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第一話

   キーボードを叩く単調な音が人気(ひとけ)が少なくなったオフィスに響いている。画面を見つめたまま指先でマウスをクリックした(かけい) 賢太郎(けんたろう)は眼鏡のブリッジを軽く押さえ大きく息を吐いた。 「筧、そろそろ時間だぞ。キリついたか?」 「ああ。なんとか」  声を掛けて来た同僚の三井に返事をし、大きく伸びをした。デスクの上のパソコンの電源を落とし、書類を鞄に入れる。 「店、“大和屋”だったか?」 「ああ。こっから歩いて十分ってとこか。ギリ間に合うな」 「社長も顔出すらしいし、急ごうぜ」 「おう」  今夜はこの春入社したばかりの新人歓迎会を兼ねた職場の懇親会。顔合わせも兼ねている為、社員全員の出席が義務付けられている。  全く面倒な話だが、職場の最低限の付き合いとしては避けられない事もある。  ビルが立ち並ぶオフィス街。大通りに出ると週末ということもあって人通りも普段より多かった。腕時計を見ると集合時間まで二十分を切っている。 「急ぐか」 「ああ」  湿った風がビルの隙間を吹きぬけていく中、筧は三井と並んで歩くその歩調を少しだけ速めた。  会場となっている居酒屋に着くと、すでに大半の社員が集まっているようだった。今夜、居酒屋は貸し切りとなっていて、店内のどこを見渡しても見知った顔で溢れかえっている。 「空いてんの、あの辺りか」  三井が辺りを見渡して言った。  席順については特に指定がないらしく、皆思い思いの場所に座っているようだった。 「お、ラッキー!! あそこマイちゃん居んじゃん!! 筧、行こうぜ」  急にテンションの上がった三井に促されて、渋々後を追った。  マイちゃんとは今年の新人女子社員の中でもとりわけ可愛いと評判の女の子。男性社員たちがこぞってアプローチを繰り返しているとかなんとか。  この同僚も彼女狙いというわけのようだが、いかんせん競争率が高すぎるのではないか。 「げ! マイちゃんの隣、君島(きみじま)かよ」 「誰、君島って」 「知らないのか? 今年一番のイケメン新人。入社式の時から女共が色めき立ってたぜ?」 「へーえ……」  三井が視線を移した先を追うように筧は眼鏡のブリッジを押さえながら同じ方向にその視線を移すと、マイちゃんが男性社員たちに囲まれているのに対し、その君島も女子社員に囲まれていた。。 「……なるほど」  人だかりの中、頭一つ抜きに出ている長身。新人らしい真新しいスーツに身を包んだ端正な顔立ちの男。今流行りの塩顔男子とでもいうのだろうか。爽やかな笑顔は、確かにイケメンだと筧も納得した。  急に入口のほうが騒がしくなり、何事かと様子を伺うとどうやら社長が到着した模様。  そのへんに固まって雑談をしていた社員たちがそそくさと席に着くのに倣い、筧も三井に促された場所に座った。  三井が筧の脇腹を突きながら嬉しそうに笑ったのは、例のマイちゃんの向かいの席をちゃっかりしっかりゲットできたからだろう。  筧の向かいには、例のイケメン。筧が不躾な視線を向けると、まるで少女漫画のヒーローのような爽やかな笑顔を返された。  ──胡散臭っ!!  筧はげんなりとした顔を隠しもせず君島から視線を外した。こういういかにもなイケメンは昔からどうも苦手だ。  社長の挨拶を経て、乾杯へ。それぞれ手元のグラスを返し、テーブルに先付けされた瓶ビールを手に取った。 「どうぞ」  向かいの君島が瓶を掲げ、目で筧にグラスを持つよう促した。  筧が「どうも」と小さく返事をしてグラスを差し出すと、君島がそのグラスをビールで並々と満たした。  筧も同じように視線で促すと、それに気づいた君島が新人らしく少し恐縮したようにグラスをこちらに傾けた。 「今年入社の君島です。よろしくお願いします」  小さく微笑む笑顔から溢れ出るイケメンオーラ。こちらもお愛想で笑顔を返す。 「営業部の筧だ。宜しく」  この男が来週の人事でどこの部署に配属されるかは知る由もないが、仕事以外では接点どころか共通の話題さえ見つけることが難しそうな別人種。  お決まりの挨拶だけを交わして、社長の乾杯の発声に合わせ互いのグラスを軽く鳴らした。  懇親会が始まって一時間ほど経ち、新人社員たちの自己紹介タイムに。  名前、年齢、希望部署などお決まりの要項と共に、特技を披露するものなどバラエティに富んだ新人たちの自己紹介に居酒屋の店内に笑い声が広がる。  自己紹介のあと、新人が先輩社員たちからの質問に答える場面もあり、例のマイちゃんが「彼氏募集中デス♪」と可愛らしく小首を傾げると男性社員たちからどよめきが起こった。 「じゃ、次、君島くん」  総務のベテラン社員に促されて、筧の前の君島が立ち上がった。  こうして立ち上がっているとますますの長身とスタイルの良さが引き立って見える。 「君島颯斗(きみじまはやと)です。二十三歳です。S大卒で、大学では──」  流暢な自己紹介をしていく君島を眺めながら筧は小さく溜息をついた。  有名大学出で、顔も良くてスポーツも出来て、さらには雄弁なトークスキルまで備わっているとはどれだけの完璧人間だ。 「はい、質問! 君島くんは彼女いるんですかー?」  酔った女子社員たちがここぞとばかりに君島に質問を浴びせる。  これオッサンが若い女の子にしたら「セクハラ」とか言われるだろうに、女側がそれを聞くのにお咎めなしとか、全く不平等な世の中だ。 「いや。いないです。そもそも、女の子に興味がないので」  そうシレっとした笑顔で答えた君島を、 「おー? なんもしなくても寄ってくるってか?」 「モテモテだなー、君島ーぁ! 畜生うらやましーぜ!」  男性社員たちが皮肉を込め茶化したり、笑いを交えてヤジると、店内がドッと明るい笑いに包まれた。が、次の瞬間 「いや。そうじゃなくて。──俺、ゲイなんで」  何の躊躇も羞恥もなく、君島が発した言葉によって店内がほんの一瞬水を打ったように静まり返った。  ──が、それはほんの一瞬の事で「またまたー」「何それ、ウケ狙い?」のようなざわめきと笑いが広がった。  君島が小さく笑い、誰もが彼が発した言葉を冗談だと思いこんだその時、 「いや、ガチです。──なので、女性に興味はないですし、彼女もいりません」  余裕すら含んだ微笑みを浮かべた君島が、そうきっぱりと言い切った。それから堂々と一礼をしてその場に座った。  ザワザワとざわめく店内。当の君島は、周りの視線など気にも留めず堂々としている。 「えーと。次は畑中さん」  新人自己紹介は、君島の隣に座る次の女の子へと移って行ったが、筧は衝撃の爆弾発言をしたこの男を目の前に、黙ってスルーするべきか何か声を掛けたほうがいいのだろうかと思い悩むも、結局名案は思いつかず息を吐く。  ふと君島と目が合い、黙ってスルーもできない状況に陥り仕方なく言葉を発した。 「おまえ、アホなの? それとも(てい)のいい女の子()けの口実?」  筧がそう訊ねると、君島がグラスを手にした。 「いや、ガチですよ? 職場でしょーもない嘘ついても仕方ないですし」  理解不能だ。ゲイが珍しいというわけじゃないが、それを堂々と公表するやつが世の中に一体どれだけいるか。  親しい友人や家族にカミングアウトするやつはいるだろうが、職場の人間に堂々と公表するなど正気の沙汰とは思えない。 「変わったやつだな。普通、言わないだろ。そんなこと」  そう、普通は。  自分の中で何か違うと分かっていても、偏見や妙な風当たりなどの障害はできるだけ少ないほうが生きやすい。  懇親会は二次会のカラオケ店に移動して早一時間が過ぎた。  一次会だけで帰ろうと思っていたところを、普段世話になっている先輩社員に掴まり強制連行され今に至る。  引き上げ時を見計らい筧がトイレに立ったところ、そのトイレの洗面台に突っ伏してグロッキー状態になっている君島と遭遇した。  用を足しながらヤツの後ろ姿を盗み見る。毎年、この新人歓迎会は別名“新人潰し”と言われていて、その名の通り新人がしこたま飲まされ潰されるのが恒例で、筧自身も通って来た道だ。 「おい。……大丈夫か?」  筧が声を掛けると、君島がゆっくりと顔を上げた。 「だいぶ、飲まされたのか」  すると君島が弱々しく頭を振った。 「悪く思うなよ。ちょい手荒いが、洗礼みたいなモンだから」  軽く背中をさすってやると「……あざっす」と君島が力なく礼を言った。 「意外だな。居酒屋にいたときは顔色変えずに飲んでたから相当強いんだと思ってたわ」 「いや、決して弱いほうじゃないと思うんですけど──なんつったっけ、企画部の那賀谷……さん? あの人容赦なくて。ココ来てから凄い勢いで飲まされまして」 「──そりゃ厄介な人に捉まってたな。あの人ザルだから」  那賀谷は社内一の酒豪と言われている男。アルコールをまるで水のように喉に流し込む(さま)を思い出し苦笑いをした。  新人の試練とはいえ、それこそ浴びるように飲まされていたことが想像できるだけに、このイケメンにほんの少し同情した。 「マジでキツイなら、帰るか? もう大概バラけて来たし、消えてもバレねーと思うけど」  そう言いながら、筧は名案を思いついた。  このまま君島を介抱するのを口実に、この場から消えてしまえばいい。午後十一時過ぎ。時間的にもいい頃合いだ。 「なんなら連れ出してやろうか? 俺もそれを口実に帰れるとなれば一石二鳥だ」  流れる水を止め、君島が口元の水滴を拭った。そんな仕草もいちいち色っぽいとかイケメンの醸し出す空気は怖い。好みではじゃないが、一瞬ドキッとしてしまう。 「どうする?」 「……お願いします」 「とりあえず、歩けそうか?」 「なんとか……」 「肩貸してやるけど、ゲロんなよ?」  そう言って、筧は君島に肩を貸しトイレを出た。  それから新人が強制的に詰め込まれているルームナンバーのドアを開け、顔見知りの社員に君島の荷物を取って貰うと、尤もらしい理由をつけ騒がしい音楽が流れる部屋を後にした。  そのまま自分のいたルームナンバーのドアを開け、これまたさっきと同様顔見知りの同僚に自分の荷物を取ってもらい、簡単に事情説明すると見事脱出成功。 「筧、もう帰るのかぁ? イケメンゲイにケツ掘られんなよー?」など不要な忠告をされながらもなんとかカラオケ店の外に出て、タクシーを掴まえようと通りに出て手を挙げた。  まもなくして空車のタクシーが目の前に停まり、後部座席のドアが開いた。 「家ドコだ?」 「……中堀町です」 「どのへん?」 「“ラ・メゾン”ってファミレスの近くです……」 「なんだ、近いな。通り道だしマジで送ってやるよ」  君島を先にタクシーに乗せ、そのまま自分もそこに乗り込んだ。  君島を連れ出したのはあくまでも自分が抜ける口実を作りたかっただけ。店さえ出てしまえばこの男に用はないが、方角が一緒ならばついでに送ってやるくらい大した手間ではない。  運転手に行き先を告げると、ゆっくりとタクシーのドアが閉まりそのまま走り出した。  タクシーの中に時折無線の音だけが響く。目的地までは十五分ほど。隣で頭をフラつかせている君島を横目に、シートに深くもたれ身体の力を抜いた。  目印のファミレスが近づき、筧は隣で小さな寝息を立てている君島を少し乱暴に揺り起こした。 「おい、起きろ。もう着くぞ」 「ん……」 「さっさと起きろ。家どこだよ?」  頬をビタンと叩こうが、肩をグラングラン揺らそうが、君島は一向に起きる気配がない。  結局、そのファミレスの駐車場に車を停止すること五分。何度も同じことを繰り返すも全く起きる気配のない君島。  バックミラー越しに運転手が困惑した表情と小さな溜息を隠そうともせずこちらを見る。  困ってんのはこっちもだよ! ──と言ってやりたいところだが、タクシーの運転手に罪はない。 「すみません。出してください。大西町まで」  再び走り出したタクシーの中で盛大に溜息をついた。

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