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 翌日。学園に帰って、三浦に母親を見つけてほしいと依頼をして。頼ってくれたねと意外そうに顔を緩めた三浦は、友達だからねと対価もなしに引き受けてくれた。結果的に橙の言った通りになり申し訳なく思ったが、三浦は俺が遠慮しているととったらしく、とんとんと俺の背を撫ぜた。そうだけどそうじゃない。  週が明けて月曜日。寮の部屋を出た瞬間、スマホが振動する。画面には橙の名前。何だろうと疑問に思いながら電話に出ると、橙の焦りを含んだ声が聞こえる。 『おはよう、赤。もう寮出てる?』 「おはよう。今出たとこ。どうした?」 『一旦部屋に戻ってくれる? 昨日俺とホテル行ったとこ誰かに撮られたみたいで、学園中に写真がばらまかれてる。……赤とAV俳優のアイコラ写真もセットで』  言われるまま部屋に戻り後ろ手で鍵を閉める。言いにくそうに伝える橙の声に反し、へぇという俺の返事は存外感情が希薄だった。誰がやったのか知らないが、なかなか手が込んでるじゃないか。 『念のため寮の方に迎えを寄越すからちょっと待ってくれる?』 「分かった」  電話を切り、へたりと玄関に座る。昨日の写真が出回っているというのはどういうことなのだろう。学園内にいる生徒が橙と俺との写真を撮れる筈もない。ということは学内から誰かがつけていたということだろうか。 「それか学外の人物と学内の誰かが内通していたか」  浮上した可能性に目を瞑る。立場上、恨まれやすいのは自覚している。派手な立場にはそれなりの感情が寄る。そういうものだ。学園内では桜楠円の弟として、外では椎名グループの息子として……いや、椎名の実質的な経営者として、か。何にせよ、恨まれる要因はいくつでもある。とてもじゃないが絞り込めそうにない。  インターホンの音に立ち上がる。スコープを覗くと外には青の姿。ドアを開けると、青は気遣わしげに挨拶をする。 「赤、おはよう。……行けそうか?」 「ああ、大丈夫だ。おはよう」  ひらりと手で扇ぐと青は悔しそうに唇を噛む。 「ばらまかれた写真は今風紀と親衛隊が回収してる。……元が割れてないからイタチごっこになりかねないが。手元に置いてる生徒もいるだろうと思う。ごめんな」 「なんで青が謝るんだよ。青のせいじゃないだろ」  沈んだ面持ちの青を促し、校舎に向かう。一歩踏み入れた途端、肌で感じる程の悪意と不躾な視線。一体どんな写真が貼られたんだか。なめ回すような粘着質な眼差しは向けられて気持ちの良いものではなく、肋の下がぞわりと粟立った。  ぴらり。  ふと、足下に何かが滑り落ちる。反射的に拾い上げ、裏返す。瞬間、目に入るのは情事中を思わせる四肢に繋げられた自分の頭部。どんな瞬間の表情であるかは不明だが、隠し撮りであるのは間違いない。写真を落とした生徒は俺が目を通したことを確認すると、威嚇するように睨み付けてから背を向ける。わざと落としたのか。  一瞬思考が停止し、はたと我に返る。 「ねぇ、そこの君」  お優しい椎名くんを意識して呼びかける。 「何か」  俺の気付くまでその場にいたのもそうだが、気が強いのか。僅かに怯えを含んでこそいるものの、敵意の籠もった目が俺を見返す。 「これ、落としたよ」  近くに寄り、写真を差し出す。眼前でぐしゃりと握りつぶし、相手の手に戻す。愕然とした様子の彼に、うっそりと笑いを零す。 「君のでしょ? もう落とさないようにね」  行こうか、と青に声をかける。ああという声は先程同様気遣わしげだが、少し落ち着きを纏っていた。 「ちょっと安心した」 「安心?」  人気がなくなった場所で青がぽつりと零す。 「ああ。……俺はこういう時でも赤が反撃しないんじゃないかって思ってたから」 「街で喧嘩する時とか殴ってるの見てるだろ」  何を今更と呆れる俺に、青は見てるけどと言葉を返す。 「不良相手じゃない時は基本やられっぱなしだろ。受け流すというか、受け入れるというかさ」  言われてみればそうかもしれない。宮野に絡まれた時は少しばかり脅したが思い当たるのはその一件だけ。 「……円が帰った時、傷つくかもしれないから」  思いついた理由を口にする。声に出すとその理由はより明確に俺の中で根付いた。そうだ。俺は多分、病院から帰った円が俺のことで傷つくのが嫌なのだ。 「それに、やられっぱなしのとこを兄貴に見せるのはかっこ悪いしさ」 「ほんと、赤って妬けるほど桜楠に甘いよな。アイツの何がそんなにいいんだか」  ずっとムスッとしてるわ空気読めないわ言葉数少ないわ赤傷つけるわでいいとこなしだぜ?  青は拗ねたように円の悪口を並べ立てる。いいとこなしとは酷い総評だ。円だっていいとこくらいあると思うけどと小さく反論すると、青の手は俺の髪をかき混ぜる。これで許してということだろう。流された訳ではない。訳ではないが。まぁ、いいか。

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