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没話 マスター視点

『こいつ、孫』  と言いながら、5年ぶりに店に顔を出したジジイはその後ろに隠れた子供を紹介してきた。  恐怖の化身でしかないそのジジイが、顔を綻ばせている姿は何とも奇妙だったのを覚えている。 『そろそろ迎えが来そうなもんで、こいつの事気にかけとってくれや』  そうジジイが言ったとき、『訳あり』だな、と直感した。そして、予告通りジジイは一年後に息を引き取り、王都で開いていた薬屋はその『孫』が継いだ。  よほど辺鄙な所から来たのか、王都の人の多さに馴染むのに時間が掛かったようだが、店は順調なようだった。    たまに俺の店に来ては肉料理を頬張る坊主をジジイの孫と知る冒険者たちと共に微笑ましく眺めていた。そして、そんなあいつに近づこうとする虫を払うのも俺たちの仕事。    坊主は自分では気づいていないようだが、危なっかしい外見をしている。中身はただの素直な子供なのだが、外見はそれに伴わず、所謂美少年と呼ばれる類だ。  普段は何を考えているのかすまし顔をしているが、会うと途端にその顔が綻び、こちらの警戒心を一気に解いてしまう。無自覚の無意識とは恐ろしい。  そして、薬師としての腕もなかなかのものだ。  店もジジイ直伝のレシピがあるからやっていけているのだろうと思っていたが、それはただの思い違いだった。  そう感じたのはモグラの一件だった。  農業区にいた俺の元に突然モグラが現れたという叫び声が聞こえてきた。駆けつけたが、そこは既に惨状。  王都の近くにはランクの低い冒険者が多くいる。そいつらも怪我を負っていたが、助けに入ったCランクの奴らが一番の被害者で、モグラの毒に侵されていた。  西外門にいる門兵も負傷していたため、怪我を負った奴らを荷馬車に乗せ、内門まで運んだ。詰所から待機中の兵士も飛び出して来たため、その場は混迷状態を極めた。  そこに顔を出したのが坊主だった。  解毒が最優先だと判断を下し、必要な材料を迷いもなくメモに書き俺に渡してきた。    採取した材料を届け現場に戻ると、そこはすでに落ち着きを取り戻し、回復薬では追い付かない重傷者と被毒者の対応を残すのみとなっていた。  治癒師がもう来たのかと思ったが、指示を出したのはあの坊主だ、と門兵が安堵の言葉を零しながら話した。  そして半刻もせずに解毒薬を作って戻って来て、顔からは想像もできないほどの方法で治療を行った。   的確な応急処置の指示と調合の手際の良さ、そして逞しさ。これには俺も感服した。  治療された被毒者はどうも坊主によからぬ想いを抱いたらしい。  まあ、あんなふうにああされると、そういう気持ちになるのもわからんでもないが、それとこれとは別だ。手取り足取り丁寧に且つ入念に言い聞かせておいたのは言うまでもない。  「あの、隣町まで行きたくて…。その護衛に冒険者の方を紹介していただきたいんです」     その坊主が突然やってきてそういった。  護衛依頼ならギルドでもできるが、わざわざ俺の所に来たという事は、それなりの理由があるのだろう。  じいさんの『遺物』を継いで、相当ヤバイ薬や値の付けられない魔道具を持っていると考えれば納得がいく。 「仲介料取っちまうがいいか? ちなみに指名だと依頼料が割高になるぞ?」 「構いません。マスターに紹介していただけるなら…」 「ん。ここで待つか? すぐに見つかるかはわからんが…――ちょっと待てよ、あいついたな。すぐ連れてくるから待っとけ」  俺は珍しく昼間から酒を飲んでいた適任者を思い出して声をかけ、坊主に会わせた。  適任者――『蒼の番人』はAランクの中で一番Sランクに近いと言われているパーティーだ。依頼を抜け目なく堅実にこなし、依頼人からも絶大な信頼がある。しかしそれを鼻に掛けない気楽な奴等だ。     リーダーのイザークと共に部屋から出てきた坊主もホッとした様子で、交渉がうまくいった事が見て取れた。 「気を付けて行って来いよ」 「はい。マスター本当にありがとうございます」 「お前らも、頼むな。そいつになんかあったら、俺、地獄で地獄見ることになるからよ」  イザークたちは、「どういうことだよ、それ」と俺の言葉に笑いながらも、しっかりと頷き返してきた。     「マスター、西門とこのじいさんの薬屋って店閉めたんすかね」  カウンターで飲んでいた常連の冒険者が俺にそう声をかけた。 「いや、隣町まで行ってるみたいだ。往復四日はかかるだろうしなぁ。もうじき戻ってきて店開けるんじゃねーか」 「ならいいんすけど。俺、あそこの回復薬しか口に合わないんすよねー」 「ほー。じいさん時は嫌味なほど苦かったが、今は違うのか?」  回復薬が底をついて、負傷しながらも必死に街に戻ろうとしてる時に出くわしても、楽して傷が治ると思うな、って言いながら気絶するほどまずい上回復薬を寄越してくる鬼畜だったからな…。効果は言うまでもないが。 「今は飴っすね。菓子だって渡されても回復薬とは思いませんよ」 「はぁ? 飴? …ずいぶんな変わりようだな」  あの坊主もじいさんのくそまずい薬を飲まされてたのかもな…。あのジジイのデレデレ具合だとそれはなさそうだがな。  店が開くまでは、違うとこので我慢かー、とぶつくさと言いながらそいつは酒を煽った。  あいつらを見送ってから一週間。確かに遅い気もする。坊主が店を長期的に閉めるなんてこと今までなかったからな。ちょっと息抜きでもしてるのかもしれんな…。  俺はその時、何かに引っかかったが、特に気にせずに鉄鍋を振った。    しかし、その直感というのは、やはり当たるもののようだ。  珍しく城壁警備隊のバルドが深酒し、カウンターにぐったりと突っ伏して、深い溜息を何度も吐いていた。  どうした、と俺が見かねて声をかけると、聞いて下さいよー、と泣きごとを言ってきた。 「あいつ…、マジどこ行ったんでしょうかね? もう俺、毎日機嫌の悪い団長、相手するのツライ…。毎日本部が吹雪いてるのがツライ…」 「……何言ってんだ? バルド…」 「あいつが急にいなくなったりするから……、はぁ、俺がちゃんと…もっとしっかりしてれば……」  そう言ってまた突っ伏した。 「…あいつ? なんか重要人物か?」 「それ! 重要人物! あー、マスターも知ってますよね? 薬屋の坊主。団長も冒険者の時に世話になった薬師の店って言ってたし」  薬屋の坊主?  俺は悪い予感がして、バルドに水を出した。 「おい、よく聞かせろ。どこの薬屋だ?」 「……マスター、店でそれはダメっす…」  つい出てしまった殺気に、バルドの酔いは一気に醒めたようだった。店にいる客たちも青ざめた顔をしている。  俺はスマン、と詫びにつまみを出すように給仕に指示を出して、バルドの横に座った。 「で、どうなんだ」 「西城壁門の小さい店です。あそこの坊主がいなくなっったんですよ」 「いつからだ?」 「二週間前、ですかね…」 「ずっと店に帰ってないのか?」 「門兵に見張らせてるので――」 「見張らせてる? おい、坊主が何かやったのか?」  ち、違うんです、とバルドは必死に首を振り、口を開こうとしては閉じ、というのを繰り返していた。 「言えないことなのか?」 「………団長に確認しないことには…」  契約か。  坊主が何か事件を起こしたというわけではないようだが、そんなにも重要事項なのか?  あれから二週間帰っていないということは、店を移すつもりだったのかもな。  イザークたちもあれから一度も顔を出していない。あいつらに訊けば何かわかるかもしれんが、簡単に捕まるか…。 「バルド、ちょっと心当たりがある。明日にでもジェラルド連れてこい」  俺のその一言にバルドは目を輝かせ、走って店を出て行った。  こんな夜更けにあいつはどこに行くつもりだ。今、ジェラルドの所に行ったら、しばかれるぞ。解呪も済んでやっと落ち着いたところだろうに。  どうやら俺の重要度の認識が甘かったらしい。     バルドが店を出て行ってからほんのすぐ後だった。  店の前には馬車が停まり、そこから出てきたのは、ジェラルドとあのくそ生意気な王子だった。  そしてそこで聞かされた話に俺は衝撃を受け、頭を抱えた。  このいつもの隙のなさからは考えられないほど覇気がなく、憔悴してクマを作る王子に怒りは湧いてこず、代わりにやってきたのは恐怖だった。 「俺、ジジイに殺されるのか?」 「いや、今は大丈夫だ。死んだ後は知らん」 「へぇ、エルのおじいさんって怖い人だったんだ。マスターに何かあった時は国を挙げて弔うよ」 「……お前らな…」 「うん、ごめん。エルの事見つけたら大切にするから許して」 「すまんな。エルヴィンをこいつに会わせちまったのは俺だからな」  冗談を言いながらも、二人の目は真剣に俺を射るように見てくる。その光景の異常さに溜息しか出なかった。 「ご期待に添えるかはわからんが、坊主が雇った護衛については知ってる」  ジェラルドは目を瞠り、安堵の溜息を吐いた。王子はまだ納得していないようだが。 「護衛、雇ってたのか…」 「ああ、俺が仲介した。『蒼の番人』だ」 「あいつらか、……ならひと安心だな」 「本当に大丈夫? その人達。エルになんかあったら、制御効かなくなるからね…」  うっすらと紫の目に剣呑さが宿り、するりと冷たい空気が首筋を撫でた。  おいおい、坊主に本気なのか?  まあ、こいつが本気でいてくれるなら、俺はじいさんに殺される心配はないけどな…。   「そう、威嚇するな…。絶対にとはさすがに言えんが、信用できる奴だ。俺の知ってる中では五本の指に入る」 「……マスターの事、信用していいの?」 「そうだな…。なんかあったときにはあいつらと一緒に処刑でも何でもしろ」 「了解」  王子はそういうと心底ほっとした様子で、よかった、と小さく呟いた。  訊くと、出門する際にご丁寧に別々に行動していたらしい。単独で街を出たことに対して、相当危惧していたようだ。  坊主が身重な上、腹の中には自分の子供。そう考えると王子のこのやつれ方も納得できるな…。  隣町までの依頼だと話すと、その可能性は低いという。その理由に、貴族に襲われて薬を盛った話も聞かされ、俺は天を仰いだ。  くそ、あいつら、堂々と大嘘並べやがって。  イザークの野郎、戻ってきやがったら、そん時は覚えてろよ。  それは置いておいて、だ。   「イザークたちだけが頼りだな。もし途中で護衛を変えてたら、そっから先はお手上げだ」 「ああ。しかし、これで少しは前に進める。本当に助かった」 「ギルド経由で呼びかけてもらえる? マスター名義で。依頼料はこっちが持つし」 「おー、そっちは任せろ」  去り際に、ホントありがと、と言った王子には子供のころから纏っていた殺伐とした空気はなかった。打って変わって、柔らかな表情を浮かべるそいつに、坊主に対する感情が手に取るように分かった。  ああ、こいつもやっと、と思うと同時に、坊主の将来について憂いた。      

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