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第三話『 警 』- 01 / 02

        綺刀(あやと)は語る。  二日前に過ごした、忘れたくとも忘れられぬ、あの一晩について――。     ― 第三話『警』―    ついに夏らしい暑さになり始めた、7月第一週目の金曜日。  その日の日中の事。  至る所で七夕の話題が盛り上がっている中、綺刀は同じ民俗学部の同級生から、とある相談を受けた。   彼は、綺刀にとって特に仲の良い友人だった。  その彼は、情けない声で綺刀に縋った。 「もぉおマジで怖くてさぁ……! なんかさぁ、お祓いとかできねぇ? 悪霊退散ッ! ってさぁ」  そんな彼の名は、小虎慎(ことら しん)と謂う。  その彼のファッションはというと、短く切り揃えた金髪に、ハーフパンツとTシャツがトレードマークといったところだが、その装いは、やや少年の面影を残している。  そんな慎だからこそ、派手な外見と、どちらかというと大人らしい面立ちの綺刀と並ぶと、より一層幼く見えるのだった。  そして、その彼は今、右手をぶんぶんと振り回している。  綺刀は、それに呆れたようにして言った。 「あのなぁ……。漫画じゃねぇんだから、そんな腕ぶん回しても悪霊は消えねぇよ?」 「えぇ~…」  そんな慎の話に()ればである。  何でも、彼の住まう部屋で怪奇現象が起こり、毎晩死ぬほど怖い思いをしている――と言うのだ。  そして、そんな慎の話を更に詳しく聞いた綺刀は、 (怪奇現象ねぇ……。――まぁ、コイツの話聞く限りじゃ、慎の部屋か、あるいは、その上の部屋に地縛霊が居るとかでその怪奇現象が起こってるって感じかな)  と、踏んだのだった。  また、その日に相談を受けた際、慎ははじめ、――自分に怨霊が憑りついているのではないか――と青ざめていたが、それは、相談を受けた時点で、“ない”と判断できた。  その為、そんな慎に対し、綺刀は真っ先に――それはない――と即答したのだった。  そして、心の内で補足した。 (まぁ……そもそもコイツは、“取り憑かれにくいタイプ”だしな)  実のところ、慎自身は気付いていないようだったが、彼は非常に強い陽の気を持っているのだ。  そんな彼の“気”を視覚的に表現するならば、暑苦しいほどに爛々と輝く光の粉が、彼の周りに漂っているというようなイメージだ。  そんな事から、穢れや負の気を持った魑魅魍魎(ちみもうりょう)であれば、夏場にはご遠慮願いたいと思う間もなく拒絶反応を示し、大声で悪態を吐きながら全力疾走でその場を退散するだろう。  また、この慎の気は、綺刀ですらも煩く感じられ、このような夏場では、特に見ていたくないと思うほど彼の陽の気は強いのである。  それゆえに、彼に怨霊が取り憑くというような事も、まず考えにくかった。 (なんつっても、コイツは霊感ゼロってやつだしな……。そこら辺の地縛霊じゃ、憑依する事自体難しいだろうから、取り憑かれてるなんて事は……――)  綺刀はそう考えながら、共にアパートまでの道を辿る慎を改めて見た。  そんな慎は今、必死に笹の葉の束を振り回している。  その笹の葉は、先ほど――もしかしたら除霊に使えるかも! ―と、慎が花屋で衝動的に購入したものだ。  そして、その笹の束を振り回し、シャンシャンといわせながら除霊の予行練習をしているらしい慎を見て、綺刀は確信した。 (――……ないな)  だが、そんな彼も、珍しく目元にクマを残している。  つまり、確かに本人に悪霊が憑いているというわけではないが、この数日、眠れぬほどに恐ろしい思いをし続けているらしいという事は間違いないだろう。  それゆえに、そう判じた綺刀は、 (ま、大した事はねぇだろうけど、寝不足なのは辛そうだし。鎮められるなら鎮めてやった方がいいな)  と考え、少しだけ気を引き締めたのだった。  そして、それから少し歩いたところで、綺刀は慎のアパートに到着した。  綺刀はそこで、そのアパートを見た。  眼前にあるのは、ただの古びたアパートに違いなかった。  するとそこで、そんなアパートを前に、綺刀の背後に隠れるようにしている件の笹の葉陰陽師は言った。 「な、なぁ、どう? なんか感じる?」  そんな彼に、綺刀は特に感情を込めずに答えた。 「……ん、いや。今は何も」  すると慎は、少しだけ安堵した様子で言った。 「そ、そっか。やっぱ昼間は居ねぇのかなぁ」  綺刀は、あくまで平静を装いながら言葉を返す。 「まぁ、こんだけあちィしな……幽霊も、あちィとダレんじゃね?」  慎は、そんな綺刀の言葉をおかしそうに笑った。  だが、冗談は言えど、綺刀は一切笑わなかった。  綺刀は、このアパートの正面を見据えた時。  そのアパートの正面をざっと一望するつもりだった。  そして、それに次ぎ、一望する限りでは大した異変は見受けられない、と判じるつもりであった。  だが、それは叶わなかった。  綺刀は、アパートを正面に見据えたその瞬間から、とある一か所から目が離せなくなったのだ。  そして、それと同時に、このアパートが異常を孕んでいると判じた。  つまり綺刀は、この時点で既に、慎に一つ嘘を吐いているのだった。  “今は何も感じない”どころではない。  “既に手に取るように感じる”のだ。  慎に嘘を吐かねばならぬほどに、強く――。  綺刀は、アパートの敷地に入った瞬間。  すぐに二つの気配を感じた。  一つ目は、アパートの裏側あたりから感じるものだ。  だがこちらは、特に存在を主張するでもなく、ただ静かに佇んでいるといった様子で、一切の害を感じないものであった。  また、そこからは清らかな気すら感じた。  それゆえに綺刀は、そこでは恐らく、地主神(じぬしかみ)の部類に入るような存在が祀られているのだろうと思った。  もしかすると、アパートの裏手には小さな祠か何かがあるのかもしれない。  その為、この気配は、問題視するようなものではなかった。  つまり、問題であったのは、もう一つの方だ。  とはいえ、この二つ目の気配もまた、非常に静かに佇んでいるのは同じだった。  だが、明らかに違うのは、その気配が纏う色である。  その気配からは、清らかさなどは一切感じられない。  その気配から感じられるのは、酷く穢れた、重々しく濃厚な負の念のみであった。  ただ、負の存在だが、自発的な攻撃性はないようだった。  その事については、唯一の救いと言える。  しかし、とはいえそれば、こちらが何もしていないから、というだけであろう。  恐らく、こちらが攻撃を加えたり敵意を向ければ、その様相も一変するはずだ。  それゆえに、この二つ目については、いかにしても刺激せずに調査する必要があるだろう。  綺刀は、その二つの気配をそう分析したところで、ひとつ息を吐いた。  可能ならば、今すぐこのアパートから離れたい。  実のところはそれが、今の綺刀の本心だった。   だが、こんな場所だからこそ、無防備な慎をこのままにしておくわけにはいかない。 (暑さでバカになってたな……。そもそも、最初から疑うべきだったんだ……)

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