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 二村の英語がひと段落ついたところで、便所と一言断り席を立つ。トイレから出ると校舎裏で牧田が座り込んでいる姿が見えた。煙草を吸っているらしく、仄かに煙の匂いがこちらにも流れる。気が進まないが形だけ注意しておく方がいいだろう。 「牧田、未成年の喫煙は禁止されてる」 「……椎名くん」  牧田は俺の存在に一瞬ギョッとするも、すぐに馬鹿にするような笑みを浮かべた。 「なぁに、追ってきたの? あいつらから俺の家のことでも聞いちゃった?」 「いや、便所に来ただけ」  牧田は俺の態度に自分が口を滑らせたことを自覚したのか、眉間を苦々しそうな面持ちで摘んだ。それからはぁとため息をつき、口を開く。 「兄貴が、優秀でさぁ。ずっと比較されて生きてきたとか、そんなんだったらまだよかったんだけどねぇ」  牧田はふ、と笑みを漏らす。 「俺のこと、見えてもいねぇのな」  自分と重なる言葉に、内心動揺する。牧田はそれに気づかなかったのか、言葉を重ねる。 「俺、元々はA組だったんだ。Fにでも落ちればさすがにびびってこっち見るかと思った」  でも、と低く前置きし、牧田は言葉を吐く。  全く、見向きもしねぇの。  牧田が笑って告げた言葉に、そうかと短く相槌を打つ。牧田は不審に思ったのか、片眉を持ち上げる。 「それだけぇ?」 「不幸話だったら俺だって負けねぇからな。それに、外野がそれにコメントやアドバイスを施したところでどうなる?」  痛いほどに知っていたのだ。 「どうにもならねぇだろうが」  牧田はきょとんとし、その後顔を歪める。 「知ったような口を」  例え親子でも、どうしようもないものがある。あの時こうすれば、もしこうしてみたらは外野の勝手な戯言でしかない。どうにかしようとした。抗おうとした。その結果が今なのだから。 「どうせお前は甘やかされて育ってきたんだろ。だから誰かを救ってやろうなんて高慢な心を持ってんだ。菖ちゃんは絆されたようだけど、俺はお前に気を許したりなんてしない。──忘れるな。俺はお前を信用こそすれ、信頼なんてしない。騙されない。俺のダチを盗ったままでいれると思うなよ」  睨みつけながら告げられた言葉に軽く笑い、反駁する。 「ご随意に。だが一つ誤謬だ。俺は誰のことも救おうなんて思ってねぇ」 「どうだか」  鼻で笑う牧田に苦笑する。 「じゃ、俺は戻るけどお前はまだここにいるのか」 「言っただろ。俺は元々Aだったって。実際習ってることくらい全部理解できてんだ。やらねーだけ。アンダースタン?」  煙草の火を俺の鼻先に近づけ、牧田は笑う。じり、と足を動かした俺の反応に満足したのか、煙草は離れていった。 「びびってやんの」 「いや、腹を蹴り上げようか迷ってた」 「こわ……」  あともう少し顔に近づけられていたらやっていた。痛い目に遭うと分かっていてみすみすやられる訳ないだろう。  教室に戻ると、神谷が顔をしかめる。 「遅かったですね。それに、煙草臭い。吸いました?」 「牧田がな」 「ああ……」  神谷は浅く頷く。 「なんとなくアンタ、煙草吸えなさそうですもんね」  どういう納得の仕方だろう。見ると二村も同意するように頷いている。なんでだよ。 「二村、どこまでできた?」 「さっきやってたとこの次ページ」 「分からないところは?」 「……文法まとめページを見たらなんとかそれっぽいのは。けど、AとBの例文で何が違ぇのかわかんねぇ」  解いてると混乱してくる、と頭を抱える二村に、解説を挟む。二村は初めのうち顔をしかめていたが、図を用いて説明すると理解できたようだった。 「……というわけだ。ここんとこの時制が違うから文法がAとBの二つあるんだ。数解いたら違いも分かってくると思う」 「分かった……気がする。また解けねぇかもだけど」 「そしたらまた教えるから。LINEも交換してるし、いつ聞いてくれて構わない。電話しろ」  二村はぐっと口を真一文字に引き結ぶ。そして小さく拳を作り、「わ、わかった」と硬い声で言った。最近分かったことなのだが、二村は慣れないことをやろうとする時緊張する性質であるらしい。今まで周りにいたのは図太い奴らばかりであったから少し新鮮だ。  Coloredの面々を思い出し苦笑する。あいつらグイグイいくタイプばっかりだからなぁ……。 「何考えてる?」  返事を聞いたきり黙った俺を不思議に思ったのか、二村が尋ねる。 「Coloredの連中のこと。元気かなぁ」 「? ああ、例の族連中か」 「そー」  風紀では俺と青、橙が族に入っていることはもはや公然の秘密扱いである。割と頻繁にも話題にも出ている以上、今更隠すこともできない。その内F組でも知られる羽目になるだろう。毒を食らわばだ。どうにでもなれ。  ふと時計を見ると切り上げるのにいい時間だった。 「そろそろやめるか。続きはまた明日にしよう」 「明日も来んのか」 「テストまで毎日やるつもりだが」 「お、おー…」  やる気はあるものの勉強をしたくない二村は複雑そうな声を出す。問題集に噛り付いてばかりではやる気も失せるし、やり方を変えて見るのもいいかもしれない。 「じゃ、帰ろうか。神谷、二村。よろしくな」  牧田は最後まで勉強会に戻ってこなかった。

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