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第6話

「…ぅ…わっ…」 突然、その毛布の塊から何かがニョキッと姿を現し、那智の腰に絡みついた。 それが人間の両腕だと確信した時には、もう那智の体は引き寄せられるようにその毛布の塊の上に転がる事となった。 「ちょっ、セイさん?!起きてるんですか?!」 この状況で、絡み付く腕が誰の物なのかは一目瞭然。考えるまでもない。 人型に盛り上がった塊の上に覆いかぶさるようにして倒れこんだ那智の下から、その毛布をかき分けてピンク色の物体が現れた。 セイの髪の毛だ。 寝ぼけているのかふざけているのか…。 腰に絡まる長い腕を離すには、いったいどうしたらいいんだろう。 那智がそんな事を考えていると、突然体がフワッと宙に浮いた。それに伴い、腰に絡んでいた腕は自然と剥がれおちる。 那智の望んだ腕からの解放。 だが、この状況はいったい何事か。 両脇に感じる強い圧迫感をそのままに背後を振り向くと、ニヤリと笑う蘭がいた。いつの間にか近づいていた蘭に、両脇に手を入れられて体ごと持ち上げられたらしい。 いくら体格差があるからといったって…、この格好、 …俺は子供か…。 那智がイヤ~な顔になったのは言うまでもない。 「…蘭さん…」 「なんだよその不服そうな顔は。セイの腕から助け出してやったんだからもっと嬉しそうな顔しろよ。お前本気で困った顔してたぞ」 そう言って、那智を床におろしながら楽しそうな声を上げた。 「…………返せ…」 「…え…?」 突如として足もとから聞こえた不機嫌な声。 思わず反応した那智は、毛布の塊を見つめながら首を傾げる。でもその塊はぴくりとも動かない。 気のせい? 「…蘭さん、今のは」 「セイの声だな」 「返せって聞こえた気がしますけど、何…をっ?!」 話している途中の妙な叫び声と共に、那智の体が下に沈んだ。そして毛布の塊に抱きしめられている。 これにはさすがの蘭も苦笑いを浮かべて溜息を吐いた。 「セイ、いい加減まともに起きろ。那智に嫌われても知らねぇぞ俺は」 「………」 蘭の言葉に何か考える部分があったのか、ぴたりと動きを止めたセイは、片手を那智の腰に回してその体を拘束したまま、もう片方の手で毛布をモサモサと横に除けはじめた。 徐々に露わになるその姿。 ストレートのミディアムショートの髪は、柔らかなピンク色。どぎついピンクではなくベビーピンクなのが目に優しい。 座り込んでいてもわかる背の高さ。それは蘭といい勝負だろうと思える程。 体の厚みは、蘭と比べると細身。いわゆる細マッチョ体型だ。 眠そうに細められている瞳のせいか、全体的な雰囲気は“気の抜けた、でも品の良さそうな大型の猫”のような感じ。 ただし、その“気の抜けた”感じが保たれたのは僅か数秒。目の前にいる那智を直接見た瞬間、突如として肉食獣のオーラを解き放った。さっきまでのおっとりした雰囲気など一瞬で払拭される。 瞳に熱がこもり、寝ぼけていたはずの表情は獰猛な獣そのものになる。舌なめずりまでしそうな勢い。元々の造作が綺麗なだけに、その迫力は増すばかりだ。 抱きしめられている那智も、目の前で起きた突然の変貌に目を見張った。 だが、その驚きも僅かの間。この獰猛な姿の方がセイの本性だと知っている那智にしてみれば、やっぱりこの人はこうだよな…と馴染む部分が大半。 「…なに、那智…。こんな明るい時間にボクの所に来るなんて。夜が来るまで待てなかったの?せっかちさんだねぇ」 耳朶に唇を触れさせながら、フェロモン垂れ流しの甘く低い声で戯れのように囁くセイに、那智は居心地悪く眉を寄せた。 「そうじゃなくて、問題が起きたんです。…って、セイさんは知ってますよね。今日中に考えをまとめたかったので、蘭さんにお願いしてセイさんの居場所を教えてもらいました」 「へぇ…、そう」 座り込んだまま背後から那智を抱きしめるセイの返事は棒読み。全く興味の無さそうなものだった。 溜息を吐いた那智は、セイの腕の中で結構本気で身じろぎする。いい加減に離れてほしい。 だが、嫌がらせなのかなんなのか、逃がしはしないと絡みつく腕の力は更に強くなった。 「…セイさん、そろそろ離してもらえませんか」 「Verche(ヴァーチェ)」 突如として聞こえた言葉に動きを止めた那智は、そのまま背後のセイを振り返った。間近にあるのは、少しだけ面白そうに瞳が細められた端正な顔。 「ゼロと闇を襲った新参チームの名前。…でも、お前ならもうそれは知ってるだろ」 先程セイに言った言葉を今度は自分が言われる事となった那智は、思わずふっと笑いをこぼした。 セイの言うとおり、“それは知っている” ただ、こちらがどこまでの情報に辿り着いているのかさえも知っているセイの情報網には、さすがに脱帽した。 那智が何も言わずに小さく頷き返すと、優しく微笑んだセイが手を伸ばし、漆黒の髪を愛しげにクシャリと撫でた。 セイがそんな優しい顔をするのは珍しい。珍しいどころか、まず無い。 それを知っているからこそ、二人の様子を眺めていた蘭は目を見張った。 セイが那智を気に入っているのは知っていたけど、ここまでか…と。 「それなら、……お前が知りたいのは奴らの考え、か…」 「ヴァーチェが武闘派だというのは聞きました。けれど、俺達ゼロに闇の名前を騙って嘘の情報を流して、何を企んでるのか…」 セイの腕から逃れる事を諦めた那智は、されるがままの状態を気にもせず、口元に人差し指の背を当てて考え込んだ。 そんな那智を暫しの間見つめたセイは、笑みを消し、真顔である一つの情報を口にした。 「ヴァーチェが、闇の奴らにも奇襲をかけたのは知ってるか?そして闇の奴らには、自分達はゼロのメンバーだと名乗っている」 「…え?」 俯き加減で考え込んでいた那智は口元から指を放し、その眼差しに硬質な光を宿してセイを見つめる。 「まさか…ヴァーチェの狙いは」 「ゼロと闇の全面戦争、だな」 答えたのは、立ったままソファの背もたれに浅く腰をかけて話を聞いていた蘭だった。 この人絶対に面白がりそうだな…と思ったのはその顔を見るまで。実際は、何を思っているのか無表情だった。 「…最悪な場合、蓮との直接対話が必要か…」 蘭から視線を外した那智は、床を見つめて考えを巡らせながらボソっと呟いた。声に多少の苦味が混ざってしまったのは仕方がない。 こちらには、こうやって情報を提供してくれるセイがいる。だからこそVercheの真の狙いがわかったけれど、もしMoonlessがそこまでの情報に辿り着いていないとするならば、本当にBlue Roseの仕業だと思っているかもしれない。 その最悪な予測が現実となっていた場合、状況を打開する為には、自分が直接蓮の元へ赴いて説明をしなければ信じてもらえないだろう。下の人間が行ったところで、話を信じてもらえないばかりか、新たな嫌疑をかけられかねない。 「那智…、もしかしてお前、自分の(つら)を闇の連中に晒すつもりか?」 先程までの軽い口調から一転、蘭の本性が垣間見える低く不機嫌さ含ませた声に、那智はハッと意識を戻した。 視線の先にいる蘭は目を眇め、警戒する表情になっている。 それを見た那智は、緩く首を横に振った。 「いえ、会うとしたら蓮だけです。もしそれが必要になった時は、蓮に直接コンタクトを取って個人的に会うつもりです。いくら俺でも、自分のところの下にもほとんど顔を見せていないのに、闇のメンバー達に姿なんて晒せないですよ」 その答えに納得したのか、溜息と共に蘭の表情から剣が消えた。蓮だけなら仕方がないと思ったのだろう。実際、いつまでも隠し通せるとは思っていない。いつかはバレる事だ。 だが、納得したのは蘭だけだったようだ。那智の背後にいるセイからは、蘭以上に物騒な気配が漂いはじめている。 もちろん、その気配にいちばん最初に気がついたのは、ピタリとくっついている那智だ。 振り向いて目が合った瞬間に食いつかれる。そんな想像をしてしまうくらい不穏な空気。 これはどうするべきか・・・。 蘭に助けを求めようと視線を上げた瞬間、 ヴーヴーヴー、ヴーヴーヴー バイブ音が響いた。 蘭の携帯だ。 すかさず足を踏み出した蘭は、テーブルの上に置いてあった携帯を(さら)うように掴み、そのディスプレイをチェックする。途端にピクリと片眉を上げた。 問題のある相手だったのだろうか。 「悪い、ちょっと急用で出かける。後は任せた」 「え」 …任せたって…、 ……え……? 表には出さずとも内心では焦る那智を置いて、蘭は1人でさっさと部屋を出て行ってしまった。 その時間、携帯が鳴ってから1分かかったかどうか。止める間もない早業だ。 「………」 「………」 途端に静まり返る室内。 セイと二人きりになる事は多々あっても、こんな明るい日中から誰かの部屋で二人毛布に包まれて…という状況は初めてだ。おまけに不機嫌というオプションが付いている。 静寂が痛すぎるほどに痛い。 身じろぎした際の、さっきまでは気にもならなかった衣擦れの音が、やけに耳に障る。 これ以上ここにいると碌でもない事が起きそうな予感がした那智は、フローリングに片手を着いて、セイと毛布の山から抜け出そうとした。 「那智、ボクから離れてどこに行くつもり?」 「………」 その声を聞いた那智が、再び無言で座りなおしたのは言うまでもない。 セイの声は不機嫌さに彩られ、それを諌める蘭も今はいない。 猛獣使いが去ってしまったあとに残された猛獣。…と、その獲物。…にはなりたくないが、セイから醸し出される不機嫌なオーラは、那智が被食者側だとハッキリ伝えてくる。 どうするべきなのか…、内心で対策を考えていると、また那智の体にセイの腕が絡んできた。 「親切な忠告その1。お前一人で闇に話を通そうとするのは止めておけ、他のNo持ちを使えばいい。忠告その2。蓮と個人的に会うのは………ボクが許さない」 「………」 甘いフェロモン系ヴォイスで囁かれた言葉に、那智の首筋がゾクリと粟立つ。優しい声の裏側に、冷たい何かが隠されているのを感じ取ったからだ。 真綿で包まれた刃物のようなそれは、一瞬の油断を誘うからこそ恐ろしい。 「…許さないって、なぜですか」 背中に凭れかかってくるセイに視線を向けた那智は、僅かに眉を寄せて問いかけた。 セイが自他共に認めるエゴイストだということは、過去の経験から痛いほどよく知っている。きっと、ろくでもない答えが返ってくるだろう…、とわかっているのに聞いてしまった自分の行動を激しく後悔したのは、それから数秒後。 「嫉妬」 それまでの物々しい気配を消し去ったセイは、ニッコリ笑ってそう答えた。 「………」 …ここまで本気で脱力した事はあっただろうか…。 セイの言葉が本気だろうが冗談だろうが、もうどうでもいい。深い溜息と共に肩を落とした那智は、うろんな眼差しを背後に向けた。 「……あの…、セイさん」 「ん?何?」 疲労感たっぷりの那智の様子に気づいているのかいないのか…。まるで、眼に入れても痛くない者を前にしたかのような優しげな表情を浮かべたセイは、なんでも言ってみな?とばかりに那智の顔を覗き込んだ。 そんなセイに一言、那智が放ったのは、 「頭が痛くなったので帰ります」 だった。 セイがキョトンと目を瞬かせた姿を見たのは、後にも先にも那智ただ1人。

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