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ヴィルフリートの想い①
未熟な恋人は俺がここに来る前に誰かを抱いて来ていると知れば、どう思うだろうか。
「こんにちは、ヴィル様」
そういって何の疑いもなく幸せそうに微笑む馬鹿な奴。心の中で罵りながら、ありがとう、と笑顔で返すと頬を上気させる可哀想な奴。
「すみません。まだ調合中で、ちょっと待っててもらえますか?」
「うん。もちろん」
メルヒオルの件をあっさりと片づけてしまったと聞く。それなりの腕を持ってはいるのだろう。人は見かけによらないものだ。
俺の視線を気にしながらも、手際よく調合を終わらせる姿は年の割には仕事に慣れていた。学園を出てから薬師になる者たちとは実践経験の差があるのだろう。
「いつ薬師になったの?」
「二年前です。王都に来た時に免許を取ったんです」
「じゃあ、まだ成人してない時に取ったんだ」
「はい。祖父と二年ほど薬を売り歩きながら旅をしていて、その時に習っていたので」
「へぇ。エルは結構行動的なんだ。旅してたなんて思えないよ」
「そうですか? これでも体力ありますからね! 筋肉もちゃんとついてますし!」
ふーん、と言って手を取って引っ張ると、わわ、と言いながら、腕の中にすっぽりと納まる。
袖を捲って、その細腕の筋肉を確かめるようになぞると、ひゃっと声を上げて顔を真っ赤にした。
「こそばかった?」
耳元でつぶやくと、ピクリと体を震わせたが、すぐに腕の中から逃げ出した。
「ご、ご飯にしましょう。ヴィル様もお腹空いたでしょ?」
本当に分かり易すぎる。素直な反応。
今すぐ堅い床に押し倒して、手酷く犯してやりたい。この真っ直ぐな心をへし折って、恐怖で埋め尽くしてやりたい。
そんなどす黒い感情を抱くと同時に、こうして予想通りの反応を返してくるエルヴィンに心が音を立てる。
湧き上がってくる不快感を胸に押し込んで俺は微笑み返した。
今までとは何か違う、と漠然と感じ始めたのはいつだっただろうか。
突然訪れても必ず食事の支度をする甲斐甲斐しさ。そして、
『ヴィル様はお肉もしっかり食べてくださいね』
と、初めは野菜スープとパンのみだった食卓に肉料理を加える配慮。
『いっぱい買ったけど、食べきれなくて…。ヴィル様がいてくれて本当に助かりました』
その直後に俺のために買って来たわけではなく、俺に処理させようとしていることを隠しもせずに言ってくるエルヴィンに、俺の心の底に溜まっていた澱が一気に消散する。
媚びるでもなく、恩を着せるでもない、その言動は、想像以上にこちらの心を軽くした。
ひとしきり笑った後、「そういう時は俺のために買ってきたって言った方がいいんじゃない?」、と返すと、首を傾げた後に、ハッとして真っ赤になり小さく「すみません」と謝ってくる、裏表のない姿。
そして、全く穢れていない体は華奢ではあるが程よく筋肉が付いていて、すぐにでも組み敷いてしまいたくなるほど、しなやかだった。
性的な快感を教え、少しずつ身体を開かせると、エルヴィンが口にしたのは郷に伝わるしきたり。
エルヴィンと近くにいるようになってからふわふわと近くを飛ぶようになった光の精霊にこのしきたりの意味を聞くと、
『人間には意味ないし大丈夫じゃない?』
という適当な回答が返ってきたが、エルヴィンの言った通り、制約はなかった。
試されたようで、少し癪ではあったが、俺には意味のないことだった。
今日にでもワインを持っていこうと思っていた矢先、王立図書館で悪名高いデトレフに絡まれていたのを間一髪の所で助けた。
自分の所有物を他人に触られるのは酷く不快なことらしい。特に犯罪まがいの事をしている奴だったこともあるが。
両手を広げると、胸に飛び込んで来るエルヴィン。何の疑いもなく、俺を絶対的に信頼しきっている腕の中にいる存在を浅はかだとは思いながらも、違う感情が頭を擡げ始めていた。
俺は見なかったふりをする。数回やって棄てるつもりなのだから。
しきたりを守ろうと口にした時、エルヴィンは酷く驚きながらも、嬉しそうに微笑んだ。
疑わないのは大切だから。愛しているから。
そんな言葉にあっさりと騙されて、恥じらいながらも体を曝け出した。
何度か愉しませてもらうためにも行為に恐怖心を抱かれては困る。
優しく声を掛けながら、丁寧に解し、たっぷりと甘やかしてから、迷うことなく狭い入り口に性器を捩じ込んで純潔を奪った。
当の本人は大切にされているとでも思ったのだろう。はにかみながらも嬉しそうに微笑み、俺を見上げた。
愚かな奴。
心の中で嘲りながらも、愛していると耳元で囁くと、恍惚とした表情を浮かべて無垢な体はより感度を増す。敏感な所を刺激してやれば、すぐに性感帯へと変化した。
「……ぅ……んっ……ん……ぅ、ん…」
快感に耐えてるのか、眉を寄せ、唇を噛みしめ、声を抑える姿は普段からは想像もできないほど色情を帯びていて、情欲を煽られた。
「…どこか痛む?」
「……ぁっ、…は、はずかし…」
「声出るの?」
コクコクと頷くエルヴィンに、大丈夫だよ、と声をかけて、口づける。舌を絡ませ、吸い上げ、口内を弄る。それと同時にしこりを擦ってやれば、くぐもった嬌声を上げながら俺を締め付けてくる。
体を震わせ、初めて味わう快感に戸惑い、肩にしがみ付いてくる。征服欲が満たされるとはこういうことなのだろう。
内壁を抉るように何度も突いてやると、声を抑えることも忘れ、体を反らせて、快感に喘いだ。
傷一つない清い体が快楽に染まっていくのは見ていて可笑しかった。一度知ってしまえばもう戻ることはできないのだから。
結局、突っ込んでやれば、快感に涙し、甘い声を上げる。こいつも同じ。
快感が強すぎたのか、意識を半分飛ばし、されるがままに揺さぶられる。突き上げてやると何度も体を痙攣させ、精液をまき散らした。
「ヴィル、さま……ん、ぁっ……すき、…」
快感に蕩けた目で見上げて来て、力なく手を伸ばし、首にしがみ付く。そして、俺に口づけた。
エルヴィンからは一切しようとしない行為。
セックスの最中は大胆になるのか、ただ理性が飛んでいるのか。俺は目を細めて、拙いキスに応えた。
しかし、その行為に嫌悪感はなかった。虚無感も訪れはしなかった。
今までとは何か違う、と漠然と感じ始めたのはいつだっただろうか。
「また抜け出して平民街に降りてたのか? いくら影がついているからといって、あまりうろつかない方が良い」
と、側近のレオン。朝、俺の部屋に迎えに行って、いないことに気付いたというところか。執務室で俺を見つけたレオンは呆れた顔をして溜息を吐いた。
「分かってる。ちょっと今回のは『初めて』を貰うために少し時間がかかったんだ」
「前言っていた奴とまだ続いてたのか?」
「…何その言い方。まるで俺がすぐ別れるみたいなさ」
「お前がそう言ったんだろう…。そろそろ陛下も業を煮やすぞ。アンネリーゼ様の所に今月一回も顔を出してないそうだな」
「こっちも色々忙しいんだよ。ま、会いたくないのが本音だけど」
「今からそれでどうするんだ」
「レオンはいいよね、恋愛婚だから。何の感情もなく結婚とか…」
「ヴィル。お前の立場もわかるが、そろそろ腹を括れ。今まで誰も恋愛対象として見てこなかったんだろう?」
「恋愛、ね」
ふうとため息を付くと、レオンが俺を訝しげに見た。
「――まさか、恋でもしたくなったのか?」
恋?
俺が?
馬鹿なことを言う。
俺が押し黙っていると、レオンは手で口を覆い、目を瞠った。
「ありえないな…。お前がそんな…」
「そう、そんなこと、あるわけがない」
「――いや、…待てよ。そうとも言えない…。まだ人の心が残っていたのか…?」
「ちょっとレオン?」
「……まさか、今手を出してる奴か?」
「ないって言ってるよね? 今の奴は身体の相性がいいだけ。ただ、『初めて』貰っといてすぐに捨てるのも可哀想かなって」
「かわ……、ヴィルの口からそんな言葉が出るなんてな。意外に気に入った相手なのか…」
違う、と首を振った。レオンはそんな俺の目を真っ直ぐに、探るように見る。その視線に負けて、目を逸らした。
どうせ、一緒なのだから。行きつく先は。
椅子から立ち上がり、部屋を出ようとすると、レオンに腕を掴まれる。
「どこへ行く?」
「うーん。街?」
「街で何するつもりだ」
「気晴らし?」
レオンが俺の言葉に掴む手の力を強くした。
干渉されたくない。
その手を振り払い、レオンを見据えると、レオンは俺の眼差しを受け止めた。
「なに?」
「…少しでもそいつが気になるなら、大切にした方が良い」
「レオン、それ以上言えば――」
「気付いてるんだろう? 自分で、…っ…」
予備動作もなしに魔法を放つと、レオンは机の上の書類や筆記具もろとも後ろに吹き飛んだ。剣を床に突き立てて、壁にぶつかる前にバランスをとって着地する。本気ではないとは言え、気に障る。
「お前には少し甘くし過ぎたか? 一度潰しておこうか?」
床に跪くレオンを見下ろしながら、ゆっくりと近づく。レオンは変わらず俺を真っ直ぐな眼差しで射てくる。
どいつもこいつも、どうしてそんな目で俺を見る?
「ヴィルフリート。失ったものはもう戻らない。よく考えろ」
失う?
エルヴィンがいなくなる?
それは――――。
俺は今、何を考えた?
俺は今、何を感じた?
「どうせこれで最後なんだ。自分を信じてやったらどうだ」
信じる?
自分を?
「…あいつはただの性処理の相手」
「お前がそう思うなら、それでいい。街で引っ掛けるくらいなら、そいつの所に行けばいい。ヴィルフリート、今回で最後だ」
そう、最後。
これで最後。
もう裏切られるのもこれで終わりだ。
なら、
そう考えれば、
「……命令を聞くのは癪だけど、セックスはあいつとだけにする」
「…まあ、最初はそれでいい…」
レオンは盛大に溜息を吐いて立ち上がると、部屋を見まわして、また溜息を吐いた。
「――ただな、部屋の中で魔法を使うな!」
つくづく俺も甘くなったらしい。
レオンもそれを把握していたのだろう。十数年という付き合いの長さは厄介なものだ。
乱れた髪をかきあげながら、書類を拾い始める友人を見て、笑いが込み上げてくる。
騒ぎを聞きつけた護衛が扉を蹴破る勢いで開けて、なだれ込んでくる。が、部屋の中の惨事とひたすら笑う俺を見て、緊迫した表情は一瞬で呆気にとられたものに変わり、それを見て俺はまた腹を抱えて笑った。
その日を境に俺の心境は劇的な変化を迎えることになる。
それはほんの些細なことをきっかけとして。
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