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6-1
「赤ッ、俺のことはどうだっていい! 俺が嫌でも、なんでもいいから、だからッ」
青の手が腕を掴む。人影少ない校舎裏。縋るように言葉を吐く青の影が、背後の壁に落ちる。だから赤、青が言う。
「――幸せのための選択をするんだ」
今ここで。
穴が開きそうなほど強いまなざしに、にやりと口元を緩める。答えはとうに決まっていた。
*
文化祭が終わった。じきに次の定期試験が迫っているが、文化祭の余韻が残った校内はいまだ浮足立った雰囲気だ。そうそう、最優秀クラスは3-Aのお化け屋敷だった。うちのクラスでなかったのは残念だが、あのクオリティの高さなら納得だ。因みに去年の最優秀クラスも横内先輩のクラスの執事喫茶だったとか。一番人気のメニューはキャロットケーキで、先輩の考案したものだとうちの委員長が言っていた。やけに呆れ顔だったが、このケーキに因縁があったりするのだろうか。
「まぁ、来年は兄貴もいないし優勝狙えるかなぁ」
「横内、来年は僕らクラス別になるかもしれないけど」
「あと半年か……早いな」
三浦の感想に頷く。本当に、早い。気が付けば九月が終わろうとしている。二年生から三年生になるのももうすぐだ。
「そんな落ち込んだ顔しないでよ。……釣られちゃうでしょ」
花井が眉根を寄せる。怒ったような表情に、委員長が「不器用すぎ」と苦笑する。
「進級してハイさよならって訳じゃないけど、このメンツがばらけるかもって思うと確かに、少しさみしいよね」
宥めるように頭を撫でられ、複雑な気持ちになる。俺の方が身長あるんだけどなぁ。微妙な感情が顔に出ていたのか、三浦が楽し気に笑う。他人事だと思ってコイツ。
止まる気配のない委員長の手に、ぶるりと頭を振るう。
「ふはッ、ごめんって。そうだ、今日文化祭の打ち上げやるじゃん? あれ一応自由参加らしいけど三浦と椎名は行くの?」
「委員長と花井は?」
「俺たちは行くよ。せっかくの集まりだし。三浦は? 部屋でゲームしとく?」
「んや、行く。椎名も行くよね」
「行く」
賑やかなの、楽しそうだし。
今日は月一回の土曜授業の日。午前で授業は終わるため、打ち上げは午後から開催される。桜楠学園の生徒とはいえ、山奥でできることは限られる。やることといえばビンゴ大会と、お菓子パーティーだ。ビンゴの景品は売上金から購入したものだし、持ち寄るお菓子も各々の家業関係だったりするため、一般のそれよりは些かグレードが高かったりする。
ピコンという音ともにスマホ画面が光る。
『赤。午後、空いてたりしない?』
無言でスマホを仕舞った俺に、花井は「夏目委員長?」と小首を傾げる。目敏い。流石は青のファンを公言するだけあるというかなんというか。
「……まぁそんなとこ」
まさかスマホを見た反応だけでメッセージの送り主を当てられると思わず、至極曖昧な反応になる。ふぅんと鼻で返事をした花井は、神妙な顔つきで前置きをする。
「椎名、これは半年間友人をやってきた僕からのアドバイスなんだけど」
「っうん、」
「ちょっと、友人ってとこで今更嬉しそうにしないでよ」
「う、ごめん」
「いいけど。……椎名、夏目委員長から逃げたら後悔するよ」
軽い調子で告げられた言葉は予想外に的確だった。ポケットに仕舞われたスマホの重さが増す。
「……逃げてない」
「うん、今から逃げるのかなって思って。アドバイスっていうのは、手遅れになる前にするもんだよ。違う?」
「……」
苦し紛れの反論も正論にいなされる。視線の落ちた先をじっと見つめて固まる俺に、花井の声色が優しくなる。
「椎名。椎名はさ、そんなに怖がらなくてもいいと思うよ?」
「怖がってなんか、」
「そう? 僕には夏目委員長を振った時の物言いが精いっぱいの威嚇に聞こえたけど」
膝上の拳に力が入る。威嚇か。うまい例えだと思う。自分のことでなければ素直に感心していただろう。それができないのは、花井の口にしている内容が俺にとっての事実であり、探られたら痛い腹だからに他ならない。
「椎名はさ、会長のこと大好きでしょ」
「あ? うん。すげぇ好き」
「臆面もなく……でもさ、初めて食堂で昼食べた時は大っ嫌いって言ってたじゃん」
言ったな、そういえばそんなこと。
「今にしてみればおかしな話なんだよ。椎名は、あんまり人のこと嫌うタイプじゃないから」
「いや、甲斐とか嫌いだけど」
「ほら」
「?」
鼻先に指を突き付けれ、思わずのけぞる。危ない。
「嫌いなんでしょ。大嫌いじゃなくて」
ああ、そういうこと。
花井が何を言いたいのか、話の行く先が分かった。
「ねぇ椎名。なんで夏目委員長だけあんな語調でフったのかな。あんな、好きだって気持ちを否定するみたいに。……椎名、遠ざける手段として相手を傷つけることは有効かもしれない。でもさ、」
それじゃ、お前も傷つくって分かんないの?
ハッと息を呑む。視線を上げた先には、薄っすらと微笑む花井がいた。
「責められると思った?」
「……少し」
「確かに僕は夏目委員長の顔が好きだけど、それだけだよ。椎名は僕の友達。でしょ?」
こくりと頷く。ポケットからスマホを取り出す。数回のコール音の後、「はい」と青の声が続いた。
「……夏目」
『赤?』
そういえば、文化祭でのイベント以降、話すのはこれが初めてだ。そう思うと途端、緊張する。
『赤、その、午後のことなんだけど。ああ、いやえっと、また別件か? ごめん先走った、あ~…っと、』
「夏目」
不格好に言い募る青。
言葉を遮るように名前を呼ぶ。いつもの愛称じゃないのは、ほんの少しの線引き。それが分かったのか、青の言葉が不自然に途切れる。
――傷つけた。
それをしている俺が胸を痛めるのはお門違いだ。理解してなお息苦しい。本当に、嘘が下手になったものだ。
午後のことだけどと口火を切ると、電話向こうの気配が変わる。
「空いてるよ。どこ行けばいい?」
嘘の撤回はできないし、多分いっぱい傷つけるけど。
「――分かった、また後で」
電話を切り、振り返る。席を立った俺に、友人たちは柔く手を振る。
「いってらっしゃい、どこ行くの?」
「風紀室ッ! 打ち上げは遅れていくから……その、お菓子取っといてくれる?」
「まっかせて! おいしいのとっとくよ」
委員長のVサインにVを返す。「はわわ」と珍妙な呟きが聞こえた。
「んじゃ、いってくる」
青、ごめん。お前は夏目の跡取りで、俺は椎名の跡取りだ。だから本当はお前を好きな俺なんて、きっとそばにいちゃいけないんだろうけど。でも、でもさ。ちゃんと好きだって気持ちを殺してみせるから。なかったことに、してみせるから。だから、
友達としてなら、隣にいてもいいかな。
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