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個人授業は放課後に ─終─
頭上から見下されていると分かっていたためか、照れ隠しに地面を睨んでいたが恥ずかしくてなかなか顔を上げられなかった。
いつもは言い過ぎだと怒られてしまうほど「好き好き」言えているのに、こう改まって告白するとなると異常に照れる。
フッと微笑んだ気配と共に、橘は由宇の顎を人差し指でクイッと持ち上げた。
「顔真っ赤」
「し、仕方ないだろ…! すごい照れるんだよ! 何言わせんだ!」
「でも惜しいな。 今のは八十点」
顔を寄せてきた橘に、悪魔な耳打ちをされた。
ジッと見詰められての改まった告白は、由宇の心臓が崩壊寸前だったというのに、あんまりだ。
ここは百点満点をくれた後にひっしと抱き締めてくれるところだろう、と由宇は真っ赤な顔で憤る。
「えぇっ!? 頑張ったのに! 満点ちょうだいよ! なんで二十点も削られてんのっ?」
「好きな人、じゃなくて、大好きな人、だったら満点」
「そっ、そこかぁぁ…!」
「惜しかったな」
どうしようか迷った末に、「大」はあえて付けなかったのだ。
「お前そんなに俺の事好きなのか?」とニヤニヤされるかもしれないと思うと、ただでさえドキドキが止まらない由宇のハートが、照れに覆われて危うく止まってしまう。
橘の事が好き過ぎて、好き過ぎて、好き過ぎて、恥じらっただけだ。
「ん、これ返すわ」
なかなか顔の熱が引かない照れたままの由宇に、橘がある物をそっとポケットから取り出す。
「最近これの存在忘れてやがったろ」
「あ……!」
受け取ったそれは、見覚えがあるなんてものではない。 去年までの由宇の宝物だった。
事あるごとに「返せ」とは言っていたけれど、確かに年明けてからはその頻度は落ちていた。
忘れていたわけではなく、それもこれも、由宇に絶対的な安心感を与えてくれる存在が常に心にあったからだ。
「忘れてないよ! 忘れてない。 ……このお守り以上のものが傍に居てくれてたから、…そこまで必要じゃなくなったっていうか……」
指をいじいじしていると、ふと橘の背後の校舎が目に入った。
こんな所でこんなに照れくさい本音を吐かせる橘は、やはり悪魔だ。
どうせ揶揄われるのだろうと応戦する気満々で居た由宇は、予想に反しぎゅっと抱き締められて瞳を瞬かせる。
「……お前卑怯だぞ。 そんな事言われたら満点やるしかねーじゃん」
「………………!」
スーツの胸元に顔を押し付けられ、包み込むようにして抱き締めてきた橘はその表情を見られまいとしている。
高鳴る心臓と頬の熱を、強く吹き付ける春風はちっとも冷ましてくれない。
表情が見えない中、続く橘の言葉に由宇の思考は完全に止まった。
「幸せにしてやる。 俺が、お前を、幸せにしてやる。 どんな事があってもお前を守る」
「………っっ」
「いっぱい泣かせてごめんな」
「………っっ」
「俺で悩ませてごめんな」
「…………っっ」
息が詰まりそうなほど、力強く掻き抱かれた。
由宇の片思いの日々は、とうの昔に報われている。
もう、謝らなくていい。
いっぱい泣いてしまったのも、橘で悩んでいたのも、すべて好意の延長線上の事だ。
橘が由宇を構うから。
助けていいかと手を差し伸べてくれたから。
訳の分からない悪戯なキスで、しょっぱい恋心を教えてくれたから。
遠慮せず甘えていい、と頭を撫でてくれたから。
橘の謝罪は由宇の心には重た過ぎる。
そんなに重たいものは、受け取りたくない。
「今泣いてんのは謝んねーぞ」
「………っいい、謝んなくていいっ。 …先生、……先生っ」
次から次へと溢れてくる涙は、橘のブラックスーツがしっかり吸い込んだ。
背中に腕を回し、ぶら下がる勢いで抱き付くと橘がフッと笑う。
「俺の事、そんなに好き?」
「………好きっ……大好き! 俺は先生に一生付いてくって決めたんだからな!」
「ん、俺も好き」
「……………え……?」
(う、嘘……っ、今、今、なんて……?)
いくらねだっても言ってもらえなかったそれを、たった今橘はさらりと口にした。
宙に浮いていた足を地面に付けて目を見開き、彼の胸元を握ってゆさゆさと揺さぶった。
「せ、せ、先生っ……今、好きって言った? 好きって、言ったよね?」
「言ったけど」
「もう一回! もう一回お願いします!」
「嫌」
「えぇ───っっ」
「お前みたいに毎日垂れ流すと思うな。 言葉以外でちゃんと伝えてんだろーが」
「それはっ、そうかもしれないけど…!」
思った以上に甘い雰囲気が続かなかった。
完全にいつもの悪魔な橘に戻ってしまい、由宇はいじけて自身の体に残る花びらを手のひらに乗せていく。
「はい、じゃあ撤収。 拓也、そこ後始末よろしく」
「了解っす!」
一度手を打った橘にビクッと肩を揺らした由宇の目の前に、木の影から忍者の如く現れた拓也の姿に面食らった。
箒と大きなちりとりを持ち、橘が由宇の頭から降らせた大量の花びらを手際良く掃いている。
「さっきの足音は拓也さんだったのか!」
「俺がファミレスでカレーしか食わねぇのチクりやがったからな。 手伝いという名の罰」
「ほんとの事じゃないっすかー!」
「おかげで俺はこいつからグルメ扱いされてんだぞ」
「それもほんとの事じゃん」
「それもほんとの事じゃないっすかー!」
由宇と拓也の声が見事に被り、橘は珍しい苦笑を浮かべた。
てめぇら…と呟いた声にビビり上がった拓也は、そそくさと離れた場所へ行き、掃除を再開している。
舎弟の慌てた様子に満足気な副総長様は、由宇の腰を抱いてやわらかな髪に口付けた。
あれだけ大量の花びらを、まとめて、しかも二度も頭から降らされると、ポケットの中すべてにそれは紛れ込んでいる。
由宇の左の手のひらは、いつの間にかピンクの花びらでいっぱいだ。
「フッ…。 お前のお守り増えたな。 これは医大合格祈願のお守りにでもしといたら?」
「あ…そうだね! 帰ったらパウチしとく! ………ありがと、…ふーすけ先生」
「その呼び方は好き」
「…………っ」
由宇の事が、と言われたわけではないのに、その言葉を聞くと体がピクッと反応してしまう。
恐らく橘はそれを承知の上なのだ。
好きなら好きと素直に言ってくれればいいものを、副総長様で悪魔な橘風助という男は、正義感と責任感と己の信念の塊である。
きっとどれだけ甘えてねだろうとも、彼の気分次第で由宇は手のひらの上で踊らされるだろう。
しかし由宇は、そこに惚れてしまった。
桜舞う似合わない晴天の下、片方の唇の端を少しだけ上げた悪魔の微笑が無ければ───橘風助ではない。
色々な意味でスーツが似合う橘が、振り返って「行くぞ」と由宇に左手を差し出した。
小走りでその背を追い掛けて、差し出された手を取る。
桜の雨が降り注ぐ四月の頭。
ひとりぼっちではない由宇の右手に、正義の傷跡の感触を確かに感じた。
──終──
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