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14一8

眠っていると、橘の整った容姿がより際立つ気がする。 起きていると不機嫌そうな三白眼になってしまうので、せっかくの綺麗な顔面が台無しになってしまうのだ。 ジッと見詰められると睨まれていると誤解してしまうが、由宇はもう気付いてしまった。 橘は、視線で想いを伝えようとしてくる節がある。 言葉足らずで、現にあまり気持ちを伝えようとはしてくれないけれど、目で訴えかけようとはしてくれる。 最近感じていた橘の視線……あれは、由宇の勘違いでも何でも無かった。 あの熱視線そのまま、彼は由宇に想いを伝え続けてくれていた。 ちゃんと、橘の言葉で説明してほしいと何度もイライラしたものだが、離れる前から橘は由宇をジッと見詰めていた事が多かった気がする。 説明なんかしなくていいだろ、分かるだろ、と。 (先生を好きだって気付くのも遅かった俺が、先生の言いたい事を全部理解するなんて無理だったけどね……) そんな上級者向けの恋愛テクニックなど、由宇に通じるはずがない。 橘の気持ちを知った今でこそ分かる事は多いが、言葉よりも先にいやらしい経験をさせられたあの頃の由宇には、まるで訳が分からなかった。 今やその時の腹立たしい気持ちをも懐かしく思えているから、目前で静かに眠る橘の寝顔が目一杯愛おしい。 (……先生………) 包帯を巻かれた左腕にそっと触れてみる。 レントゲンを撮ったが、橘の左腕は折れていないと診断されてホッとした。 赤黒い患部にヒヤリとしたものの、激しい打撲によりああなっていただけらしい。 ただし、手のひらは縫合処置を余儀なくされた。 処置室から出て来てもまだ眠っていた橘にうるっとしていて、由宇は、父親が説明していた話をロクに聞いていない。 出血が多く、貧血を起こしているため鉄分補給の薬も何日か飲まなければならないとか。 裂傷痕の長さや深さから、とにかく大事をとって一晩入院させるという事だけは分かった。 ボロボロだったシャツは、血液が大量に付着していたので廃棄され、病院の院内パジャマを着せられてぐっすり寝ている橘を、由宇は何時間も眺めている。 傍らには拓也と瞬がずっと居たにも関わらず、二人とは一言も会話をしていない。 「チワワちゃん、暗くなってきたし家まで送るよ」 「え………」 「血縁者、配偶者以外は泊まりは禁止なんだって。 面会時間終わるから俺らも病院出ねぇと…」 「でも…先生まだ起きてないです……」 「だね。 風助さんの事だから、明日退院したその足で学校行くと思う。 心配しなくて大丈夫」 「……………………」 橘が目覚めた時、傍に居てあげたいと思っていた由宇でも規則ならば仕方がない。 父親が勤める病院故、勝手をして父親を困らせても嫌だし、目覚めた橘に「何やってんだ」と叱られるのも目に見えていた。 ここは拓也の言う事を聞くべきだろうと、渋々立ち上がる。 「先生、……また明日ね」 綺麗な右手を一度握って、由宇は離れようとした。 「…………っ」 しかし、歩もうとした足を止めさせられてしまうほど掌を強く握り返され、驚いて橘の顔を見ると片目を薄っすら開けて由宇を見ていた。 「せ、先生……っ!」 「風助さん」 「起きたんすか」 拓也と瞬もベッドサイドに駆け寄ってきて、橘の顔を覗き込む。 橘が拓也と瞬を順に捉えて体を起こそうとしたが、慌てて二人に止められていた。 「ちょっ、風助さん! まだ起きるのはダメらしいっす!」 「今夜一晩はこの点滴付けとけって…」 「大丈夫だ。 こんな鬱陶しいもん…」 そう言って点滴の針を抜こうとした橘に、うるうるし始めていた由宇は激しく憤った。 「何やってんだよ! それ抜いたらダメ!」 「…………うるせー…」 「先生、無茶し過ぎなんだよ! あんな、あんな恐ろしいもん握るなんて………っっ」 「また泣く」 「泣くに決まってんだろ! どれだけ心配したと…っ!」 「拓也、瞬。 すぐ降りさせっから、こいつと二人にして」 「…………いいっすけど、激しい運動は禁止っすからね。 あと面会時間も十分切ってます」 「仕方ねーな。 分かった」 「十分じゃ何も出来ねー」と安定の橘節に笑顔を見せた拓也と瞬は、由宇を一目見てから病室を出て行った。 点滴の針を抜こうとした不自由そうな左手を下ろし、管を垂れながら橘の右手が由宇の腕に触れてビク、とする。 「怪我はないか」 声が、気持ち掠れている。 いつもの悪魔面なのに、それはひどく橘を弱々しく見せて涙が止まらない。 「………っないよ。 先生が突き飛ばしたから…っ」 「刃物持ってる奴に向かって来たお前が悪い」 「しょうがないだろ! 先生が刺されたらどうしようって、頭より体が先に動いちゃったんだから!」 「ふーん。 よく分かんねーな」 「……………っっ?」 「お前好きな奴居るだろ。 なんで歌音の家までノコノコ来たんだ」 「え、えっ? 好きな奴って……」 橘の瞳が細くなり、由宇の頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされる。 (俺の好きな人って先生しか……)

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