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夏だ、海だ、青……編 1 夏空にトンボ

「あ……今日届くのか。じゃあ……」  今日も残業決定。真紀の方が早く帰ってるから、受け取り、コンビニに変えとかないとだな。  スマホで荷物の受け取り方法を対面の玄関先じゃなくて、コンビニ受け取りに変更した。スマホも熱くなるような、そんな灼熱だ。  真紀と出会ってから何度目かの夏。  今年の夏はやたらと暑くて、なんか――。 「はぁ」  暑さが尋常じゃなくて、どうしょうもない。  夏はバッテリーが上がりやすいので気をつけましょうね。  そうですね。では、すみません。車のエンジンちょっと見ていただけないかしら。  はい。もちろんです。  お盆休みは長距離運転気をつけて。  そうなんです。長距離、高速道路で何かあったら大問題なので、見てもらえますか?  はい。ちょっと忙しいですがお任せください。  タイヤの交換、まだスタッドレスだったんすけど、交換してもらえないですか?  はい。忙しいけどいいですよ。  エアコン臭いんですけど、クリーニングお願いできます?  は……い。忙しいですが、お盆休み返上決定なので大丈夫です。  すみませーん。旅行先で事故ってしまいましたー。修理してくださーい。  は、はぁ、すげ、これ直すより買った方がいいんじゃ。いや、直すけど。そんくらいの腕なら持ってるし。  すんません。フロント部分ぺちゃんこにしちゃったんですけど。  も…………直せません。っていうか、もう直す時間がありません。  本当に。  ほっんとうに。  ずぅぅぅっとこんなふうにメンテの依頼がずぅぅぅっと続いてて、終わらないかと思った。メンテ地獄の夏。いや、これで食ってるから、仕事があるっていうのはありがたいことなんだけど。さすがに――。 「はっぁ……」  今年の夏、ダントツで忙しかった。  いやマジで。もう何年もこの仕事してるけど、今年の夏が今までの中で一番忙しかったと思う。  そんなことを八月の終わり、にしては夏みたいな空の色に、絵画みたいな入道雲を見上げて思った。今日、午後、急遽で入ったタイヤ交換頑張らないと、だよな。ほぼ時間ダブってる感じで定期点検の予約も入ってるし。  俺、分身できないかな。  影分身、っつったら、俺増えたりしない?  なんて、ちょっと考えてる時点で、もう疲れがピークな気がする。 「……」  トンボってさ、なんとなく秋の虫って認識だけど、めちゃくちゃ夏にも見かける気がする。ほら、入道雲と俺の間に割り込んで休憩時間の邪魔でもするみたいに飛び回ってる。  忙しそ。  俺も忙しいです。  トンボさん。  マジで疲れてんな、俺。 「あ、お疲れ様です」 「お疲れ様」  整備工場の裏側、木で囲われていて、ちょうどよく周囲からの目眩しが出来てる喫煙所兼休憩所に座り込んでいたら、チーフがやってきた。 「お前、すごい顔してたぞ。まぁ、今日は一段と忙しいからな。タイヤ交換の時間あるか? 俺、手伝おうか?」 「! 大丈夫っすよ。チーフ、傷修理入ってるじゃないっすか」 「はは、平気だよ」  そう言って、どっこいしょって言いながら、その場にしゃがみ込んだ。  本当にチーフのタイヤ交換の速さは半端じゃないんだ。確かに手伝ってもらえたら、最高にありがたいけど。でもそれじゃいつまで経っても俺の技術力は上がんないからさ。  俺も、この人くらいの正確さとスピード持ちたい。  しかし暑いな。  そうチーフは呟いて、眩しそうに青い空を見上げてる。  忙しいけど、もしもチーフが分身できて、今いる整備士全員と総とっかえしたら多分そこまで忙しくないんじゃないかって思うし。 「いやぁ、今年は忙しかったなぁ」 「そ、すね」  お盆休みは返上が早々と決まってた。  だから、今年の夏はお互いに別々休暇を取るようかなって話してた。実はもう三ヶ月くらい前から旅館、予約してたけど、キャンセルするようだって話してた。 「お前は明日、明後日、明明後日か」 「っす。なんかすんません」 「いやいや、休暇も大事だよ。俺はお前が出てきたとこから三日取るし。整備の方が二人、営業も二人だったっけ」 「っす」 「旅行行くのか?」 「あー……」  言ってもいいのかな。なんか、気悪くしたり。こっちは激務なのに、旅行かよって。 「土産、酒でいいぞ。地酒」 「っす」 「あははは、冗談だよ」  お盆休みは返上。残業もあって、今年の夏はお互いに別々の休暇になりそうだなって。 「さて……」  けど、大丈夫になった。  九月にまた大型連休もある。十月になれば、今度は冬タイヤへの交換ラッシュに入ってくる。  冬になればボーナス商戦で新車の点検作業が増えてくる。なら、お盆明け、ややピークがおさまってきたところで、皆、夏休みを取ってくれと、会社から指示があった。もちろん、そうなると、一斉夏季休暇は無理でも、休暇が同じになる人がいるわけで。俺たちは同じタイミングで休暇を取ることができた。一旦キャンセルになった宿も、ピークがずれた平日ってことで再予約ができた。 「お、営業部がなんかまた急なの持ってきたぞ」 「!」  真紀と旅行、行ける。 「おーい、どーした」 「あ! すみませんっ、あのですね」  眼鏡を忙しなく掛け直しながら、困ってる顧客のためにどうにかメンテを捩じ込んではくれないだろうかと、一生懸命頼みに来るんだ。 「チーフ、俺が行きます」 「え? でもお前、タイヤ交換と車両点検が」 「大丈夫です」  そう言って、素早く立ち上がった。 「明日から、休みなんで」  そう、明日から休みで旅行で、真紀と一緒で。 「それじゃ、頼むとするか」 「っす」  旅館、二人で決めたんだ。魚屋も営んでる旅館らしくて、とにかく刺身が絶品って口コミにあった。舟盛りこんなに出ると思わなかったから驚いたって書かれてた。真紀がここがいいです! って、張り切ってたっけ。  だから、かなり楽しみで。 「任せてください」  今日、タイヤ交換だって、車両点検だって、急なメンテ依頼だってやってやろうじゃんってさ。  立ち上がって、困り顔のシチサンメガネのもとに向かう足取りは小走りで。 「なんかあったか? 三國」 「! 天見さぁぁんっ」  トンボと同じくらいには飛び回れそうに復活してた。

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