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シェイクのリズムに恋の音色を奏でて18
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キスされたくらいのことで、石崎さんのお店でピアノが弾けなくなるというのが、自分の中ではどうしても納得いかなかった。ゆえに勇気を出して、お店に顔を出す。
石崎さんは済まなそうに謝ったけど、あんな一瞬のことで怒るのも小さい人間と思われたくなかったのもあり、普通に接することで、なんでもなかったことを自分なりにアピールしたのだけれど、あれから石崎さんは僕に気を遣いっぱなしだった。
そんなことをしなくてもいいと、いつ言うべきか、ピアノを弾きながらタイミングを考えていたら。
「智之さん、お久しぶりです」
「あ、いらっしゃいませ……」
やって来た女性のお客様にかけた石崎さんの声が、やけにたどたどしかった。それが気になり、ピアノを弾きつつ、チラッと横目で眺めてみる。石崎さんの顔色があからさまに曇っているのがわかった。
「智之さんがお店を開いたこと、他所で聞いてたんだけど、探すのに苦労しちゃった」
石崎さんに話しかけながら、女性客はカウンター席に腰かける。
「以前のように、ほかのお客様に危害をくわえることがあれば、出禁にしますので」
つっけんどんな物言いで注意を促されたというのに、女性客は余裕の笑みを浮かべる。
(ほかのお客様に危害をくわえるって、なんでそんなことをしたんだろ?)
「智之さん冷た~い。だって智之さんを私だけのモノにしたかったんだもの。しょうがないじゃない」
危害をくわえた理由を聞き、背筋がゾワッとした。なんて自己中な人なんだろう。
「あーあ、ヤバいのが来たわ……」
ピアノの傍にあるボックス席でお酒を飲んでいた絵里さんが、ボソッと呟いた。それに呼応するように、華代さんが大きな溜息を吐く。
彼女たちが常連客ということもあり、僕とも顔を合わせる機会が多いせいか、ピアノを弾く僕の傍で飲むことが最近増えていた。
「絵里さんは、あのお客様のことをご存知なんですか?」
アレンジをうまくして、新曲から弾き慣れた曲に変えた。鍵盤を見なくてもそれなりに弾きこなすことができる上に、こうして世間話までできる。
「マスターが修行していた店に、よく来てた客。彼目当てで来てたのは、あからさますぎるくらいだったわよね」
うんざりしたような口調で告げた絵里さんに、華代さんは相槌を打った。
「そうそう。マスターだってほかのお客様の接客しなきゃいけないのに、それが気に食わなかったらしくて、マスターと楽しそうにしていた女性客のあとをつけて、闇討ちしてたみたいなのよ」
「あー、それで出禁に……」
絵里さんと華代さんの話を聞いたからこそ、心配になる。女性客は石崎さんを手に入れようと、店を探し出したに違いない。自己中心的な彼女がヒートアップなんてしたら、過去の二の舞をおこなう可能性だってあるだろう。
それが原因で、ほかのお客様の足が遠のくこともありうる――。
僕だけじゃなく、絵里さんや華代さんも石崎さんのことを心配して、なんとかできないだろうかとこっそり作戦会議をしてみたけれど、いい案が思い浮かばなかったのである。
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