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第5話

帰りの電車の中で、僕はまるで死体のようにぐったりとしていた。 「お疲れ更。今日はずっと質問攻めにあってたな」 慶が優しく労るように言った。 「うん。……なんでああも他人のことが気になるんだろう、自分には関係ないのに」 「田舎だからな。娯楽も少ないし、それに更が綺麗だからみんな色々知りたがるんだよ」 「じゃあ僕が不細工だったら誰も近寄ってこなかったっていうのか?」 「まあ、そうだろうな」 そんなにはっきりと肯定されたら僕は何も反論できなくなる。冷泉家の後ろ盾がない今の僕は『顔がいい』という理由でしか人が寄ってこないのか。なんだか複雑な気分だ。  それでも――慣れないことばかりで精神的に疲れたけど、悪くは無い一日だった。 校舎は信じられないくらい古くて寂れているし、運動場は広いけれど設備は充実してなさそうだし、クラスの連中も騒がしいけれど、前の学校よりも居心地が良かった。ここでは誰も僕を『冷泉家の息子』という色眼鏡で見ないからだろうと思う。 「ところで、俺も一つ更に聞きたいことがあるんだけど……」 「え、何かある?」 僕が積極的に話したくないのは家庭の事情くらいだ。でも慶はそれも知ってるし。 「更、前の学校では本当に恋人はいなかったのか?」 矢鱈と真面目な顔をしてそんな質問をしてきた慶に、僕は怪訝な顔をせざるを得なかった。今日は何度もその手の質問をされたし、慶も僕がいちいち答えるのを聞いていたはずだからだ。まさか疑われていたとは思わなかったけど。 「悪い。気に障ったなら答えなくてもいいんだ」  僕は首を振って、慶の質問に答えた。 「今日何度も言ったけど……本当にいなかったよ。僕は将来自分が好きになった相手と結婚できることはないと思っていたから、敢えてそういう相手は作らなかったんだ。交際を申し込まれたことは何度かあるけど、何故か知らない男からばっかりだったし」 「は!?」 「でも、交際って……付き合うっていうのは好き同士なのが前提だろ?だからいきなり付き合ってくれって言われても僕は相手のことを好きじゃないし、それ以前に顔も名前も知らないから付き合えなかった。それと僕一応男だし……」 溜め息混じりにそう言うと、何故か慶は黙りこんでしまった。僕はなにかおかしいことを言っただろうか。 「……男からばっかり言い寄られたってのは置いといて、なんか更には結婚するよりも付き合う方がハードルが高いみたいだな」 「う……それはそうかもしれない」 「じゃあ更、恋をしたことはある?」  恋?そんなの…… 「……こ、答えたくない 」 その答えも勿論否だった。慶と話していたら、十七にもなって恋の一つもしたことがない自分が急に恥ずかしく思えて……そんな自分に驚いた。 でも慶はきっと僕の答えを分かっていると思う。ならば正直に答えた方が良かったかもしれない。変に見栄を張ったみたいで恥ずかしい。 「ごめんな、変な質問ばっかりして」 「別にいいけど」 「更が都会の高校生にしては、超マジメくんだったってことは分かった」 「………」  これはもしや馬鹿にされているのだろうか?そう思って慶を軽く睨んだけど、慶は僕の視線をさらりと受け流した。 「ふん、どうせ僕はつまんない奴だよ。でも慶だっていずれは政略結婚を……あ、三男だからそういうのは無いのか?」 「うん、言われたことないな。でも更だって自分が勝手にそう思ってただけで、親父さんから直接そうしろって言われたことはないんじゃないか?」 「……まあ、そうだけど」 でも、ああいう家に生まれたんだからそういった心構えをしておくのは当然じゃないか。  そういえば父は何故、僕を政略結婚させなかったんだろう。まだ十八にはなってないけど、会社が傾き始めて手遅れになる前に、僕をどこかの社長令嬢と婚約させて会社を救う手もあったはずだ。慶のところへは、冗談だろうからって体《てい》で送られたけど。 「更の親父さんは、更を政略結婚の道具だなんて思ってないと思うぜ」 「………」 「もし仮に更に恋人がいたとしても、結婚も反対しなかったんじゃないかな」 自分の話をするのが嫌になったので、僕は話を誤魔化すために慶に質問した。 「そういう慶は付き合ってる人はいるのか?」  今日は珍しいという理由で僕の周りには女子が沢山群がっていたけど、慶の周りにも沢山女子がいた。慶はよく見たら整った顔をしているし、金持ちだし、そのうえ長身なので当然モテるだろう。他の男子は芋みたいだった。 「いないよ。好きな人はいるけど」 「!」 何故か、衝撃だった。慶には好きな女性がいるのか。なら僕との婚約話を聞いたとき、冗談じゃないと思ったのは慶の方なんじゃないか。父の言ったとおり、僕を嫁に欲しいなんてのは親切な冗談だった。ただ、祖父同士が助け合う約束をしていただけで。当主から聞いていた通りなのに、何故僕はガッカリしているんだ? 「……じゃあ好きな人とうまくいくといいな」 「うん。付き合ってもらえる可能性はかなり低いけどな。でも俺、昔からずっと好きなんだ」 ずっとって、どれくらいだろう。慶は一途そうだから、きっと何年もたった1人のことを想っているんだろうな。 「……少し、羨ましいかも」 「え?」 「なんでもない」 何故かこんな山奥の集落で暮らしているけど、慶と結婚すれば将来は間違いなく安泰だし、顔もいいし、なにより慶は――凄く優しい。 冷泉リゾートが倒産したあと、今まで僕を取り巻いていた連中の態度は一変した。教師も級友も使用人も、まるで汚いものでも見るような目で僕を見てきて……。  慶が初めてだったんだ。何もかも失ってしまった僕に優しくしてくれたのは。だから僕はこんなにガッカリしているのか……?  ああもう、考えるのはよそう、脳が疲れる。 「……少しだけ寝るから、肩貸して」 「いいけど、もうすぐ着くぞ?」 「うん」 僕は慶の肩に頭を乗せると、そっと目を閉じた。 * 「……迷惑だって、分かってるんだけど」 今夜も僕は枕を持って、慶の部屋を訪れていた。 「恥を忍んで告白する。僕は何故か和室が怖いんだ。だから今夜も一緒に寝て欲しい……」 慶は、キョトンとした顔で僕を見ている。今夜も勉強中のようだった。 「更、そうだったのか」 「うん。ごめん……勉強の邪魔して」 部屋が怖いだなんて、いい年をして恥ずかしい。慶に笑われないのがせめてもの救いだ。けれど僕だって一応頑張ったのだ。頭まですっぽりと布団を被り、目を瞑って眠気が襲って来るのを待った。掛け時計も昼間のうちに外して貰ったし……でも、10分も持たなかった。 「親父に言って部屋を洋室に作り直してもらうか」 「そこまでしなくていいよ!」 「でも、勉強するとき不便じゃないか?」 「怖いのは寝る時だけだから」  嘘だった。本当は勉強中だって怖い……というか、ぶっちゃけ僕はこの屋敷全体が怖い。でもそんなことを言ったら、僕はここから出て行かなくてはならないので……。 「じゃあ、俺と同じ部屋で過ごすか?」 「え?」 「俺は別に構わないよ、更が嫌じゃなければだけど」  嫌なわけがなかった。一人は怖いけど、慶が一緒にいてくれるなら……昨日もよく眠れたことだし。 「慶がいいなら……その、お願いします」 「よし、決まり!じゃあ勉強道具と布団一式は明日持ってこような」 「うん。……あのさ慶」  思い切って聞いてみることにした。わざわざ聞くことじゃないのかもしれないけど。 「どうして慶は僕にそんなに親切にしてくれるんだ?嬉しいけど、僕は何も返せないよ」  枕を抱きしめたまま慶を見つめると、慶は少し引きつったような顔をした。やはり聞いたらいけなかったのかもしれない。人に親切にする理由なんて、普通無いに決まってる。 「ごめん、慶がいい人すぎてちょっと心配になっただけだから。でもあんまり優しすぎると変な奴に付け込まれるからほどほどにした方がいいよ。僕が言うなって話だけど……」 「大丈夫、俺、そんないい奴じゃないから」 「?」  何を言ってるんだろう。慶がいい人じゃなかったら、この世にいい人なんて存在しないと思う。 「謙遜もほどほどにな……じゃあ、おやすみ」  一人じゃなくなったから安心したのか、布団に入った途端に睡魔が襲ってきた。  そういえば今日も自分の布団を持ってくるのを忘れたから、このままだとまた慶と同衾することになる。起きて部屋から布団を持ってこなきゃいけない……でも、眠い……。 「俺は相手が更だから親切にしたいっつーか、優しいなんてそんなの下心があるに決まって……って、アレ?更?さらさーん?」  慶が何か話してるから、起きなきゃ……。 「もう寝てっし……ああもう、寝顔くっそ可愛いなぁ」  やっぱり無理だ……目蓋が開けられない。 「……おやすみ、更」  寝落ちる直前、さらりと優しく前髪を撫でられたような気がした。

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