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第1話
高校に入学した年、同い年の兄が出来た。
小学校の時に母を亡くし、以来男手ひとつでずっと育ててくれた父が、漸く再婚への重い腰を上げたからだ。
もちろん反対なんかしなかった。
ずっと父の背中を見続けて、その苦労を知っていたから。
挨拶に来た新しい母は綺麗な女性で、なんだか気恥ずかしささえ感じたものだ。
もっともその時は、こんな大きなコブがおまけに付いてるとは思わなかったけれど。
「……なんか、兄さんって呼びにくい」
時々、夕食のあとで部屋を訪ねてくる新しい兄弟に思い切ってそう言った。
兄といっても、彼の方が誕生日が1週間ほど早いからって言うだけの理由だし。それにどう見ても、彼の方が華奢で弟にしか見えない。
「いいよ。僕もそんなふうに呼ばれるのくすぐったいから」
新しい母とよく似た顔立ちの、綺麗な笑顔。
「両親が離婚したのは僕がまだ小さな頃だったから、ずっと兄弟の存在って憧れだったんだ。これからもよろしくね」
「あ、うん……」
なんだかドキドキする。
同じひとりっこでも、こんなに違うのかと思う。
彼は物静かで、穏やかで、繊細という表現がよく似合う。
でも俺は、がさつとか無神経とか図太いとかいう表現が似合うらしい。
それは、彼が母と一緒にこの家に越してきた時に興味本位でのぞきにきた、幼い頃から兄弟同然に育った幼馴染達の言葉だが。
『オオカミの小屋に放り込まれた哀れな子羊って感じだな』
当時、ガキ大将でならした1年年上の奴が言う。
『ケダモノに捧げられた生贄って感じもする』
そのガキ大将といつの間にやら同棲までしてるもう1人の奴が言う。
『うるさい、俺はオオカミでもケダモノでもないぞ』
そう反論はしたものの……
最近はちょっと、その言葉に自信がなくなっているのも事実だ。
透き通るような白い肌と、綺麗な笑顔。
性格はもちろん二重丸で、人付き合いもいい。
だけど自分の主張や意見はちゃんと持っていて、曲がったことには一歩も譲らない。
おまけにこの華奢ないでたちからは想像も出来ないけれど、一通りの武道もこなすという。
本人の言うところによれば、母親を守るために体を鍛えたかったかららしいのだが。
「でももう、父さんっていう人が出来たから僕が母さんを守ってあげる必要はないんだけどね。自分のために続けてるって感じかな」
「そうなんだ…なんかすごいな」
感心してそう言ったら、彼は少し恥ずかしそうに微笑んでくれた。
「……ねえ、龍二って呼んでもいい?」
「え?」
一緒に暮らすようになってまだ1ヶ月。
お互いなんとなくお互いの名前を口にしたことはない。
突然そんなことを言い出す彼に驚いた。
「僕のことも千影って呼んでくれればいいから」
「…………」
身を乗り出すように、楽しそうにそう言う彼に、どう答えたらいいか迷ってしまう。
「ごめん、なれなれしすぎる? まだ早いかな、そうやって呼び合うのって」
「あ、いやそうじゃなくてさ……」
ちょっと表情を曇らす彼に、慌ててそう言った。
「……なんかちょっと、照れくさくて」
正直にそう言ったら、彼は驚いたような顔をした後でまた綺麗な笑みを浮かべた。
「僕もそうなんだけど…せっかく兄弟になれたんだし、もっと仲良くなりたいなーって思ったから」
「……うん」
差し出された手をそっと握る。
細い指先は、力を入れたら折れそうな気がした。
「そういえばさ、今日の宿題って終った?」
「いっけね、まだなんもやってないや」
突然そう言い出す彼にハッとすれば、彼はまた微笑む。
「実は僕もなんだ。こっちに持ってくるから一緒にやってもいい?」
「もちろん。教えてくれる?」
「喜んで」
彼は成績も優秀なのだ。
幼い頃から大人ばかりに囲まれて、家に閉じこもりがちな子供だったと聞いたのは母からだった。いつの間にか勉強するのが暇つぶしのようになり、頭でっかちな子供に育ってしまったんではないかと心配していたとも。
母から彼を紹介されたのは、高校受験が終ってからだった。
黙っていて悪かったけれど、と申し訳なさそうに。
無事高校にも合格して、母と彼が揃って我が家に引っ越してきた春休み。
手伝いをしていた俺に母が言った。
『あなたと会ってから、あなたの話ばかり嬉しそうにするの。兄弟が出来たのがすごく嬉しかったみたい』
そんなことを言われて嬉しくないはずはなくて。
「お待たせ」
宿題一式を持ってきた彼と向かい合って、とりあえず今日の宿題を済ませることにした。
ゴールデンウィークに家族旅行をしようと言われたのは、その1週間ほど前の夕食の席でだった。
「俺パス。父さんと母さん2人で行って来なよ。新婚旅行だってまだなんだし」
「龍二が行かないなら僕もパスする。2人で楽しんできたら?」
2人揃ってそんなことを言い出すものだから、母さんが泣きそうな顔で箸を置く。
それに2人して驚いて慌てた。
「え、あの……」
「ちょっと母さん……」
「……せっかく家族になった記念にと思って計画したんだけど……」
「コラおまえ達は! 母さんの心遣いを無駄にするのか?」
「「…………」」
思わず顔を見合わせて、反省。
俺達は2人ともそんなつもりじゃなくて、こんな大きなコブが2人もくっついていくよりも、新婚なんだから2人っきりで楽しんだ方がいいんじゃないかと気を遣ったつもりだったのに。
「ごめん。一緒に旅行するのがイヤとかじゃないんだ。俺達がいたら邪魔かなーって思っただけでさ……」
「うん、僕も……」
「「…………」」
今度は父さんと母さんが顔を見合わせて赤くなる。
「おまえたちはそんな心配なんてしなくていい」
コホンと咳払いをしながら赤くなったままそう言う父さんに、今度はお互い顔を見合わせて小さく笑う。
「じゃあさ、向こうでは別行動ってのは? ちゃんと時間にはホテルに帰るし、親と一緒じゃなきゃ迷子になる年でもないんだから」
妥協案としてそんな提案をすれば、それでOKとすんなり決まった。
母さんは嬉しそうにパンフレットを取り出して、ホテルや周辺の観光案内をしてくれた。
ホテルの部屋はツインで2部屋取ってあるらしくて、俺と千影で一部屋使えばいいと言ってくれた。
和室でみんな一緒だったらどうしよう…とかちょっと心配したけど、その辺りはちゃんとわかっていたらしい。
「なんだかさ、お邪魔虫みたいな気分」
夕食の後、勉強道具一式を持って俺の部屋にやってきた千影が呟く。
最近はそれが日課になっていて、宿題と一緒に予習や復習までやってしまう。きっと1学期の成績は優秀だろう。
「実は俺も」
母さんが来てから、家の中が明るくて華やかになった気がした。
男所帯では掃除もある程度の手抜きになっていたし、料理だってたいした物は作れずに同じようなメニューだったのに。
テーブルに花を飾るなんてこともなかったし、玄関を入ったらいい香りがする日が来るなんて想像もしてなかった。
「母さんとずっと2人だったから、いつも静かだったんだ。父さんがいて、兄弟がいて、家族ってこんなにも明るくて楽しいんだって初めて感じた」
今日のように父さんが会社から早く帰った日は、夕食のあとでリビングで団欒することがよくあった。
みんなで同じテレビを見て、笑いあって。
今日1日の出来事を報告しあったり。
「うん、俺も。ってかさ、父さんと2人じゃそんなに話すこともないし。再婚してくれてよかったなーって思う」
そう言ったら、千影が驚いたように表情を揺らした。
「……本当?」
「……うん」
不思議に思いながらそう答えると、千影は向かい合った小さなテーブルの向こう側から身を乗り出してくる。
「龍二さ、僕と兄弟になれてよかったって思ってくれてる?」
その勢いに押されたわけじゃないけれど…少し後退りながら頷くと、千影は嬉しそうに表情を綻ばせた。
「よかった……。実はさ、受験が終るまで龍二に僕のことは内緒にしておくって母さんに言われた時、すごく不安だったんだ。僕がいたら、龍二が反対するのかなって思ったりして……。ごめんね、今考えるとすごく失礼なことだよね」
落ち着いたのか元通りの場所に戻り、千影は初めてそんなことを言った。
「まあ、千影のコト聞いたときはそりゃビックリしたけど、そんなことで反対したりしないよ、俺だって。それに決めるのは父さんと母さんだと思ってたから」
正直にそう返事をすると、千影はホッとしたようにまた綺麗な笑みを浮かべた。
おもわず、それにときめいてしまう。
「せっかくの旅行だし、楽しもうね」
「……ああ」
「準備とかまた一緒にしようよ。足りないものの買い物とか」
まるで遠足を楽しみにする小学生のようだな、と思いながら、そんな千影がものすごく可愛く感じられる。
気分はもう、じきにやってくるゴールデンウィークへと飛んでいくのだった。
楽しみにしていたゴールデンウィーク。2泊3日の初めての家族旅行。
天気にも恵まれて、家族の絆も兄弟としての絆も深まった旅行だった。
「……明日は帰るんだよね」
2日目の夜、隣り合うベッドに入って電気を消すと、千影がポツリとそんなことを言った。
「なんか、早かったなー…でもさ、来てよかった」
「うん、僕も」
海沿いのホテルだったから、海岸に下りて波と戯れた。
一足早い夏の気分で、小さなスイカを買って4人でスイカ割りもした。
今度は夏休みにみんなで来ようと約束して。
「ねえ龍二、そっち行ってもいい?」
「え? 千影?」
隣のベッドから起き上がる気配。
そしてすぐさま、温もりが潜り込んできた。
「やっぱ狭いね。でも今夜だけ我慢して」
「…………」
そんなふうに言いながらぴったりと身を寄せてくる千影にドキドキする。
「なんかさ、1人で眠りたくないんだ」
「淋しいのか?」
「そうかも。あんまり楽しかったから、夢の中にいるみたいで」
その気持ちはなんとなくわかる。
明日からはまたいつもの日常が始まって、旅行という夢は終る。
「一緒の部屋で寝るのも初めてだね。なんか嬉しかったんだ」
「……普通一人の方がいいんじゃないのか?」
「んー…白状しちゃうとさ、中学の時まで母さんと一緒の部屋で寝てたんだ」
「え……?」
「ちゃんと自分の部屋はあったし、ベッドももちろん置いてあったんだけど…なんだろう、2人だけなのに別々の部屋で寝るのがイヤで…母さんも働いてたからなかなかゆっくり話をする時間もなくて、布団を並べて寝る前の時間だけが母さんとの団欒だったから……」
「…………」
千影の優しさは、そんなところからきているのだろうかと思った。
そしてそんな淋しがりやな一面が可愛いと思う。
「じゃあさ、もし淋しくなったら俺の部屋来いよ。うちのベッドなら2人くらい眠れるから」
中学に入ってからシャレにならないくらい背が伸びた俺に、父さんは溜息と一緒にダブルロングのベッドを新調してくれた。
『これ以上大きくなったら知らんぞ』
と言って。
「大きいの? 龍二のベッド」
「ああ。寝相の悪い俺でも落ちないくらいな」
冷静になって考えてみれば、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったのをごまかすように明るく言う。
「じゃあ今夜は僕のこと落とさないでね」
クスクスと笑いながら千影が返す。
「うーん、努力はする」
別に寝相なんて悪くない。
朝起きて布団がずれていたことなんて一度もないくらい。
でも今夜は、隣り合う温もりが照れくさくてくすぐったくて、でも心地よくて・・・ちょっと自信がないかもしれない。
「落とされそうになったら、龍二にしがみついていい?」
そんな言葉にドキッとした。
別に他意はない。……はずだ。
「床で寝るのはちょっと淋しいから」
おどけたように千影が笑う。
それに曖昧な笑みで答え、無理にあくびをひとつ。
「あ、ごめん。そろそろ寝ようか」
これ以上話していたら何かやばいことを口走ってしまいそうな気がしたから、それをごまかすためのあくびに千影が慌ててそう言う。
「おやすみ、龍二」
「……おやすみ」
隣からは、すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。
寝返りを打った千影が、俺のパジャマにしっかりとしがみついている。
胸に湧き上がる愛しさ。
これは兄弟に対する想いじゃない。
……千影が好きなのだと、気付いてしまった。
この気持ちは、恋愛感情なのだと。
「……参ったな……」
無邪気な寝顔に溜息。
いくらなんでも寝込みを襲うほど飢えてるわけじゃない。
でもちょっとだけ……
「おやすみ、千影」
そっと、その頬にキスをした。
旅行から戻ってそろそろ1ヶ月。千影はあのときの俺の言葉を嬉しそうに実行してくれている。
毎週金曜日の夜は、枕を抱えて俺の部屋にやってくるのだ。
嬉しいんだけれど、そろそろ複雑だ。
別に欲求不満なわけじゃない。
自分をケダモノだと思ってるわけでもない。
でも、だ。
好きな相手が毎週一緒のベッドに眠っているのに、何もしないでその温もりだけを感じているのにはやはり限界がある。
俺だって健全な高校生男子なのだ。
「なに難しい顔してる?」
避難所のように飛び込んだのは幼馴染の部屋。
どうやらまだ恋人である片割れは帰ってきていないようだ。
「我慢の限界。どうやって断ったらいいのかなーって」
「……話がわからん」
「千影がさ、毎週俺のベッドで寝るんだよ。一緒に。ゴールデンウィークに旅行した時、確かにいつでも来いとは言ったけど……」
「そりゃ気の毒に。お預けくってるわけか」
面白そうに笑うそいつを睨みつけても、出るのは溜息。
「そーだなー……いっそ告白しちまうってのはどうだ?」
「……は?」
「だからな、おまえを抱きたくなるからもう来るなって」
「…………」
「それとも、好きだからヤリタイとか」
どっちもどっちだ。
それに俺は、この気持ちを千影に告げるつもりはないんだから。
千影は俺っていう兄弟が出来たことをすごく喜んでくれてて、家庭の中もうまくいってる。
それなのに俺がそんなバカな告白なんかをしたら、一気に何もかもが壊れるじゃないか。
それに俺は、千影に嫌われたくないんだ。
「おまえに相談した俺がバカだったよ。帰る」
「なんだ、結構気のきいたアドバイスだと思ったのに」
「余計に気分がへこんだよ」
少しムッとしたようにそう言い残して、そいつの部屋を出た。
「どうすっかなー……」
今日は金曜日。多分今夜も来るだろう。
嬉しいんだけれど、セツナイ。
そんな気分を抱えて帰る道に溜息が重い。
「両思いなら遠慮することないのになー。あいつまさか気付いてないのか?」
そんなことをその幼馴染が呟いていたことを、もちろん龍二は知るはずもなかった。
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