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二人のバレンタインデー/康介&修斗

修斗さんと同棲を始めてもうすぐ一年。以前と比べて些細なことで喧嘩もしなくなった。これもきっと「いつも一緒にいる」という安心感から。俺の独占欲も同棲のお陰で満たされているんだと思う。どんなに修斗さんが仕事で遅くなろうとも、必ず此処に帰ってきてくれるのがわかっているから── 料理だって掃除だって、ちゃんと覚えた。修斗さんとすれ違い生活でもお互いが居心地のいいように、自分のことは自分でやる、やれる奴が家事をする。そうやって二人の生活を守ってきたんだ。どんなに好き同士とはいえ、最小限のルールは決めないとダメだもんな。 ……それなのに! それなのにここに来て俺ってば大ピンチ! さっき料理も覚えたって言ったけど、やっぱり苦手なものは苦手な訳で。なんでまたこんなことになってしまったんだろう……と俺は困惑している。 「汚い! 汚すぎる。でもここに捨てるわけにもいかねえし、やっぱ食うしかねえか」 目の前に広がる惨状を眺めながら、少しづつ俺は片付けを始めた。 今日は珍しく修斗さんの帰りが早い。修斗さんはモデルの仕事をしていて帰ってくる時間はいつもバラバラ。そりゃ付き合いも多いから朝方になったり、事務所に泊まったりもある。俺とはすれ違いが多かった。 「今日は早く帰れそう。たまには外に食事でも行こうぜ……んっと、遅くても八時には帰れるからさ」 朝、そう言って修斗さんは仕事に出かけた。俺はいつも通り定時に上がって家に帰る。いつもよりそりゃあ浮かれて家に帰ったさ。 だって今日はバレンタインだろ? 今まで何度も修斗さんと一緒にバレンタインを過ごして来た。やっぱりバレンタインには沢山の思い出があるし、こういうイベント事は修斗さんも俺も好きなんだ。だから俺は手作りスイーツに挑戦してみたってわけ。同棲して最初のバレンタインだし、特別なことをしてみたかったんだよ。 ……そうだよ。 俺はただチョコを溶かして固めるだけでも失敗するような男だよ。やってて思い出したんだよ、悪いか! 事もあろうに俺は「ザッハトルテ」を作ろうとしていた。たしかこれは高校の頃、竜に言われて却下したやつ。俺には無理だって竜は言ってたはず。それなのに何で俺はこんなの作ろうとしたんだろうな。 案の定大失敗して、挙句台所をチョコまみれにしてる。いや、一応型に入れて焼くところまではできたんだよ。真っ逆さまに落とさなければきっとうまくいってたはず。そして溶かしたチョコも台の上でひっくり返ってる。 全くもってシャレにならない。 修斗さんは一緒に暮らしてみてかなりの綺麗好きだってわかった。俺が出しっ放しにしているものも気づいたら片付けてくれてるし、台所も修斗さんが使った後はピカピカに綺麗になってる。こんなにばっちい台所なんか今まで一度だって見たことがない。 修斗さんが帰ってくるまでに綺麗にしておかないと、と俺は時計を見て愕然とした。遅くても八時には帰るって言っていた修斗さん。今時計の針が示しているのは午後七時。 「ヤッベェ! 時間ねえじゃん」 慌てて証拠隠滅を図る。使った道具を綺麗に洗い、落ちて散らばっているスポンジケーキをボウルに纏める。台の上の溶けたチョコはもう既に固まりかけていて、それをヘラでこそぎ落としながら取り敢えず自分の口の中に放っておいた。 始めっからこんな事しようとしなきゃよかった。修斗さんは毎日忙しそうできっとバレンタインのことなんか忘れてるって思ったから、びっくりさせたかったんだ。修斗さんだって今日は一緒に外食しようって言ってくれてたんだし、その時にちょっとしたチョコを渡せばよかったんだよ。 ああ、何やってんだろうな。修斗さん帰ってくる前に俺も出かける準備しないと…… 俺は修斗さんが似合ってると言ってくれたお気に入りの服に着替える。バタバタと支度をし、もう一度台所を確認して汚れたところがないかチェックした。 「大丈夫! 俺ってばやれば出来るじゃん」 ピカピカに綺麗になった台所を見てホッと一安心。これなら大丈夫。チョコはもう無いし……ってか俺が食っちまったし、グズグズなチョコスポンジはボウルに入れて冷蔵庫の奥に隠した。これも修斗さんがいない時にこっそり食っちまえばいい。バレンタインのチョコは食事の帰りにでも二人で何か買って帰ればいい。 「よっしゃ、バッチリ」 時計の針は七時半を回っていた。そろそろ帰ってくるかな? と思った瞬間、玄関のドアが開いて修斗さんの元気な「ただいま〜」が聞こえてきた。 俺はもう一度台所を見渡す。大丈夫だよな? 拭き忘れ、無いよな? 見落としもないし……と安心していたら修斗さんに後ろからぴょんっと抱きつかれた。 「康介、たっだいま! 支度して待っててくれたの? ありがとう、すぐ出よっか?」 相変わらずこの人はすることが可愛い。毎日一緒にいてもこんなにもドキドキして愛おしい。 「いいよ急がなくって……修斗さんお疲れ様です」 俺は振り返り修斗さんにキスをする。チュッと軽く唇を合わせるとキョトンとした顔の修斗さんと目が合った。 「外食は後で! 康介抱っこして!」 突然今度は正面から修斗さんに抱きつかれてしまった。慌てて俺は修斗さんを抱きかかえると、今度は修斗さんの方からキスをする。 「康介、ハッピーバレンタインだね。チョコありがとう」 満面の笑みで修斗さんは俺に抱きつく。何でチョコありがとう? って思ったら、どうやら俺の顔面がチョコだらけだったらしい。「コントかよ!」と大笑いしている修斗さんに散々顔を舐めまわされ、結局冷蔵庫に隠しておいたグズグズのチョコスポンジも見つかってしまった。 「何やってんの? こんなのすぐにバレるじゃん。そもそも玄関入った瞬間チョコの甘い匂いしてんだもん、バレバレ」 物凄く楽しそうに俺を見て笑う修斗さん。そういえばこの人チョコが大好物なんだよな。 修斗さんは器用にグズグズのスポンジを切り分けグラスに入れると、冷蔵庫にあったヨーグルトやドライフルーツなんかを綺麗にトッピングして即席のパフェみたいなものを作ってくれた。 マジか。店で出てくるやつみたいだ…… 「せっかくだし一緒に食べよ。康介と俺の合作バレンタインだね」 二人で一緒にパフェを食べる。失敗しちゃったけど味はちゃんと美味しかった。 「修斗さん、これからも俺のことよろしくお願いします」 やっぱり俺はこの人がいないとダメダメだな。 明るくて元気な修斗さんに、これからもきっと俺は救われるんだろう。 甘酸っぱいバレンタインを味わいながら、俺はそんなことを考える。 ポカンとこちらを見た修斗さんは「こちらこそ」と言って笑った。 ── 二人のバレンタインデー 終わり ──

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