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挨拶からはじまる恋 恋の撃鉄(ハンマー)
弓矢を持つ少年キューピッド。その矢に当たった者は、恋心を起こすという。
だけど僕としては弓矢の精度を考えると、そんな古代武器よりも、リボルバー式の拳銃がいいなと思っていた。
なんといっても確実に命中させやすい武器で、見た目もカッコいい。自動拳銃ならトリガーを引くだけで連射が可能だから、さらに精度が上がる。
だけど相手はノンケ――簡単にトリガーを引くことができない。安全装置という名の一線が、自分の想いを押し留めていた。
きっかけは、通勤に使っている電車だった。
親のコネで入社した会社に通うために、仕方なくいつもの時間に満員電車に乗っていた。
次の駅で下車しなければと、持っていたカバンを抱きしめて降りる用意をしていたそのとき。
「おまえ、何やってんだ!」
隣にいた男の怒鳴り声に驚いて、躰を竦ませる。
「うっ、いきなり何をするんですかっ」
何もしていない自分が怒鳴られたと思ってびくびくしていたら、男の傍にいる若い男が逃げようと、こっちに向かってきた。
隣にいる男が逃げかける若い男の動きを阻止しながら、自分の名字を突然叫ぶ。
「えっ!?」
「ボケっとしないで、コイツを捕まえるのを手伝え。痴漢していたんだ」
持っていたカバンを小脇に抱えて、すぐさま若い男の腕を掴んだ。男と自分に取り押さえられたことで観念したのか、若い男はがっくりうな垂れて大人しくなる。
「ちょうどいい。ソイツが持ってるスマホを取りあげてくれ。盗撮してる可能性がある」
「あ、はい!」
テキパキと指示を出す男の顔には、どことなく見覚えがあった。同じ会社で、何度かすれ違っていると思われる。
「大丈夫でしたか。すぐに気づいてあげられなくて、すみません」
痴漢されていたと思しき女性に優しく声をかけながら、何度も頭を下げる男を、ちゃっかり盗み見た。
正直、見た目は格好いいとは言えない。
武道家にいそうな、厳つさを強調する強面系の顔はモテる要素がない上に、背もあまり高くなかった。だけど鍛えてるっぽく感じさせる胸板の厚さやがっしりした下半身を、電車を降りながらしっかり観察させてもらう。
(はうっ、体形はどストライクだ。あの逞しい二の腕に強く抱きしめられながら、鍛えられた下半身の力を使って、奥をずどんと貫かれたりしたら、その衝撃ですぐにイケる自信がある!)
「おい!」
「うっ、はいっ!?」
卑猥な考えを見透かされたかもしれないと、躰をビクつかせながら反応し、慌てて返事をする。
男は、自分が勤める課と名前を告げた。
「事情を説明すると間違いなく遅刻するから、悪いけどこのこと、部署に伝えておいてくれ」
伝達事項をしっかり伝えつつ、駅員に若い男を引き渡しながら、ショックを受けた女性を気遣う真摯な姿を目の当たりにして、顔に似合わない内面に隠された男の優しさを知った。
その優しさにきゅんと胸を高鳴らせたとき、手に握りしめていた物の存在に気がついた。
「あの、痴漢した人のスマホです」
「サンキュー、助かった」
「先輩はどうして、僕の名字を知っていたのでしょうか?」
すっと差し出したスマホを難なく受け取り、駅員の後ろを歩く先輩の逞しい背中を見ながら、思いきって声をかけた。
親のコネで入社した七光り新人と揶揄される自分だけに、その陰口の経緯で知っている可能性がある。
「どうしてって、今月の社内報に載ってただろ。今年度の新入社員一覧で」
「そうでした……」
自分に振り返るなり、呆れたと言わんばかりのまなざしでこっちを見る先輩の視線を、メガネのフレームに触れてやり過ごす。
(――変なことを聞く、馬鹿な新入社員だと思われただろう)
気落ちしながらそんなことを考え、肩をがっくり落として足を進めたら、目の前にいた先輩のスピードが落とされるやいなや、並ぶように歩きはじめた。
突然のことに驚いた僕を見上げる隣からの視線は、さっきとはあきらかに違い、嬉しげに細められたものだった。
「先輩?」
「他にもなんつーか、仕事ができそうな面構えをしてたから、覚えていた感じ。プロジェクトの関係で、ごくたまに合同で仕事をするときがあるんだ。新人だけど、仕事を頼むことがあるかもしれないだろ」
よろしく頼むよと一言添えて、親しげにバシバシ肩を叩く。
そんなやり取りから、恋という名のフィルターにかけられた瞬間、鬼瓦によく似た先輩の顔が、たちまちイケメンに早変わりした。
親の七光りというレッテルを貼らずに、ごくごく普通に接してくれる先輩に恋心が日々募っていく。【先輩が好き】という恋のコップに溜まった想いは、いつしか溢れて、脳みそがピンク色に染められていた。
間違いなくショッキングピンクに染まった脳は、まともに機能しない。そのせいでアホの一つ覚えみたいに「元気ですか?」なんていう、色気のない言葉が出てくる始末。
だからなのかアホなところを補うように、想像力だけがよく働く。喜び勇んで先輩に声をかけたときから、脳の裏側でそれがはじまるんだ。
「先輩、おはようございます。元気ですか~?」
『ああ、元気に決まってるだろ』
「そうですよね。元気じゃなかったら、ここにはいないですし」
『お前の顔を見るために会社に来てるって言ったら、どうする?』
「どうするなんて、そんなの……。すごく嬉しいですよ」
照れる僕をなぜか壁際に追い込み、片腕を突き立てる先輩。下から覗き込まれる意味深な視線を受けて、痛いくらいに心臓が高鳴る。
『嬉しいだけか?』
唇に笑みを浮かべながら、反対の手で大事なところに触れてくる。
好きな人に触れられた僕自身は、あっという間に完勃ちした。裏筋を中心に、指先を使って感じるようにまさぐられて、変な声が漏れそうになる。
「せんぱ……ぃっ、こんな場所でそんなコト、ヤバいですって」
『何を言ってるんだ、これは朝の挨拶のひとつだって。嬉しさが倍増されるだろ』
「やっ、ダメ、ああっ!」
『嫌がってるくせに、腰が動いてる。最後までスるか?』
「そんなのっ、むっ無理、ですぅ」
こんな目立つ場所で触れられたらマジでヤバいのに、もっとしてほしいと願う自分がいた。けれど残ってる理性を総動員して、イヤラしく動く先輩の手に触れた。
「先輩、駄目です。感じすぎて、大きな声が出てしまう」
『だったら別室に行くか?』
耳元で囁かれる甘い誘惑に、理性が音を立てて崩れていった。
恥じらいながらも首を縦に振る僕を、先輩は尻軽男と思うかもしれない。だけどずっと、この日が来るのを待っていた。進展しない間柄に、毎日やきもきしていたからなおさらだ。
「先輩、挨拶と一緒に、いろいろ教えていただきたいことがあるんですが」
お触りをしていた先輩の手を両手で包み込み、親指を軽くちゅっと吸ってみる。
「おまえ、いきなり」
「いきなり僕に手を出てきたのは、先輩からじゃないですか」
ソフトクリームを舐めるように舌先を使い、親指の腹を舐め上げた。
「ちょっ放せよ。エロい顔して誘ってくるなんて、卑怯だろ」
感じたらしい先輩の掠れた声を聞いただけで、腰にきてしまった。
「だったら、ね。早く――」
どうにも我慢できずに、空いてるであろう近くの会議室に視線を飛ばす。先輩は視線の先を追うやいなや、僕の手を掴んでそこに引っ張った。
「誘ったからには、サービスしろよな」
つっけんどんな物言いをした先輩の顔と、目の前にいるリアルの先輩の顔が重なる。
(――そう、これは先輩がゲイだったらという話だ。ノンケだからこそ、こんな風にすんなりとはいかないのは定石なんだよな)
しかし半年間という時間をかけたお蔭で、少しだけ先輩との距離が縮んだ気がする。その証拠に、返答される口数が確実に増えていた。
嫌われない程度の接触――どれくらいの押しで、もっと距離を縮めるかを模索していたある日、ひょんなことから先輩の手首に触れてしまった。
瞬間的に、体温が一気に上がるのが分かった。手のひらに感じる先輩の手首はがっしりしていて、その男らしさに鼻血が出るかと思ったくらいだった。
『おいおまえ、熱があるんじゃないのか?』
僕の体温を感じてかけられた言葉が、すごく嬉しかった。それは先輩として後輩の体調を気遣ってだろうが、小躍りしたくなるくらいに嬉しくて堪らなかった。
その結果、舞い上がって告白した挙句にキスした僕を、先輩は平手打ちした。
一瞬で夢から覚めた気分だった。引っ叩かれた頬は赤みを通り越して、青くなっているんじゃないかと心配するくらいに痛かった。
ショックなのはそれだけじゃなく、僕を見る先輩の目があきらかに変わっていた。汚いものを見るまなざしといったところだろう。
もう徹底的に嫌われてもかまわないと腹をくくったら、これまで抑えていた願望がするする口から出てきた。それを聞いて、先輩は思いっきり錯乱した。
怯えながらじりじり後退りする姿を見て、絶対に逃がさない策を思いつく。
スーツのポケットに入れていたスマホを取り出し、昨日撮影した写真を画面に映し出した。それは先輩に平手打ちされた、哀れな自分の顔写真だった。
朝の一服をするのに大体同じ時間帯に、僕のいる部署の前を通る先輩。偶然を装って捕まえ、傍にある空き会議室に連れ込む算段をしている。
「秋田生まれの我慢強い先輩を陥落させるべく、これで脅して流されてもらいますよ」
先輩のハートに打ち込んだ恋の弾丸が命中していることを願って、躰からはじまる恋を仕掛けようと、胸を弾ませたのだった。
おしまい
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