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第7話
「更くん久しぶりぃ!元気だったかい!?とっても元気そうだねぇ!」
「貴方の顔を見て元気が無くなりました」
屋敷に帰った途端、父は以前と変わらぬテンションで出迎えてきた。慶が奥でゆっくり話しましょうと客間に案内している途中でも構わずにべらべらと喋り続けている。
「いやー更くん、相変わらずの毒舌も健在で安心したよ。それと君が噂の慶くんか。更がお世話になってます~、それでねぇ更、父はさっそく新しい事業を始めてね、それが軌道に乗り始めたんだ~!」
「いや、早すぎない?何やってんの?ていうか何考えてんの?」
「だからまた一緒に暮らせるよ!場所は香港なんだけどね~」
「だから人の話を聞けって――え、香港……?」
父は外国に金策に行っていたのだから、新しく事業を始めたとしてもその本拠地が海外なのは不思議じゃない、けど。
「淋しい想いをさせてごめんよ。前ほどの贅沢はさせてあげられないけど、まあそこそこの暮らしは保証するよ――って、更くん?」
僕は、父から一歩ずつ後ずさっていた。
「あれぇ?更くんどうしたの?」
「……更?」
どうして僕は、まるで父から逃げるような行動を取っているんだろう……あれ?以前にもこんなことがあったような気がする。
ドクンと心臓の音が大きく全身に響いた。そうだ、あれは――……
『更くん、迎えに来たよ!父さんと一緒におうちに帰ろう!』
『やだぁ!!』
『我儘を言うのはやめなさい、慶くんも困っているだろ?』
『いやだ!ぼくは大人になるまで、ずっと慶ちゃんと一緒にいるんだもん!!』
『あっ!待ちなさい更!』
『いやだ――!!』
「あ……」
思い出した……10年前、大好きな母が亡くなったショックで体調を壊してしまった僕は、静養のために父に此処へ連れて来られた。そして、慶と出逢ったんだ。
「おい更、大丈夫か?どうしたんだよ?」
あの時も慶との生活が毎日楽しくて、母が死んだことも一時は忘れられた。だから父が迎えに来た時、僕は慶と離れて家に帰るのが嫌で仕方なくて逃げ出したんだ。屋敷の奥へ。
「ちょ、更くん!?どこに行くの!?」
「更!!」
どうして忘れていたんだ。僕は以前、慶のことがあんなに好きだったのに。
『おれ、更のことが大好きだ。大きくなったらおれのお嫁さんになってよ、更』
『でもぼく男の子だけど、慶ちゃんのお嫁さんになれるのかなぁ……』
『そんなの関係ない!おれたちが大きくなってる頃はホーリツも変わってるよ!それとも更は、おれと結婚したくないのか?』
『したいよ!だって結婚したら、慶ちゃんとずっと一緒にいられるんでしょう?』
僕が慶を忘れていたことを慶はびっくりするはずだ。僕たちはここで、言葉にできないくらい濃密な時間を過ごした。同性だけど、恋心が芽生えるほどの……。
だけど、冷泉家の唯一の跡取りである僕がずっとここで暮らすわけにはいかなくて、でもどうしても帰りたくなくて僕は父から逃げたんだ。
「はあ、はあ、はあ……」
僕が逃げ込んだその部屋は、玄関から一番遠く離れた場所だった。今は物置になっているようだけど、そうだ、ここは慶のお祖父様の部屋だ。そしてその部屋には……壁に……
「……っ」
『それ』を再び目にした途端、僕はひゅっと息を飲んだ。
「更!!」
「け、慶……」
慶が追いかけてきて、思わず腰を抜かしそうになった僕の身体を後ろから支えてくれた。
「更、大丈夫か!?見るな!」
「………ぷっ」
「ん?」
「あははははっ!……慶の焦った顔って、面白いなぁ……」
「ええ!?」
慶は笑う僕を見て心底訳が分からないという顔をしている。だって僕、もう十七歳だし。
「ふふ、笑ってごめん。僕、今はアレを見ても大丈夫だったよ」
壁に飾ってあるのは、恐ろしい貌をした真っ赤な天狗のお面だった。あの時も同じくこの部屋に逃げ込んだ幼い僕は、薄暗く埃っぽい空間の中でそれを目にして、あまりの恐ろしさに悲鳴をあげたのちパッタリと気絶してしまったんだ。
そして丁度いいとばかりにそのまま連れて帰られて……気が付いたとき、そのときの恐怖ごと慶のことも慶との思い出も全部綺麗に忘れてしまっていたというわけだ。
「なんだよもう、吃驚させるな……って更、もしかして昔のこと思い出してる?」
「うん……」
「そ、そっか!ショック療法ってやつ?良かった……!よくない……けど」
「慶」
「んっ!?」
僕は慶の顔を強引に自分の方に向けると、その唇に自分の唇をやや強めに押し付けた。さっき山でされたお返しの意味もあるけれど。
「忘れててごめん……婚約者だったのに」
「……っ更ぁ!」
慶は再び僕をきつく抱きしめると、今度は激しく口付けてきた。僕の髪に手を入れて、角度を変えながら何度も何度も。まるで会えなかった空白の時間を埋めるように……僕に忘れられた悲しみを、これでもかと訴えるように。
初めて会った時は平気な顔をしていたけど、慶は僕が覚えていなかったことが本当に悲しかったんだ。ごめんな、慶。
「ぷはっ。慶……」
「更、好きだ!昔からずっと、俺は更のことが大好きなんだ!もう離れたくない!」
「僕も……一度は忘れてしまったけど、また慶のこと大好きになったよ。もう二度と僕を離さないで」
「離さない!絶対に離すもんか!」
「慶……ンッ」
僕達はまるで磁石みたいにくっついた。好きな人と抱き合ったりキスをするのって、こんなにも幸せな気持ちになれるんだな……知らなかった。
「ーーあのう、盛り上がってるところごめんね、お二人さん」
「いやー若いってのはいいねぇ!周りが全然見えてなくてね!」
夢中でキスしあってる僕達の後ろから、父二人が現れた。
「「おいくそ親父ども、空気読めよ!!」」
あ、慶と一言一句被った。
「ひぃっ邪魔してごめんよぉ!あのね更、更がこれからもここで暮らしたいっていうなら父は無理矢理連れて帰る気はないんだよ!実は父さん、あっちで再婚したんだ~」
「はっ……はああああ!?」
会社が倒産したことといい、事業を始めたことといい、再婚したことといい、事後報告ばっかりだなこのオヤジは!!もしかして死に目にも会えないんじゃないか?……縁起でもないか。でもありえそうだ。
「えっとじゃあ当初の約束通り、更くんは万里小路家の嫁になるということでいいんですか?」
「はい、不束な息子ですがとっても可愛いのでどうぞよろしくお願いします~」
「いえいえ、こちらこそ可愛いお嫁さんをありがとうございます~大事にさせて頂きます~」
父同士は穏やかに微笑みあい、固く握手を交わしていた。しかしなんで僕達の父親は、揃いも揃ってゆるキャラみたいにゆるいんだろうか……。僕は慶と顔を見合わせるとぷっと噴き出した。
*
そして、父は一人で香港に帰って行った。今度日本に来るときは香港人の嫁も連れてくるらしい。新しい母と日常会話くらいは交わしたいから、僕は中国語を勉強しようと思った。
「はあ、なんかドッと疲れた……」
僕と慶は部屋に帰ってくるなり、布団を敷いて二人でごろんと横になった。
「俺も。でも良かった、更が香港に連れて行かれなくて」
「行かないよ。子どもじゃないんだし、僕ももう二度と慶と離れたくないから」
「更……」
見つめあって、また軽く唇を重ねた。僕らは今日から恋人同士になったんだ。というより、親公認の婚約者だろうか?昨日まで同じ部屋でもどうってことなかったのに、なんだか凄くドキドキする。
「そっ、そういえば!僕、慶のお母さんにも挨拶に行かなきゃ。まだ入院してるんだよね?」
「いや?もうとっくに退院してるよ。入院してたのもただの腹痛みたいなもんだし」
「……え?」
腹痛だって?じゃあ何故三か月も家に帰ってこないのだろうか。……僕の存在が邪魔だからとか?だったらどうしよう。
「うちのお袋は都会好きでさ、田舎の空気が肌に合わないんだと。で、退院したあとは次男のマンションに入り浸ってるんだよ。兄貴の迷惑になるから早く帰ってこいって言ってるんだけど……。だから、お袋がうちにいないのは別に珍しいことじゃないんだよな。気にさせてたのならごめん」
「そうだったんだ……」
「うるさい人だからいなけりゃいないでこっちは楽なんだけどな。あ、それと更は昔からめちゃくちゃお袋に気に入られてたぞ。お袋、綺麗な男の子が大好きだからな。それが面白くないのか親父はまだ教えてないみたいだけど、今更がうちに住んでるってお袋が知ったら飛んで帰ってくるかもな」
「あ、あははは……」
義理の母と仲良くなれるならそれに越したことは無いけど。僕、うまくやれるだろうか。
「ーーところで更」
「な、なに?」
「布団、今夜からまた一組に戻さないか?」
「え?」
僕と慶が一緒に寝たのは、僕がこの家に来た日の夜とその次の日だけだった。二度目も慶の布団でうっかり寝てしまったから、朝になって僕は慶に平謝りしたんだけど。
「でも……狭いよ?」
「狭いからいいんだろ」
「ええー、なんか慶やらしい」
「男なんだからやらしいに決まってるだろ。好きな子が毎日同じ部屋で寝てんのにさ、俺がこの三か月どれだけ我慢したと思ってんだ!?特に最初の二日はチンコが破裂して死ぬかと思ったんだからな」
「ええー……」
「引いたか?」
「ちょっとだけ」
「引くなよ!」
僕は声をあげて笑った。つられて慶も笑った。そのうち抱き合って、布団の上を転がり擽り取っ組み合いながら二人で爆笑していた。
「あははは、はあ、はあ……あ、そうだ慶。覚えてるか分かんないんだけど」
「更じゃないんだから覚えてるよ。何?」
「なんだよそれ。……あのさ、僕恋したことあったよ」
「ん?」
『――更、恋をしたことはある?』
それは以前慶に聞かれた質問だ。僕はあのとき恥ずかしくて答えなかった。
僕の言葉に慶はキョトンとしている。
「やっぱり忘れてるじゃん」
「いや、ちょっと待て。昔の話じゃなくて?っていうか更、恋したって!?誰にだよ!」
「忘れてるならわざわざ教えてやんないよ」
「うわ、それ根に持ってたのか。……なあ更、更ちゃん、教えて?俺、更が誰に恋してたのか聞きたいなぁ」
「白々しいなもう、分かってるくせに」
もう一度、恋人同士の甘い甘いキスをしてくれたら教えてあげてもいい。僕は、慶にしか恋をしたことがないってこと。
「更、」
「んっ……」
たとえまた忘れてしまっても、僕は何度でも君に恋をするんだ。
【終】
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