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第1話
おじいちゃん!昔話して!裾を引かれ、翁は孤児院となった旧教会の前に座っていた。
「そうだな、じゃあ、悪魔の話はどうだ?」
え~こわぁい!それなら神様の話がいい~
「ほうか。だがな、小童。一番怖いのは神様かも知れんぞ?」
神様がぁ?神様が悪魔より怖いわけなぁい!
翁は笑った。悪魔から守るためにこの地に教会を建てた。度々この地を訪れる。翁の家からは遠かった。体力的にも精神的にも来るのはこれが最後かも知れない。
「悪魔はな、もとは神様だったんだ」
嘘だぁ~
「嘘か?…神様はな、人によって神様になるんだ。だから悪魔も、人によって悪魔になる」
つまらなそうだと子供たちは別の面白いことを探しに行った。翁は、過去には大きく栄えた教会の亡骸を見つめた。
銀色の髪が長くシーツの上に散らばっている。シャニは右肩の酷い痛みに目を覚ました。耳鳴りの奥で声がする。寝汗でじっとりと湿った背中の感覚に顔を顰めた。目蓋と眼球だけがかろうじて動かせる。天井は天井板ではない物に阻まれ、薄い色の布が垂れ下がっている。背中は戦場にしては柔らかく生臭さや砂埃も待っていない。むしろ清潔さを思わせる薬草やアルコールの匂いがした。そこは天蓋付きベッドだった。近くで扉を開ける音がして、だが右肩の激痛に起き上がることは出来ず、戦争の真っ只中であったこともふとどうでもいいことのように思えてシャニは天蓋付きベッドの天蓋裏を眺めていた。耳鳴りの奥でまた何か声がする。
「起きてるのか?」
殺し損ねた若い男の声がする。黒い髪と柘榴のような瞳が特徴的なまだ幼さの残る男。名をデクスという。18にしてテルア王国の最有力の王位継承者だった。デクスは無遠慮に動けずにいるシャニの視界に入り込む。水に浸し、絞った布でデクスはシャニの身体を拭き始める。鎧を外され、インナーも緩く脱がされている。
「抵抗すんなよ。出来ねぇと思うけど」
身体が動かなかった。左手が天蓋付きベッドの柵に繋がれている。右肩は大怪我を負っているため拘束は免れているが結局動かない。足は重かった。鉄球が2つベッドの上に転がっている。鎖で足が繋がれていた。デクスは周囲の反対を押し切り説得し、地下牢から連れ出すのに苦労した。拘束すること、見張りつけることを条件にやっと連れ出すことを赦された。しかしこの男のこの様を見せたくなかったため見張りは部屋から追い出し、扉の外へ追い出した。シャニは8つ歳が上だがデクスの2歳下の妹の夫、つまり義弟に当たった。しかしその妹は呼び戻され、その関係は解消されている。政略結婚だった。妹とシャニの16歳と26歳の夫婦生活がどういったものなのかは分からない。興味が無かった。知りたくなかった。
「な、ぜ…」
シャニは怠そうに、身体を拭くデクスに問う。熱くなった身体に冷たいタオルの心地が良いようだった。
「何故はこっちだっつーの」
吐き捨てるようにデクスは問う。憤っているような響きを持って、だがデクスは平生から怒ったような雰囲気で喋る傾向にあった。余裕がない。兄弟全て
「なんで最後の最後に討たなかったんだよ」
呆れたような溜息を吐かれ、シャニは至極どうでもいいことのような態度をとった。ぼやけた思考の中で、数多の人馬を斬り、走り抜け、デクスに迫り、その華奢な身体を斬り苛まんとしたところでふと手が止まってしまった。王の前に立ちはだかる武装した少年に。槍の先がその身を貫くことを拒絶したのだった。右肩はその時、背後から斬られたものだ。
「答えろよ」
怪我人相手ということも忘れ、シャニの前を大きく開かれたインナーを掴み上げる。武力で劣っていたのは目に見えていた。シャニが討とうと思えばデクスは討たれていた。だがデクスは生きている。生きるか死ぬかの立場にいて生きている。
「…知らん」
シャニは激痛に顔を顰める。喉が擦り切れるような痛みがあった。喋るのが億劫だった。
「知らないわけねぇだろ…!」
擦り傷だらけの身体を滑っていたタオルに爪を立てている。シャニは耳鳴りの奥で怒りの声を聞く。
「……俺は…何も…知らん…」
動かない右肩を無理矢理動かしデクスの手を振り払う。傷口が軋んだ。軟膏やガーゼ、包帯を突き抜け、血が溢れインナーを汚す。自国での負傷者が多い中で敵国・ツェントルム神国の将を優先的に診せるわけにもいかない。敵情を暴く必要もなくなった。あったとしてこの将は対象にならない。祝勝で公開処刑されて終わるだけだ。
「……殺せ…」
シャニは虚ろな目をした。デクスは、目の前まで迫り敗北、そして拷問とその先の死までを覚悟させた男の言葉に戦慄する。この男の判断次第で、自分が吐かなければならない台詞だったはずだ。どこで立場が逆転したのか。この男の采配だった。
「なんなんだよ、お前!」
乱暴にインナーを掴んだ手を寄せる。左手の拘束が軋み、右肩が揺れ、シャニは痛みに呻いた。
「…早く…俺を、…殺せ……」
シャニはそれだけを繰り返した。デクスの手が震える。不可解な男に恐怖を抱いた。この男に哀れみで生かされ、そしてその男は死を望んでいる。虚ろな目をしたままでデクスをグレーの瞳に映すことはない。凛々しさと端整な顔立ちに差す影に人形のようなある種の退廃的な美しさを感じる。
「殺さない!」
シャニをベッドへ投げ捨てる。痛みに呻き、力無く叩きつけられた右腕がシーツを引っ掻く。インナーがさらに大きく濡れる。
「お前はお前の判断でオレを生かした!オレはお前を殺さない!」
「………殺せ……」
インナーをばりばりと破る。均整のとれた無駄のない筋肉が晒される。この男の判断次第で、自分がこうなっていたかも知れない。それが恐ろしくなった。そこはベッドではなく。寒く薄暗いところで。だが同時に生殺与奪の権を持っていたくせ棒に振った男の生殺与奪の権を握っていることに興奮した。麗しい雪溶けの長い髪、虚ろに銀世界を写す瞳、しなやかな肉体、包帯を染める血。視界で殴られる。痛みに漏れる声。弱りきった深い吐息。聴覚でくすぐられる。
「…――」
殺せ、と譫言を繰り返していた口が突然塞がり黙り込む。
「おい!」
デクスは暫くどうしたと見つめていたが、シャニの唇へ親指を割り込ませる。親指へ歯が刺さった。鋭い痛みに反射的に手を引っ込めてしまった。シャニの意固地な口が開いた。八重歯が鋭く伸び、尖っている。デクスは、え、とガーネットを嵌め込んだが如く深い赤の瞳を丸くする。
「早く、殺せ……!」
先程よりもしっかりした声でシャニはそう言った。虚ろな瞳もデクスを捉えている。懇願に似た響きにデクスは戸惑った。虚勢ではないことに嫌でも気付いてしまう。
「嫌だ!」
ひび割れた薄い唇に誘われる。弱々しく息を吐く口を唇で塞いだ。がさついた感触がした。
「…ッ、」
シャニの呼吸が一瞬止まった。舌を挿し入れて乾燥した口腔を潤していく。歯列をなぞり、内膜を舐め回す。動く気配のない舌を掬い上げた。抵抗されない。鋭く長い八重歯が歯に当たる。以前会った時は気にならなかった。有ったかも定かでない。
「…は…ぁッ、」
シャニの眉間に皺が寄る。段々と潤っていく口付け。濡れた音が小さく弾ける。思考が停止してただシャニの唇を貪ることに夢中になった。所在ない掌がシャニに触れたくなり脇腹を摩った。
「…ぅッ」
漏れ出る声が聞こえて、甘く舌を噛まれたのを合図にデクスは唇を離した。シャニの舌から蜜が伸び、デクスに繋がる。シャニは悩ましげに眉に浅く皺を寄せ、ぴくりぴくりと眉間が動く。虚ろな瞳はデクスに向いていたが、どこか別の遠いところを見ていた。
「…は、やく…」
殺せと続くのだろう。デクスは首を振る。嫌だ。やっと妹の手を離れた小さな頃からの憧れ。そして国を勝利に導いた敵国の将軍。銀の髪を指に絡める。輝いたあの贅沢な銀糸は、今は手櫛に軋むほど傷んでいる。記憶の中と比べて少しずつ墨を流されたように黒ずんでいるが、さらさらと髪が鳴った。
「ころ…せ…」
「くだらねぇことばっか言ってんなよ」
指に絡んだだけの毛をそのまま引っ張った。シャニは何も言わない。虚ろになったかと思えば、懇願するような眼差しでデクスを捉える。
「オレはお前に殺された!…はずだった」
「…ころ、せ…」
指に残った銀糸がむなしくベッドに舞った。
「なんでだよ!お前が生きたいって言ってくれたら、オレは頭下げる…ッ、王位継承権も譲ったっていい!」
ゆっくりと上下する胸。筋肉ののった胸板に引き込まれる。インナーを左右に大きく開いた。胸を撫でる。肌理細かい感触を確かめ、頬を寄せた。程良い柔らかさの下にある固さ。
「なぁ、考え直せ。口添えしてやる…監視つくかも知れねぇけど、それでも自由は…、」
「殺して、くれ…」
シャニの姿は美しかった。破壊され慰みものにされることでその妖艶さが磨かれていくような。加虐性を煽ってデクスは首へと噛み付いた。皮膚を吸っては弱く噛む。
「…っぅ、く…ッ」
小さく震えていた。肩を押さえつけると、嫌がるように身を引こうとする。
「殺さない…」
「た、の…ッ、…む…っ、…ぁ」
首を掴んで、筋に添い、吸っていく。鎖骨を齧り、周辺に鬱血痕を散りばめる。左腕が力み、括られたベッド柵がギィギィと悲鳴を上げる。デクスは構わなかった。
「ッ、殺せ…た、のむ…今す、ぐ…」
ベッド柵が泣き喚く。左手首は震え、きつく拘束具が食い込み赤くなっていた。金属の叫びに耐えられず、シャニの左手首を解放した。そのままベッド柵にぶつかりシーツへ落ちていく。
「殺さねぇ!」
譫言を繰り返す唇をまた塞いで黙らせる。胸を撫で、掌に引っ掛かる突起の周辺で執拗に円を描く。舌を吸って、唾液を送る。嚥下に小さく揺れて、多くは口角から滴っていく。頭の中が痺れた浮遊感に酔う。溺れながら、されるがままのシャニの頬を撫でた。また2人の混ざり合った蜜が溶け合い繋がり、ぷつりと断たれる。ふと覗き込んだ虚空を眺める銀の瞳がほのかに桃色へと変色していた。
「シャ、ニ…?」
目元を指で撫でてみた。色が変わっている。
「…天啓が、聞こえる…」
虚ろなまま、早く殺せ、頼む、殺してくれ以外のことを言った。耳を近付ける。天啓。ツェントルム神国は神が統治している。天啓のままに政治が行われた。加護を受けた国民に聞こえるまま。シャニは何かを自身で敗北に追いやった亡国の統治者から聞いている。
「デクス王子…」
耳元で囁かれた言葉にはしっかりと意思があった。
「シャニ…?」
眉間に皺を寄せ、難しげな表情をした美しい顔がデクスを見つめている。動こうとして右肩を押さえた。だが起き上がり、デクスの唇を奪う。余裕のない、何かとてつもない希求を感じる荒々しい口付け。血がさらにインナーを汚す。発達途中の身体を、大怪我を負って流血している筋肉質な身体に押し倒される。鉄球が揺れる。驚異的な筋力。桃色を帯びた淡いグレーだった瞳が夕陽のような橙に変わっている。ぎらぎらとデクスに覆い被さり、逆光の中でも照っている。
「なん…だよ…」
シャニはつらそうな顔をした。痛むのか、それとも――
テルア王国万歳!テルア王国万歳!ツェントルム神国に裁きを!ツェントルム神国に裁きを!
城の外で民衆の声が聞こえた。耳障りなほどだった。ずっと下の地にいるはずの凱歌が城の上層に届く。何度も、何度も鼓膜を叩く。赤く変色していく切れ長の双眸が大きく見開かれた。また焦点が合わなくなる。
「やめて…くれ…、やめ…」
シャニは首を振る。天啓にうたれている。ツェントルム神国の民どころか敵である国の王子には気が狂いそうなほどの勝鬨しか聞こえなかった。目の前の男の奇行で手にした勝利。後悔に苛まれているのか。一瞬の判断を誤り、自国を破滅に導いたことを。今からでもデクスを殺す気か。勝敗は決した。だが一矢報いるつもりであるなら。
「シャニ…」
シャニは呆然とした。聞こえない。小さな呟きが確かに聞こえた。きょろきょろと首を回している。音を探している。呆然としたまま。その姿は悲愴を帯びている。暫くそうしていたシャニが突然右目を押さえて、唇を噛み締めた。右の白眼が段々と黒く染まっていく。鋭く伸びた牙が刺さったらしく血が顎を伝う。
「ぐっぅ…ッく…!」
上がらない右肩でどうにか右目を押さえ、血が広がっていく。浅く息を繰り返した。
「シャ…」
「『…ッ、俺を、……こ、ろ…せ…!』」
シーツに置かれた左手が大きく痙攣している。苦しそうに言葉を紡ぎ、シャニのものともうひとつ異質の声が二重に響く。
「何…言ってんだよ…」
右目に当てた手も震えながらデクスの胸へ落ちる。残像が見えるほど震えた左手が組み敷かれたデクスの下腹部を這う。右肩が肥大していく。骨ごと大きく裂けて負傷していた右肩が段々と腫れ上がっていく。インナーの袖が破れる音がする。デクスのわずかに膨らんだ雄を震える左手が布越しに触れた。柔らかくなぞり、右肩が変形していくことにも構う様子がない。デクスは咄嗟に右手に触れた。人の肌の質感と違っていた。
「シャ…ニ…?」
震えた左手がデクスの陰茎を揉みしだく。振動が伝わって、少しずつ刺激に血が集まってくる。右半身が変形していく様が、禍々しくも美しかった。白眼が闇のように真っ黒くなった中で赤い瞳が輝き、デクスを見下ろしている。左半分の顔がデクスを切なく見つめていた。
「『神国…の民を、安んじ…て、く…』」
右側頭部が歪んでいく。右半分の皮膚も硬化していく。変形を終えた右手が猛禽類のような爪を立て、だが傷付けまいとデクスの胸を押さえる。
『ぐっ…く、』
右手の次は右の頭部から、緩く螺旋を描きながら尖鋭が伸びていった。右耳は長く上に引っ張られ、細くなっている。その間も左手はデクスの股間を弄った。布の狭間に手を入れ、直接触れる。
「触らせ、ろ!」
硬くなった右腕に触れた。シャニの下を這い出て、肩を掴む。傷が消えていた。ベッドに倒し、下半身に顔を埋める。何の反応もない中心部の上からデクスがされたように揉みしだく。無表情にデクスを見据えるシャニではなくなった右半分と、やめてくれと慄くシャニ。美しいと思った。望まない何かに呑まれそうになるシャニに、強い保護欲と加虐心を掻き立てられ、掻き毟られる。固い唇と乾燥した唇にキスする。大きな傷が塞がった逞しい身体に体重を預けてしまった。だがまたデクスはシーツへ倒される。首の後ろに腕を回し、深く口付ける。血の味がした。
『…ッ、ぐ…ぁ』
長い爪を握り込み掌から血を滴らせ、シャニは胸を叩いてデクスを離した。
「シャニ…」
デクスは昂ぶった股間を擦り付ける。シャニはデクスの下腹部を覆う布を長い爪で裂いた。爪痕が残り血の滲む掌で半勃ちの陰茎を扱く。
「…っ、ぁあ、シャニ…!」
陰茎に与えられた快感を振り払って見上げると、そこにあったのは諦めた顔だった。下の衣を破り捨て、シャニは慣らしもせず固い窄まりにデクスを受け入れる。その場所は雄を知っていた。ごりごりとデクスの形になり、吸い上げる。絡みついて締めては息切れするように収縮した。半身が異形と化した美青年が股に乗っている。禍々しさとおぞましさの中の淫靡な視覚に、シャニの腰に爪を立て容赦なく突き上げる。
『ぁ、ぁぐぐ…っくぅ…ッ』
奥の奥へ穿ち、内壁を抉りながら打ち付けた。
「ッ、…!」
『ぁ…っふ、…ぐ…ッう、』
シャニは首を振る。天を仰ぎ、硬化した肌と皮膚が喉仏で引き攣った。
「シャニ…シャニ…!」
『ぐっ、ッ、ぅうっ、く、ぅ…っ!』
デクスの陰茎を奥へ奥へ柔らかな直腸が強く引き絞る。シャニの陰茎もまた張り詰めていた。デクスはまだもとの肌をしているその屹立に触れた。粘性を帯びた蜜が滲んでいる。
「シャニ、イくか?」
『ぁ、ぐっ、ぅう…く…っ』
一度ピストンを止めるとシャニの腰が揺れて中を掻き回す。左半分だけのシャニの顔が欲情に蕩けてデクスを求める。我慢ならずデクスは動きを再開させる。
『は…ぁん…ッ』
シャニの甘えた声が鼻から抜けた。
「ここ、イイか…?」
義弟ではあるが8つも年が上の男にデクスもまた甘えた声で問う。シャニは首を振った。だが同じ場所を狙って強く突き上げる。
『ぁ…は、ぅン…!』
溶かされるようなうねりに呑まれ、デクスは絶頂へ一気に近付けられてしまう。同じものを求めて震えた腰を強く固定する。
『ンん…っ、ぁあ…ッ!あ、ああ…っ…』
シャニの陰茎から溢れていく雫が光った。
「シャニ…!」
密着して、奥を突いてデクスは果てた。押さえた身体が痙攣して、飛沫が上がる。快感で目の前が真っ白になるデクスの頬にふわりと柔らかいものが触れる。シャニの背から真っ黒な翼が生えていた。身体をデクスの上で弓なりに逸らしたシャニの背から紫を帯びて濡れたように光る翼がデクスを包むように伸びている。綺麗だ。無意識に口にしていた。空へ飛び立ってしまいそうだった。シーツへゆらゆらと黒い羽毛が舞い落ちる。ゆっくりと猛禽類の爪がデクスの首に向かった。
「『お、…で、おうじ…まも…』」
聞き取りづらい声でシャニは言った。爪がデクスの首を裂き、へし折ろうとする。悪くないと思った。この男に生かされた。もしかしたら今この現状こそが死後の世界なのかも知れないすら思う。
「…好きに、殺せよ」
シャニは笑った。急速に右側から異質な肌に侵食されていった。怪物へと変わっていった。知った姿はそこにはない。亡国の死に損ないが勝者の上に乗っていた。
テルア王国万歳!テルア王国万歳!ツェントルム神国に裁きを!ツェントルム神国に裁き!
歓声が再び上がる。うるさいほどに。断罪の声がシャニを嬲っているようにデクスは感じられた。ものの数秒で変貌を遂げた長い左手の黒い爪が振り上げられる。デクスは瞠目する。亡国ツェントルムの最後の足掻きを見届ける気でいた。
人間だった化物の皮膚から黒い羽毛が舞い、溢れてデクスの身体とシーツへ揺蕩った。よく見知った男だったものはそこにはいなかった。デクスは半身を覆うほどの大量の漆黒の羽根に埋もれていた。
『「咎は受けたな。導かれし民を安んじよ、人の子」』
姿を消したシャニの声を潰すように重なり混じった高い声がした。あれはツェントルム神国の統治者なのか。
今となってはどうでもいいことだった。妹の婚約者であるのに、義弟になる相手であるのに、亡き実兄よりも慕っていた頃に言った。オレが危ない時はシャニが守ってよ。あの若将軍は律儀に守ったのだった。
おじいちゃん、まだいたのぉ?
「ここはな、じいじを神様にしてくれた人のいた場所なんだ」
子供は日が暮れてもまだ帰らない翁を心配した。
おじいちゃんが神様ぁ?
「人の声で人の言葉で人に直接伝える神様だったんだ、じいじは」
子供は何だそれと言わんばかりに首を傾げる。疑うことも信じることもはっきりと決めるにはまだ早い年の頃だった。
「神様にならなきゃならなかったんだ。分かるかな、人の子よ」
おじいちゃん人間じゃないの?お化け?
子供に問われ翁は苦笑した。
「さぁ、じいじはもう大丈夫だから小童はもう帰りなさい」
うん。あ、ねぇ、おじいちゃん悪魔好きなんでしょ!これあげる!
翁の皺にまみれた手に、カラスの羽根が渡された。遠ざかっていく子供の背中を眺めてから、暗く闇に溶けていく羽根へ目を落とす。国王逝去の鐘が鳴り、ばさばさと黒い群衆が飛んでいく。
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