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3-8
「菖ちゃんが帰って来る前に帰りな」
ほら、と服を投げつけてくる牧田。きょとんとする俺に、牧田は大きく溜息を吐く。
「なに? こっちが気の変わんないうちにさっさと着なよ。下も脱がすよ?」
牧田は、左手の親指と人差し指で作られた丸に右手人差し指を差し込んでみせる。下世話なジェスチャーにハッとする。そういえばそうだった。すっかり忘れていた。
「椎名、お前やっぱバカだろ? なにをどうしたら自分が掘られそうになったこと忘れられるわけ?」
「掘る……」
──学園でお前掘られたりしてねぇよな。
一秀の言葉が不意に蘇る。そっかぁぁぁ、掘るってそういう意味もあったのかぁぁぁ。そっかぁぁぁ。思わず頭を抱えた俺に、牧田は怪訝そうな目を向ける。
「……一応聞くけど、ほるって刺青のことじゃないよな?」
「は? なんなら体に教えてあげようか?」
牧田は未だベッドで蹲っていた俺の上にのしかかり、ひたりとズボンの股間あたりに手を乗せ、軽く揉んだ。
どこを掘るか。
耳元に口を寄せ、耳朶を食む。ぞわりと、背筋に甘い痺れが走った。
「っ、」
蹴り上げようと抵抗するも、足の上に乗っている牧田のせいで動かせない。
「こわいなぁ~今蹴ろうとしたでしょ」
「ちょ、噛むのやめろ…ッ!」
「ふぁーふぁひょ」
「やだよじゃっん、ねぇわっ、こ、バカ!」
まずいまずい。何がまずいか分からんがまずい。というか、
「怖いから、」
「は」
「怒らせたなら、謝るから。頼むからやめてくれ」
快感にも勝る、堪え難い恐怖に背筋が震える。
「お前、母親に襲われたの?」
「おそわれ?」
「性的に」
言われた言葉をそのまま繰り返すと、言葉を足される。くわっと目を見開き叫ぶ。
「そんな訳ないだろッ」
「てっきりまた母親絡みかと」
見透かしたように告げられ、思わず言葉が詰まる。
「ただ、」
「うん?」
「折檻の影響で、ちょっと」
牧田はゆるりと俺の、包帯の巻かれた右手を取り、指を絡めてきた。傷の痛みに眉を寄せる。
「これも、折檻の一環?」
「……そうだ」
観念して答えると、牧田は鼻で笑う。
「そりゃまた、とんだ教育だねぃ」
「俺の教育じゃない」
口が滑った。どういうこと、と問い詰める瞳に、誤魔化せそうにないことを悟る。
「……母さんは、俺を円だと思ってるんだ」
「なに、それぇ。つまり、桜楠の折檻をお前が代わりに受けてるってこと?」
するり、未だむき出しの背中を撫でられる。ぞくりと冷気を感じた。
「これも、代わりに受けたの?」
「……円は悪くない」
質問の形を取りながらまるで訊くつもりなどないそれに、硬い声が出る。
「ふぅん? でもさ、何も知らずにのうのうと生きてるとか、」
──反吐が出るよ。
ガリ、と耳を力強く噛まれる。咄嗟に腹に一発拳を叩きこむ。
「~~~~った、お前マジで信じらんねぇ」
「俺だって痛いわクソ野郎ッ!」
「俺の目の前で辛そうな顔するからだろうが!」
叫ぶように返された一言に、ガツンと頭を殴られたような衝撃を感じる。辛そう? 俺が?
「……そんなわけ、」
「お前見てるとイライラすんだよッ! とっとと死ぬか諦めるかしろッ!」
殴られたことで沸点に達したのか、牧田はイライラと俺の言葉に噛みつく。
「お前は昔の俺に似てる。だから嫌いだ。大っ嫌いだ。俺が諦めて捨てたものを今更目の前で欲しがりやがってッ」
牧田の手が俺の首に伸びる。嫌な予感にその手を交わすと、牧田は不機嫌そうに顔を顰めた。顎を掬われ、間近で睨みつけられる。
「俺はお前が嫌いだ。昔の俺を思い出す。だからそんな面して俺の前をうろつくようなら無理心中してやるよ。さっきも言ったけど、一人で死ぬのは嫌だからな。嫌いなやつが死ぬならちょうどいい」
「クソ野郎じゃねぇか」
「俺が一度だってお前に優しくしたことなんてあったっけぃ?」
いつもの口調に戻った牧田は馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「俺は別に気に喰わない顔を消す手段が心中じゃなくてもいいけど。それやると怖いだとかピーピー泣くし、しょうがないよねぃ」
「泣いてねぇわ」
「泣いてた方がまだマシだっつーの」
泣き方知らねぇガキみたいな顔しやがって。吐き捨てられた言葉に苦笑する。そういえば一秀にも泣くのが下手くそだとか言われたな。
「……俺がそうじゃなくてもどうせできねーだろ」
「なんで。俺不能じゃないけど」
「……あんな汚ねぇ体で勃つわけねーだろ」
「は?」
牧田は俺の手を掴み自分の股間に押し当てる。感覚が。
驚き牧田を見上げる。牧田はハンッと鼻を鳴らしこちらを見下ろす。
「穴は穴だろうが」
やっぱクソ野郎だ。込み上げた感情そのままに笑う。ぐだぐだ気にしてたのがバカみたいだ。名誉の負傷と言われたいわけでも、汚い体を綺麗だと言ってほしいわけでもなかった。ただ、普通の人のように扱ってくれればそれだけで。
「そうそ。そうやって笑ってな。それならまだ生かしておいてもいいかなって思える」
「勝手に人の生死握ってんじゃねー」
クスクスと笑いながら言う。不意に牧田の顔が近づいた。ちゅ、と唇に何かが触れる。
「……さっさと服着なよ」
「なんだ、今の」
「キス。したことくらいあるでしょ」
しれっと告げられた言葉に愕然とする。え、なんでキス? どういう流れで?
疑問符が頭の上で踊る。理解が追い付かない。
「服着たら、出てってよねぃ。抜きたいし」
「……あーハイハイ」
理解が追い付かないまま重ねられた言葉に、おざなりな返事をする。いいやもう。考えるのをやめよう。思考停止した俺に、牧田はニヤニヤと笑いだす。
「あ、それとも抜きあう? それでもいいよ」
意地悪そうに告げられた言葉に、片眉を上げる。俺が驚くとでも思ったのだろうか。服を着てベッドから立ち上げる。部屋を出ていく直前で、くるりと振り返る。やられっぱなしは面白くなかった。
「……残念。俺不能だからお前とは遊べないんだ」
「ハァッ!? ちょっ、」
一方的に言い残しその場を立ち去る。牧田の焦った声が愉快だった。
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