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 青の言葉は本当だったらしい。ステージを見下ろしながらそう思う。見回りと称しやってきた講堂には、全校集会と見間違うほどの生徒がぎっしりと詰まっていた。暗がりの中一カ所だけ明るく照らされたステージ上では華やかな衣装を着た生徒が二人、お辞儀をしている。一個前の舞台がちょうど終わったのだろう。カーテンコールが終わると同時に出て行く生徒もまばらにいたが、ほとんどは次のイベントを心待ちにしているようで席はいまだ埋まっている。 「そろそろか」  戻りはじめた照明に青が壁から背を浮かす。てっきり上から見守るものかと思っていたが違うのか。ステージに続く階段を下りはじめたことに驚きつつも後に続く。青はどこか緊張した動きでステージ袖の控えを位置取る。 「あれ、椎名じゃん」 「牧田」  声をかけられはっとする。薄暗さで気づけなかったがよくよく見ると風紀委員が多くいる。神谷、橙、二村に牧田、それから青。俺も入れればこの場にいる風紀は計六人だ。 「夏目ぇ、よく椎名をここに連れてきたね」 「……言ってねぇ」 「だろうと思ったよ」  二人のやりとりに嫌な予感を覚える。――そもそも、今から何が始まるんだ?  疑問に答えるようにアナウンスが流れる。 「さぁ! 今年も始まったぜステージより愛を込めてッ! 野郎ども、気持ちの準備はできてるか?!」  歓声が応える。状況の飲み込めない俺を置き去りに会場は大盛り上がり。 「椎名」  二村の肩に腕を回しながら牧田が言う。 「ステージより愛を込めては、桜楠学園文化祭一日目の大目玉のイベント。俗に言う、告白イベントだ」 「告白イベント……、っ?」  二村は牧田の腕を振りほどいて向き直る。 「誰がどいつを好きだっつー、クソ企画。逃げてもいいぞ」  言葉だけは投げやりに、されど瞳は強く語る。ご親切な二村の説明にようやく俺も心得る。どうやら俺は告白される、らしい。  気付くや否や、心臓がきゅっと苦しくなる。  俺は感情の起伏が少ない。その自覚がある。学園に来て以降マシになったとはいえ、人より情緒が育っていないのは間違いない。だからこそ、人から好意を伝えられることが怖いと思ってしまう。 「逃げるかよ」  逃げ道の提示は状況の呑み込めないまま連れてこられた俺への最大限の優しさだ。でもさ。それってさぁ、  誰かの気持ちを蔑ろにした上で成り立ってるものなんだろう?  聞かないフリ、見ないフリ。誰かの優しさをゴミ箱に投げ入れて。その結果何が得られるかなんて、俺が一番よく知っている。  お裾分けだと言って受け取ったあの煮物は、本当はどんな味がしたんだろう。砂糖の強い甘めの煮物だったのだろうか。それとも白だしで上品に仕上がった煮物だったのか。どんな煮物だったかは記憶からきれいにスコンと抜け落ちているのに、捨てた罪悪感だけがいつまで経っても離れない。背中の火傷跡のように、ずっと、ずっと。 「さてお一人目はなんと、副会長の田辺様! お相手は……?」 「桜楠だよ」  会場のやり取りに意識を引き戻される。袖から舞台を覗くも、円の姿は見えなかった。そういう形で進むものかと思ったがどうやら違うようで、司会の生徒も困惑顔だ。 「あの、田辺様。会長は……?」 「あれ、来てないね。電話してみるよ」  今ここで?  会場の緊張した雰囲気が困惑にシフトする。混沌だ。尤も、そんな会場の思いを知ってか知らずか、田辺はすでに電話中だったりする。 「あ、もしもし桜楠? 今例の告白イベントやってるとこなんだけど?」 『ああ、あの。それがどうかしたか』  スピーカーモードにしているらしい。円の声がマイクを通して会場に流れる。これは共感覚なしでも分かる。あいつ、自分が告白されるわけないとか思ってんだ。この学園の会長にまで選ばれたくせに何考えてるんだか。 「自分の人気を自覚しろよな」 「赤、それブーメラン」 「は? 俺、円の話してるんだけど。俺がモテる? ハッ、円見てからもっかい言えよな」 「拗らせたブラコンめんどくせぇ」  心底嫌そうな顔で牧田が詰る。なんとでも言え。円と俺を同列に並べてブーメランだと。笑わせてくれる。 「どうかしたっていうか。俺、桜楠が好きなんだよね」  さらりとした告白に観客が沸く。電話口の歓声の多さに驚いたのだろう。うるせ、と円の声が聞こえる。 「……クソ」  何だろう、面白くない。思わず顔を顰めて壁にもたれる。神谷が「ブラコン」と口パクする。うるせぇほっとけ。  舞台の方ではやりとりが進む。 『田辺が俺を? んぁ~……ごめんなさい』  観客の反応が一瞬で静まる。対する田辺はおそらく予想がついていたのだろう。軽く笑って理由を聞いた。 『俺、記憶喪失患ってたのが治ったんだけどさぁ』 「その話は聞いてないなぁ」 『あれ?』  うん、俺も知ってはいたが報告は受けてない。そう考えるとよくもまぁ周囲の人間はあそこまでの変化を平然と受け止めたよなぁ。実は困惑している人間もいたのだろうか。 『まぁ、そういうこともある。次記憶喪失になって戻った時は報告するから』 「おう、頼むわ」  二度もあってたまるか。  で、と円は話を戻す。 『記憶戻ってそう時間も経ってねぇ今、告白されるのはなんか嫌』 「ふぅん?」  分かったと頷いた田辺は電話を切る間際、桜楠と呼びかける。 「お前は記憶のなかった間の自分を否定してるみたいだけどさ。お前って案外お前にしかなれないもんだよ」 『……なんだ、それ』  唇を引き結ぶ。円の声が僅かに揺れる。分かるよ円。否定して否定して。否定したその先でふと肯定される。天地がひっくり返されたような衝撃。目の前が明るく開けて、眇めた先の光景は、ほら。 「よかったな」  お前に優しい世界だろう?  振られた当の本人がけろりとしていることもあり、司会はためらいつつもイベントを次へと進める。 「副会長の今後に乞うご期待っ! お次のエントリーはぁ……『風紀の愉快な仲間達』! ステージへどうぞ!」 「長谷川ぁ……」 「誰が愉快だ、ボケが」  口々に不満を呟きつつ舞台裾から出て行く。最後尾の青がくるりと振り返った。 「ほら、赤」  伸ばされた手と青の顔を交互に見る。 「また、迷子防止?」 「いや、繋ぎたいだけ」 「、なんだそれ」  笑い、差し出された掌に手を重ねる。繋いだ手に導かれ、ステージへ歩を進める。カーテンの向こう、当てられたスポットライトに目が眩んだ。

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