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15一2
真琴よろしく、覗きを敢行していた由宇の心臓が口から飛び出しかけた。
振り向くとそこには、小奇麗で小柄なご婦人が立っていた。
薄い紫色の上等なスーツに身を包んだご婦人の背後には、五十代半ばほどの男性が二名居て、由宇はアワアワしながら愛想笑いを返す。
「あ、あのっ、え、っと……」
「あら、橘先生じゃない。 どうしたの、あの怪我は」
しどろもどろな由宇に優しく微笑んだご婦人が、職員室の中を覗いて僅かに驚いている。
ご婦人がさも親しげに「橘先生」と言った事に、由宇も驚いた。
「えっ? 先生の事知ってるんですか!」
中の教師達に覗きがバレないよう、小声でご婦人に向き直る。
橘はどれだけ顔が広いのか…。
「オホホ、知ってるわよ。 橘先生から、綺麗なお花と美味しい果物をたっくさん頂いたの」
「お、お花と、果物……っ?」
「あれは何か事情がありそうね。 行きましょう」
面食らう由宇を置いて、はい、と返事をした男性二名を引き連れて、ご婦人は職員室の中へと入って行った。
(ど、どういう事だ…!? あの人、何者っ? お花と果物をたくさんって何っ?)
謎の言葉を残して去ってしまい、由宇はまたもや扉に張り付いて覗きを敢行する羽目になった。
「ハッ! これはこれは、国定さん!」
「と、突然どうなさったのですか!」
ガラガラ、と扉の開閉音で振り返った教師達…特に校長と教頭の狼狽が凄まじい。
何者だろうかと考え込むまでもなく、あのご婦人は相当な権力者である事がそれだけで証明された。
「お久しぶり。 校長先生に用事があって来たのだけど…。 橘先生、その手はどうなさったの?」
橘を取り囲む集団の元へ歩んだご婦人を、教師達が驚きを持って目で追う。
名指しされた橘もようやくそこで振り返り、「お、」と瞳を細めた。
「ヒロコじゃん。 久しぶり」
ポケットに突っ込まれていた右手を上げ、「よっ」と軽い調子で挨拶をしている。
一目で親しげなのが見て取れたが、二人の共通点が分からない周囲と由宇は呆気に取られてしまう。
「く、国定さんをヒロコだなどと…!」
「無礼ですぞ! 橘先生!」
「いいのよ。 橘先生と出会った時からそう呼ばれているの。 今さらだわ」
「ですが…!」
「黙らっしゃい。 …橘先生、その怪我はどうされたの?」
ご婦人に一喝された校長と教頭は、納得いかない風情で下唇を噛み顔を歪めた。
橘を取り巻く教師達が、歩むご婦人にささっと道を開ける。
包帯が巻かれた左手をかざした橘は、「これな」と掻い摘んで経緯を説明していく。
その間、校長と教頭は狼狽えたまま終始俯き加減である。
「そう。 痛かったでしょう」
「そんなに。 例の外科部長に縫合してもらった」
「まぁ、本当? あれから事態は好転しているのかしら?」
「あぁ。 一応解決した。 ヒロコの手柄もあるな」
「あら、定期的に届くお花と果物でお礼は頂いているわよ」
「そうそう、あれお礼の気持ち」
「オホホ。 久しぶりにあなたの正義感たっぷりな瞳が見られて嬉しいわ」
周囲にはさっぱり分からない会話をさも親しげに話している二人の間には、誰も入り込む隙など無かった。
権力者でありそうなご婦人の登場で、橘を非難していた校長と教頭はすっかり意気消沈している。
自主退職を促していたからには後には引けないだろうが、今それを言うのはかなり分が悪い。
「それで、橘先生はなぜこんなに大勢の先生方から取り囲まれ、あなた方から小言を言われていたのかしら」
「小言などそんな…!」
「我々は、………黒い交際のある職員を置いてはおけない、とですね…」
「黒い交際? 橘先生が?」
「え、えぇ、そうです!」
「限りなく黒に近いグレーな会社と繋がりがあり、過去には暴走族にも関わっていたとか!」
「ちなみに副総長な」
「橘先生、余計な事は言わんでいい!」
口を挟んだ橘に、校長の鋭いツッコミが飛んで由宇の肩が震えた。
(先生…っ、面白過ぎる…!)
あれだけ怖いと思っていた橘の存在が、ただ好きな人というだけでこうも受け捉え方が変わるとは単純に凄い事である。
三白眼で、誰にも媚びへつらう事のない橘の毅然とした態度に、由宇は口元を押さえて胸をときめかせた。
橘寄りなご婦人は、校長と教頭を交互に見て首を傾げる。
「何か問題があるの? 過去はともかく、橘先生は、その会社と密接な関係にあるのかしら?」
「密接っつーか、ガキの頃から家族ぐるみで付き合いがあんだよ。 切っても切れねぇのはマジだ」
「そう。 でも橘先生がグレーな会社に関わっているわけではないんでしょう?」
「そりゃあな。 職種が違うからな。 っつーかめんどくせぇから言っちまうけど、そこの長女と政略結婚の話があって、それを蹴ったからこんな事になってんだよ」
(…う、うわぁ、言っちゃった…! 大丈夫なのっ? そんな事までバラしちゃって!)
昨日の一部始終を見ていた由宇の方がドギマギした。
めんどくせぇから、と皆の前ですべてを暴露した橘に、今は男気を見たというよりも「早くこのやり取り終わらせようぜ」の雰囲気を感じ取る。
由宇には分かった。
あの顔はすでに、ご婦人の登場によって橘は自身の勝利を確信している。
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