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バレンタイン

「なあ、今日が何の日か知ってるか?」 宿屋で休んでいるとき、リノスは不意にそんな言葉をかけてくる。 何かあったような、無かったような。 僕は記憶の糸を辿るが上手く見付けられない。 「……何かあったっけ?」 悩みに悩んだ末、出てきたのはその言葉だけだ。 だって分からないものは仕方ないじゃないか……。 そう思っているとリノスはむくれた顔をする。 「知らないのか」 そう言ってそっぽを向くが、すぐにハッとした。 「そうか、封印される前には無かった可能性があるのか……」 一人で何やら呟くと「俺、ちょっと出掛けてくる」と言い出ていってしまった。 「あ、ちょっと……」 引き留める間もなく出ていくものだから、何の日か聞きそびれてなんとなくもやもやが残る。 「……女将さんにでも聞いてみよう」 ため息をついて僕も部屋から出ていくことにした。 ********** 何の日かはすぐに分かった。 『バレンタイン』という行事で、 花束やチョコレートを贈る習慣があるらしい。 封印されるまえにも、確かにあった記憶はある。 だけど、チョコレートを贈る事は無かったような気がするんだけど……。 「……まあ、買いに行ってみようかな」 と、いうわけでチョコレートを探しに行ったのだけど。 「……ない」 そう、無かった。 板チョコや手作り用は……まああった。 でも、すでに包装されたものや作ってあるものなど売り切れ続出だった。 殆ど残っていない、残っていても個数が多すぎるようなものばかりで、しかも値段も高く、とてもじゃないけど買うことが出来ない。 「仕方ないか……今日がバレンタインで、チョコをあげるなら、みんな買うよね」 ため息をつくと、そういえば、と思い出した。 僕がやったのは花を贈ることをしていた記憶がある。 まあ花を贈った所で旅の邪魔になるだけだ。 それを分かっているから、悩み悩んだに悩んだ末、1つの答えに行き着いた。 「……よし、アクセサリーを贈ろう!」 そうだ、それが良い。 なんかジャラジャラさせたものが好きそうだし。 飛び回るからネックレス辺りが良いかな? そう思って吟味しながら買い物を済ませ、宿に戻る。 部屋を開けると、意外にもリノスは帰って来ていない。   「あれ、珍しいな?」 基本的にそんなに買い物などに時間をかけるタイプではないんだけど、まさか部屋に居ないなんて。 「うーん、とりあえず……待とう」 そう呟き、ベッドの上で横になっていると、唐突にドアが開き「フレイラ!」と大声で叫ぶリノスが入ってきた。 「え、いきなりどうし」 振り向きざまに口を塞がれる。 口の中にほろ苦い甘さが広がっていく。 これは多分、というか確実にチョコだ。 それは分かったのだが、リノスはそのまま口を離してくれない。 どんどんお互いの口の中で溶けて行くチョコが僕の口の端から零れ落ちていく。 それはリノスの口からもそうで、離れたときにはすでにチョコで口周りがドロドロに汚れていた。 「な……何するの!?」 「いや、今日はバレンタインだろ?で、フレイラが知らないなら俺から渡そうかと思ってな」 口の周りを手でぬぐい、それを舐めながらリノスは答えた。 確かに、渡されたけど!渡されたけど!! 「こういう渡し方は違うんじゃないかな!!」 顔を赤らめながらその辺のティッシュで口の周りを拭こうと探していると 「此処にもついてるな」 そう言って口の端のチョコを舐め取っていく。 恥ずかしさのあまり言葉にならない僕は「馬鹿!!!!」と叫んでアクセの入った袋を投げつけるのが精一杯だった。 余談だけど、アクセはリノスに喜ばれ、毎日大切に着けている上、寝る前に手入れをしている。 未だにあの日の事が忘れられない、衝撃的な一日だった……。 そんな、ある時のバレンタインのお話。

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