るくさせた。 「三郎! じゃあ、三男なんだな!」 「ああ」 「良かった!」 「ん?」 「子供作れって言われないだろ。三郎。愛してる。結婚しよう」  ミハイルは、愛おしそうに俺をきゅっと抱き締める。 「もう一回、いい?」 「勝手にしろ……」 「ふふ。勝手にする」  俺は火照ってしまう頬を隠して、顔を逸らす。だが顎をつままれて目が合った。パープルアイズと。悔しいが、宝石のように美しかった。 「三郎、幾つ?」 「言いたくない……」 「そう。僕は、今日三十の誕生日なんだ。日本人て幼いから、三郎くらい渋いのが好き」  挿れっぱなしで、今度はゆっくりとねちっこく抜き差しされる。テクニックによっては、激しいピストンより遥かに気持ちいいと、今までの相手から聞いていた。 「あ……んッ・は……」 「三郎が誕生日プレゼントだ」 「ヒッ」  一度、強く尻に腰が叩き付けられる。 「ちょ……やめッ、ッア!」  ゆっくりと抜いては、強く奥まで貫かれる。自分の喘ぎ声なんて、聞き慣れなくて恥ずかしい事この上ない。それでも焦らす動きに、また生理的な涙が滲む。 「んッ・ユダ、やだ、イっく、イかせてっ」 「ミハイルだよ。幾つか教えてくれたら、イかせてあげる」 「ミハ・イル……んぁッ、三十・六っ」 「そう。いい子だね、三郎。可愛いよ」  俺のカチカチに育った息子にミハイルの白く長い指がかかって、ひねりも加えて扱き上げられる。 「あっあ・駄目・イく……あ・んぁぁああんっ!!」  涙と汗でグシャグシャの俺の顔を、ミハイルはミルクを飲む仔猫みたいにぺろぺろ舐める。立て続けにイかされた俺は、疲れ切って大きく肩で息をしてた。 「はぁ……」 「もう一回いい? 三郎」 「馬鹿っ……絶倫かよ」 「うん。僕、絶倫なんだ」  語尾にハートマークを散らして、裏切り者のペルシャ猫は、機嫌よく微笑んだ。めくるめく夜と『初恋』は、まだ始まったばかりなのだった。 End.

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