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「可愛いなぁ、お前!」  すっかり騙されたぜ! と笑うと、ハルカの弟はきょとんと聖南を見詰めた。  にわかには信じられないが、もし彼の言葉が本当ならばすべての合点がいく。  この数日間モヤモヤとした違和感を抱えていた聖南は、それが晴れたことによっていくらか心が軽くなった。  打ち明けてくれてありがとう、と目の前の彼に感謝の気持ちまで芽生えるほどには。 「── ん、何?」 「あ、いや……ぶん殴られるのも覚悟して来たので……」 「あぁ、キレられるかもって思ったんだ? んな訳ねぇじゃん! なんかおかしいなぁって、あの収録の日からずっとモヤモヤしてたんだよ。だから今超すっきり! 逆にありがとな!」  違和感の原因が判明したのだ。すっきりしないはずがない。  あっけらかんと笑顔を浮かべる聖南を前に、ハルカの弟はまだ不安そうである。  なるほど、と聖南は頭の中で事態を整理した。  ギプスをしていた方が姉で、その替え玉になっていたのが目の前の〝ハルカの弟〟。  キレるなどとんでもない。  おそらく、memory周囲の限られた人間しか知らないであろうほどには、重大で重要な極秘情報を知った聖南に、彼を咎める理由などありはしなかった。 「……あ、あの……あの日から気付いてたんですよね……?」  聖南の反応に驚いたのか、ハルカの弟は瞬きを忘れて見詰めてきて心臓に悪い。  彼は彼なりに、騙してしまっていた事を重く受け止めているようだ。  超極秘事項なのだろうから、この世界に長く居る聖南に怒りの感情など湧くはずもないのだが、不安そうな彼には明け透けに話してやる。 「気付いてたっていうか、マジでよく分かんなかったんだよ。色々ヒントはあったけど、まさかこんな色っぽい奴が男だなんて思わねぇし。あ、じゃああのフード被ってたのがお前だ?」 「……そうです」 「やっぱなー。目が違うもんな」  自身の目元に人差し指をあて、「そこは隠しようが無いからな」と微笑むと、ハルカの弟は非常にバツの悪そうな顔をした。  聖南がハルカの連絡先を手に入れたまさにあの日から、違和感が始まったといっても過言ではない。  同じ顔、同じ背格好なのにもかかわらず、一方はギプス、一方は無口と会う毎にキャラの変わる〝ハルカ〟が不思議でたまらなかった。  とはいえ、連絡先を聞いてアプローチをかけたのは聖南の方だ。  いくら違和感に苛まれていようと、事実上ハルカの気持ちを弄んでしまったことに変わりはない。 「あのさ、俺もちょっと混乱してて、その……あんま連絡出来なかった。本物のハルカにちゃんと謝んねぇとな」 「ぜひ……っ、ぜひそうしてあげてください。春香、すごく悩んでたんで」 「……そっか。そうだよな」  やはりそうだったか、と聖南の笑みが苦くなる。  まだ駆け出しのアイドルを、聖南の都合で振り回したのはあらゆる面を鑑みても本当によくない事だった。 「……それじゃあ、俺はこれで……」  聖南が本物のハルカに謝罪をするという意思を確認した彼は、話は終わりとばかりに素早く立ち上がる。 「あ、待って。〝はる〟だっけ。このあと時間ある?」  なぜか、引き留めてしまった。  完全に条件反射だった。  引き留めようという意識が無かった聖南には、自らの行動に説明を付けられない。  ただ咄嗟に、意志とは関係なく葉璃の左腕を取ってしまっていたのだ。 「いや……分かんないです。色々ほんとに……すみませんでした」  失礼します、と言いながら聖南の手をやんわり払うと、そのまま葉璃は出て行った。  扉の向こうで声がする。  どうやら話を聞きつけて待ち構えてでもいたのか、memoryのマネージャーである佐々木の声らしき人物との会話が聞こえた。 『ハルカ、大丈夫だったか? みんなトイレ休憩終わって揃ってるから、早く行こうな』  あっさりと誘いを断られた事に愕然としながらも、あれだけ妙だと思っていた原因が分かって良かったじゃないかという安堵感もある。  しかし聖南の眉間には、濃い皺が刻まれていた。 「何が、早く行こうな♡だよ。あの鉄仮面……」  業界では、礼儀はきちんとしているがとにかく無愛想なマネージャーとして有名な佐々木の、あんなに優しげな声は聞いたことがない。  ヨシヨシと頭を撫でてでもいそうな雰囲気に、中でしっかりと盗み聞いていた聖南の心中は何だか胸糞悪かった。  残された聖南は、葉璃が出て行った扉を見詰めたまま大きく溜め息を吐く。  この燃え上がった恋心を一体どうしてくれるのか、と。  途方に暮れた。 「はぁ。スッキリしたのにスッキリしてねぇ……」  自分でも、自身の独り言の意味が分からない。  当然、女性である姉のハルカの事が好きなのだろうと自分を納得させようとするも、それは違うと心が否定する。  だとすると、弟の葉璃の方を好きなのだろうか。  間違いなく〝ハルカ〟に惚れたのは事実だ。  本物と影武者は性別そのものが違うのだから、そもそもそういう趣向でない聖南がこんなにも迷うのはおかしいはずだった。  ── いや、迷ってる時点でハルカにも申し訳が立たないな……。  聖南の猛烈な想いの行き場がふいに無くなった気がして、これではダメだとスマホを手に取る。  連絡した先はもちろんハルカだ。  葉璃の話の通り、聖南からの連絡を待ち侘びていたのだろう。すぐさま応答があった。  とてつもない罪悪感が湧いたが、聖南の言葉で正直に状況と思いを伝えた。  まず、葉璃にすべての事情を聞いた事。春香のギプスに気付いて違和感を覚え、ロクに連絡出来なかった事も素直に詫びた。  そして、自分は今とても混乱しているから、付き合うという話は一旦忘れてほしいとの身勝手なお願いにも春香はすんなり承諾してくれた。   『私達が混乱させてしまう原因を作ったから、謝るのは私の方です』と、完璧なまでの潔さであった。  本当に物分りのいい子で、聖南が今まで出会った女性でこんなに殊勝な人は一人もいなかった。  皆が皆モデルやタレントだったからか、自分にやたらと自信のある女性が多く、聖南に愛されたい一心での優しさはあったのだろうが、基本的には自分が一番だったように思う。  相手を思いやる気持ちなど、生まれてからずっと芸能界にいる聖南にとっては忘れかけていた事である。 「あぁ……でもなぁ……。この胸のモヤモヤはどうしたらいいんだぁぁっ」  ハルカとの話も付き、謎の違和感も払拭され、今聖南は大きな開放感に包まれていないといけないはずだ。 「ま、ここでジメジメしてても仕方がねぇな」  とりあえず仕事は終わったのだからと、渋々立ち上がる。  聖南は取り持ってくれた編集者と受付に挨拶し、側のパーキングに停めていた自前の車に乗ってエンジンを掛けた。  走り出そうとサイドブレーキを解除しようとして、動きを止める。  魚の小骨が喉に刺さってなかなか取れないようなむず痒さだけが残ってしまっていて、どうもスッキリしない。  聖南が一目惚れしたハルカが、まさかのまさか、男である葉璃の方だったせいだ。  対面した葉璃は完全にあの惚れた女性の姿だったので、男だと言われても簡単には信じられない。  どちらに惚れたのだろうと迷うくらいには葉璃の影武者は完璧で、だからといって〝ハルカ〟でない葉璃に好意を抱けるのかは甚だ疑問だった。  聖南の恋愛対象は、これまですべて女性のみである。  柔らかな体、豊満な胸、ふくよかなお尻、滑らかな肌、細い腰……挙げればキリがないほど、女性の身体は好きだ。  綺麗な顔をした華奢な男はこの世界にはゴマンといるが、聖南の大好きな女性の特徴を兼ね備えていない男というものに、これまでまったくそそられもしなかった事を考えると、聖南の中で答えは出たも同然だった。

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