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ハロウィンの解けない魔法

 バイトの新人研修で熱心に質問していて親しくなり、そのままバイトリーダーになった俺を、エリアマネージャーの高見沢さんがアパートまで送ってくれるようになってから、一ヶ月が経とうとしていた。  今日は、十月三十一日。街は、ジャックオーランタンやカラフルなロゴの『Happy Halloween!』で彩られ、仮装した子供たちが楽しそうにさんざめく声がそこかしこから上がっては、すれ違って行っていた。それを微笑ましく見送って、俺は切り出す。 「高見沢さん。スイーツ屋さんに寄りたいんですが……良いですか?」 「ん? はい。西川さん、甘いものが好きなんですか?」  ピンときてない顔で前を行く高見沢さんが振り返って、俺はクスリと漏らした。 「子供たちへのお菓子を買うんです。今日がハロウィンだって、気付いてますか?」  高見沢さんはようやく合点がいったようで、すぐ横の雑貨屋さんのディスプレイを覗いた。カボチャの鮮やかなオレンジ色と、その中で揺れるキャンドルの炎を見て、仕事中は研ぎ澄まされている眼光を、ふっと細めた。  俺は、高見沢さんのそんな繊細な表情が好きだった。長く時間を分け合うバイトリーダーになって初めて、高見沢さんが仕事とプライベートを分けるタイプの人だと知って、プライベートでだけ時折見せるちょっと悪戯っぽい笑みが大好きになった。 「西川さんのアパートにも、子供が来るんですか?」 「はい。うちの近くに、幼稚園があるんです。今はもう大きくなって引っ越しましたけど、以前姉の子供がそこに通っていて、よくお迎えに行ったりしてましたから……。俺、子供が好きで」 「そうですか。じゃあ、今日は特別な日なんですね」  他人ごとみたいに言って、大通りの向かいを練り歩く仮装した子供たちを見る高見沢さんに、俺は小首を傾げた。 「高見沢さんにとって、ハロウィンは特別な日じゃないんですか?」 「ああ……僕、親戚の家をたらい回しにされて育ったから、何か特別な日ってした事ないんです」  寂しい言葉とは裏腹に、また他人ごとみたいに遠くを見て言う高見沢さんに、俺はショックを受けて頭を下げた。 「あ……すみません、変な事聞いて!」  その勢いに驚いたように、視線が俺をとらえて、笑みの形に細まった。 「ああ、いえ。もう昔のことだから、何とも思っちゃいませんよ。西川さんが謝る必要はありません。この店なんかどうですか?」 「え?」  高見沢さんは、はぐらかすのが上手だ。その寂しい子供時代を思って泣きそうな顔になっていた俺の手首を掴んで、一軒のケーキ屋さんのドアをくぐる。そこには、ハロウィン用にラッピングされた小さなマドレーヌたちが、華やかにショーケースを賑わせていた。 「値段も手頃で、良いと思いませんか?」  あとは、高見沢さんのペースに流されてしまう。過去を話してくれたのは、今日が初めてだっていうのに。これ以上は話したくない、ってことかな……。そう思って、俺も話題を合わせた。何か俺にしてあげられる事はないかな、とも密かに胸中で考えながら。 「そうですね。この綺麗なラッピング、特に女の子が喜びそうです」  マドレーヌを十個余り買って、浮かれる街並みを、他愛もない事を話しながら帰路につく。いつもはアパートの下で別れるのだけど、今日を高見沢さんの『特別な日』にしてあげたくて、思い切って誘ってみた。 「高見沢さん。お茶でも飲んでいきませんか?」 「お? 良いんですか?」 「はい。俺呑めないんで、お酒はありませんけど、コーヒーなら……」  話しながら、三階までの階段を上がる。高見沢さんも躊躇なく着いてくる。良かった……これで少し、ハロウィンを高見沢さんの『特別な日』にしてあげられる。自然と笑み交わしながら、俺たちは階段を上りきった。    ところが鍵を開けていると、追いかけるように小刻みな足音がカンカンとけたたましく駆け上がってきた。少し残業したから、子供たちがもう来てしまったんだ。可愛いゾンビやおしゃまな魔女、とりどりに仮装した子供たちに、玄関先で高見沢さんと共に囲まれてしまう。 「トリックオアトリート!」 「待って待って、僕は持ってないよ。くれるのは、こっちのお兄ちゃん!」  コートの裾を引っ張って合い言葉を繰り返す子供たちに、高見沢さんが慌てたように俺を指差した。 「トリックオアトリート!」  その言葉を聞いて、わっと群がってきた子供たちに順番に、俺はさっき買ったマドレーヌを一個ずつ握らせる。 「ハッピーハロウィン!」  と返しながら。 「わっ、ちょ、くすぐらないで!」  子供たちは、俺からマドレーヌを貰うと、今度は纏まって高見沢さんに『イタズラ』していった。足の長い高見沢さんを子供たちがくすぐると、ちょうど股間の辺りに小さい手が当たる。振り払う訳にもいかず、ひどく困惑している高見沢さんを見て、俺は盛大に噴き出していた。 「西川さん! 笑ってないで助けてください!!」  その必死さが余計に可笑しくて、俺は腹を抱えて笑ってしまった。 「ふふ、駄目ですよ、高見沢さん。ハロウィンにお菓子を持ってないのが悪いんです」 「こら! ズボンを下げないで!!」 「あはははっ……」  本気ではないものの、高見沢さんが思わずげんこつを振り上げると、キャーと奇声を残し、子供たちは嵐のように階段を下って逃げて行った。 「……あっ! チャック下ろして行った!」  ハッと気付いて急いでスラックスの前を閉める高見沢さんに、俺は涙が出るまで笑った。 「西川さん! 笑い過ぎ!!」  一喝されて、俺はクスクスと漏らしながらも、ようやくこみ上げる笑いを堪えていた。 「でも、楽しかったでしょう? 高見沢さん」 「楽しいもんですか。イタズラされる身になってくださいよ」  いつもポーカーフェイスの高見沢さんの、貴重なカオが見られた気がして、俺は暖かい心地でアパートのドアを開けた。マドレーヌは、一つ残らず子供たちに取られてしまっていた。 「ふふ……さあ、上がって下さい。コーヒー淹れます」  ドアが閉まって、背を向けた俺に、不可思議な低音が耳元で囁かれた。 「……トリックオアトリート」 「え?」  振り向くと、俺の大好きな悪戯っぽい笑みが、間近で俺を覗き込んでいた。『トリックオアトリート』に返す言葉は、普通『ハッピーハロウィン』か『トリート』だ。だけど、お菓子はもう持ってない。  初めての近さで見る高見沢さんの瞳は、睫毛が長くて凛と切れ長で、一気に俺の鼓動をうるさくさせた。 「……」 「ん?」  ぽそりと呟いた言葉は高見沢さんの耳には届かずに、もっと顔を近付けて聞き返される。高見沢さんにも聞こえてしまうかもしれないと思うほど、心臓が早鐘を打った。 「トリック……」  俺は顎を下げて上目遣いに、高見沢さんの企みに乗る事にした。 「んっ……」  だけど不意に頬に触れられて、真っ赤になって躊躇うと、高見沢さんはその内容とは反比例して無邪気に言った。 「『イタズラ』しても良いんでしょう? ハロウィンにお菓子を持ってない人には。……僕が好きですか?」  俺だけじゃなかったんだ……抱き締めたいと思ってたのは。 「……好きです、高見沢さん……」 「僕も、好きです」  そして俺たちは、愛し合った。初めての緊張にこわばる俺の身体を優しく愛撫し、高見沢さんは愛する人とひとつになる悦びを教えてくれた。腕枕でのピロートークで、甘い低音を聞かせてくれたのは、シンデレラの魔法が解けてしまう頃だった。 「今日は、僕にとって初めての『特別な日』です」  でも、この魔法は解けやしない。ハロウィンの魔女が、気まぐれにキューピッドの矢を放ってくれたのかもしれなかった。 End.

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