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6-20 横内陣side
前を行く彼が足を止める。副会長に何事かを伝えた彼は、班から抜け出して道を逸れ、角を曲がる。話しかけるなら今だろう。彼を追いかけていることがバレない程度に足を早め、角を曲がる。路地の壁に背を預けた彼は、僕の姿に背を浮かす。気づかれていたのか。
「……由の親衛隊長、だったよな」
内心動揺するも、話が早くなったと気持ちを切り替える。元々伝えたいことがあり機械を伺っていたのだ。むしろ都合がいい。
桜楠円は追いかけられていたことには気づいていたものの、その狙いまでは分かっていないようで訝しげに眉を顰める。
「あなたと椎名様のことでお話ししたいことがあります」
椎名様のお名前を出した途端、桜楠の表情に警戒が走る。今から僕が話そうとしていることについて、きっと椎名様は歓迎しないだろう。悔しげに沖縄行きを断念した気の合わない某親衛隊長なんて言わずもがなだ。それでも言わずにいられない。当の椎名様が気にしなくとも、僕の中であれはまだ終わった出来事ではないのだから。
「……文化祭の前のお話です」
口の内側の肉を噛み、声の震えを我慢する。
「あなたは椎名様の、文化祭前の状況についてご存じだったでしょうか」
「ああ……、吉衛隊長から全て聞いた。俺の親衛隊の一部の暴走で由が害されていると」
苦しげに地面を睨む桜楠に、思わず鼻白んだ。込み上げてきた感情を飲みくだす。桜楠の後ろに見える空は、雲に覆われはじめていた。風が吹き、背を押される。一歩、足が前に出た勢いで声を出す。
「では、その原因についてはご存知ですか!」
風に励まされた質問は自分の想定より力強い。桜楠がこの質問になんと答えるか、僕は既に知っていた。いや、分かっていたという方が正しいか。
「原因は……」
桜楠が口を開く。
「越賀羽が扇動したって。俺たちの過去を捏造して、俺が由のせいで家を追い出されたかのような話を学園にばら撒いたって、」
――聞いてるが。
改めてされた質問に自信がなくなったのか、最後の言葉は頼りない。足元がグラグラする。どう怒りを堪えればいいのか分からず、自分の影を踏み躙る。風が泣く。
ぽつ。
涙のように地面が滲んだ。
「ちがう」
降りはじめてからはあっという間だった。風邪が吹き荒れ、雨が全身を叩きつける。折り畳み傘を出す者、軒先に逃げる者、避難せず鞄を傘に走る者。そのどれをすることもなく、僕と桜楠は向き合っていた。全身が雨に打たれる。
文化祭の前、椎名様の状況は過酷なものだった。椎名様を桜楠の敵として見ている勢力と、それに紛れた越率いる外部からの勢力が一緒くたに椎名様を襲っていた。椎名様は辛そうに表情を曇らせながらも、気丈に振る舞っていた。
でもそれは彼が強いからではない。彼がそれを仕方のないこととして受け入れてしまえるほど、彼の今までに救いがなかったというだけだ。彼が一番苦しんだ時期にたった一度、一言話したというだけ。それでも分かる。あの状況を困った顔で受け入れるなんて普通ではない。椎名様は、ずっと追いやられていた。誰の助けも届かない場所に。守りたいものを守るため、誰の声も届かないところでたった一人。
「――違う」
あの時期、漆畑くんの依頼で僕たち親衛隊は椎名様の護衛についていた。目に届かないところで越と会っていた彼のことだ、漆畑くんからの依頼がなければ徹底的に一人で動いていたことだろう。周りに彼を守る人がいてなお、椎名様は人に頼ることをしない。
頼り方を知らないみたいだ、と思ったのはいつの日だったか。「みたい」がただの例えから疑惑に、疑惑から確信に変わったのは文化祭の出来事が決定打だったと思う。だからこそ、あれほど苦しんだ椎名様を一番理解すべき桜楠が安穏と暮らしているのは許せない。
「違う!!」
桜楠は、なぜこうも疑問を持たずに信じているのか。桜楠円を愚直に守ることしかしない吉衛柚月が、桜楠円の心に傷をつけるかもしれない情報をそのまま耳に入れる訳がないのに。
「吉衛のバカが、あなたに嘘をつかないとでも?」
声が震えた。恐ろしかったからではない。煮えたぎる怒りのせいだった。同じ親衛隊だから、桜楠の親衛隊が文化祭前の一件以来更に厳しく統率されることになったのは知っている。桜楠の望まぬことが起こらないよう、吉衛が目の下にクマを作る程睨みを利かせているのも、知っている。だがそれがなんだ。椎名様は、もう傷つけられた後なのに。
「吉衛から全て聞いた? 笑わせないでください。吉衛が他の誰でもなく、あなたにだけは全てなんて言える訳がない」
言葉を選ぶ。これを伝えるのは、椎名様に起きた苦しみを正確に理解してほしいというただの僕のエゴだ。僕のエゴで椎名様が苦しまないよう、桜楠に話すとしても最低限の配慮くらいは必要だった。
「……始業式の日、あなたは椎名様の名前を呟きながら倒れました。それが、あなたの親衛隊には椎名様に虐げられ、苦しみ嘆く言葉として受け取られた。親衛隊は確かに短絡的でしたが、あなたのうめき声は事情を知らなければ確かにそういう声に聞こえました」
桜楠が言葉を失う。瞳を揺らした桜楠は、立ち方を忘れたようにうずくまる。
「……それでか。おかしいと、思ったんだ」
壁に額をつけて桜楠が言う。降り続ける雨に晒されてうずくまる姿は、濡れぞうきんのようだった。
「生徒会長になってから積極的に親衛隊に干渉したりこそなかったが、目立った暴走もなくそれなりにうまくまとまっていると思ってた。だから、外部からの働きかけがあったとしてもあそこまで親衛隊の統率を取れなくなる理由が分からなかったんだ」
俺が理由だったのか、と呟いた桜楠はよろりと立ち上がり両手を壁につけて頭を振る。ゴン、と鈍い音がした。
「……」
かなり、びっくりした。
「痛いですか」
ふらりとよろめいた桜楠が「クソ痛ぇ」と額を押さえる。
意図せずして椎名様に初めて会った時のやり取りが出た。あの時の椎名様とは真逆の答えを返す桜楠に笑いがこみ上げる。桜楠の心境を思えば笑いどころではないだろうと堪えるも、妙におかしくて笑みが漏れる。
「ごめん、本当はいつもこんなんなんだ」
薄ら笑った桜楠は幸薄そうで、椎名様と表情の作り方が似ている。緩慢な動作で取り出された桜楠のスマホは、ぱっと明るくなり待ち受けを映し出す。
子供が二人と、青年が一人。二人は椎名様と桜楠だろうか。
「――皆俺に隠そうとするんだもんなぁ」
声を詰まらせる桜楠が辛そうで、少し慌てる。椎名様と似ていると思ってしまったせいだろうか。桜楠を気遣う自分のらしくなさに気付きつつ、別の話題を提供する。
「そ、そういえばその待ち受けの方はどなたなんですか」
下手くそな話題だったと思う。桜楠は僕の気持ちを理解したのか、苦笑いをして答える。
「こいつは、そうだな。――教えてくれるタイプのお兄ちゃん、だよ」
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