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62・⑮ETOILE初舞台当日 〜犯人との対峙 Ⅱ〜

 これ以上喉元を圧迫すると、確実に男の息の根が止まる。白目をむき始め顔面蒼白になっていく男を目の当たりにしても、何も感じない。  もはや聖南の瞳に色は無かった。  もうどうなってもいい。  葉璃を傷付けたこの男も、恋人一人守れない自分も──無用な人間だ。 「セナさん!! 頼むから手を離せ! あと三十秒でそいつ……!」  怒りに突き動かされた聖南の常人ではあり得ない力によって、佐々木の制止はまったく通用しなかった。  サイレンの音は徐々に近付いてきている。  このままでは聖南が、過剰防衛どころか殺人未遂によって連行されてしまう。  目の前の事態に焦り慄いてすすり泣く事しか出来ない女二人は、身を寄せ合って聖南の狂気を前に震えていた。  そんな二人を冷ややかに見た佐々木もまた、これ以上ないほどに焦っている。  我が身の全力を持ってしても通用しないのであれば、自分がここに来た意味がないではないかと天井を仰いだその時、奥で小さな声が聖南を呼んだ。 「……せな、さん……?」 「────ッッ!!」  それは、注意して聞いていないと聞こえないほど微かな声量だったにも関わらず、佐々木がいくら振り解こうとしても駄目だった聖南の腕の力が、すんなりと抜けていく。  葉璃が目を覚ましたのだと分かり、聖南は男の喉元と手首を解放すると驚くべき速さで葉璃の元へ駆け寄った。 「葉璃っ、葉璃っ、葉璃っ……!!!」 「……せなさん……?」  長机の影に隠れ、上体を起こした葉璃が力無くぺたんと座っていた。  痛々しくも可愛い瞳が聖南を捉え、ゆっくりまばたきをする。  その憂いを帯びた顔を見た瞬間、聖南の心がひたすらに恋人の生を喜んだ。  ただれた脇腹が痛いだろうからと優しく抱き締めてやると、葉璃が脱力したまま胸元で何度も名前を呼んでくる。  その声と葉璃の温かな体温によって、聖南の瞳に失い掛けた色が戻ってきた。  ── 思い知る。  こんなにも容易く聖南を正気に戻らせてくれる恋人を手放せるはずがない。  葉璃と生きていくと誓ったのに、離れられるはずがない。 「葉璃……生きてて良かった……葉璃……」 「……せなさん……」  たとえ過去の自分の行いの果てがこれであっても、何度も許しを請うて隣に居たい。  仇討ちにとちっぽけな人間を一人殺めてしまったところで、葉璃の痛みが消えるわけではないのだ。  葉璃が感じた痛み、聖南が感じた痛み、……頭に血が上り、容易く理性を失った聖南は犯人らに同じ苦しみと痛みを与えてやろうとしたはずだった。  一、二発殴れば気が済むかと思ったが、理性の壊れた聖南は男の命まで奪おうとしていた。  大切で、愛おしくて、聖南の絶対的な道標である葉璃を襲った、戸惑いと混乱。そして実質的に受けた右脇腹の苦痛を思うと、男も、この身も、どうなってもいいとまで絶念した。 「聖南、さん……」  しばらくすると、胸に抱いた葉璃の声に覇気が戻ってきた。  もしも聖南が居なくなったら、この腕の中の葉璃はどう思うだろうか。  きっと、悲しんでくれる。泣いてくれる。なんて馬鹿な事をしたんだと、強い瞳で射抜いてきて涙を流してくれる。  ようやく光が見えた聖南の人生を、今日一日ですべて無きものにしてしまう事など、出来るはずがなかった。  いや、たとえ葉璃のためであっても、するべきでは無い。 「セナさん、早く葉璃連れて外へ……って、動くなよてめぇ! 俺まだ喋ってたろーが!」 「……グッ……痛てぇ! ……痛てぇ……!!」 「お前が起き上がろうとするからだろ。しばらくジッとしてろ。眼球刺すぞ」  放心状態で転がった男の顔を踏み付け、アイスピックを目の前に突き付けて大人しくさせた佐々木が、女二人に総長の目で視線をやると二人ともが「ヒッ」と肩を揺らした。  聖南の腕の中でその様子を見ていた葉璃の肩も揺れている。  さっきまでの勢いを削がれた聖南は、自分の事は棚に上げて、あまり刺激的なところを葉璃に見せるなと佐々木を叱りたかった。  だが佐々木も止まらない。  男の顔を右足で踏み付けたまま、素知らぬ顔でアイスピックをポケットにしまいがてら両手を突っ込んだ。 「セナさん、この女達に見覚えは?」 「あるに決まってんだろ。去年俺を刺した女と、顔変えてっけどお前は麗々だな」 「やっぱりそうだったか。この男は?」 「知らねぇ」 「あ……佐々木さんが今踏んでる方は、麗々さんが所属してた事務所の元社長さん、……ぽいです」 「え、葉璃、なんで分かんの?」 「俺が意識飛ばしてる間に三人が会話してたの、薄っすら聞こえてたから」 「あ~あの事務所のな。元、って事は事務所潰れたんだ」  鳴り響いていたサイレンの音が止まり、ついにこのビルの前に警察がやって来たと分かると、麗々達は逃げる素振りを見せなくなった。  聖南と佐々木に挟まれている状況に観念したかと思えば、勢いよく聖南を振り返ってきてギッと睨まれる。  改めてよく見てみたが、麗々はこの日のために整形まで行ったようで、作り物めいたその顔面の奇妙さに反吐が出そうだった。 「……そっ、そうよ!! セナのせいでみんな人生めちゃめちゃになったのよ! 私は入ってた仕事が全部キャンセル、業界の人、誰からも話し掛けてもらえなくなった!! あれ以来仕事もまったく来なくなったしこれじゃ干されたも同じよ!! 私が何したって言うのよ!! 恨みしかないわ!!」 「私もよ! あの時、みんなみたいに抱いてくれればあんな事するつもりなんて無かったのに!! おかげで私は前科者よ!!」 「……なんでセナさんじゃなく、葉璃をピンポイントで襲った? はじめから葉璃を狙ってたのか」 「そうよ!! そいつが一番襲いやすそうだった! 拉致して、こいつ返してほしかったら元の生活に戻してってセナに言うつもりだったの! まだ新人でしょ、そいつ!」  聖南も佐々木も、二人が好き勝手に喚き散らしているのを黙って聞いていたが、まさしく、聖南への明らかな復讐心を抱いているようである。  必死の形相で捲し立てた女達の言葉を聞く限り一つ分かった事は、聖南の弱点が葉璃だとは知られていなかった点。  かといって致し方ないと言い分を呑み込む事は出来ない。  己への憎悪よりも、こめかみがヒクつくほど怒りを呼び起こさせるワードに聖南は引っ掛かった。 「そいつ? てめぇ、葉璃の事そいつとかこいつとか言った?」 「セナさん、そこで沸点迎えたらあと保たねぇよ。警察も到着したみたいだし、あとは任せ……」 「あ、あの!!!」  佐々木の言葉を遮ったのは、聖南の腕から離れてじわりと立ち上がった葉璃だった。  縛られていた腕が気になるのか、右手で左の手首を擦っている葉璃を見上げた聖南と、男の顔をまともに踏んだままの佐々木が同時に声を上げる。 「……どした、葉璃?」 「……葉璃、どうした?」 「あの……あの……! 俺、何もされてないです!」

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