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 鍛えられた腹筋から出る声量はハンパじゃなくて、思わず耳を塞いだ。  同時に痛いくらい抱き締められて、聖南の体に顔を押し付けられたから息が苦しくなった。 「かわいーな、葉璃……マジでかわいー。かわいーって言葉しか思い付かねぇよ。一緒来るか? 学校もレッスンも俺権限で休んじまえよ」 「あ、いや、……それは出来ないけど……」  聖南の雄叫びで俺の頭がちょっと覚醒し始めて、さっきまであんなに甘えてしまってた自分が猛烈に恥ずかしくなる。  学業優先!って常日頃から言ってくれてた聖南が、俺のせいで学校もレッスンも休んでしまえってそんな事まで言ってきた。  きっとこの目は本気だ。 「なんで。離れたくねぇなら来いよ。俺も離れたく……」 『セナ!! こっちまでお前の声聞こえたぞ! 何をやっている!』  俺と聖南が見詰め合って話してたら、扉の向こうから社長の怒号が届いて二人ともがハッとした。  物凄い剣幕だった社長の怒りなんか気にも留めない様子で、至近距離で聖南がクスクス笑っている。 「やべぇ、隣が社長室なの忘れてたわ」 「……あははは……っ! 聖南さん……ほんと面白い……!」  何て言うのかと待ってたら、忘れてたとかアリ……!?  甘ーいムードが崩れた事で俺もお腹を抱えて笑った。  聖南も俺と一緒だ。  不本意ながら、ちょっとだけ天然入ってる。 「お、笑ってる。超かわいーー♡ 葉璃の笑顔って元気出るんだよなぁ。……しかも葉璃の駄々っ子を久々に見られて得したぜ」 「久々……? 俺、前もこんな……?」 「まだ付き合ったばっかの時かなー。退院した日に、俺ん家泊まりてぇって駄々こねてた。覚えてない?」 「あー……ありましたね、そんな事も……」  もう一年近く前の事で、俺でもすぐにはピンとこなかったのに聖南はそんな些細な事を覚えてくれてたんだ。  離れたくないってグズったのは今日が初めてだと思ってたけど、俺はほんとに最初っから聖南の事大好きだったんだなぁ……。  まだ聖南の事何も知らないで、何で俺なのって聖南からの好意を信じきれてもいなかったあの時でさえ、俺は離れがたくて駄々こねたんだっけ。 「あん時もたまんなかったけど、あの頃より葉璃の事めっっっちゃくちゃ愛してっから、今のは絶叫もんだろ。週末覚悟しとけよ〜」 「覚悟……!?」 「デビュー会見終わったらその足で飛行機飛び乗って仙台に来い。ライブ終わりに空港まで迎えに行くから」 「……飛行機乗った事ないから怖いです。乗るなら新幹線がいいな……」  会いに行けるものなら喜んで行くよ、と言いたいところだけど俺は飛行機は乗りたくない。  まだ乗った事ないし、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて見てるだけでもゾワゾワッと全身に鳥肌が立つくらいだ。  もし乗るなら初めては聖南とがいいな……。  安全だって分かればその後は大丈夫な気がする。  俺の顔のパーツを指先で撫でながら、聖南がふふっと笑った。 「飛行機怖ぇのか、かわいーな。夕方なら新幹線もあんじゃね? 林に切符取らせとくから、どんな手段使ってでも来いよ。ライブ後の俺と愛し合う覚悟して来い」 「な、なんかヤバそうだから遠慮しとこうかな……?」 「んなの却下! 葉璃からのおねだりを聞いてやんのが俺の勤めだからな」 「おねだりなんてしてな……!」 「おいおいおい、俺を絶叫させたあれがおねだりじゃなかったら何なんだよ。さっきの、もう俺の頭にインプットされてっからいつでも再生出来んぞー♡」 「…………っっ」  嬉しそうな笑顔をその綺麗な顔に携えたまま、濃いブルーレンズのサングラスを掛けた聖南にもう一度ギュッと抱き締められた。  行かなきゃいけない時間なんだって悟って、俺も聖南の感触を確かめるように抱き締め返す。 「……聖南さん、髪、似合ってます」 「ん? ありがと」 「何色なんですか、これ?」 「これな、ブルーベースのアッシュグレー。角度によって青に見えたり灰色に見えたりすんだよ」 「そうなんだ……綺麗ですね」  聖南のキラキラ光る髪を触ってみると、ふわっと整髪料と香水の混じった大人の匂いがした。  髪型や髪色で人の印象はガラリと変わると言うけど、その通りだと思う。 「葉璃も近いうちにこの綺麗な髪を染める日が来んだろうな。……今のうちに写真めっちゃ撮っとこ」 「撮らないで下さいよ!」 「なんで? 出会ってからもう何枚も撮ってるし。今さらじゃね?」 「えぇ!? 知らなかった!! 消して下さい!」 「嫌だね。俺のスマホもタブレットもパソコンも葉璃だらけ」 「えぇぇっ!! 恥ずかしいからほんと消して下さいっ」 「その恥ずかしがってる顔も撮っていい?」 「ダメ!!!!」 「あはは……! 冗談冗談。俺だけに見せる顔は俺の頭ん中にしか焼き付けてないから安心しろ」  そんな事言って、俺の知らない間の……もしかしたら寝顔とかも撮られちゃってる可能性大だ。  膨れて聖南のサングラスの向こうの瞳をジロッと見ていたら、扉を控え目にノックする音がした。 「葉璃ー、帰るよー」  恭也だ。  その声に、聖南は自身の腕時計を見て溜め息を吐く。  そしてゆっくり俺を立たせてくれると、聖南も立ち上がって両頬に触れてきた。 「離れたくないけどもう行かないと。……葉璃、もう一回キスしよ」 「……はい……」  屈んできた聖南の両頬を捉えて、チュッ、と一度だけ唇を触れ合わせると俺の頭を撫でて離れていく。  寂しいけど……離れたくないけど……CROWNのファンが大勢、聖南を一目見ようと期待に胸を膨らませて待っている。  引き止めたい気持ちを必死で押し殺して、俺は聖南に笑顔を作った。 「聖南さん、行ってらっしゃい」 「行ってくる。愛してるよ、葉璃」 「……うん、……俺も、です」  名残惜しい、なんてもんじゃない。  聖南の背中に飛び付きたいって、こんなにも思った事はなかった。  大好きだよ、聖南。  ── 行ってらっしゃい。

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