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【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】 第三章◆魔ノ香~Ⅸ | 嵩都 靖一朗の小説 - BL小説・漫画投稿サイトfujossy[フジョッシー]
目次
【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】
第三章◆魔ノ香~Ⅸ
作者:
嵩都 靖一朗
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第三章◆魔ノ香~Ⅸ
駈歩
(
かけあし
)
で高原を行く
多頭引き馬車
(
オムニバス
)
。 揺れをなぞらう身の側面。 明り取りから差し込む西日が、床から壁へと昇っていく
間
(
あいだ
)
。
茅
(
から
)
色に染まる
搭乗室
(
キャビン
)
内に染みた
硝煙
(
しょうえん
)
と、 座席下の物資箱から
漂
(
ただよ
)
う火薬の
匂
(
にお
)
いが
喉
(
のど
)
に
絡
(
から
)
むたび、小刻みに
咳
(
せき
)
で
払
(
はら
)
いつつ。 ノシュウェルは、
遮光
(
しゃこう
)
シートで
閉
(
と
)
ざされた車窓を背に沈黙する兵士
等
(
ら
)
と並び、 最奥で向かい合うかたちで静かに会話する上官と、魔導師の声に耳を
傾
(
かたむ
)
けていた。 ふっくらとしたトラウザの
撓
(
たわ
)
みを
除
(
よ
)
け、
脚
(
あし
)
を組み、
腕
(
うで
)
を組み。クロイツは言う。 「定期に国内各所を
訪
(
おとず
)
れる
国勢
(
こくぜい
)
調査員が、 民の出生と死没を記録していく過程で、新生児の血の魔力の有無も調べるはずだが。
免
(
まぬが
)
れたところで、検問所の往来に必須である
履歴
(
りれき
)
審査を ... この少年は、一体どのようにして切り抜けてきたと言うのだ ... ... 」 出発前に少年の手足、そして体型を確認してみたが。 暴力被害に
遭
(
あ
)
った
痕跡
(
こんせき
)
は無く。 取り立て
痩
(
や
)
せ細っているわけでもない。 性格だって、
擦
(
す
)
れてもなく
至
(
いた
)
って素直。 警戒心さえ
然程
(
さほど
)
、強くはないようだった。 となると ...
悪徳
(
あくとは
)
に取引される手前、逃げ出してきた可能性が高いわけだが。 命を軽んじる者の少なくない裏業界から、このような
幼子
(
おさなご
)
が逃げ
遂
(
おお
)
せるものかどうか。 実の経緯を
尋
(
たず
)
ねようにも、少年は言葉を知らなすぎるので
推
(
お
)
し
量
(
はか
)
るより他ない。 可能であるとするなら ... ... 彼の
傍
(
そば
)
には常に、一般の保護者とはかけ離れて裏状勢に
詳
(
くわ
)
しい何者かが付き添っていたものと思われる。 そうでもなければ、奇跡。 考えを
巡
(
めぐ
)
らせるクロイツの眼差しが、深々と床に突き刺さっていくようだった。 放っておいたら、そのうち煙が立って
床
(
ゆか
)
に穴が
空
(
あ
)
くのでは。 そう思った一人の兵士は、床とクロイツを
交互
(
こうご
)
に
眺
(
なが
)
める。
片
(
かた
)
や、その他数名は、それよりも気になる光景に視線が
釘付
(
くぎづ
)
け。 クロイツに対するフェレンスの応答を聞きながらだった。
凝視
(
ぎょうし
)
する、
彼等共々
(
かれらともども
)
。 ノシュウェルもまた、同視点で声の主の手元を見つめる。 「いずれにせよ、彼の血筋を洗い出すのは
略
(
ほぼ
)
不可能だろう。 これ
程
(
ほど
)
の
逸材
(
いつざい
)
を何年もの
間
(
あいだ
)
、他者に気付かれぬよう隠し
覆
(
おお
)
すなど ... 一般の民に出来ることではないのだから」
逞
(
たくま
)
しいでもない。だが、細くもない。
節
(
ふし
)
の目立たぬ
滑
(
なめ
)
らかな指の
線
(
ライン
)
を影が強調していた。 会話に集中するつもりが、どうしても〈そこ〉に目が行くのだ。
艶
(
つや
)
やかな
爪
(
つめ
)
の先で、足元に
寄
(
よ
)
り
添
(
そ
)
い眠る男の黒髪を
梳
(
す
)
いては
撫
(
な
)
で。 繰り返し ... ... 時として強い揺れを
抑
(
おさ
)
えてやっている
彼
(
か
)
の魔導師の動作に。 冥府の
炎
(
ひ
)
を封じられた付き人は今、主人の法により眠らされている。
瘴気
(
しょうき
)
を
解
(
と
)
く薬を作ってやれる状況でもないために、とにかく時間を置く必要があるのだとか。 初め、
搭乗室
(
キャビン
)
に寝かせられた彼は
悪感
(
あっかん
)
に
魘
(
うな
)
されていたが。 それを見かねたフェレンスが抱き起こしてやったところ、ピタリと寝静まったのだから ... 搭乗者一同、
神妙
(
しんみょう
)
な心持ちがした。 見ていると、フェレンスの
膝
(
ひざ
)
に頭を乗せるカーツェルが、 毛布越し、腹部に顔を
埋
(
うず
)
め深く息を吸う。 そんな彼の寝心地や、
如何
(
いか
)
なるものかと。 想像する者は少なくなさそうだが。
何故
(
なぜ
)
か、
気不味
(
きまず
)
い空気だ。
余所見
(
よそみ
)
をすれば
隣
(
となり
)
と目が合う。 別に。
羨
(
うらや
)
ましくなんかないけど。 俺も一度は、あんなふうに
撫
(
な
)
でられてみたいなぁ ... .... なんて。複雑な
心境
(
しんきょう
)
を自覚するなり気分が
鬱
(
ふさ
)
ぐのは、お決まりってやつだろうか。 部下達の様子を
窺
(
うかが
)
っていると、考えていることが表情に出ていて面白い。 だが、笑ってはいけない。ノシュウェルは
堪
(
こら
)
えた。 彼
等
(
ら
)
は口々に言う。 「早く帰りたいね ... ... 」 「だな ... ... 」 「つか、さ、仲の良い友人同士を見てるだけなはずなんだが」 「うん。分かるわ。どうしてか、こう ... 帰ったら本気で恋人作ろう ... とか、
惨
(
みじ
)
めなこと考えちゃうよね」 「それな ... マジそれ ... 」 聞こえていてもおかしくないが。
方々
(
かたがた
)
は無反応。 ゆっくりとカーツェルの髪を
梳
(
す
)
くフェレンスの指先は、 まるで ... 愛しい人の
柔肌
(
やわはだ
)
に触れるかのようだった。 そんな中。 上官と魔導師の会話を邪魔せぬよう
膝
(
ひざ
)
の上に確保した赤毛の
仔猫
(
こねこ
)
ちゃんが、 ぷっくりと
両頬
(
りょうほほ
)
を
膨
(
ふく
)
らませて、不機嫌そうに
唸
(
うな
)
る。 「 ... ンムゥ ... 」
些
(
いささ
)
か
扱
(
あつか
)
いに悩みつつも、ノシュウェルは言った。 「俺なんかの
膝
(
ひざ
)
で不満だろうけどな。そこを何とか、もう少し ... 我慢してくれよ」 少年のご機嫌取りに
尽力
(
じんりょく
)
せよとの任務を遂行中。 クロイツをチラ見しても放置されっぱなしで。 少年がグズりそうになるたび、一緒に泣きたくなったものだが。 そうこうしているうち気付いた点もある。 兵士
等
(
ら
)
の会話が気になるのか、少年は
時折
(
ときおり
)
憂鬱
(
ゆううつ
)
そうに
項垂
(
うなだ
)
れる男達を流し見て、ぷくぷくと
頬
(
ほほ
)
を張ったり
緩
(
ゆる
)
めたり。
反復
(
はんぷく
)
して気を
紛
(
まぎ
)
らわせているように思われた。 そもそも理解出来ているのかどうか疑問ではあるが。 何かにつけて反応する様子を見て、もしやと考えはじめたところ。 「ただの発達障害ではなさそうだ。 大まかな言語の聞き取りと理解は出来ているにも関わらず、 自らの気持ちを表す言葉の選定だけ上手く行かないため、
片言
(
かたこと
)
になるのだろう」 いつの
間
(
ま
)
にやら少年の様子を
窺
(
うかが
)
っていたらしいクロイツが、 ノシュウェルの表情を読み取って答えた。 加えてフェレンスが
捕捉
(
ほそく
)
する。 「血に宿る魔力と
瘴気
(
しょうき
)
の自身への影響は少なからず。 発育や精神状態に支障をきたす例は、珍しくないので ... 」
隣
(
となり
)
の上役から、その真向かいへ。 視点を
移
(
うつ
)
し
頷
(
うなず
)
いて返したのはノシュウェルだった。 「なるほど。初耳ですが、そういう事でしたか」 すると、自分のことを話していると気付いた少年が真後の部隊長を振り向き、 何を思ったか、
膨
(
ふく
)
らませていたほっぺたを シュッ ... と
窄
(
すぼ
)
めて見せる。 機嫌が良くなったわけでは断じて無いが。 例によって、 (`・ω・´)キリリ とした顔で良い子にしてるよアピール。 その後も、フェレンスとクロイツのやり取りは
延々
(
えんえん
)
と続き。 ノシュウェルと
膝
(
ひざ
)
の上の少年をはじめ、 兵士の何人かは、手
摺
(
す
)
りに寄り掛かる
等
(
など
)
して
身体
(
からだ
)
を休ませていたが。 フェレンスのように
瞼
(
まぶた
)
を閉じ、目を休ませるでもなく。 ギラギラとした眼差しでクロイツは語った。 「何はともあれ、アレセルの側を
含
(
ふく
)
む帝都の
同胞
(
どうほう
)
と協議せぬまま、踏み込むことは出来ん。 動けぬ
間
(
あいだ
)
は、せめて情報の整理をしておきたいが ... ... 少年に対する
我々
(
われわれ
)
の格別な興味など、特にも知られては困る。 血の判定が可能な調査員や錬金術師と引き合わせるわけにも
行
(
ゆ
)
かぬのだ」 前置きするのには理由があるようだが。 「しかし、フェレンス ... ...
貴様
(
きさま
)
だって曲がりなりにも 高等錬金術師団所属の帝国魔導師なのだ。 独自に判定を行うことくらい
容易
(
たやす
)
かろう ... ?」
尋
(
たず
)
ね方が、どこか
白々
(
しらじら
)
しい。 「次に通過予定の
宿場町
(
しゅくばまち
)
で宿を取ってやる。 機材を広げられるだけの環境でさえあれば可能だな?」 丸い明り取りから降る差し日が、赤みを
増
(
ま
)
し。 壁面を上って天井に差し掛かる頃合い。 手脚を組んだ姿で見据えてくるクロイツに対し、
瞼
(
まぶた
)
を開き視線を持ち上げるフェレンスの瞳は
虚
(
うつ
)
ろ。 「少年の血に宿る魔力が
如何程
(
いかほど
)
のものであろうと、興味など無いが... ... 」 無関心を
表
(
あらわ
)
す彼の
面
(
おも
)
持ちは、実に冷やか。 だが、クロイツは引かなかった。 「アレセルの方は私達の狙いとは
異
(
こと
)
なり、
奴等
(
やつら
)
の動向にはまだ
疎
(
うと
)
い。 貴様が協力しなければ、少年の問題性が伝わらず手打ちが遅れかねん」 フェレンスは、
従
(
したが
)
わざるを
得
(
え
)
ない。 そうと分かっているからこその余裕である。 「親しい人に危険が及ぶことだけは避けたい ... ... 」 すぐには答えられず。 彼は、
喉
(
のど
)
から
絞
(
しぼ
)
り出すようにして発した。 「 ... ... ... 分かった。協力しよう」
多頭引き馬車
(
オムニバス
)
はやがて、山脈の
彼方
(
かなた
)
へと
没
(
ぼっ
)
する日に別れを告げ、高原を下る。 カーツェルが気付いた頃には夜更け。 宿場町にて宿を取った一行が、食事を済ませ会話しながら自室に戻る足音で、彼は目覚めた。 少しの
間
(
あいだ
)
... ぼやける視界。 大きめのランタンが置かれたテーブルを中央にして、 一方の
椅子
(
いす
)
には少年。また一方には自身の
主
(
あるじ
)
。 彼らを
囲
(
かこ
)
い設置された細身の
燐青銅
(
りんせいどう
)
機器と、 椅子に深く
腰
(
こし
)
を
据
(
す
)
え
脚
(
あし
)
を交差し、
末端
(
たんまつ
)
を組み立てるフェレンスとを
眺
(
なが
)
めながら。 カーツェルは察する。 ところが
身体
(
からだ
)
を起こした
途端
(
とたん
)
。 前頭を
貫
(
つらぬ
)
く頭痛と強烈な吐き気を自覚し、胸元を
抑
(
おさ
)
えてシャツを
握
(
にぎ
)
り込んだ。 「 ... ぅ! ... ... 」
漏
(
も
)
れる
呻
(
うめ
)
きを聞いて、フェレンスは言う。 「点滴だけで、しばらく食していないのだから ... どうせ何も出ないだろうが。 口に上がってきたら
器
(
うつわ
)
に吐き出すといい。ソファーの下に置いた。お前のすぐ手元にある。 それが嫌なら、横になって大人しくしていることだ」 作業中ゆえ、手元を見る視線だけは固定し水受けの位置を伝える。 すると、言われた
傍
(
そば
)
から
鳩尾
(
みぞおち
)
が波打って胃がひっくり返りそうになったので。 返事もせずに態勢を戻し、口元を手で
覆
(
おお
)
った。 「 ムグ... ムグ ンム、ンン、ンム、ンムム ... 」 それでも何か言いたいようで、言葉にならない声を発しているが ... とても聴き取れない。 様子を見聞きしていた少年が、椅子を ピョンッ と
跳
(
はね
)
下りて
駆
(
か
)
け寄ったところ。 フェレンスの通訳が入った。 「 ... 〈いつかの二日酔いより
酷
(
ひで
)
ぇ... 〉 と、言いたいようだ」 ぇ 、今ので分かったの ? 目を丸めてフェレンスを振り向いた少年は、そう言いたげな顔をしている。 「 イ、ツカ?」 端的に
尋
(
たず
)
ねると、複数の部品を手に取り、手早く組み上げつつ答えるフェレンス。 「士官学校、卒業の日。多くは同時に成人を迎える。羽目を外して飲み過ぎたらしいな。
遠征
(
えんせい
)
の任を終え、帝都収容先の修道院に居た私のもとへ 夜、夜中、転がり込んだあと意識を失って。更に ... 丸一日、寝込んだ事があった」 それほど昔の話ではない。 明け方に手配された迎えの馬車にも乗り込めず、吐き気を
催
(
もよお
)
すなり 肩を貸す使用人の
腕
(
うで
)
を振り払って引き返し、
嘔吐
(
えず
)
く。 当時のカーツェルの
青褪
(
あおざ
)
めようが目に浮かんだ。 見ていると、フェレンスの口元が
僅
(
わず
)
かに
緩
(
ゆる
)
む。 その時、少年は、はたとしてカーツェルの方を見た。 すると、思った通り。 笑ってんじゃねーよ ... ... とでも言いたげにフェレンスを
睨
(
にら
)
むカーツェル。 だが、そう言えば ... あの時も。 悪酔いし当て付けを言って
絡
(
から
)
んだ
挙句
(
あげく
)
、
揉
(
も
)
み合いになったのだ。 思い返し、カーツェルは向き直る。 フェレンスは ... 気にしてなどいないようだが。
天井
(
てんじょう
)
を見つめ、何気なしに
尋
(
たず
)
ねてみた。 「なぁ、お前。
怪我
(
けが
)
はねーのかよ」 「無いな。
何故
(
なぜ
)
そんな事を?」 「お前の ... 血の味がする ... ... 」
唇
(
くちびる
)
の
端
(
はし
)
を
舌
(
した
)
の先で
舐
(
な
)
め、再確認した。 忘れもしない
魔ノ香
(
まのか
)
... ... 『てめー ... いい加減に
腹
(
はら
)
を
括
(
くく
)
れっつってんだよ!』 『禁呪のなんたるかを知ってもなお、それを言うのか。
呆
(
あき
)
れた奴だ ... 』
彷彿
(
ほうふつ
)
として
蘇
(
よみがえ
)
る記憶。
霧ノ病
(
きりのやまい
)
の発生に
伴
(
ともな
)
い拡大する被害と混乱は、悪行に手を染める
輩
(
やから
)
の横行にも比例し。 世の中は
荒
(
すさ
)
む一方。 士官学校を卒業したところで、何が出来る。 軍人として関わるだけでは力不足なのでは。
常々
(
つねづね
)
、思い悩んでいたのだ。 対してフェレンスは、力に
執着
(
しゅうちゃく
)
する彼に言い聞かせてきた。
秀
(
ひい
)
でた力は関わった者の命運をも左右し。 時には悪意を植え付け、か弱き者を犠牲にする。 『十の内、一つの幸を
齎
(
もたら
)
しめるに対し、九つの不幸を
招
(
まね
)
く法。 〈制約の
翠玉碑
(
エメラルド・タブレット
)
〉に
禁忌
(
きんき
)
として
記
(
しる
)
される
由縁
(
ゆえん
)
だと、そう教えたはずだ』 ところが、カーツェルの考えはフェレンスの
憂慮
(
ゆうりょ
)
を打ち払った。 『世界中で
魔物
(
キメラ
)
が増殖してるって時に、何言ってんだ。 一人を守るのに何十人、何百人と死ぬことだってある! 実際に見てきてんだろ!? 結局、何も残らないなんてコトも ... ざらだったはずだ! なのに、まさか、お前 ... 不幸を
負
(
お
)
う羽目になるヤツらと俺と、天秤にかけて考えてんじゃねーだろうな?』 別に、否定する気は無い。 むしろ、その通りだが何か不都合でもあるのかと、
尋
(
たず
)
ね返してやりたかった。 けれども意味深な
含
(
ふく
)
み笑いを見ながら、次の出方を待って
一旦
(
いったん
)
は心に
留
(
とど
)
めておく。 修道院、
敷地
(
しきち
)
の
一角
(
いっかく
)
に
設
(
もう
)
けられた ... 古い公舎の
隅
(
すみ
)
の
塔
(
とう
)
。 伝染病や精神病を
患
(
わずら
)
った者の
隔離
(
かくり
)
施設の一つ。 それが、フェレンスに与えられた部屋だった。 一歩、
詰
(
つ
)
め
寄
(
よ
)
ると。 彼は一歩、引き下がる。 距離を置こうとする相手を、岩積みの壁面がむき出しになった、その
傍
(
そば
)
まで追いやってでも。 言わねばならぬ。カーツェルは向き合った友人に対し、続けて、こう問い掛けた。 『なぁ、フェレンス ... 九つの不幸を恐れて、一つの幸も
齎
(
もたら
)
せなかったとしたら、どうなんだ。 何も残らなくても良い? そんな世界でも、都合よく ... ... 俺は存在してるのか?』 感情の
薄
(
うす
)
かったフェレンスの心身に衝撃を
与
(
あた
)
える言葉だった。
遥
(
はる
)
か地平線まで、白く
凍
(
い
)
てついた世界に
唯
(
ただ
)
一人。 とり残される光景が、フッ... と脳裏に浮かんで消える。 そもそも、正気を失った〈あの人〉の言う修正後の世界に、まさか自分が存在するとは思えないが。
何
(
いず
)
れにせよ、幸福など見い出せるはずもない。 カーツェルは
懐
(
ふところ
)
から短剣を抜き出し、 壁に当てた
自
(
みずか
)
らの指の
間
(
あいだ
)
に突き刺して続けざまに
囁
(
ささや
)
いた。 『俺ならとっくに覚悟は出来てんだ。何なら、今、証明してやろうか?』
刃
(
やいば
)
を
徐々
(
じょじょ
)
に倒し、指の皮膚を
僅
(
わず
)
かに切り込むと。 一筋の血が流れ、床に落ちる。 それを見て、初めて思い
改
(
あらた
)
めたと言って良い。 『分かった ... ... 』 壁に
接
(
せっ
)
するカーツェルの手の上を指先で
准
(
なぞら
)
え。
掌
(
てのひら
)
で
覆
(
おお
)
い。彼は
囁
(
ささや
)
き返す。 『やって見せろ ... ... 』 意表を突く言葉だった。 自らの手と重なり合うフェレンスの手。 見ると、
身体
(
からだ
)
が小刻みに
震
(
ふる
)
えだす。 手元から視線を
逸
(
そら
)
し向き直れば。 ランタンの明かりを
稍々
(
やや
)
下から受け、
鋭
(
するど
)
く見
据
(
す
)
えてくる
蒼
(
あお
)
ノ瞳。
刃
(
は
)
を倒せば二人分の指が失われる。 まだ短かった黒髪の
襟足
(
えりあし
)
に
対
(
つい
)
の手を滑り込ませ、首筋を
撫
(
な
)
でながら。 フェレンスは更に、こう
述
(
の
)
べた。 『魔導兵としての契約を
交
(
か
)
わす ... それはつまり、これと同じことを意味する。 いいか。まだ
猶予
(
ゆうよ
)
はある。今一度、考えてみることだ。
剣
(
つるぎ
)
を折られた時、実際に
砕
(
くだ
)
けるのは、お前の右腕と私の精神。 お前が命を落とせば、私の自我も崩壊するだろう。 それでもと言うなら、後日、新月の夜に ... ...
改
(
あらた
)
めて来なさい ... ... 』 硬直しきった手から短剣を抜き取ると、自身の指先を切り付け血を流す。 フェレンスの手が
唇
(
くちびる
)
に触れ、口の中へ強引に指を差し込まれたところまでは覚えているが。 それ以外に記憶している事と言えば、その時、
舌
(
した
)
の上に乗せられた血の香りだけ。
魔ノ香
(
まのか
)
に
酔
(
よ
)
い、意識を失ってしまったのだ。
明朝
(
みょうちょう
)
に
至
(
いた
)
り目が覚めるまでの記憶が
一切
(
いっさい
)
、無いので言い切れないけれども。 症状は同じ。 あの時は、酒と
魔ノ香
(
まのか
)
の酔いに打ちのめされ、
酷
(
ひど
)
い寝覚めを経験したが。 今回なんかは自覚するなり酔がぶり返して視界が回りだすのだから、かつての
比
(
ひ
)
にならない。 カーツェルは
昨日
(
さくじつ
)
を思い返し、
尋
(
たず
)
ねた。 「あれはやっぱり、こいつの血が原因だったのか?」 ようやっとの一言。 言い切ったところで再び吐き気に襲われ、ソファーの背に向かい
蹲
(
うずくま
)
る。 それを見ていた少年は、
肘
(
ひじ
)
置き
側
(
がわ
)
から回り込んで背を
撫
(
な
)
ではじめた。 「ツェ 、ル 、 ... ヨシ、ヨーシ ... 」 (´・ω・)ノ゛ナデナデ もう、これ以上
喋
(
しゃべ
)
ると、本当に胃が引っ繰り返りそうな気がしたので。 カーツェルは黙って少年のふわふわな赤髪に手を伸ばし。 モシャモシャ と
撫
(
な
)
でくり回すかたちで、感謝を伝える。 カチャ ... ... コツリ ... ... カラカラカラ ... ... その
間
(
かん
)
も機器の組み立てを続けていたフェレンスの手元から、 どこか聴き心地の良い ... 低めの金属音がしていて。 少年は時に、猫が目を細めるかのような表情を上に向け、耳を
澄
(
す
)
ませた。 すると、また
幾
(
いく
)
つかの器具、部品を取り付け順にテーブルに並べ終えたところで、フェレンスが答える。 「 ... その通りだ」 第四等・
柘榴石
(
ガーネット
)
第三等・
薔薇輝石
(
ロードナイト
)
第二等・
尖晶石
(
スピネル
)
第一等・
紅玉
(
ルベウス
)
(ルビー) 特等級・
熾金剛石
(
イグニス
)
(レッドダイヤモンド) 「私の血を〈
尖晶石
(
スピネル
)
〉に位置付けたなら、少年の血は〈
紅玉
(
ルベウス
)
〉を上回る」 「だろうな ... 鼻先に感じ取っただけで意識がぶっ飛んだんだ。 契約前の生身だったとは言え、お前の血を一滴、口にした時とは比べ物になんねーよ。 ... ... ウプ... ゥゥ ... ォェ... 」 「無理をするんじゃない。 薬を作ってやろうにも 必要な
霊草
(
ハーブ
)
の
幾
(
いく
)
つかが在庫切れだとリリィが言っていて、すぐには無理なんだ」 「 ... ウム、ムム ... !!」 「ツェ、ル、ナニ ? 」 「 ...〈分かってる〉だ、そうだ」 「 ウム、ムム ! (*・ω・*) ツェ、ル、イイコ!」 ナデナデ... ナデナデ... 「 ... ... ... 」 会話の途中に少年。そしてフェレンスの通訳。 背中を
擦
(
さす
)
ってくれている小さな手。 何だか
擽
(
くすぐ
)
ったい。 カーツェルは再び黙った。 少年の
与
(
あた
)
えてくれる
和
(
なご
)
みが、酔いを
紛
(
まぎ
)
らわせてくれているので。 いっそこのままフェレンスの作業が済むまでの
間
(
あいだ
)
、もう一眠りしておこうかと思う。 いつまでもこんな情けない姿を
晒
(
さら
)
しておくわけにはいかない。 顔向けすら出来ずにいる時点で
恥
(
はじ
)
。 せめて体調の悪さを顔に出さずに済むようになるまでは ... そう考えたのだ。 彼の背中にはクソ意地が
滲
(
にじ
)
み出ているかのよう。 目を向け、フェレンスは微笑む。 手元に残る部品は、一つだけ。 組み込みが完了すると、カーツェルの
傍
(
そば
)
に居た名も無き少年を呼ぶ。 「さて、設置は済ませた。 これから、お前の血に秘められた魔力の判定を行う。 こちらへ来て、静かに席に
着
(
つ
)
きなさい」 自分のことだと理解して振り向いた少年は、瞳を キラキラ と輝かせフェレンスの元へ。 素足を ペタペタ と
鳴
(
な
)
らして
駆
(
か
)
けつける。
膝元
(
ひざもと
)
に来るのを見ながら、席はあちらだと手を差し向けるフェレンスは、 少しだけ困ったような顔をしていた。 ハッ として
直
(
す
)
ぐ様に引き返す少年は、 まず椅子の手前に
片膝
(
かたひざ
)
を乗せ、
攀
(
よ
)
じ登るようにしながら向きを変えて ペタリ と座る。 そうして顔を上げた。 温もりを感じるランタンの
灯
(
あか
)
りを
滲
(
にじ
)
ませ。 丸々と見開かれる瞳は、まるで月ノ
鏡
(
かがみ
)
。 その中に映し出された
彼
(
か
)
の魔導師は、膝の上に置いた
制御盤
(
タブレット
)
に手を
翳
(
かざ
)
し、
速
(
すみ
)
やかに集中する。
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嵩都 靖一朗
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