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第1話

 キスで思いが伝わったらいいけど、ね。  外泊許可週末や中間休み。それから学期の終わりに、普通の生徒より一晩多く寮に泊まること。昔からキースはそれが嫌いだった。閑散とした寮の中の部屋の、たくさんの空のベッドの中でひとりで眠る孤独さは、やったことのないやつにはわからないと思う。  いつも学校があるといい。  いつも声の絶えることのない場所だから、なんにも聞こえないことに耐えられないのだ。たまになら友達の家に招待されることもあるけれど、他人の家では毎回招待されることを期待するわけにもいかないじゃないか。 「誰?」  コン、コンと控えめなノックがして、キースは読んでいた本から目を離した。E.M.フォスター。  訪問者も腕に本を抱えていた。  'Mathematics to GCSE'…随分先に進んでいるものだと感心したが、自分の手にした本との対比に笑ってしまう。 「……アンソニー?」 「………」  トニーは黙っている。 「…てっきり君はとっくに家に帰ったものだと思ってた」 「……うん。…そのつもりだったんだけど」  そこまで言うと彼は濃い茶色の瞳をうるませた。彼がここにいるとは知らなかった。  生徒の数がまばらなときは、ハウスマスターの利便のために残った生徒はひとつの寮に集められる。大きな寮に住んでいるキースにはあまり関係のないことだったので忘れていたが、そういえば小さな寮にいる生徒はいつもどこかしら居場所を移動していた。たぶんそのせいなのだ。 「いいよ、言わなくて」  微笑みながらキースは少し相手を馬鹿にしている。俺なんか、帰る家なんかないんだけどね。 「…一緒の部屋で寝ない?」 「え?」  唐突な彼の問いに、キースはびっくりした。子供すぎて笑えてしまう。 「キースもひとりなんだろ? エリオットもアンドリューも放課後、すぐに家に帰っちゃったから」 「…人恋しいんだ、アンソニー?」 「君は違うの?」  トニーは真顔で見返してきた。可愛い顔だった。  この顔に負けて初めてキスしたのは数ヵ月前、ヒストリー・トリップの夜、フランスにて。  同じ部屋になったのも偶然だった。二人きりのところでトニーがずっと泣いていたので、無視しきれなくて仕方なく聞いた。 『どうして、泣いてるの?』 『この前死んだ犬のことを思い出したから』  顔を上げて彼は言った。思わず抱きしめたくなった自分にうろたえてキースは慌てて顔を逸らした。 『そっか、ごめん』  その少し前にキースは自分が同性にのみ性的魅力を感じることを自覚したので、そのこと自体には驚かなかったが、それがこの目の前の少年であることに驚いていた。 『これから僕は一人で生きて行くのかと思うとなんだか涙が出るんだ。トーマスだけが僕を嫌いじゃなかったんだけど。ほら、みんな僕のこと嫌いだから』  自分以外に不幸な少年は世の中にいないような言い方だった。世界に対する不安と疑心の目はキースを苛立たせはしても、魅了はしない。  まったく、好みのタイプとは言えなかった。 『アンソニー、世界はそう悲観するもんじゃないと俺は思うよ』  彼の華奢な顔を殴りつけてから、唇を触れ合わせたらどんなに甘美だろう。見上げた顔が可愛かったのでキースは代わりにキスをしたくて堪らなくなった。 『いいんだよ。僕は皆より年下だし、昔から友達なんていないんだ』 『知ってる? アンソニー、俺は皆より年上なんだ』 『え?』 『十四歳。そう見えるだろ』  びっくりしてトニーが無防備な顔をした。考える前に唇が触れた。 『好きだよトニー、大好きだ』 『キース……!』  考える前に言葉が零れていた。後悔に襲われてキースは顔を逸らした。思いもしなかった言葉は明確な意味を持って返ってきた。  俺は、彼が好きだ。  I love him, oh, my god.  どうすればいい?  訝しげな彼の視線を肩越しに感じる。 『……僕も…、君が好きだよ…?』  しばらくして彼が言った。不安げな彼の言葉は、キスの意味を間違えたに違いなかった。  キースはそれを利用することにした。 『じゃあ、…友達だ』  笑って言った。彼はひかえめに笑い返してきた。 「君は違うの?」  トニーは不安げな目で彼を見上げていた。だから彼は、自分に正直になることにした。  地獄に堕ちるよ、と誰かが囁くのが聞こえたけれど、彼は無視した。もう一度、無防備な唇に唇を寄せる。トニーは少し身を硬くしたけれど、逃げはしなかった。 「……違わない。…枕持って来いよ」  顔を離して彼は言った。  トニーは突然のキスに対してやや不安げに、でも拒否されなかったのには安心したような顔でキースに笑いかけた。  ああ俺は、彼に惚れてるらしい。 「うん。…ねえキース、知ってる? 今夜一時二分に彗星が西の空に見えるんだよ…」  キスで思いが伝わったらいいけど、ね。

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