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パンプキンビスケット

レンガ造りの遊歩道。 秋風に飛ばされた枯葉がその上を音を立てて流れていく。 ずっ…と鼻を鳴らしてその道を歩くと、スニーカーの下で落ち葉が割れる乾いた音がした。 遠くの方で鈴の音が聞こえる。 通っている大学からこの道を歩いて30分。 その音が聞こえてきたら、バイト先はもうすぐそこだ。 冷たい風が頬を撫でて、つられたようにパッと顔を上げる。 そこには見慣れた人が小さな喫茶店の前で箒を持って立っていた。 「お疲れ様です。」 その人の背中に声を掛けると、その男の人は振り返って静かに微笑んだ。 「お疲れ様。今日は早かったんだね。」 「3限しかなかったのでお昼はこっちで食べようと思って。なんか作ってくれます?」 「いいよ。何がいいの?」 その人は微笑みながら涼太にポンと手を置いた。 「子供扱いはやめて下さいって言ってるでしょ。」 「だって可愛いんだもん。で、何がいいの?」 「なんでもいいです。」 「難しい注文だなぁ。」 「でも作ってくれるじゃないですか。」 「そりゃあお客様からのご注文ですから。」 「とか言って、いつもいろんな人の無理難題を聞くから大変なことになるんですよ。」 「たまにでしょ。」 「いつもです!」 涼太は頭に置かれた手を払いのけて喫茶店に入っていく。すでに開店済みだが、お客さんはまだ居なかった。 この喫茶店のオーナー、桐谷(きりたに) 千景(ちあき)が喫茶店を開業したのは今から4年前の28歳の時で、それまでは色々なところで働きながらコツコツと資金を貯めていた。そこにバイトとして雇われたのが大学生の土屋(つちや) 涼太(りょうた)だった。偶然、この喫茶店の前を通りかかった時に、店先にバイト募集の張り紙を見つけ、その場で申し込んだら即OKが出た。すぐにその日からバイトに入ることになり、それから大体2年が経った。後々どうしてすぐにOKしてくれたのか聞いたら、「特になにも考えてはいなかったけど、悪い印象もなかったから。」と喜べない事を言われた。 この若さで喫茶店を営んでいると、時々女性から声を掛けられたりバイトの申し出があったりする。千景はことごとく断ってきているが、時折、涼太がいなかったら申し出を受けるのかなと思ったりもする。涼太にとってはこの喫茶店のバイトは性分に合っているし、大学からここまでの距離も程よいし、休みの融通もなるべく聞いてくれようとするので辞めたくはない。だが、あまりに女の子からの申し出が多いと、女の子にも千景にも申し訳ないことをしている気持ちにもなる。 もしかして千景の良い出会いを潰しているんじゃないかと思う時もあるが、そんなことを気にしていたらキリがないくらい、千景が女の子から声を掛けられることは多かった。それも、千景が女の子のわがままを聞いてあげてしまうからで、メニューにないものは作れないと言ったっていいのに、出来るものは作ってしまうから悪かった。 せめて千景の外見がもっと悪ければ変な事も起きないだろうが、ファン減少は店としても嬉しくない。 高身長で細身だけど優男にも見えないバランスのいい体躯。醸し出す雰囲気はふんわりと柔らかく、スイーツと同じような甘さがあって、顔面偏差値も憎い程に高い。そのおかげで来てくれる客がいるのも否定出来ない。 それに引き替え涼太の外見はどれを取っても平均並みで、欲目で見ても中の上止まり。バイト中は千景の隣に立つこともあり、不意に千景を見上げた時は身長の差と共に、その他の格差を思い知ることになる。 千景みたいな人間がどうやったら構築されるのか謎であり、劣等感はないかと言われたらそれも否定は出来ないが、それでもバイトを辞めたいと思ったことはなかった。 「美味いからいけないんだよね。」 涼太は適当に頼んで出されたスコーンを一口頬張って、そう呟いた。 「うん?」 「俺がここのバイトを辞められない理由ですよ。」 「え、辞めたいの?」 「だから辞められないんですって。俺ってスイーツとか甘いものはあまり食べないんですけど、千景さんが作ったものは平気で食べれちゃうっていうか…むしろ好き?」 「ありがとう。おかげで涼太くんが居てくれるなら良かったよ。」 「…そういう顔でそういうこと言うの、良くないですよ。」 自分の顔がどれだけ人の心を揺さぶるか、知らないのは本人だけなんだろうな…と涼太はため息を吐く。千景のその顔を見て目がハートになっている女の子をもう何人も見てきたが、千景がそれに気付いていたことは知る限り一度もない。 鈍感なのか、気付かないフリをしているのか。 どちらにしてもあまり恋愛事には興味がないのかも知れない。 「そういえば涼太くん、今度のイベントの日はバイト入れそうなんだっけ?」 「イベントって、ハロウィンのですか?」 「そう、31日はあまりお客さんも来ないから、29日と30日の二日間にしようと思うんだけど。」 「バイトは大丈夫ですけど、何をするかは決まったんですか?」 「うん。例年通りになっちゃうけど、お菓子を配ろうと思ってる。」 「配るなら小さくラッピングしてクッキーとかビスケットとかですか?」 「その予定。涼太くんはクッキーとビスケットならどっちが好き?」 「うーん、ビスケットですかね。」 「じゃあ、そっちにしようかな。」 「ラッピングするなら俺が雑貨屋行ってきますよ。」 「あぁ、じゃあ……いや、やっぱり一緒に行くよ。」 「え、珍しい。」 「いつも涼太くんに任せっきりだからね。たまには自分でも見に行くよ。今週末の予定は?」 「…空いてますけど、いいんですか?」 「僕からお願いしてるのに、良いも悪いもないと思うけど。」 「そうですけど、千景さん秘密主義だから。」 「別に秘密主義ってわけじゃないんだけどな。」 とはいうが、千景は自分のプライベートなことは一切語らない秘密主義者だ。 これまでの会話や他の人としている会話を聞いて、あえて語っていないのだとすぐに分かった。自分からは愚か、誰が聞いても教えてくれないのに、それを秘密主義と呼ばないなら一体何が秘密主義だというのか。 「千景さんがいいなら俺はいいんですけどね…」 「良いんだって。」 こうして週末、涼太と千景は駅周辺にある雑貨屋に行くことになった。 駅前に集合して、それから二人で雑貨屋を練り歩く。 「これとかどうですか?ビスケットなら2、3枚入ると思いますよ。」 「うん、いいんじゃないかな。」 透明な小袋にカボチャのおばけやコウモリなどの柄がついたハロウィン仕様の包装袋だ。ハロウィン前になれば類似した商品は雑貨屋などにいくつも並ぶ。店内もハロウィンの飾りつけがされていて、どこに行ってもカボチャのおばけが笑っていた。 「これだと50枚入りだから、2、3個買っときますか?」 「そうだね。」 涼太の後を着いてくるだけの千景は、涼太が何を聞いてもいつもの笑顔で「そうだね。」とか「いいと思う。」しか言わないので、今日に限ってどうして着いてきたのかと首を傾げる。てっきり千景には千景の欲しいものがあるのだと思っていた。 「千景さん」 「うん?」 「なんで急に一緒に買いに行くなんて言ったんですか?」 「うーん…たまには一緒に出掛けてみたいなって思ったからかな。」 そう言って千景は涼太の頭をポンポンと撫でた。時折いろんな場面で同じことをされるが、その度に子供扱いはやめてくれと言うのに、千景はそれをやめることはなくて、それこそ子供を愛でるように「可愛いからなー」と言って更に頭をぐりぐり撫でてくる。 「他に買うものないですよね?じゃあ、俺はこれ買ってきますから!」 千景の手を払いのけてレジへ向かおうとしたが、「お会計は僕がするからね。」と言って持っていたものをさらっと奪われた。 イベント用だしそれが道理かと思って会計は任せ、涼太は「あの辺を見てるんで。」とアクセサリーのコーナーに向かった。 ここの雑貨屋のアクセサリーはガラスケースに入れられているものが多く、そういうものは簡単に手が出せる金額ではない。前々から来たことがある雑貨屋なのでそれを知ってはいたが、いつもつい見てしまうのだ。 「…へぇ、綺麗…」 涼太が目を奪われたのは細めでシンプルなデザインの指輪だった。緩く捻れたようになっていて、そのうねりに沿って光が反射してとても綺麗だった。 「おまたせ。何か良いものでもあった?」 会計を済ませた千景が涼太の視線を辿ってガラスケースの中を覗き込んだ。 「ちょっと見てただけです。」 「買わなくていいの?」 「さすがに高くて手が出ませんよ。」 そう言われて千景はもう一度ガラスケースの中を覗き込む。そこに並べられたものの値段を確認してから「おぉ…」と声を漏らした。 「買いたいものも買ったし、もう帰りますか?」 「せっかくだからどこかでお茶でもしない?」 千景にそう誘われたが、涼太はあまり気が乗らなかった。 最近は特にそうなのだが、普段から千景の淹れたものばかり飲んでいるので、他の喫茶店で飲むお茶やコーヒーをあまり美味しいとは思わなくなったのだ。 どうせお茶をするならば…と、涼太はうちの喫茶店に行きたいと千景に頼んだ。 もちろん、そこでキッチンに立つのは千景しかいない。 「いいけど…逆にいいの?いつも飲んでるのに。」 「いつも飲んでるから、すり込みですかね。」 「千景さんのが飲みたくなるんです。」と涼太が言うと、千景は「そういうことなら」と静かに微笑んだ。 せっかく休みの喫茶店にいるのだから、と千景がイベントで配るビスケットの試食を作りたいというので、途中で材料を買ってから喫茶店に向かった。 喫茶店に着くと千景は頼むまでもなく、いつものように涼太がお気に入りの紅茶を淹れてくれる。 ゆらりと踊る湯気と共にほんのりと甘い香りが漂ってくる。 一口だけゆるく啜ると、じんわりと体の芯から温めてくれた。 「…美味しい」 「良かった。今ビスケットも作るね。」 すり込みとは言ったが、千景の淹れたお茶が他より美味しいのも事実としてあると思う。 一度味わってしまったら、こうなることは必然だったのだ。 紅茶を堪能しながら、千景と他愛もない会話が続く。 とはいえ、千景のプライベートなことは一切なく、イベントの話か、常連客の話か、涼太の大学の話をするくらいだった。 千景のプライベートなことは聞かないというのも、涼太にはすり込みの一つとして身についていた。 程なくして試食のビスケットが出来上がると、何杯目かの紅茶と一緒に涼太はそのビスケットを頬張った。 「どう?」 「美味しいです。」 千景が作るものが美味しくないはずがない。バイトを始めて2年、もうそろそろ3年になるが、いまだかつて千景が失敗したところも、不味いものを食べさせられたこともない。 その点の信頼は他の誰よりも置いている。 「試食する意味もなかったですね。」 「そんなことないよ。涼太くんのお墨付きがあると自信が持てるからね。」 そう言って千景はまた、静かに微笑んだ。 それから数日後―― 「一昨日と昨日のことが嘘のように静かですね。」 「本当にねぇ。涼太くんがバイトに出てくれて本当によかったよ。僕一人じゃさすがに回せなかった。」 喫茶店のハロウィンイベントは大盛況で終わり、本当のハロウィンである今日は皆が街へと繰り出しているのか、喫茶店はひどく静かなものだった。 「お給料、期待してますね。」 「うわぁ、現金。でもまぁ、頑張ってくれたからね。ご褒美をあげようかな。」 そう言って千景はあるものを涼太に手渡した。 「なんですかこれ。」 「さて、なんでしょう。」 手のひらに乗る小さな箱。 現実であまり見ることはないが、時折、ドラマなんかでは見かけたことがある。 だが、まさかそんなはずはない、と、その小さな箱の蓋を開けた。 「えっ、これ…」 「それだよね、欲しかったの。」 そこには一緒に雑貨屋に行った日に涼太が見ていた指輪があった。 いくつも並んでいた中でどうしてこれだと分かったのか、それを凄いとは思ったが、そんなことよりもこんな高額なものを、しかも指輪なんていう代物をどうして簡単に受け取れるだろうか。 「ど、どうしたんですか、これ…」 「どうしたって、買ったんだよ。それより今日はもう店閉めようかな。お客さんも来ないみたいだし。」 「え、あ、はい。いや、え!?」 「え?ダメなの?」 「いや、お店は閉めていいですけど…それよりこっちですよ!」 「まぁ、落ち着いて。とりあえず閉めちゃうね。」 「あ、はい…」 淡々と扉に鍵をかけたり札を裏返したりしている千景を横目に、涼太は渡された指輪をどうするのが一番いいのかと考えていた。 「…千景さん」 「何?」 「俺、殺されませんか…?」 「なんで急にそんな物騒な話になったの。」 「だって、もし万が一、千景さんのファンがこれを知ったらですよ…俺が千景さんから指輪を贈られたなんてバレたら…うっかり恋人なんだとか勘違いされて殺されませんか!?」 「いや、ないでしょ。」 「侮ってる!千景さんは自分のこともファンのことも侮ってますよ!どれだけの女性が今まで千景さんに想いが届かずに終わってきたか…それが、まさか俺のせいだったなんて思われでもしたら…!」 「僕、そんなに女性を振ってないし、そもそも告白されたこともないよ。」 「そりゃそうですよ、そうさせないように仕向けてるじゃないですか!だけどあなたに恋してる女性はたくさんいるんですよ!その人達に勘違いされでもしたら…!」 「んー、でも勘違いでもないよ。」 は?と涼太は千景を見る。 見られた方は大したことではないという顔で涼太を見返していた。 「だって、僕は君のことが好きだからね。」 「…は…え、それは…」 「バイトとして、友人として好きというのも嘘じゃないが、この場合は恋愛対象としてって意味だね。」 そう言って微笑む千景の顔はあまりにもいつも通りだ。とんでもない爆弾発言を聞いたと思っているのは、どうやら涼太だけらしい。 千景は何でもない風に言うが、そんなことを言われた上で、この指輪をもらうということは、千景のその想いに応えるということになる。 その意味を理解した時、手のひらにあるそれが急に重さを増した気がした。 「千景さんっ、ちょっと、待ってください…っ」 「うん」 「あの、えっと、それ、本気で言ってます…か?」 「もちろん。」 「でも、え、だって…い、いつから?そんな素振り、全然…」 「素振りねぇ。たしかに分かりやすかったとは言わないけど、わりと我慢はしてないつもりだったよ。」 そう言いながら千景はゆっくりと涼太の方に歩み寄ってきた。そして涼太の前に立つと、頭にポンっと手を置いた。それは会う度毎回やられていた行動。 そしてその後には決まって、 「可愛い」 と、そう囁く。 今までのそれはただ年下の子を愛でるような、そんな感覚なのだと思っていた。だから子供扱いはやめてくれと言っていたのに。それが本当は、恋愛対象として見た上で可愛いと頭を撫でていたなんて…その可愛いを認めるかどうかは別として、今までの過去にそれがどれだけあった事か、それがいつ頃から始まったのかなどは涼太だってすぐに分かる。 バイトを始めてすぐ、もっと正確に言えば、バイト初日からそう言って可愛がられた記憶はある。男の、それも大学生の頭を撫でるなんて不思議な人だ。そう思った記憶がある。 その時はまだ、年下を可愛がる感覚だったのだろうか。 本当にこの人はいつから… 「一目惚れだね。初めてだった。一目惚れなんて本当にあるんだって、僕の方がびっくりしたよ。君が店の扉をあけて入ってきた時、君の姿が凄く眩しく見えたんだ。寒さで鼻を赤くした可愛い子だった。」 千景は涼太の鼻を緩くつまんだ。 小さな頃から寒かったり泣いたりすると鼻が赤くなる。あの日もとても寒かったからよく覚えている。友達の家から帰る途中で、とても寒くてどこかで温かいものでも買おうかと思っていた時、この喫茶店の前を偶然通りかかった。コーヒーだけでもと思って扉に手を掛けた時、そこにバイト募集の貼り紙がしてあることに気付いた。ちょうどバイトを探していた時だったから、これは幸いとバイトを申し込んだのだ。 あの日がもし少しでも暖かい日だったなら、涼太はこの店の扉を開けることはきっと無かっただろう。 「10月31日。3年前の今日の話だよ。」 「え…あ、そうか…」 「案外覚えてないものなんだね。」 「それは…」 「君にとっては特別な日でもないのだろうけど、僕にとっては特別な日だったよ。と言っても去年も一昨年もハロウィンのイベントが重なってお祝いなんてしていなかったし、僕が勝手にその日を数えてたに過ぎないんだけどね。」 「でも…だったらなんで…」 なんで今更。 どうして今なのか。 その疑問が浮かんだけれど、言葉には出来なかった。それはまるで、千景の気持ちを責めているようでもあったから。純粋にただ不思議なだけだったが、その疑問で千景の気持ちを否定するのは嫌だった。 それでも涼太が言葉の先を言い淀んでも、千景には涼太が何を聞きたいのかわかっていた。 「迷わなかったわけじゃない。さっき言ったでしょう。僕の態度は分かりやすかったわけじゃないって。気持ちから言えば君に触れたいと思うことはあったし、抱きしめたり、キスをしたり、そういうことをしたいと思う気持ちがなかったわけじゃない。けど、それを簡単に受け入れてもらえるとも思ってなかった。むしろ、無理だと思った。だから最初は自分の気持ちを自分自身が否定してた。…だけど、否定すれば否定するだけ、君への気持ちを自覚するばっかりだ。年上の男が年下の男の子に片想いしてるなんて、他人が聞いたらしょうもない話だと思う。僕だってそう思うよ。それでも、君に会う度その気持ちが育ってしまった。そのまま影でひっそりと君を想うことは出来たかもしれない。けれど、育った気持ちを無視出来なくなった。」 その先の道はもう、想いを伝えることしかなかったのだと、千景は言った。 自分よりも大人で、何をするにも決断力があって、全てを受け入れてくれるような深さがあって、少なからず涼太はそんな千景を尊敬していた。だけど、千景は思っていた程遠くにいたわけではなかった。意外と結構近いところでもがいていたらしく、その原因が自分だったと思うと…少し、嬉しい。 だけど、この指輪をもらう事は躊躇してしまう。 涼太が指輪を見つめて困っていると、頭の上で小さく息を吐き出して笑う声がした。 「僕は自分の気持ちを認めるのに少なからず1年はかかった。いきなりこんな事を言われて、涼太くんが困るのは当たり前だ。それに、即答で断られなかっただけでも僕には未来があるんだよ。」 「でも…これは…」 「それは記念と今までの感謝の気持ちとして僕からのプレゼント…って言ったら、受け取ってもらえるの?」 告白とは関係がないと言うのならまだ気持ちは楽になるが、そうなると今度は高価過ぎるという問題が浮上する。だからって突き返してしまったらこれはどうなるのだろうか。 「正直嬉しいですけど、でも今までの感謝というなら、俺の方がお世話になってるわけだし、それなのにこんな物を貰うのは…」 せめてお返しに何か出来たらいいのだが、大学生の一人暮らしは金が掛かるからバイト代で何かを返そうにも、とてもじゃないがこの指輪に見合ったものは返せない。 「…そう、困ったな。」 「もし…可能なら、俺のバイト代から少しずつ指輪の分を払うっていうのはどうですか?だったらこれは俺が買ったものだから俺のものになるじゃないですか。」 「それは違うよ」と千景は眉間に皺を刻む。千景が送りたいと思って買ったのだから、涼太が金を払うのは意味が分からないし、千景の涼太への気持ちがなかったことになってしまう、と涼太の提案は却下された。 だが、そこで千景は何かを思いついたように「あっ」と声を漏らす。 「涼太くん、今日が何の日か知ってる?」 「え、記念日…と、ハロウィン…ですかね。」 「そうです、ハロウィンなんです。」 「な、何を今更…」 「涼太くん、トリックオアトリート。」 「…は?」 「トリックオアトリート。」 「俺、お菓子なんてもってないですよ…」 「お菓子をくれたら、それをお返しとしてもらおうと思ったんだけど。お菓子くれないとどうなるんだっけ?」 「…知りませんよ。嫌です。」 ぶんぶんと顔を横に振って子供のように抵抗する涼太を、またしても「可愛い」と言って慈しむ。 涼太の頬に伸ばされた手が持つ本当の意味を、今は知ってしまったのに、涼太はそれを拒まなかった。 優しく頬を撫でられて顔を赤く染めた。 「可愛い」 「…子供扱いですよ」 「そんなわけないじゃない。」 そう言う千景はいつもと同じ静かな笑顔だった。 こんな時にそんな顔するなんて、ずるい。 涼太は自分の顔にかかる影を見ながらそう思った。 「お願いがあるんだけど。」 「…なんですか」 「その指輪は君にもらって欲しい。でも、素直に受け取ってもらえないのなら、僕のいたずらを許してくれない?」 涼太は言葉を発することも、頷くことも、嫌がることも出来なかった。 顔がひどく熱くなって、心臓が煩いくらいに早くなっている。 千景がいつもの笑顔で、いつもと違う雰囲気を纏って、そんなことを言うものだから、きっと戸惑っているだけなんだ。 そうじゃなかったら、困る。 これから起こることへの期待なんて、するはずがないんだから。 涼太にかかるその影は静かにそっと、唇に触れた。 ――いたずらしていいって、言ってないけど… それは優しすぎる静かないたずら。 そのいたずらは、千景が作ったパンプキンビスケットよりも、ずっとずっと甘かった。

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