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 夕方には街に着いた。ちなみに明日は土曜日だ。始業式の時は始まって早々休みなんてと思ったものだが、この時間街にいる今となってはタイミングの良さを思わずにはいられない。  手渡されたクレープに齧り付く。チョコレートとバナナとホイップ。苺カスタードのホイップも気になったが、結局は以前から気になっていたものを選択した。素朴な甘さが口に広がる。盛られたチョコホイップが包みから零れそうになり、慌てて口に含む。囓った一口の大きさゆえに包みからクレープは見えなくなる。 「包みを破るといいよ」  ツナサラダのクレープを食べている橙が教えてくれる。勿体ないような気持ちになりつつも包みを破る。ひょっこりと現れたクレープに気分が高揚した。 「クレープ」  無意味に呟き、両手で持ち直す。チョコソースは形の崩れたホイップを滑り落ちる。包みの破り目が茶色に染まる。かぱりと口を開け、もう一口。足がそわつく。顔の筋肉が溶けるようだった。 「赤、こっち向いて」  呼ばれた声に振り返る。何とも形容しがたい音が橙から漏れる。なんだ今の声。にしてもおいしい。今まで眺める一方だった食べ物を頬張る。おいしいというよりも楽しい。楽しくて嬉しい。食べ物を食べているにもかかわらず、幸せの塊を口に含んでいるかのような。  パシャリ。  シャッターを切る音で我に返る。すっかり自分の思考に耽っていたが、橙に呼ばれていたのだった。見つめた先には大きなレンズがあり、映り込んだ自分の姿と目が合う。 「……、橙?」 「どうしたの、赤」  返事をする間にもシャッター音は絶え間なく続く。所謂一眼レフカメラというやつなのだろう。素人目から見ても高性能だと分かる。 「いや……。橙のクレープはどうしたんだ?」 「もう食べたよ。はい、笑ってー」  飲み込んだ言葉の代わりに無難な質問をする。俺の視線の意味に気付いているだろうにさらりとスルーをした橙は、また一つシャッターを切る。  言われるまま、へらりと表情を緩める。ちょっと固いね、と声が続く。そんなこと言われても、と手に持ったクレープを囓る。うん、うまい。怒濤のシャッター音が聞こえた。 「橙……、これから何する?」  シャッター音を指摘するのは精神衛生上良くないと考え、他の話題を振る。そうだなぁ、と橙は手を止め思案する。 「赤はどこに行きたい?」 「俺?」  どこって。……どこだろう。改めて問われると困ってしまう。食べ終わったクレープの包みを折りたたむ。捨てるよとゴミを引き受けてくれた橙に倣って立ち上がる。包みをゴミ箱に放り込んだ橙は振り返って俺を呼ぶ。 「赤。俺の行きたいとこに付き合ってくれる?」 「ん、おう。もちろん」  軽く頷いてみせると橙は嬉しそうに笑い手を差し出す。一瞬の躊躇の後、橙の掌に手を重ねる。二つの手の隙間が埋まる。きゅ、橙の手に力が籠もった。 ***  向かった先は意外な所だった。ガラス製の自動扉からはまばゆいばかりの光が漏れ、電子音やアニメめいた音声がひっきりなしに流れる。雑踏とはまた違った騒がしさを持つここに足を踏み入れるのは初めてだった。 「ゲームセンターって賑やかだなぁ」 「桃と緑はフィールドが狭めの人間だし、青はあれでお坊ちゃんだからね」 「ああ……」  確かに桃と緑は新しい遊び場を開拓するタイプではない。夜遊びは環境上さして珍しいことではなかったため自然とやり始めたそうだが、青と遊びはじめたのは迷子という名の偶然がきっかけだし。青の遊び場はどちらかというと小綺麗だ。 「あ」 「ああ」  ふと目に付いたのはUFOキャッチャー。ガラスの中に敷き詰められているのはボールチェーンに釣られた握りこぶし大のぬいぐるみだ。おにぎりくんという新潟県のゆるキャラグランプリで二回戦落ちしたキャラクターなのだが、一秀が教えてくれて以来密かにお気に入りである。  微妙にかわいいとネット上で地味に話題になり、作者直々にグッズを展開している。ちなみにここは新潟県ではないが、ちょくちょくおにぎりくんのグッズを見かける。作者さんも俺達の町にグッズを展開しているという話はしていないし……。何かお金の力を感じるのは気のせいだろうか。  視線が釘付けになった俺に、橙は首肯し小銭を入れる。ぴこりん、と陽気な音が鳴る。ハンドル片手にアームを操作する橙。アームはぬいぐるみを掴むと取り出し口にぽとりと落とす。 「はい、赤」 「っえ?!」  あっさり手渡されたぬいぐるみは紛れもなくガラスで隔てられていたはずの物で。まじまじと存在を確かめるようにぬいぐるみを見つめ、勢いよく顔を上げる。目の合った橙はん? と何でもないような顔をして微笑んだ。 「橙っ」 「気に入った?」 「ありがとうッ……、うれしい」  取ってもらったばかりのぬいぐるみを頬にあてる。柔らかな感触に眉が垂れる。うん、という低い声の後、小銭を投入する音が聞こえる。隣を見れば再びUFOキャッチャーに挑む橙の姿が。 「橙?」 「あとバージョン違いもあるみたいだよ」  え。それは欲しいかもしれない。  欲求が顔を覗かせる。橙はそんな俺に薄く笑むとボックスに視線を戻した。目を離すことなく真剣な表情をしたまま橙は問う。 「楽し?」  そうか。  その質問で全てを理解した。橙がこんな急にデートをしようと言ったのは俺のためなのだ。今朝からの一連の出来事で俺が気落ちしているのではと心配して。これから暫く学園生活に暗雲が立ちこめると予感して、元凶から物理的に距離を取ってくれた。  そこには多少橙の欲求も含まれていただろうが、最終的には全て俺の為。橙の食べたいものも、行きたいところも。結局は俺の求めた物だった。 「うん。すごく楽しい」  ほら、と追加でぬいぐるみを手渡される。衣装違いのおにぎりくんだ。橙、と小さく呼んで振り向かせる。 「ありがとう」  これまでのことも、これからのことも。  含ませた言外に気付いたのか、橙はそっと笑みを深める。 「どういたしまして」  現在夜の七時半。夜はまだまだこれからである。  

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