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第1話
その青年は、きりりと引き締まった眉と薄い唇を持っていた。鼻筋は通っており、目は黒曜石のごとく輝いている。肌は白く絹のようになめらかで、頬には健康そうな血の気が桃色に浮かんでいた。
誰がどう見ても紅顔の美青年と呼ぶ彼の唯一の欠点は、身の丈が五寸ほどしかない、ということだった。それは彼が、尋常の人ではなく、栴檀の実から生まれた妖の者であった。けれど、彼の生まれた時代は人と妖が無理なく共存する時代であったから、彼もまた当然のように受け入れられ、美しい姿かたちと立ち居振る舞いから、塩室の大臣に気に入られて仕えていた。
彼はその身の丈が五寸ほど、人の魔羅より少し大きい程度だったので、栴檀の魔羅法師と呼ばれていた。法師とは僧侶のことでもあるが、男の子という程度の意味でも使われていた。
平和に過ごしていた人々だったが、ある夏の熱い頃から、ぼんやりと海のかなたに濃霧が湧くようになった。
その先から恐ろしく野太い声が聞こえて、商船や漁船が霧に呑まれて帰ってこない日が出てくると、人々は怯えて暮らすようになった。恐ろしがって船は出ず、塩室には物資が届かなくなり、また海の恵みも食膳に上らなくなってしまった。
ほとほと困った人々は、誰か勇敢なものが濃霧の向こうを見て、悪いものがあれば退じてくれはしまいかと望んだ。しかし、得体の知れないものは、誰もが恐ろしい。名乗りを上げるもののない中で、栴檀の魔羅法師は「己が行こう」と声を上げた。
「そのためには、舟がいります。話を聞けば、霧に触れただけで、舟は霧の奥へ連れていかれるのだとか。でしたら小さな、みすぼらしい舟で充分です」
誰もが心配をしながらも、ほかに行ってくれそうなものもいないので、栴檀の魔羅法師が行くことに決まった。
彼は彼の身の丈に合った刀と杖、縄と水や食料が欲しいと言った。人々は彼が無事に帰ってきますようにと、傷の軟膏などもふんだんに舟に乗せて彼を送り出した。五寸しかない彼の姿は、舟に満載された品の影にうもれて、はたからは見えないほどだった。
そうして沖に押し出された舟は揺られて、やがて濃霧に包まれた。がくんと舟が動きを止めたかと思うと、スルスルとどこかへ進んでいく。栴檀の魔羅法師は目元を引き締めて、舟の行きつく先をにらみつけた。
やがて舟は濃霧の壁を抜けて、砂浜に引き上げられた。
「やあ、また舟が来たぞ」
雄々しい声がして、栴檀の魔羅法師は縄の影から様子をうかがった。それは褐色の肌をした、筋骨隆々の男だった。四角く精悍な顔立ちと、太い首。胸板は厚く、胸筋はみっしりと盛り上がっている。波打つ腹筋の力強さもしっかりと目に映ったのは、相手が腰に布を巻いただけの恰好だったからだった。布から、女の胴ほどもある太ももが見え隠れしている。
(なんと美しく、たくましい肉体を持った男だろう)
栴檀の魔羅法師はちょっとの間、男に見とれた。男の足が舟に乗せられ、締まった足首が栴檀の魔羅法師の目の前に来た。そこに刀を突き立てれば、腱を裂いて大きな痛手を与えられるだろう。だが、それをするのは少しかわいそうだと彼は思った。
(なんの目的で、舟を引き寄せているのかを知るまでは、むやみに傷つけないでおきたい)
それは栴檀の魔羅法師が、現れた男の持つ雄々しい美貌に心を震わせているからでもあった。自分とは真逆の美しさを持つ、塩室でも見たことがないほどの美丈夫ぶりに、ほれぼれとしてしまっていた。
(なんとかして、彼が欲しいものだ)
栴檀の魔羅法師は、舟を物色する男をじろじろと観察しながら、胸に欲望を湧き起こさせた。まさにひとめぼれであった。
「人は乗っていないのか」
ぽつりとつぶやいた男は、舟を引きずって海から完全に砂の上にあげた。その声は、どこかさみしそうだった。
作業をする時に込められた力で盛り上がった腕の筋に、栴檀の魔羅法師は胸をときめかせた。なにもかもを自分のものにしたいと、強い衝撃に見舞われる。
(そうだ。このものを俺のものにしてしまえば、すべては解決するのではないか)
退治をせずに、自分のものとしてしまえば、これだけの肉体を持っているのだ。塩室の人々の役に立たせることもできる。栴檀の魔羅法師は彼を自分のものにすることが、使命を全うするのに最上だと思い極めた。
男はちょっと考えてから、腰に巻いている布を外した。きっちりと締められている下帯があらわになり、股間の盛り上がりが栴檀の魔羅法師の真上に来た。彼はゴクリと喉を鳴らして、それを見上げた。下帯の端から、わずかに黒々とした縮れ毛がはみ出ている。引っ張り出したい衝動を堪えて、栴檀の魔羅法師は息をひそめていた。
男は広げた布の上に、舟の上にあるものをすっかり乗せて包んでしまった。栴檀の魔羅法師は縄の隙間に身を潜めて、荷物に紛れて男に担がれた。目の前に男のうなじが見える。癖のある黒い髪は、肩にかかるかかからないかの長さで、櫛を一度も通したことがないのではと思うほど、ボサボサしていた。その隙間から垣間見える首筋に噛みつきたい衝動をこらえて、栴檀の魔羅法師は彼のねぐらに運ばれていった。
男のねぐらは、洞窟を利用したものだった。奥に湧き水があって、その手前に寝床らしい草を敷き詰め、上に布をかぶせている場所があった。入り口の近くに囲炉裏が組んである。男が作ったものなのか、この島に引き寄せて手に入れたものなのかはわからない。
「ふう」
男が息を吐いて、包みを地面に下ろして布を広げた。洞窟の中に、彼のほかには誰の気配も見当たらない。男は舟に乗せられていた食料を手に取って、ためつすがめつした。
「これだけ食料がたっぷりとあるのに、どうして人が乗っていなかったんだ」
つぶやいた彼の声は、ちいさいながらも響きのある、よく通る重低音だった。これほど耳心地の言い声を、栴檀の魔羅法師は聞いたことがない。あの上下する喉仏の奥から、艶やかな声を引き出したいものだと目を細めると、男と会話を交わしたくてならなくなった。
「それは、人々がおまえを恐れて送った供物なんだ」
しれっとウソをついた栴檀の魔羅法師の声に、男は驚いて尻を浮かせた。なんて素直な反応をするのだろうと、彼はほくそえんだ。
「だ、誰だ? いったい、何者なんだ。まさか、泉の精なのか」
キョロキョロする男の言葉を聞いて、彼は大急ぎで泉の傍へ寄り、水音を立てないように身を沈めた。そして、わずかに泳いで泉から顔を出した。
「いかにも。私は泉の精だ。泉を通して、人里の様子を見ることもできる」
男は地面に両手をついて、身をかがめると栴檀の魔羅法師と目の高さを合わせた。ポカンと口を開いて、まじまじと見つめてくる男の無垢な表情に、胸がくすぐったくなってくる。
「ははぁ、泉の精……なるほど、清らかで凛としたお姿をしておるな。ははぁ、ははぁ、なるほどなぁ……ほほう、この島には、俺のほかにもいたんだなぁ」
男は喜色をにじませて、両手を泉の中に入れた。手のひらに掬われた栴檀の魔羅法師は胸を張って、いかにも威厳があるような態度を見せた。
「お前の名前は、なんという。そしてなぜ、舟を濃霧で包んで引き寄せるのだ」
男はちょっと困ったように眉根を寄せて、しゅんとした。たくましい男のそんな姿に、情けなさとあわれをそそられた彼は、事情があるに違いないと返事を待った。
「俺は、珊瑚の岩でできた、この島に住んでいる。名前は与えるものも呼ぶものもいなかったので、持っていない」
「つまり、生まれてからひとりぼっちで住んでいるのか。言葉はどうして操れる」
「海の生き物や、流れ着く人や獣から教わった」
そのようなこともあるのかと、自分も尋常の人ではない栴檀の魔羅法師は納得した。
「流れついたものは、どうした」
「獣は食った。人は、舟のものを置いて逃げた」
「逃げた?」
悲しそうにした男に、ウソをついている様子はない。島から戻ったものがいるという話を聞いたことはないが、栴檀の魔羅法師は信じることにした。おそらく霧の中に舟をこぎだして、方角がわからず塩室に戻れなくなっているのだろう。
「どうして、塩室の沖に出た」
男はちょっと首をかしげて、それから振った。わからないと言っているようだった。
「俺は、ここのほかは知らない」
「なるほど」
納得をしたわけではなかったが、そう言わなければ男があわれだった。おそらく自分がいつ生まれて、なぜひとりぼっちなのかもわかっていないのだろう。妖とは、そういうものだ。つまりこの男も、自分とおなじ妖なのだと思えば、胸の奥に兆していた感情が、ムクムクと膨れ上がった。
「なあ、珊瑚」
呼びかければ、男は目を丸くした。
「珊瑚というのは、俺のことか」
「ああ、そうだ。珊瑚だ。名を与えるものも呼ぶものもなかったから、名がなかったのだろう? ならば俺が名を与え、呼ぶものとなる。珊瑚の岩の島にいるから、お前は珊瑚だ」
珊瑚と呼ばれた男は、顔をほころばせた。
「珊瑚、珊瑚か……うむ、俺の名前は今から珊瑚だ。うむ、うむうむ」
うれしそうにつぶやく珊瑚は、立派な体躯の男子であるのに、あどけない子どもにしか見えなかった。なんて愛らしいのかと、栴檀の魔羅法師は胸の奥をうずかせた。
「なあ、珊瑚。俺はお前が欲しい。お前が俺のものになるのなら、これからはずっと俺と共にいられるのだが、どうだ」
「えっ、俺が泉の精のものになる? それは、どういうことなんだ」
「なあに。簡単で、心地のいい儀式をするだけだ。それで心と共に体もひとつに繋げて、互いに互いを大切にすると誓うのだ」
「それだけでいいのか」
「それだけでいい。だが、その間に、珊瑚は俺の言うとおりにしなければならない。それができなければ、儀式は完了しない。できるか?」
珊瑚はちょっと考えてから、真剣な顔でうなずいた。
「ひとりでなくなるのなら、努力しよう」
「努力をするだけでは、だめなんだ。必ずしてもらわなくては」
「そうか。うん、やる。俺はやるぞ、泉の精。なに、俺は生まれてからずっと、ここであんたの世話になり続けていたんだ。あんたの水を飲んで、あんたと共に生活をしていたんだから、きっと簡単なことさ」
白い歯を見せた珊瑚の言葉に、栴檀の魔羅法師は苦しくなった。泉の精ではないと知られれば、珊瑚は承諾しないのではないか。唇を引き結んだ栴檀の魔羅法師は、うつむいた。
「どうした、泉の精よ」
「なんでもない。では、さっそくに儀式をしようか」
これは作戦なのだと、卑怯と罵る己自身を押し込んで、栴檀の魔羅法師は珊瑚に胡坐をかくように命じて、足の間に立った。目の前には下帯がある。それを外すように命じると、なんのためらいもなく、珊瑚はそれをあっさりと脱ぎ捨てた。だらりと力なく、珊瑚の短槍が黒々とした草むらから生えている。喉を鳴らして、栴檀の魔羅法師は両手を伸ばした。
「うふっ」
亀頭を両手で包むと、珊瑚が肩をすくめた。
「これから俺は、ここをたくさん愛撫する。おまえはじっと、動かずに堪えてくれ」
「よくわからんが、俺が動けば体の小さな泉の精は、ひとたまりもないだろうからな」
「そうだ。だから、身動きをするなよ」
「承知した」
性交について、珊瑚はまったくの無知らしい。それも仕方のないことだと、栴檀の魔羅法師は亀頭を両手でこねくり回した。
「うふっ、う……んっ、くすぐったいぞ……うう、んっ、うっ、ふぅ」
「堪えろ、堪えろ。まだこれからだ」
撫でているうちに、そこはムクムク力をつけて、グングンと持ち上がった。垂れ下がっていた亀頭が、栴檀の魔羅法師の頭よりも高い位置に行く。力をみなぎらせた亀頭の裏筋に顔を寄せて、栴檀の魔羅法師は舌を伸ばした。
「うはっ、は、ぁう……っ、う、ん……奇妙な感じだ……それが大きくなると、いいことがあるのか」
「ある。これは、俺の愛撫をお前が受け止めているという証拠なのだ。俺を感じているということだ」
「ふうむ、そうか……あっ、あ、妙な声が、せり上がってしまうぞ」
「魂からの声だから、抑えずに放てばいい。珊瑚の魂が、俺を欲しがっているのだ」
「はぁ、そうか……んっ、ぁ、あ、ムズムズが、強くなって……は、ぁあっ」
栴檀の魔羅法師は服を脱ぎ捨てて裸体になると、反り返った珊瑚の短槍に馬乗りになった。そして亀頭の筋を掴んで身を伸ばし、膝で幹をしっかりと押さえつけると、鈴口に顔を寄せて孔に舌を差し入れた。
「はふぅっ、ぁ、泉の精よ……どうして、そんなところを舐めている……っ、ふあ」
「心地いい声を出しているな。よしよし……そのまま、感じていればいい。この奥から、珊瑚が俺をたっぷりと感じている証の汁が出てくるのだ。俺はそれを味わっている」
「は、ぁう……汁? そんなもの……あっ、ああ、は、ぁあう」
「ほうら、見ろ。あふれて来たぞ。泉のごとく、湧き出てきたぞ」
先走りをたっぷりと亀頭に塗りつけながら、栴檀の魔羅法師は珊瑚に見ろとうながした。珊瑚は目をまんまるにして、本当だとつぶやいた。
「不思議な液が、出てきたぞ。これは、なんだ」
「俺を求める愛液だ。この奥に、さらなるものが待っている。俺もまた、珊瑚を求めて愛液を出す」
「泉の精の愛液は、うまいのか」
「どうだろうな。飲ませてやりたいが、まずは珊瑚を俺にくれ」
うなずいた珊瑚に笑いかけて、栴檀の魔羅法師は全身を脈打つ短槍に擦りつけた。先走りを使って滑りをよくし、鈴口に指を入れたり舌を這わせたりして淫液を引き寄せる。
「はふっ、は、ぁあ……胸がドキドキとして、苦しくなってきたぞ……あっ、泉の精よ、俺はこのまま、死んでしまうのではないか」
「死にはしない。この程度では、なんということもない。俺を信じろ。俺は珊瑚と、ずっと一緒にいただろう」
言いながら、栴檀の魔羅法師は泉に嫉妬した。泉は彼が生まれてからずっと、珊瑚の命を繋いできたのだろう。だからこそ珊瑚は泉の精のフリをした栴檀の魔羅法師を無条件に信用して、こうして急所を好きにさせている。メラメラと腹の底を熱くたぎらせながら、栴檀の魔羅法師は全身を激しく動かして珊瑚の性器を昂らせた。
(こうして珊瑚をあえがせて、淫液を湧きださせているのは、俺だ。ほかの誰でもない、俺なのだ)
怒りと欲を交えた愛撫に、珊瑚は肌をわななかせた。
「は、ふぅう……んぁっ、あ、は、ぁあ……はぁ、は、はぁ……あっ、ああ」
日に焼けた珊瑚の肌が、快楽の朱色を浮かべる。身動きをするなと命じられている彼は、いじらしくも全身に力を込めて、筋肉を膨らませて耐えていた。
(なんと、けなげで愛らしいのか)
無垢な珊瑚に、栴檀の魔羅法師はますます惹かれた。そうして亀頭の縁に軽く歯を立てて、膝で竿を絞めつけながら、足で短槍の根元を、馬の尻を叩いて急かすように蹴った。
「っ、はぁああっ!」
みなぎりきっていた珊瑚の短槍は、あっけなく決壊した。ねばついた液体が噴出し、栴檀の魔羅法師の全身に降りかかる。ねっとりとした独特の芳香を放つ愛蜜に、うっとりとして亀頭を舐める栴檀の魔羅法師の足先で、珊瑚の腹筋が絶頂の余韻に波打った。
「はぁ……はぁ、は……なんだか、ふわふわとして、いい心地がする」
「そうだろう、そうだろう。俺はもっと、珊瑚を気持ちよくしたい。おまえがよがる姿を、顔を、見ていたい。だが、これは俺のほかの誰にも見せてはいけないぞ。これは、俺と珊瑚とだけの秘密の儀式なのだからな」
こくりと首を動かした珊瑚の手が、栴檀の魔羅法師の体を拾う。
「ベタベタしているな」
「これはお前が、俺を感じた証のものだ。愛液の奥に潜む、さらに深い愛の蜜なんだ」
物珍しそうにした珊瑚は、栴檀の魔羅法師の股間に視線を置いた。
「泉の精の魔羅も、俺のものとおなじようになっているぞ。愛の蜜が詰まっているのか」
「そうだ。珊瑚に対する愛の蜜が、たっぷりと、痛いほどに詰まっている」
痛いと聞いて、珊瑚は顔をしかめた。
「それなら、俺みたいに出せばいい」
「出したいんだが」
言いよどんだ栴檀の魔羅法師は、己の体が五寸ほどしかないことを、悔しがった。
(俺が珊瑚ほどに……いや、せめて人並みの大きさであれば、珊瑚の体の奥に俺を注ぎ込めたものを)
この体の大きさでは、自分自身がずっぽりと珊瑚の内側に沈んでしまう。珊瑚を気持ちよくさせられはするが、己は空しい。互いに心地よくなりたいものだと、栴檀の魔羅法師は、生まれて初めて自分の大きさを恨んだ。
「どうしたんだ、泉の精よ」
「俺は、見ての通りの大きさだ。珊瑚とひとつになり、永久に傍にいると誓う儀式を完了させるには、小さすぎる」
「できないのか?」
「できない」
苦々しく言い捨てた栴檀の魔羅法師は、ぴょいと手のひらから飛び降りて、泉に入った。体中にまとわりついている、珊瑚の愛蜜が気持ちに重くのしかかる。かぐわしい性欲をあおる匂いが、愛おしくて、忌々しくてたまらない。
(なぜ俺は、栴檀から生まれたのだ。もっと大きな……人とおなじ大きさ程になれる実から生まれていたなら、せめて人の子ども程度でいいから、大きくなることができたなら、珊瑚を完全に俺のものにできたものを)
全身を泉に沈めて、栴檀の魔羅法師はくやしがった。ゆらゆら揺れるその姿を、珊瑚はしっと見つめていたが、手を伸ばして彼を水から引き上げた。
「泉に溶けて、またいなくならないでくれ」
悲痛な叫びにも似た哀願の声に、栴檀の魔羅法師は奥歯を噛みしめた。泣きだしそうな珊瑚の鼻に両手を添えて、唇を寄せた。
「いなくならない。俺は、珊瑚が好きだ。ひと目で珊瑚に心を奪われた。お前のすべてが欲しくてたまらない。それなのに、できない自分がふがいなく、悔しいんだ」
「ひと目で?」
きょとんとした珊瑚に、栴檀の魔羅法師は「しまった」と顔色を変えた。
(俺が泉の精ではないと、勘づかれたか)
だが、そうではなかった。
「そうか。泉の精も、俺を見てからずっと、俺を好いていてくれたんだな。俺も、泉を見た瞬間に、ここを寝床にしようと決めたくらい、泉が好きなんだ。清らかで、美しくて、おいしくて……俺の命を繋いでくれている、かけがえのない存在だ」
また栴檀の魔羅法師は、嫉妬に燃えた。それがよけいに悔しさを増幅させる。
(俺がもし、そうではないと知ったら、珊瑚は俺を捨てるだろうか)
壁にたたきつけられて、殺されるかもしれない。
(それでもいい。だが、その前に、偽りでもかまわないから、珊瑚を思うさま愛しきりたい。身代わりだとしても、一瞬でいいから珊瑚の心身を独占したい)
どんなに美しい姫の姿を見ても、どれほど麗しい同性を目にしても、これほどの情欲が湧き起こったことはなかった。魂の奥底から、珊瑚が欲しいと声がする。
野性味あふれる力強さと、しなやかさを思わせる彼の肢体。一見すると獰猛そうでありながら、よく見れば無防備で愛らしい顔立ち。疑うことを知らない、曇りのない眼。
(珊瑚は、誰の手にも汚されていない、美しい宝玉だ)
それを掌中に収めたいと、栴檀の魔羅法師は切望した。
「体の大きさが、おなじほどになればいいのか?」
気の毒そうに眉尻を下げた珊瑚に、そうだとうなずく。すると珊瑚は少し考える顔をしてから、そっと栴檀の魔羅法師を床に下ろした。
「少し待っていてくれ。ぜったいに、泉に溶けて消えないで待っていてくれ」
「わかった。待っている」
うれしそうに口許をほころばせて、珊瑚が洞窟を出て行った。いったいどこに向かったのか。気にはなったが、待っていろと言われたのでおとなしくその場に座って、洞窟内を見回した。
(ここでずっと、ひとりで過ごしていたのか)
塩室に連れて帰り、屋敷を構えて彼と共に暮らしたい。珊瑚ほどの体躯があれば、いくらでも仕官の道はあるだろう。まずは屋敷を守る警護として、塩室の大臣に雇ってもらう。そしてふたりで働いて、屋敷を構えるための金を稼ぐのだ。幸い、自分は給金のほとんどを溜めていた。そう時間をかけずに実現させられるだろう。
(問題は、珊瑚がここから離れるか、だ)
泉の精だと信じている相手から、ここから出ようと言われたら、さすがに不審に思うだろう。そして正体を明かせば、どうなるか。
(いや、先のことはどうでもいい。それよりも、一度でいいから珊瑚とひとつに繋がりたい)
それさえ叶えば、握りつぶされて命を落としてもかまわない。いや、そうなったとして、珊瑚はどうなる。彼の心はひどく傷つき、そしてまたひとりになってしまうではないか。希望を与えた後で、それを取りあげるのは残酷だ。珊瑚を真に思うのならば、真実を伝えるべきだ。
(俺の望みばかりに目をくらませていた)
ちっとも珊瑚のことを考えていなかったと気がついて、栴檀の魔羅法師は反省した。急速な恋に心の目を曇らせていた。彼を愛するのならば、珊瑚の気持ちを一番に考えなければ。
(よし。正体を明かそう)
胸の内をすべてさらけて、彼に伝える。そのために殺されても、だました己の咎なのだから自業自得だ。
命を懸けて、真実を伝えようと腹を据えた栴檀の魔羅法師は、珊瑚の帰りを姿勢を正して待った。
しばらくして、珊瑚が顔をほころばせて駆け戻って来た。息を弾ませながら、栴檀の魔羅法師がいることに安堵する。その姿に、栴檀の魔羅法師はふたたび胸を恋に焦がした。
「真実はさだかではないんだが、これは打ち出の小槌というものらしい」
珊瑚が取り出したのは、金色に輝く、螺鈿細工が施された見事な小槌だった。
「その昔、一寸の男がこれで大きくなって、姫と結ばれたと聞いている」
「どうして、そんなものを持っているんだ」
「どのくらい前だったかに、流れ着いた大きな船の、身なりのいい男がそう言って置いて行ったんだ。なぜか、この島に着く人間は、持ち物を置いて出ていく。船が壊れているときは、次の船が来るまでは、しばらくここで過ごすんだが、その場合も、品物を置いていくんだ」
「そういうものを集めておく場所があるのか」
「捨てるのも、悪いからな。食べられないものばかりだが、キラキラしていて綺麗なものが多いから、島の高い場所に集めてあるんだ」
すると宝がたくさんあるのかと、栴檀の魔羅法師は頭をめぐらせた。それを持って島を出れば、すぐにでもふたりの屋敷を手に入れられるかもしれないと考えて、すぐさま首を振った。
「どうしたんだ、泉の精」
「聞いてくれ、珊瑚。俺は、泉の精ではないんだ」
目をぱちくりさせて、珊瑚は首をかたむけた。
「それほど清らかで美しい姿なのに、泉の精じゃないのか? 泉から湧き出てきたのに」
しっかりと首肯して、栴檀の魔羅法師は己のことと、なぜここに来たのかを語った。そして珊瑚にひと目惚れをして、ウソをついたと謝罪をし、殺されてもかまわないとまで言った。
「俺は、お前欲しさにズルをした。お前を連れて島を出て、屋敷を構えてふたりで暮らしたいと望んでしまった。そのために、泉の精のフリをして、珊瑚を手に入れようとしたんだ」
珊瑚はうまく呑み込めていないようで、じっと栴檀の魔羅法師を見つめて黙っていた。重い沈黙が洞窟内に垂れこめる。唇を硬く結んで、栴檀の魔羅法師は珊瑚の視線を受け止めた。
「……栴檀の魔羅法師」
「そうだ。それが、俺の名前だ」
「長いな。俺みたいに、珊瑚、というほどの長さがいい」
「え?」
「栴檀、で終わりにしないか。なあ、栴檀」
にっこりされて、栴檀の魔羅法師はとまどった。
「珊瑚、俺は――」
「正直に言ってくれて、うれしいぞ。栴檀は、殺されてもいいから、俺にきちんと謝った。お前はいいやつだ。そして、俺と一緒にいたいと言ってくれている」
「ああ、そうだ。俺は珊瑚といたい。珊瑚とずっと、共にいたい。この島から出て、多くの人や獣や鳥や、植物などに囲まれた土地で暮らしたいんだ」
「いろいろなものがいる土地かぁ」
うっとりと、珊瑚は目を細めた。
「行きたいなぁ。そこなら、あのキラキラしたものたちが役に立つから、島に来たものらは置いていったんだろうな」
「見てはいないが、おそらくそうだろう。きっとそれは黄金や宝玉のたぐいに違いない」
「それがあれば、いいことがあるのか」
「食べ物や着るものや、屋敷を手に入れることができる。屋敷とは、住む家だ。あと、人を雇うことだってできる」
「ふうん」
よくわからないと、珊瑚の顔に書いてある。どう説明をすれば伝わるのかと、栴檀の魔羅法師は考えた。答えが出る前に、珊瑚が言う。
「まあ、いい。あれば役に立つものなら、舟に乗るだけ乗せて行こう。そうすると、栴檀を大きくしてしまったら、荷物を載せる場所が減るから困ってしまうな」
「珊瑚……お前、俺と島を出るのか。泉と離れてしまうんだぞ」
泉の精だと思ったから、珊瑚は自分を無条件に受け入れたのではないかと、栴檀の魔羅法師は身を乗り出した。島を出ても、またすぐ戻れると珊瑚は考えているのだろうか。
珊瑚は横目で泉を見ながら、寂しい笑みを口の端に浮かべた。
「泉と離れるのは、とてもつらい。だがな、それを取れば、また俺はひとりで過ごさなくっちゃならないだろう? 俺を外に誘ったのは、栴檀がはじめてだ。誰も共に行こうとは言ってくれなかった」
「珊瑚」
「それに、栴檀は俺に名を与えてくれた。俺を呼んで、欲しいと言ってくれた。俺はそれが、とてつもなくうれしい。こんなに小さくて美しいのに、俺を怖がらないどころか、共にいたいと言ってくれた」
珊瑚の声が細かく震える。目じりを光らせながら、珊瑚は笑った。
「だから、俺は栴檀と行く。栴檀のものになろう。俺をこの島から引き出して、共に生きようと言ってくれる栴檀と、いろんなもののいる世界に行きたい」
「珊瑚」
胸を詰まらせて、栴檀の魔羅法師は……いや、栴檀は両手を伸ばした。そこに珊瑚が顔を寄せる。
「俺を、栴檀のものにしてくれ」
とてつもない喜びに包まれて、欲望を発露させかけた栴檀は己を律した。
「いいや。ダメだ、珊瑚。それはできない」
「なぜだ。いま、大きくなれば舟に荷物が乗らないからか」
「そうじゃない。珊瑚はまだ、なにも知らない。俺をもっとよく知って、心の底から俺が欲しいと、俺と共にいたいと思ってくれたときにはじめて、その小槌を使ってくれ。俺は珊瑚に惚れているが、珊瑚は俺が一緒にいると言ったことに喜んでいるだけで、俺に惚れているわけではないだろう」
「惚れる、ということが、どういうことなのかがわからない」
「だからだ。だから、島の外に出て、共に暮らして、その中でいろいろのことを知って、惚れる、を、覚えて……その対象が俺だったときに、珊瑚のすべてを俺にくれ」
必ず惚れさせてみせるぞと、決意を瞳に浮かべて、栴檀は珊瑚を見つめた。珊瑚はもの言いたげにしながらも、わかったとうなずいた。
「それなら、そういうことにしておこう。俺は栴檀と島を出て、いろいろを覚えて、それで栴檀に惚れたら俺を与える」
「決まりだな」
「それじゃあ、小槌のほかのものも持ってこよう。俺はどれが何かを知らないから、栴檀が持って出るものを決めてくれ。裏に、栴檀の舟よりも大きな船があるんだ。栴檀の舟を使って、ちょっとある穴をふさいで出ることにしよう」
言うやいなや、珊瑚は洞窟を飛び出てしまった。引き締まった背中や尻のエクボを見送って、栴檀は頬を持ち上げた。
「あの腰をしっかりと抱きしめて、俺を深く突き立てられるよう、お前に惚れられるために、俺は全力を尽くそう。珊瑚」
彼のつぶやきは、風に乗って、それと気づかせずに珊瑚の胸をときめかせた。
宝物が山と積まれている場所に到着した珊瑚は、盛り上がった胸筋の上にそっと手を乗せ、温かな鼓動の高まりを噛みしめながらほほえんだ。
「俺はこれから栴檀と、共に生きるんだ」
甘やかなものを含んだ微笑を浮かべて、珊瑚は心に灯った気持ちのように、きらきらしい宝物を腕一杯に持ち上げた。
栴檀の魔羅法師が、身の丈の揶揄ではない、立派に育った己の魔羅を存分にたぎらせ駆使して、珊瑚を喜悦にむせび泣かせるのは、まだ少し先の話――。
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