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〈3〉
外に出てみると、芝生の敷き詰められた庭で鬼ごっこをしている妹たちと、双子を見つけた。
だがそこに悠葉の姿はない。きょろきょろとあたりを見回していると、悠葉の妹・香純がちょいちょいとシャツの裾を引っ張ってくる。
「ん? どした、香純 」
身を屈め、紫苑は香純に微笑みかけた。やや吊り目がちの大きな瞳はいかにも聡そうで、七歳という年齢以上にしっかりした顔立ちだ。ずいぶんと須能に似てきたなっと思う。
「悠葉、なんやダルいとかいうて、ばらのおにわのほうへいったよ」
「だるい? そうなんだ、どっか具合でも悪いのかな」
「しらーん。はんこうきちゃう? さいきんいえでもぼーっとしてはるし」
「そうなんだ。……ありがと、行ってみるね」
「うん」
ふたたび香純は鬼ごっこに戻り、菊乃とクールな双子たちもきゃっきゃと楽しげな声を上げながら走り回っている。その姿をしばし微笑ましく見守った後、紫苑は悠葉を探しに庭の奥へと向かった。
そして、薔薇の庭の奥にある東家でひとり、ぽつんと膝を抱えている悠葉を見つけた。
見慣れたはずの後ろ姿だし、会えないでいたのはたったの半年ほどなのに、すごく悠葉のことを懐かしく感じる。
日に焼けたうなじにさらりと添う黒髪は艶やかで、ほっそりとした首筋が、いつも以上にきれいに見えた。そんなことを考えてしまうのは初めてだ。紫苑は若干戸惑いながらゆっくりと悠葉に近づいていく。だが、急に声をかけたら驚かれて、怒られてしまうかもしれない。紫苑はつとめて穏やかな声で、「おーい」と悠葉に声をかけた。
「なぁ悠葉! なんでこんなとこにいんだよ、あっちでおやつ……」
「……うっさいボケ。こっち来んな」
「ボ……っ」
学校や家では絶対に出てこないであろう言葉を投げつけられ、紫苑は一瞬、かちーんと硬直してしまった。だが、それが明らかな悪口だと気づくや、「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ!! 久々に会えたのに!!」と頬を膨らませる。
すると東家のベンチで膝を抱えていた悠葉が、じろりと紫苑を睨みつける。だが、紫苑と目が合うと、はたと申し訳なさそうな顔にになり、「……すまん」とぽつり。
「……まぁ、いいけどさ。どうして一人でいるの? みんな悠葉と遊びたがってたのに」
「ちょっとは遊んだ。……けど、なんやちょい調子悪くて」
「えっ、風邪でもひいてるの!?」
紫苑ははっとして、急いで悠葉の隣に駆けつけた。すると悠葉はぎょっとしたようにびくりと肩を上下させ、ちょっと怯んだような目つきで紫苑を見上げるのだ。初めて目の当たりにする悠葉の表情に戸惑い、熱を測ろうと額に伸ばしかけていた手をぴたりと止める。
半年ぶりに間近で見る悠葉の顔。以前とそう変わらないように思うのに、この落ち着かなさは何だろう。
悠葉も、妹の香純も、須能に面差しがよく似ている。黙っていれば、悠葉はとても雅やかな雰囲気を漂わせる美少年だ。
だが、悠葉は幼い頃から外で遊ぶのが大好きで、日舞の稽古よりもスポーツをやりたがった。父・虎太郎譲りの勇ましさと活発さを濃く受け継いでいるのだろう。おかげで肌はこんがり小麦色に焼けていて、細長い手足はすでに引き締まっている。
これまでだったら、悠葉は真っ先に双子や妹たちを率いて庭で駆け回ったり、ボール遊びをしたり、かくれんぼをしたりと、いつだって遊びの中心だった。球技が恐ろしく苦手な双子たちのためにマイサッカーボールを持ってきて、丁寧に教えたりもしていたものだった。
悠葉は日舞の稽古の傍ら、サッカークラブにも所属しているスポーツ好きの少年なのだ。須能はここへくるたび毎回のように「虎太郎の影響でな、サッカーやら野球やらやりたがって忙しいねん。稽古もしっかりして欲しいとこやのに」とぼやいている。
その点香純は日舞をすでに深く愛しているようで、「悠葉はおどりへやたしどーせつげへんにゃろ。あたしがつぎのおいえもとになるし、じゃませんといてよ」と、しっかりしたものだ。
大人しさなど無縁のような悠葉が、今日はなぜか口数も少なく、俯いてベンチの縁を見下ろしているのだ。紫苑はどう声をかけたらいいものか分からず、ただ隣に腰を下ろして、美しい薔薇の庭を見回すばかりである。
「……ほんまは来たくなかってん」
すると、悠葉がそんなことをぽつりと漏らす。紫苑は思いの外ショックを受けて「えっ…………!?」と言葉を失ってしまった。
——ど、どうしよう……。お、俺……悠葉に嫌われるようなこと、した……?
ずーーんと重い空気を醸し出しながら項垂れてしまった紫苑を前に、悠葉もまた慌てたようにこう付け加える。
「あ、えーと……ごめん。お前に会いたくなかったわけやなくて……」
「い、いや……その……俺、何かした?」
「……なんも。紫苑はべつに、わるくない」
「……」
——それって、どういう意味……? 調子狂うな……悠葉、どうしちゃったんだろう。
「俺の問題。俺が……勝手にイライラしてるだけ」
「イライラ……って?」
何を尋ねても悠葉を苛立たせてしまいそうな気がして気が引けるが、彼の不調を放ってはおけない。紫苑は少しだけ悠葉のほうへにじり寄り、下から覗き込むように顔を見つめた。
すると悠葉は唇を軽く噛み、ちら、と紫苑を見て、こう言った。
「……紫苑、アルファやってんな。よかったな」
「あ……ああ、うん。そうだね、ホッとした」
「前から不安がってたもんな。……よかったやん」
「うん……ありがとう」
悠葉はそれだけ言うと、スッと無言で立ち上がった。そして、東屋の中へ手を伸ばすように咲いたピンク色の小さな薔薇の花に手を触れて、匂いを嗅いでいる。
——俺がアルファだったこと……何かひっかかるのかな。
悠葉がアルファになりたがっていることは、よく知っている。先を越されて悔しいのだろうか、それとも、紫苑にオメガであって欲しかったのか? ……色々と考えてはみるものの、勉強ばかり頑張ってきた紫苑は、こういう複雑な心の機微について思いを巡らせることが苦手だ。
分からなくて、もどかしくて、落ち着かない。紫苑もまた立ち上がり、ぐいと悠葉の肩をつかんでこちらを向かせた。
背丈はさほど変わらないが、シンプルな白いTシャツに包み込まれた肩は細く、紫苑の手のひらの中に容易く握り込まれている。大した力をこめているつもりもないのに、思ったよりも荒っぽい手つきになってしまったようだ。悠葉が驚きの眼差しでこちらを見上げる。
「……痛い。何やねん」
「俺がアルファだったことが嫌なの? 気に入らない?」
「……え?」
「何にイライラしてんだよ。俺は、これまで通りに悠葉とも仲良くしてたい。だから、そんなふうに避けられたりしたら……すごく寂しい」
「……」
「悠葉、教えてよ」
「別に、なんも……」
「何もないわけないだろ! こっち見ろよバカ!」
「ばっ……」
悠葉もまた、紫苑がこれまで一度も口にしたことのない罵声に驚いたのか、ムッとした顔でこっちを睨んでくる。間近で結んだ視線同士を逸らすことなく、ふたりはしばらくそうして睨み合っていた。……が、この状況が何だか懐かしくなり、意図せず表情が緩んで笑ってしまう。
「ふはっ……怒ってる」
「なんやねん、なに笑ってんねん」
すると、悠葉もつられて笑みをこぼす。こわばっていた表情が綻んだことで気が抜けたのか、悠葉はようやく、まともに紫苑を見上げた。
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