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第四章◆血ノ奴隷~Ⅴ
彼ノ戦において砕 かれた遺物の一片 。
〈禁断ノ翠玉碑 〉 ... ...
複合錬金をはじめとし、同碑 の制約に反す技の秘められたるそれは。
かつて、賢者 の知識を司 るシャンテの中枢 に収 められていた。
崩壊後のシャンテは文字通りに没落。
天空を浮遊した土地の一部は海原に沈み、また一部は高山の峰 に座礁 。
世界各地に遺跡を残し、複数は未 だ、この空の何処 かを彷徨 っているのだそう。
異端ノ魔導師と呼ばれる亡国の末裔 が生かされた理由は唯 一つ。
地上の多くを統括する帝国の民の面前。
当時、まだ少年の姿だった彼は、こう願い出たと言う。
――― 人として生き、そして、死んでいくことを許して欲しい ... ...
と、そう一言。
砕け散った十二碑 のうち、行方の知れぬ ... 禁断のソレを探し出すことが条件だった。
多国間戦争を経て併合 された。
ここ〈アルシオン帝国〉は、幾州 にも隔 たる大陸国である。
国内各地を巡 り、調査するだけでも数年を費 やす。
報奨 として与 えられた住まいに戻ることすら稀 。
そんな邸宅 の主 を待ちわびること ... もう、どれくらいになるだろうか。
帝都の幽霊屋敷と言えば有名な話。
市街地から程 遠く。
冠格子 の施 された高い塀 と針葉樹林に囲 われた敷地に、鋭 く天を指す黒い瓦 屋根。
表、中、裏 ... 庭のそれぞれに面してH字を模 る建て構えに加え、
角々 に設 けられた見晴らしからは帝都の中心部を一望することも出来る。
塔に支えられる区画が、遠く、近く、積み木のように折り重なる中。
横合いから差す陽と影を、交互に纏 う。
その広大な景色は不規則なようでいて整然 とし。
しめやか。
夏も近いというのに、薄着では肌寒い。
そもそも ... この屋敷は、第三層天蓋区 の真下。
高台の立地 にあるため。
陽も真昼にしか差し込まず。
風は常に吹いている。
遠目に見る者が不気味に思うのも当然。
しかし、陰りの色濃さ故 、映える美しさもあるのだ。
庭の花々は、蛍火 のように淡 く灯 る発光植物が主 。
まるで聖夜を彩 る光の装飾。
限りなくそれに近い神秘的な光景を年中、楽しめるとあって。
屋敷の主 と親 しむ者は皆々 秘密にしておきたがる。
幽霊屋敷と噂 されるも、そんな彼らにとっては都合が良い。
真 の美しさを知る者だけの、とっておき。
ここは、そういった場所なのだ。
ところで ... ...
その、とっておきの場所を先から嬉しそうに駆け回る少年がいる。
息を切らす合間に キャッ キャ と燥 ぎ声を上げ、見所 を巡 り巡ること、何周目になるやら。
「見ていて飽 きない?」
見張り役に声を掛けたのはマリィ。
住み込みの女性料理長 だ。
対し、少年を見守っていた中年男の名はローナー。
同じく住み込みの守衛 である。
彼は答えた。
「どっこいそうでもねぇ。可愛いもんだぜ。嬉しくてじっとしてらんねぇんだな、ありゃ」
しかし、その土地の所有者以外は人の姿を模 しているだけ。
現在、被告人としての出廷 を踏 まえ拘束中の〈異端ノ魔導師〉が名義人として知られる。
そう。そこは本来、無人の館 であるはずなのだ。
なのに灯 る窓明かり。
「おい ... ... 点 きっぱなしならまだしも、
点いたり消えたりするって ... やっぱ、あの屋敷、誰かいるのか?」
「ああ、動く家具や喋 る鎧 は居るらしい。 異端ノ魔導師の屋敷だ、そう驚く事でもないだろう?」
「ええぇぇ ... 居るって ... おま... だって、化けて出るとか魔物 と変わんねーんじゃねーの?」
「幽霊だろうと、精霊だろうと、魔物 だろうと、害悪と見做 されるなら退治するだけ。
と言うか、お前 ... それでも軍人か? ビクビクしすぎだ。気を引き締めろ」
「う ... うん。でも異端ノ魔導師の〈使い魔〉って、やっぱ、めっちゃ強いんだろ?」
「 ... ... 呆 れた奴だな ... ... 」
誰もが恐れ、近寄らない。
被告人の身辺 を見張る軍警所属の男達もまた、屋敷からは距離を置いていた。
不審者の出入り無きよう務 める彼らの様子を遠目に見ながら、二人は会話を続ける。
「ところで、あの目障 りな奴等 だけど ...
どうやら、こちら側よりも過激派を警戒してるみたいね」
「だろうなぁ。あの、ちっこいのが監視官の側に渡っちまった時から
格上 の介入 に気付いちゃいたわけだ」
「静かすぎて気味が悪いわ。
一旦 はフェレンス様に預 けようって事なんでしょうけど。 胸糞 悪い ... 」
「ははは。言うじゃねーか。まぁ、同感だけどよ」
筋肉質の身体 を揺らして笑うローナーに視線を戻し、思い出す。
マリィは、あ ... と一声あげて更 に尋 ねた。
「それと、ロージーはどこ? 探してるんだけど」
「ああ。あいつなら少し前まで、ちっこいのの相手をしてやってたんだがな。
針子 が一仕事終えたってんで、すっ飛んで屋敷に引っ込んでったぜ」
「やっぱり。お迎 えの支度をリリィに押し付けて ... 役立たず ... 」
「いやいや。傍 で見ていてやる奴ぁ必要だろ」
「だからって、あのオカマである必要はないのよ!」
貴方 が見張ってるんだし! と、言って早口になるマリィにタジタジ。
「ああ。まぁ ... そうだけどな。 うん ... 」
無難に受け答えるローナーの額 がどっと汗ばんだ。
「リリィったら浮かれちゃってお喋 りばかり。
私だってずっと見てはいられない。
執事役をやれるような気の利 いた精霊はいないし。
メイド役に目配 りするくらいしてもらわなきゃ困るの!」
聞いていると目が泳ぐ。
それを一介 の守衛役に言われても、こっちだって困るんだがな。
なんて思ったところで、まさか口に出しては言えないし。
「分かる分かる! そりゃあ、そうだよな! ... ... 」
とりあえずは適当に返したが間 が持たない。
その時、少年は顔を上げて塔の上を見た。
屋敷に招 き入れられた際 、少しだけ顔を合わせただけの二人が喧嘩でもしているのだろうかと。
気に掛け立ち止まっていたところ。
聴こえる呼び声。
「おチ ~ ビちゃ ぁ ~~~ ん ♪ お着物が仕上がったわよ ~ 。
お召 し替 えしますからねぇ ~ こっちいらっしゃ ~ い ♪ 」
聴くなり、マリィの目が ギンッ と釣り上がる。
見ていたローナーの肩が ビクリ と跳 ねた。
中庭の少年は、ぴょんぴょん飛びながら駆 けて行く。
「 シャ、マ ! ドコ ――― ?」
「あら、来たばかりなのに、おチビちゃんたら気が早いのねっ ...
残念だけど、旦那様のお帰りはまだ先よ ~ ?
そ・れ・に、お会いするならおめかししなきゃ♪」
「 オ メ 、カ ... シ ?」
小首を傾 げる少年を抱き上げたのは噂 のオカマ。
「そうよー。きっと気に入ってもらえると思うわ♪ 可愛いんだからぁ ~~ 」
「ちょっと!! ロージー!! 着替えなんて他のメイドに任 せて! こっち来て!!」
「何か聴こえるけど、気にしないでねぇ? 旦那様に可愛いって仰 って頂けるように、
この私がしっかり見立ててあげるんだから♪」
「ちょ! ... 無視するんじゃないわよ!!」
「ふわふわ ぁ ~ とか、ヒラヒラ ァ ~ なのは好き かしら?」
「 聞 け !! そ こ の 、 お ん ぼ ろ タ ン ス !!!!」
箪笥 ... ... ...
あわあわとして、ローナーは一歩、二歩と後退 る。
「 ... ... う る さ い わ ね ... ... 」
すると、ようやく立ち止まって塔の上に目を向け、声を張る。
「聴いてないと思って、人のこと オカマ オカマ ってね!!
陰口 言うような女のためにしてやる仕事なんてないわよ!!
そ れ に ! あたしは旦那様ご愛用の
ア ン テ ィ ー ク ・ チ ェ ス ト よ!! お解 り!?
たまにしか使ってもらえないような〈刃 〉っ欠 け包丁とは違って、
いつだって旦那様のご様子に配慮してなきゃいけないの!!」
鼓膜がブルブル震えるほどの怒声に、少年は堪 らず耳を塞 いだ。
「 ... な ... 失礼ね!! 〈歯 〉なんて欠 けてないわよ!!」
若干 、噛 み合ってねぇな ... ... ...
ツッコミ入れたくて ウズウズ するが。
決して声には出さない ... おっさん。もとい、守衛。
「それから!!」
「 ... !?」
半ギレ・チェストは反論を遮 る。
一転して真剣な眼差 しを送るロージーの横顔を見て、少年はまた首を傾 げた。
「状況が状況なんだから、お迎 えの準備だとか
浮かれてばかりいないで、ニュースくらい見なさいよね ... 」
聞いた途端 に ハッ とした様子を見せる。
塔の上の二人は共に口を噤 んだ。
大広間では、お喋 りに暮 れていたらしいメイド達が、
とある報道を見聞きし静まり返っている。
石英硝子 の工芸柱が投映する内容に、
あるメイドは居ても立ってもいられなくなったよう。
広間から駆け出た彼女は、勝手口から中庭へ。
そして、塔の上のマリィを見つけると、か細い声を精一杯に振り絞 って叫んだ。
「姉さん! 大変!! カーツェル様が ... !!」
張 り詰 める空気。
名を聞いて振り向く少年もまた、やや不安そうな顔色。
吹く風の冷たさが、際 立つように感じた。
やがて降り出した雨は、天蓋 のもと幾 つかの滝 を成 し水路を満 たす。
水辺 に生じた濃霧 を防いで店先を閉ざした町筋 では、白く曇った飾り窓が店内の灯 りを受け。
霧 の向こうに浮かび上がるかのよう。
雨天による帝都の閉鎖 感は独特だ。
灰白 を上塗 りした景色が延々 と続き、土地勘 がなければ迷いもする。
そんな通りを黙々 と行き交 う人々に紛 れ、焦 る気持ちを抑 えながら、カーツェルは歩いた。
往 く先々で治安維持に務 める兵を見かけるも、彼は避 けようとすらせず。
すれ違いざまに目が合えば、あえて足元から頭の先まで見張りながら行くのだ。
湿気対策されたフード付きマント等 は珍 しくなく。
襟 を立てれば、口元まで隠せるため。
堂々としてさえいれば、一点集中する余裕のない兵の方から視線を逸 してくれる。
片 や、似たような背格好をした者のうち、
たまたま兵の背後から駆け出た一般民が、呼び止められるような厳戒 態勢。
路面電車の出発時刻のために急いでいたと説明しても、
強引にフードを脱 がされ顔や身体 を確認されている模様 。
カーツェルは何食わぬ素振りで先を急いだ。
角 を曲 がれば、細い横町。
更に行くと、階段沿 いに錬金術師の営 む店が連なる裏町。
中等未満の民間資格を持つ彼らは主 に、一般客向けの雑貨や咒符 を製作、販売している。
小遣い稼ぎに曇りガラスを拭いて歩く子らは時に、ガラス越 しの展示品に見入った。
通りがけに チラリ と覗 けば、キラキラ と輝く原石や、
タンブルにルース、加工済みの魔石。そして魔道具。
陳列 されたそれらを照 らし出すランプの暖かな灯 りが、美しさを引き立てているようだった。
仄 かに香り付く霧 を吸っては吐いて、懐 かしむ。
乾燥霊草 と精油の芳 しさ。
また一人、路地を行き来する兵をやり過ごしたカーツェルは、
香りを辿 るように角 の鉄階段を登っていった。
他の店とは異 なるそこは、一見してただの借家 。
木造である上、古めかしい。
踏み込めば床板が軋 んで反 り。
その都度、息を吐く隙間から砂埃 が舞い上がる。
湿気を吸っても黴 ずにいることが不思議だった。
奥まった一室を前に一度 立ち止まった彼は、
隙間に差す影と、物音、人の気配を摸 り、やがて扉を開く。
〈 ガチャリ ... ギィィィ ... ザザザ ... 〉
だが、その途中。カーツェルは眉を顰 めた。
建て付けでも悪いのか、半分も開けていないのに床に擦 れ、引っ掛かったのだ。
すると、笑いが込み上げ、口元から溢 れる。
「 ... ... んだよ、直 す気ねぇのか ... ... 」
そこは彼にとって、古き良き馴染 みの店。
合間に身体 を滑 り込ませ中に入ると、カウンターの手前にまで溢 れる霊草 の括 り。
見上げれば、剥 き出しになった天井柱にまで、ぎっしりと吊 り降ろされていて。
札 には値段も書かれていないのだから、店主の不精 っぷりも変わりないように感じた。
最後に訪 れたのは、いつ頃だったろう。
手前に視線を戻せば、少年時代の想い出が目に浮かぶ。
外を自由に歩けなかった当時のフェレンスは、
教会を通して物を買い付け、他人宛に配達させていた。
彼の協力者は、その何割かを貰 い受け慈善に役立てたと聞く。
あの頃は、まだ酷 く避けられていたので、会いに行っても門前払い。
業 を煮やした末 、無理やりにでも入り込んでやろうと思い立ち。
行き着いたのが此処 。
異端ノ魔導師の個人的な繋がりを探り、協力者に付け入るつもりだったのだ。
しかし、店主らしき白髭 老人の後 をつけ歩いたところ。
老人の身長と並ぶ長銃を鼻先に突きつけられ、逆に脅 されてみたり。
なんて、今だから笑える話だが。
見かけによらぬチビ耄碌爺 め。この肝心な時に何処 へ行った。
無人のカウンターを見て思う。
最 も、フェレンスが例の屋敷に移り住んでからというもの。
彼に絶対服従の使い魔が、折々 買い付けに訪 れているようなので問題は無いよう。
「 ... 待ってたわよ ... まったく、呆 れた御坊 ちゃんね ... 」
声を聞いて横を振り向くと、いつぞやぶりの〈ドコ○゙モ・チェスト〉ならぬ ... 大男。
ピンクのフリル・ブラウスが、はち切れそうだ。
「やれやれ、助かったぜ。さすがフェレンスの息が掛かった精霊は察 しがいいな」
カーツェルの場合、既 に見慣れているので、そこはスルー。
「聞くだけ馬鹿らしいけど、あんた... 何しに来たの?」
睨 みを利 かせ、大男は続けた。
「放 っておいたら旦那様のご心情に障 ると思って来てはみたけど。
事と次第によっては、張っ倒して軍警に投げ返すわよ ... 覚悟してちょうだい」
「 ... ... ... 」
その時、店主は留守だった。
街のどこかで鳴る巡視船の警鐘 に、カーツェルの言葉はかき消されてしまったが。
彼と向き合い然 と聞く。
ロージーは吸った息を吐き出すのも忘れ、硬直した。
「なんてこと ... ... あんた、まさか、それ、本気で言ってるの ... ... ?」
白髭 の店主が戻ったのは、彼らがその場を去って暫 くしてから。
「煙 たいのぅ ... 劫火 を燻 らせた若造めが、まだまだ修練が足りんようじゃ」
残り香 のように漂 う気配から、察しはついたよう。
配達帰り。空になった背負い籠 を壁際に降ろし、
カウンターの向こうに姿を消した老人は、足場を椅子に掛けて登る。
すると、残された貨幣 と書き置きが目に留 まった。
数種の霊草 を買い受けるとの内容。
「ふむ。まぁ ... 〈器 〉のくすみを落としてやるには丁度良かろうな」
部屋を見渡し、在庫を指差して数えながら店主は言った。
「 ... 代金がちと足りんがのぅ ... 」
しょぼーん。
目元まで隠れるふさふさの眉 と撫 で肩が、増々垂 れ下がる。
そんな店主の顔色を窺 うように窓辺の蔓 植物の花が店内を向くと、疎通 した店主から溢 れる笑み。
「 ホッ ホッ 、お前たちはコソ泥を締め上げてくれさえすれば良いのじゃよ。
接客までは頼 んどらんでな。安心せぇ ... ... 」
帝都の霧 は深まるばかりだった。
窓の外を見れば、雲の中にでも居るかのような気分になる。
こんな日に生じる憂鬱 もまた同様。
人を惑 わせ、腐食部に浸透し状態を悪化させやすい。
霧ノ病 に侵 されているとも気付かずに、急性発作を起こす者が現 れるのだ。
例えば、恋い焦 がれる女性に届かぬ想いを募 らせ、嫉妬に狂った末 。
芽生える絶望の種子が、独占欲を食い尽 くす。
力無き者は心に空いた穴から雪崩れ込む負ノ思念に囚 われ、我 を見失い暴走する。
「今度は何処 かしら ... 」
大きな身体 を縮 ませクラシックカーを運転するロージーが言った。
その後部座席横には、ドアに凭 れ伏 すカーツェルの姿。
平たく広いボンネット越 しに、交差路の先を覗 き見るも霧 に遮 られる。
お尋 ね者を連れているとあって、治安維持部隊の動きを気にかけているようだった。
次に、カーツェルが問う。
「頻発してんのか ... 」
「そうね、今日みたいに霧 の濃い日には。幸 い、旦那様とあんたが
相手にしなきゃないようなヘビー級は、あの日以来、現 れてないわ」
あの日 ... ...
彼は俯 いたまま笑った。
超級に格付けされる魔物 が現れた〈あの日〉と言えば、
カーツェルが初めて異端ノ魔導師の姿を目にした ...
そう、出会いの日でもあるのだ。
ロージーは続ける。
「そう言えば旦那様が言ってた。お屋敷に移り住む前で ... あたしもまだ、
洋服や品物をお預かりするだけのチェストだったから、お聴きしてただけなんだけど。
あんた、似てるんですって ... あの竜騎士に ... 」
グウィン ... 彼こそは、異端ノ魔導師が統 べる亡霊衆、〈千ノ影 〉の主力。
「 ... ... ... 」
聞いた途端。カーツェルは唇 を噛 むようにして閉ざした。
主 の心情を労 りたい者としては、あえて言わねばならなぬと心得 る。
情 けなど掛けてやる気は無い。ロージーは思った。
「相変わらずなのね ... その様子じゃ、ろくに寝てもないんでしょ。
腕 の腫 れと鬱血 なんか、どうする気だったの? 執事気取りが聞いて呆 れるじゃない。
旦那様の気も知らないで、何よ。大事にされてるって分かってるくせに。
自己犠牲なんか見せつけて、平気なふりしてれば尽 くしてる事になるとでも思ってるの?
とんだお笑い草よ。本当に ... 」
叱責 に加え、戒 める。
「好きなだけで一緒にいられるわけないじゃない ...
あんたに何かあれば、どの道、旦那様は独 りなのよ。
そうなるくらいなら。例え傍 に居られなくたって何処 かで生きてくれさえすれば。
立場が逆なら、あんただって同じこと思うはずでしょう?
旦那様はもう ... 大事な人を失いたくないのよ ... 」
カーツェルは暫 くの間、口を開こうとはしなかった。
しかし、不意を突くように呼びかける。
「ロージー ... ... 」
少しは省 みる気になったか。それとも ... ...
「何よ」
バックミラーを睨 んで答えるロージーは、大方、
お決まりの反論を聞かされるものと腹を括 っていた。
だが、ミラー越 しに見るカーツェルの表情は意外にも朗 らか。
逆に ギクリ として気不味 い。
どうしたことだろうと考える。
すると、カーツェルは言った。
「もしお前が、本気でそう思ってるなら。お前は俺よりもあいつのことを分かっちゃいない。
フェレンスはな ... まだ、そんな人間らしい葛藤 を抱くような男じゃないんだ。
成すべきを成す。生きる目的がそれしかないあいつにとって、人への興味は、
自分の弱みに成 り得 るモノの本質を ... 知ろうとしているだけにすぎないからな。
事ある毎 に俺を突き放そうとするにしたって、弱みを握られる訳にはいかない時に限るし」
正直、車から引きずり降ろして、胸倉 を掴 み上げてやりたい気分。
だが、そこを グッ と堪 え、口を挟 む。
「ちょっと待ちなさいよ、あんた」
しかしカーツェルは聞かなかった。
「フェレンスがそう言ったんだ。 なのにさ ... ... あいつときたら上辺 だけだろう?
共に生きて、共に死ぬ。一度はそうと決めて交 わした契約も、
成 し遂 げるために必要な力には到底 、及 ばなかったと知って。
たぶんな ... 奥の手を考えてるんだろうと思う」
「奥の手 ? 」
「亡国を滅ぼした男が、あいつに言ってた」
『 君の傍 に居て付き従 うだけの〈器 〉 ... そう ... 彼では所詮 、僕の代 わりになどならない ... 』
「だから ... ... 」
「待って待って、その男ってまさか ... ! 何それマズいわよ、どういうこと!?」
途端に冷や汗が吹き出る。
停止信号の前で ギュッ とブレーキを踏 みしめたロージーは、居たたまれず後部座席を振り向いた。
「弱みも何もなければ手段を選ばない、そんなあいつを、俺が ... 何としても止めるんだ」
深く伏 したまま、奥歯を噛 み締 めるカーツェルを見て思わず息を呑 む。
ロージーはゆっくりと態勢を戻し、前方を見つめた。
静まり返った車内から外へ、目を向けると。
霧 の晴れ間 に、帝都の各層を跨 いで入り組む迂回路 。
カーツェルは口を閉ざしたきり。
物思いに耽 りはじめた彼に対し、ロージーが過分 に尋 ねることは無かった。
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