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『ヘルシンキはいいお天気』
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また母ちゃんとケンカして家を飛び出した。俺達親子は仲はいいんだけど、母ちゃんは金にシビアで、俺がいつまでもフリーターなのが気に食わない。今月は食費入れる余裕が全然ない。最後の千円札をポケットに入れて、いつものバーの同じ席に座った。最後にシャワー浴びたのが3日前で、服はいつものようにボロボロ。鬼の母ちゃんは俺が高校出てから1度も服を買ってくれない。煩悩満開にしてビールをチビチビ飲んでいると、後ろから誰かが声をかける。
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「真護ちゃん、この人。」
振り向くと、友達の卓也が立ってる。ソイツと一緒にいる背の高いイケメンが俺に微笑んでいる。俺は機嫌悪く卓也に返事をする。
「なに?」
「こないだ言ってたでしょう?いい人紹介してちょうだいって。貴方達趣味が合いそうだから、いいんじゃないかしらと思って。」
冗談だろ?俺の人生にこんな紳士、縁があるわけない。その人は年は多分30手前くらいで、キチンと刈り込んだ髪に、ダブルのツイードのスーツを着て、それから見事にアイロンのかかったシャツと、幅広のネクタイと、革の手袋。手に黒いレザーコートを持っている。上から下まで見たけど、やっぱりどう考えても、こんな人、俺の人生に縁があるとは思えない。
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卓也はサッサと消えて行って、俺はその紳士とふたりで残される。これってお見合い?後はおふたりだけで、ってヤツ?俺は背筋を伸ばして座り直して、手でチャチャっと髪の毛を整える。その様子を彼は楽しそうに見ている。俺のこと、卓也からなんて聞いてるんだろう?あっちが先に喋り出す。
「君、真護さんでしょう?僕は城山直樹。しろはキャッスルの城。」
直樹は革の手袋をジャケットのポケットにしまう。へー、キャッスルね。えっ、俺なに喋ればいいの?俺の着ているセーターの袖にある穴が急に気になり出す。今更遅いけど手で隠す。そしたらまた、あっちが先に喋り出す。
「さっきの子、君がビンテージに興味あるって。」
「あ、はい。」
「どんな物が好きなの?」
「19世紀の写真とか絵画とか、それにまつわるファッションとかインテリアとか。」
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ウェイターが来て、彼はスコッチを注文する。ついでに少ししか残ってない俺のビールも頼んでくれる。直樹は1920年代から1940年代頃のファッションに興味あるらしい。そんな話しをして、1杯飲み終わった頃に、彼はゴメンね、今夜は仕事があって、と言って、席を立った。
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その時食事に誘われた。そのレストランのウェブサイトをチェックすると、ヤバい高級レストラン。なに着てけばいいの?ジャケット着用だよな。高校、制服なかったし、卒業式もスーツ着てないし。最後にスーツ着たのは七五三。マジ?俺の人生ってこんなもの?3日あったから3日間考えて、無理してもしょうがない、背伸びしなきゃ付き合えない人と付き合ってもしょうがないと思って、すいませんけど、もう少しカジュアルなレストランにしてもらえませんか?というメールを送った。
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錆びついた自転車で現地に向かう。近所の商店街を通り抜ける。靴屋の同級生に手を振る。果物屋のネコがあくびをしてる。イタリアンレストラン。それでも俺には高級で、ワインで乾杯して前菜をつまむ。彼はなんとタキシードで、ボータイもしてて、さっき袖口がキラって光ったから、なんだろうと思って見たら、金色のカフスボタン。今日はお互いのことをもっと話して、俺のことなんてそんなに喋ることなくて、彼は、俺にしたら非現実的な、彼の仕事のことを教えてくれた。
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彼の家は輸入家具店をやっていて、見せてくれたウェブサイトによると、都心の一等地に大きなショールームがあって、主にフィンランドの家具で、あっちに工房があって家具を造らせて、直樹は大学でビジネスの勉強して数年前に卒業して、あっちと日本と行ったり来たりの生活。
「今度はいつフィンランドに行くんですか?」
「あと10日。」
「そしたらいつ帰って来るの?」
「1カ月くらい。」
食事が終わって外に出たところで、彼は手を握ってくれて、それは握手の握るじゃなくて、俺の手を包んで、軽く愛撫してくれるような、そんな感じ。
「今日は来てくれてありがとう。」
坊ちゃんオーラーが頭の後ろで輪になって回っている。
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家に帰って、上手く穴を繕ったカーディガンを脱いで、染みの付いたシャツを脱いで、でもその染みはカーディガンで隠れるからそれは楽勝で、パンツはジーンズに毛の生えたくらいの黒いので、着替えながら、さっきの手を握られたの思い出して、それからずっと彼のことを考えていた。ああやって家の商売のこととか、自分の仕事のこととかを話すということは、俺ともしかして付き合うかも知れないとか思ってるのかな?そんなことってあるのかな?
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次に会ったのはいつかと同じバーだった。そこはゲイバーで主にファッション関係の男が多い。元カレがスタイリストだから俺はここに来るようになったんだけど。週末だから人が多い。直樹はダークグレイのスーツを着て、大きなシルクのスカーフをふわりと巻いて、そして1940年代に男達がみんな被ってたような帽子を被ってる。俺はマジで金がなかったからそう言って、それはここに来る時、正直に物言えないような相手と付き合ってもしょうがないって、考えたからで。彼はふたり分ドリンクをオーダーしてくれる。
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直樹のケータイが鳴る。彼はゴメンね、って謝ってから電話を取る。
「急だね。困ったな。これから忙しくなる時期だし・・・。」
それからなぜか俺の方を見て微笑む。
「あ、今いいこと思い付いたから。じゃ、また。」
直樹は、もうここ出るよ、って俺を急がす。
「真護。君にちょっと頼みたいことがあって。」
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彼はタクシーを捕まえて、俺達は渋谷方面に向かう。古い雑居ビル。1階にアンティーク屋がある。遅い時間だからもう閉まってて暗いけど、本格的に高そうな家具や絵画が見える。エレベーターに乗って3階へ上がる。ドアは閉まってて、直樹がカギを開けて電気をつけると、俺が歓声を上げる。狭い部屋に膨大な数のアンティークの品々。綺麗に並べられた服。ガラスケースに入ったジュエリー。天井からぶら下がった帽子。俺は店内を隅々まで見て回る。直樹が好きだって言ってたような1920年代から1940年代くらいが主で、新しい物でも1960年代くらい。女物の方が多い。でもよく見ると、さほど高価な品物はなくて、高価なのはレジの裏の、客から手に届かない所にかけてある。
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「仕事の合間にヨーロッパを歩いて集めた物なんだけど。」
「それにしてもこの数は凄いですよ。」
「まあ、倒産した店から譲り受けたのもあるけど。」
カラフルな商品が多くて、ガラクタにしか見えない物も多くて、直樹のクールなイメージからは想像できない。
「今まで、店を任せてた子がホストクラブにスカウトされちゃって。」
つい習慣で、俺は1番安そうな服を探して歩く。
「だから真護、ここの店長やってくれない?」
俺がビックリして返事をする前に、彼はレジの側に置いてある箱を見付ける。
「これ、今頃届いたんだ!」
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箱を開けると、中からレースのたくさん付いた豪華なブラウスが数点出て来た。ラインストーンのジュエリーが少し。それからブリキのウサギ。
「これ、やっぱり可愛いな。」
直樹は子供みたいに嬉しそうな顔になる。坊ちゃんの道楽というよりは、もしかしてもっとこれが彼にとって重要なビジネスなのかも。ウサギの下からなにか紫色の物が出て来る。直樹はそれを俺の肩にかける。ゴージャスなベルベットのコート。
「これレディースなんだけど、真護、細いから着られるね。」
「いくらくらいすんの?」
「ロンドンで、日本円で言うと3万くらい払ったから、12万くらい?15万?」
ビンテージって、ぼったくりなビジネスなんだな。
「どんな人が買うの?」
「それは君の腕次第だから。」
ほんとにこの人、俺にここで働かせるつもりなんだ。
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「このカウチはね、フィンランドのビンテージだよ。」
彼はそう言って俺を座らせる。店の片隅にある、北欧風の自然な木に革のコンビネーション。上から金色の鳥籠が吊るしてある。彼は俺の隣に座る前からキスを始める。切羽詰まってる感じ。俺の方はそんなに切羽は詰まってない。でも彼のキスは凄く上手で、やっぱり北欧仕込みなのかな?って考えてたら、俺のパンツがボロボロなの思い出して、でもあっちはそんなの見てる余裕ないみたいで、よかったって思って、彼の裸の胸に手を回したら意外と厚い胸で、だからあんなにスーツが似合うんだな、って思ったり、集中力全然ない割には俺が先にイかされて、イった時の顔をしっかり見られちゃって恥ずかしかった。
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俺が仕事をゲットして、しかも店長という肩書まで付いて、ホクホクとした母ちゃんが俺の好物の手作り餃子を作ってくれた。店は俺の他にふたりパートタイムの女性がいる。まだ仕事も始まらないのに、直樹がフィンランドに行く日になってしまった。俺は考えて、やっぱり見送りに行くことにした。羽田空港からエールフランスで、まずパリに行くらしい。パリ行きは夜中近くて、彼の顔を見たらバカみたいに涙が出て、「好きです。」って告白しちゃって、それは俺がシラフでした人生初めての告白だった。彼はいつもみたいにスーツで、それは明るいネービーで、ウールのコートはグレーのチェックだった。俺達はずっと見つめ合って、彼はカッコいいキスをしてくれて、気のせいか、周りの人達が俺達をケータイで撮っている。
「クリスマス前には帰って来るから。」
そう言って、彼はゲートの中に消えて行く。
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こんな古いビルの3階にあるショップなんて、よっぱど興味のあるヤツしか入って来ない。観光客なんて絶対来ないし、その意味では楽だ。驚くことに、売り上げの半分は「貸し出し料」。スタイリストが、テレビとか、広告とかのために服やアクセサリーを借りて、その貸し出し料を払ってくれる。みんな他にはないユニークな物を探している。服が帰って来て、それをまた貸し出す。いい商売だと思うんだけど、どうなるかはまだ分からない。
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直樹から箱が届く。パリから。行ったばっかりなのにもう届くんだな、って少し驚きながら開けてみると、アンティックドールが出て来る。俺はこういうのそんなに詳しくないけど、見る限り、衣装はオリジナル。細かい裂け目が所々にあるシルクの織物。顔は焼き物で、目はよくできたガラス。髪はなんだか分からないけど、動物の毛だと思う。俺は1階の高い物しか置いてないアンティーク屋に行って、そこのオヤジに聞いてみる。オヤジは10万で引き取ると言う。2階の1970年代専門のショップのオーナーに言わせると、あのオヤジがそう言うなら、それは少なくとも100万円くらいの値打ちがあるものだそうだ。ケチなオヤジだな。直樹はどうしてこんな物送って来たんだろう?人形なんて他にないし、あるとしたらあのブリキのウサギくらいだし。メールを送っても直樹からは返事がなかった。仕方がないから俺はしっかりカギのかかる棚に人形をしまって店を出た。
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次の日、値段の分からない物を出しておきたくなかったから、人形はレジの後ろにある椅子の上に座らせた。しかし、後ろから見張られているようで、どうも落ち着かない。客が入って来て、「いらっしゃいませ。」って言ったら、ソイツは俺の、スタイリストをやってる元カレだった。こないだ昭和が舞台の映画のスタイリストをやって、評判が良くて知名度を上げた、という話しを聞かされた。
「真護。」
ヤツは俺のことをジロジロ見詰めて、でもさすがに仕事はしっかりして、なん点か借りてくれて、でもそれ終わったら、俺に近付いてキスされそうになって、俺は顔をそむけて、そしたらヤツは俺の首にキスをした。吸血鬼が血を吸うあの辺。
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その時、なにかが光った。光った先を見ると、あのアンティックドール。
「人形の目が光った!」
「そんなわけねーだろ?」
元カレは笑いながら店を出て、忙しそうにバタバタ階段を下りて行った。俺は人形を抱いて、ガラスの目の奥を覗いてみた。髪は簡単に外れた。頭の中を見たけど、光るような装置はない。ついでに身体や手足もチェックしたけど、変な物は見付からない。よく考えてみたら、直樹とは会ったばっかりで、ほんとのとこ彼のことをそんなに知ってるわけではない。このゴチャゴチャした店のどこかにカメラとか盗聴器とか、そういうのがあってもおかしくない。おかしいか?そんなことする理由ないもんな。俺は人形が怖くなって、棚の中にしまってカギをかけようとしたけど、そうすると逆に気になってくる。
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2階のショップのオーナーが遊びに来たから、正直にあのアンティックドールが怖い、と打ち明けた。彼はゲラゲラ笑いながら、いい案をくれた。
「可愛い名前でも付けてあげれば?」
なるほど。パリから来たから、フランス人の名前じゃないとな。ネットで調べたけど、ピンと来る名前がない。焦っているうちに思い付いて、アンティックドールのことを調べ始めた。首の後ろに作家のサインが入ってるらしい。確かに入っている。でもそのサインが誰のサインなのか、調べても全く分からない。似た様な顔の人形も見付からない。俺は完全に追い詰められる。その人形は俺のすぐ後ろにいる。
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その時、直樹からメールが入った。ヘルシンキはいいお天気だとか、そういうノンキなメールで、俺の聞いたアンティックドールについてはなにも言ってこない。でも俺がこんなにパニックになってるって知ったら笑われるよな、って咄嗟に思って、やっぱり人形については聞かないことにした。2階のオーナーが、「ソフィア」という可愛い名前を付けてくれた。それで少し気持ちが楽になった。
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2階の店では、もうみんなが俺がその人形が怖いということを知っている。おまけに俺の店のパートタイムもソイツ等に聞いてそれを知っている。彼女が人形を抱き上げる。
「店長、ソフィアちゃんに新しいドレスを探さないとね。これボロボロだし。」
俺の声が上ずる。
「そ、そーだね。」
彼女はクスクス笑っている。
「店長、ソフィアちゃん、アンティックドールにしたら相当可愛い顔してますよ。凄く高いのかも。」
「そ、そーかな?」
俺にその人形を近付けるのは止めてくれ。
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直樹からはなん度か小包が届いた。その度にドキドキして開けてみたが、服やアクセサリーばかりで、人形なんてない。とうとう直樹が帰って来る日になった。俺は早く会いたくて、空港に迎えに行きたかったけど、シフトが合わなくて、でもその晩に、少し疲れた顔をした彼が店に来てくれた。やっと店が終わる時間になって、ドアを閉めて、それからいつかみたいにカウチの上で抱き合った。また俺の方が先にイかされて、彼の厚い胸を抱きしめたらほっとして、やっとその話しになった。
「ソフィアのこと、どうするの?」
「なに?」
「アンティックドール。」
「ああ、あれは売り物じゃないから。」
「え、じゃあどうして?」
「あれ、君に似てるから。」
「え?」
俺はあんな丸顔じゃないし、目もあんなにパッチリしてないし。
「少しエロく口を開けて、目なんかも恍惚として、君がイく時の顔にそっくり。」
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