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第1話

その少年は、雨の日に現れた。 髪が濡れ、毛先からポタポタと雫が落ちる。 「……君は」 驚きながらも俺は、その少年を追い返す事が出来なかった。 ……ああ、空腹で仕方ないのに…… 俺が指名したのは、店のマスコット的な存在の悪魔っ娘、結愛だ。 あの娘は俺の素性を知った上で、美味しそうな首筋を俺に差し出してくれる。 だから俺はいつも結愛を指名しているのだが、今目の前に居るのは十二才位の幼い少年だ。 店の手違いか? 結愛の代わりか? それとも……ただの迷子か? 「……あの…村瀬さんのお宅は、こちらで…合ってますか?」 「……」 髪に隠れる程に垂れ下がった獣耳が、小さく震えている。 いつから雨に打たれていたのだろう……体が冷え切っていた。 俺は少年の腕を取り家に引き入れると、シャワールームへ押し込める。 「……あの…」 「取り敢えず、シャワーを浴びて温まりなさい」 戸惑う少年を無視し、俺は背を向けキッチンへと向かう。 そしてお湯を沸かし、アフタヌーンティーの準備をした。 焼いたばかりのカボチャのクッキーは、まだ鉄板の上で冷ましている所だ。 クッキーの類いは、結愛が好きだからいつも用意するのだが…… ガチャ 少年がドアを開け、おずおずと顔を見せる。 「…トリック、オア、トリート……」 店からそう言えと言われたのを、今になって思い出したのだろう…… 「こっちにおいで」 微笑んで手招きをすると、少年は上目遣いのまま俺の方に近寄った。 歩く度に揺れ動く長い尻尾が、何とも可愛らしい。 椅子を引き彼を座らせると、ティーカップに紅茶を注ぐ。 「……遠慮なくお食べ」 パンプキンパイとパウンドケーキ二切れを皿に乗せて出す。 と、少年の目がキラキラと輝いた。 「食べても、いいんですか?」 「どうぞ」 俺は彼の斜向かいに座ると、片肘をついて少年を見る。 ……ああ、早く食べたい…… きっとこの少年は、シナモンの味がするんだろうな…… そんな事を思っていると、無意識に口角をクッと持ち上げ、舌舐めずりをしてしまう。 ……おっといけない、牙が見えてしまっただろうか…… 喉の渇きと共に伸びてしまった犬歯を、咄嗟に手で隠す。けれど、少年は目の前のパイとパウンドケーキに夢中で、目をキラキラと輝かせていた。 あんなに垂れ下がっていた耳も、髪から主張する様にピンッと立っている。 パウンドケーキを手にして頬張る少年は、何とも美味しそうだ。 ……いや、味わうのはもう少し後にしよう…… 俺は少年の幸せそうな顔を見ながら目を細めた。 《end》

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